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1 きっかけはおにぎり

※※『作戦名は「先手必勝!」 虐げられるとか本当に無理なので、早めに回避します!』の続きのお話です。


「お嬢様、これをどうぞ……」


恭しく差し出したものを見て、エリザベスお嬢様が驚きの表情で目を見開いた。


「こ、これは……おにぎり! これ、おにぎりよね!? リチャード! どうしてあなたがおにぎりを持ってるの!?」


お嬢様は微かに震える手を伸ばし、おにぎりを掴み、口に運ぶ。


「……!!」


一口かじった後、うっとりとした表情で呟く。


「美味しい……ほろほろとごはんが口の中でほぐれてく……それに絶妙な塩加減

……ああっ! 梅干しまで入ってる!!」


両手でおにぎりを持って、小さな口で必死にかじりつく。

リスみたいで本当に可愛らしい。

そのまま夢中で食べきると、お嬢様は二個目のおにぎりに手を伸ばす。

用意したおにぎりは三個。中身の具は、梅、鮭、タラコ。塩鮭以外は正確には、梅干しによく似た物、タラコによく似た物なのだが。

それにしても、一個の大きさを小さめに作ったとはいえ、もう三個目を食べ始めているとは。

喜んでもらえたようで何よりだ。


それから、お嬢様はあっという間に三個のおにぎりを食べ切った。

汚れた指を拭くために用意しておいた濡れたハンカチを差し出す。


「ありがとう。……おにぎり、本当に美味しかったわ。またおにぎりが食べられるなんて、夢みたい……」


お嬢様は頬を薔薇色に染めて、感極まったように言った。が、突然何かに気づいたかのようにハッとしてこちらに向き直った。


「リチャード、あなた、もしかして……!」


「はい。私の前世は日本人でした」





 ※※※





1週間前のこと。

俺が従者としてお仕えする伯爵令嬢エリザベス様が、お茶会の帰りの馬車の中で言ったのだ。


「おにぎり食べたいな……」


それは小さな声で、普通の人なら聞き漏らすような微かな呟きだった。

だが、その時、俺の耳にははっきりと聞きとれた。


(わかる。なんだかんだで、甘いものとか、洋食っぽいものばかり食べてるから、おにぎりとかシンプルなものが食べたくなるんだよな。海外旅行中に、日本食が恋しくなるようなものか。やっぱり日本人は米だな)


反射的に、そう思った。


(…………ん? おにぎり? 日本人? 米? って、あれ? え?)


――()()()()


生まれてから一度も聞いたことのない言葉のはずなのに。

それが何を表すのか、俺はそれを知っていて、頭の中に正確に思い浮かべることができた。


そう。おれはおにぎりを知っている。だって俺は日本人だった。

大学院の2年生。薬学部の生薬系の研究室に在籍。徹夜で実験をし、明け方に大学近くに借りてるマンションの部屋に着替えに戻る途中だった。――そう、途中だった。


(ラーメン屋の前の信号を渡っていたときから先の記憶がない)


つまり、そういうことなんだろう。

元々、あまり物事に動じない性格で、友人から「お前って、本当に図太いな!」と言われるほどだったせいか、不思議と今の状況を慌てずにすんなりと受け入れることができた。


目の前に座るお嬢様を見る。


月の光を紡いだような腰まで届く銀の髪。

宝石のように澄んだ濃い青の瞳。

陶磁器のようになめらかで透き通った白い肌。

瑞々しい果実のような唇。

こうして黙って座っていると、硝子細工の人形のように繊細で儚げに見える。

だが、ひとたび微笑むと、使用人たちが「天使のような」と称する、無邪気な笑顔になる。


エリザベス・フォークナー伯爵令嬢。18歳。

10年前、8歳のときに、祖父であるフォークナー伯爵の家に引き取られた。

以前はバートン子爵家の令嬢だったそうだ。

家令のマーカスさんと侍女のマリーさんは、お嬢様と一緒にフォークナー伯爵家にやってきた。

その時の経緯を詳しく教えてくれたマリーさんは、お嬢様が夢で母親から聞いた未来の話をするくだりでハンカチを出し目を押さえていた。

よほどひどい話だったのだろう。

お嬢様がそんな目に遭わずに済んで本当に良かったと思う。


今世の俺は伯爵家の三男だ。

長男も次男も健康で特に問題なかったので、三男の俺は将来は家を出ることが決まっていた。

貴族家の次男以下は、余っている爵位があればそれを継ぐが、無い場合は家を出て平民となる。

だが、実際は平民となって暮らす者はほとんどいない。

騎士となり王国の騎士団に入れば無条件で騎士爵を授かれるので、その道を選ぶ者が多かった。

他には、高位であったり裕福だったりする貴族の家に奉公に出ることもある。

その場合は、年頃になったらどこかの貴族の一人娘のところに婿に入るのだ。

奉公していた家に婿入りする場合が多いが、他家に縁付くこともある。

生まれつき容姿が整った者や、優秀な者は、こちらを選ぶことが比較的多い。


俺は割と容姿に恵まれていたため、周りからの勧めで貴族家に奉公に出ることになったが、本当は騎士になりたかった。

剣を振るい、敵を薙ぎ払い、弱い者を守る。そんな義侠心にあふれた騎士が主人公の大衆演劇が流行っていたので、子供ながらにそんな騎士に憧れを抱いていたためだ。

なので、12歳で父に連れられてフォークナー伯爵家に行った時は、少し不貞腐れたような態度になってしまい父に叱られた。


そんな風に訪れた伯爵邸で。

俺は、天使に出会った。


――衝撃だった。

こんな可愛い生き物がいていいのかと思った。

街の劇場で見た可愛いと評判の歌姫とは全く比べ物にならない――いや、むしろ比べるのがおかしいと思えるほどの可愛さ!


(天使だ。俺は天使に仕えられる。なんて幸せ!! ありがとうございます。何に感謝したらいいのかよくわからないけど、とにかくありがとう!)


少し不貞腐れたような投げやりな態度から一変、俺はのぼせ上ってぼーっとしてろくに返事もできなくなり、またもや父に叱られた。


あの衝撃の対面から6年。

俺は誠心誠意お嬢様のために仕えてきた。

お嬢様の婿になるだなんて、そんな大それたことは考えていない。ちょっとしか。

だが、俺より劣るものがお嬢様の隣に立つことは絶対に許さない。

お嬢様には、最高の伴侶を迎えて頂かなければ。そのためには、基準となる俺が、優れた人間にならなければ。

そんな決意の元、日々自己研鑽に勤しんできた。

と同時に、お嬢様に対して、懸命にお仕えすることも忘れない。

お嬢様が望むことはなんでも叶えるよう努力した。

その結果、マリーさんからは「リチャード様は、本当にお嬢様が好きなのね。なんかちょっとストーカーっぽくて怖いくらい。っていうかちょっと気持ち悪い」と言われている。


そんな俺にとって、お嬢様の小さな呟きを拾い上げ、その希望を叶えることは、息をするくらい当たり前のことだった。

俺の大事なお嬢様が、おにぎりを望んでいる。

そして、俺はおにぎりが何なのか知っている。

日本人としての記憶を思い出した今、それを叶えることは容易い。

幸いにも、この世界には米がある。梅干しに似た果実の塩漬けも、タラコに似た魚卵の塩漬けも存在する。

これはもう、すぐにでも材料を手に入れて作って差し上げねば!


と、そこまで考えてふと思い至った。

この世界におにぎりという状態のものは何故か存在していない。

そもそも、パンやサンドイッチ以外の主食を素手で掴んで食べることがこちらの文化では無いのだ。

ましてやお嬢様は伯爵令嬢。

おにぎりなんて、見たことも聞いたことがないはず。

なのに、お嬢様は呟いた。『おにぎり食べたいな……』と。


(間違いない。お嬢様も、前世の記憶がある。しかも日本人だったに違いない……!!)


俺は確信した。お嬢様は俺と同じ日本人だったに違いない。

ああ、なんてことだろう、お嬢様と俺の間に、こんな運命的な繋がりがあるだなんて!

今日からすぐに材料を集めて、すぐにでもお嬢様におにぎりを差し上げよう!






 ※※※






「リチャード、あなた、もしかして……!」


「はい。私の前世は日本人でした」


手を拭いた濡らしたハンカチを受け取りながら、俺はできるだけ落ち着いた声で答えた。

お嬢様はこの事実をどう受け止めるだろうか。

きっとすごく驚かれるだろう。俺と同じように「運命」を感じて下さるだろうか。



――と思っていたのに。



「やっぱりね」


お嬢様は、妙に落ち着いた声で言った。


「……お嬢様?」

「なんか、日本人っぽいなって思ってたの。だってリチャードったら、私に本気で謝るとき土下座するじゃない? 正座が妙にしっくりきてるし。それに、リチャードって部屋では靴脱いでるじゃない?」

「……確かに……」


(なんてことだ。自分では気づかなかったが、確かに言われてみればそうだ。日本人っぽい)


自分が日本人である前世の記憶を思い出す前からそんな状態だったなんて。

日本人のDNA恐るべし。あ、いや、DNA的には少しも入ってないか。


「ねぇリチャード、私も()()だってバレてるわけだし……これからは令嬢らしい話し方をしなくてもいいかな? 二人きりの時は、こんな風にくだけた感じの喋り方でもいいよね?」


「もちろんです、お嬢様」


『二人きりの時』というパワーワードに興奮して若干食い気味になって答えると、お嬢様がふふっと小さく可愛らしい声で笑った。


「嬉しいな。この世界で、前世のこと……あっちの世界のことを話せるなんて。あっ、そうだ、まだおにぎりのお礼言ってなかった! すっごく美味しかった! もうね、一生食べられないと思ってたから。食べながらちょっと泣いちゃった」

「お気に召していただけたようで良かったです」

「……ねぇ、二人きりの時は、リチャードもそんな堅苦しい喋り方しなくていいよ? そうだ、エリザベスって呼んで?」


エリザベスって呼んで……

エリザベスって呼んで……

エリザベスって呼んで……


――ハッ、いけない。今ちょっと意識飛んだ。


「それはできません」

「どうして?」

「無理です。私は前世でも今世でも女性とそんなに親しく話したことがありません」

「えー……どうしても?」

「どうしても」

「じゃあ、仕方がないな。でも、私は気軽に話させてもらうからね!」


ちょっと残念そうにそう言われたが、無理なものは無理なので許して下さい。


「ふふっ。でも意外だな。リチャードは、そんなにかっこいいんだもん、女の子と親しく話したことないなんて信じられない」

「……そんなこと」

「だって、リチャードってすごくかっこいいから。艶のある黒髪、神秘的な黒い瞳、整った顔立ち。お友達からいつも羨ましがられてるんだから。素敵な従者がいて羨ましいって」


リチャードってすごくかっこいいから……

リチャードってすごくかっこいいから……

リチャードってすごくかっこいいから……


(ああ、お嬢様…………もう、今、死んでもいい……)


突然始まった褒め殺しタイム。

破壊力のある言葉の数々に、俺は息も絶え絶えになった。


「初めて会ったとき、すごく驚いたんだから。わぁ、すごい美少年が来たってびっくりしたんだよ。私があと20歳、いやせめて15歳くらい若かったら、絶対好きになってたと思う」


……ん? 何かすごく気になる単語が混ざってたような……若かったらって一体……?


「それにしても、リチャードも前世日本人かー。嬉しいなー。ねぇ、おにぎりまた作ってくれる?」

「もちろん、いつでもお作りいたしますよ」

「やった! 嬉しい! ありがとうリチャード!! 大好きよ!」


大好きよ!……

大好きよ!……

大好きよ!……


何か考えなければならないことがあったような気がするが、お嬢様の「天使の微笑み」を至近距離で受け止め堪能すること以上に大事なことなどこの世に存在しない。


(お嬢様のためなら、おにぎりだけでなく、ラーメンだろうがお好み焼きだろうがトンカツだろうがピザだろうがなんだって作って見せる!!)


「おにぎり食べたい」というお嬢様の呟きで前世を思いだしたが、そのおかげでお嬢様との心の距離が信じられないくらい近くなった。

もしかしてこれって、日々、お嬢様の従者として自己研鑽に励んでいた俺への神様からのプレゼントなのかもしれない。

やっぱり神様って見ててくれるもんなんだな。

ああ、ロマンスの神様、ありがとうございます!

これからも、お嬢様のために全力でお仕えいたします!!



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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