スルメとおつまみ昆布
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今日のデートは、映画で恋愛映画を見ることになった。
恋愛映画は私がそう言ったのだけど、デートなんだからそれが常識よね。
クズからメッセージで、〈おまえはブスなんだから、もっと露骨に迫らなくては結婚出来ないぞ。真面目にやれ〉とまたひどいことを言われてしまった。
何が真面目だ。
真面目な女の子は、露骨に誘ったりなんかしないよ。
だけど私は動画をばら撒かれるのが怖いから、恥ずかしくても露骨に迫るしかない。
手にそっと触れるシーンが映し出されたから、私もこれに乗って手を伸ばしてみよう。
だけど、心臓がドキドキして鳴り止まないし、顔から火が噴き出しそうになっている。
手を握られたら誘いは成功だけど、誘った私はどうされてしまうのだろう、とても怖くなってしまう。
逆に手を握られなかったら、私は落ち込んでしまいそうで、それも怖くなる。
危険なことだけど、私はこの人に、癒しを求め初めているんだ。
クズに深く傷つけられた心を、誰でも良いから慰めて欲しいと渇望しているんだと思う。
今の私は危ういと自分でも思う、少しでも優しくされたら、心が持って行かれてしまう。
私のことを「可愛い」と言った前科があるこの人には、細心の注意が必要だ。
もうかなり持っていかれている。
きゃー、そんな。
手を握られてしまった。
それも恋人がするような、指を絡ませる握り方をされてしまっているよ、どうしたら良いの。
私はカッと顔も身体も熱くなってしまい、胸が痛いような感じになってしまった。
恋愛映画で見たことがある繋ぎ方を、今私はされているんだ。
これは恋人達がすることだよ。
いけない。
心が持って行かれるところだった。
どうせ私を玩具にすることが目的でしょう。
試してやるわ。
私は握った手を自分の太ももに持って行った
こうすれば私の同意を得たと、太ももを触るでしょうから、それで本性が分かるはず。
でも分かったところで、何か良い事があるのかしら。
うーん、しょうがない、腹をくくるしかないわ。
私を玩具にするような男と結婚しても、〈おばあちゃん〉が喜ぶはずがないもの。
動画を拡散されて私の裸を沢山の人が見ることになっても、〈おばあちゃん〉と二人で何とか生きていけるはずよ。
最後の最後は、お父さんとお母さんには申し訳ないけど、住んでいる家を売れば〈おばあちゃん〉が天国に行くまでの間くらい暮らしていけると思う。
それしても、この人の手は何でこんなにも熱いのかしら。
手が触れている太ももから、熱いものが身体中に駆け巡って、頭も胸もお腹も沸騰しそう。
なぜ手を動かさないの。
なぜ手を離してくれないの。
映画なんて見てられないし、あなたがどんな顔になっているか、とてもじゃないけど確かめられないわ。
私は映画が終わるまで、体が熱くなるのを鎮めるのに必死だった。
映画が終わっても、まだ握った手を離してくれないよ。
私は身体中を真っ赤に染めているはずだ、恥ずかしいから握った手を解こうと思っても、バカな私の右手が言うことを聞いてくれない。
「これからどうしたい」って聞かれたから。
「へへっ、お酒を飲みたいかな」
うわぁ、どうしたんだ〈美幸〉。
男にこんな媚びるような声が、私にも出すことが出来るんだ。
新しい自分の発見は発見だけど、悲しい発見のような気もする。
居酒屋で対面に座ったから、やっと手を離すことが出来た。
ただ個室で二人切りだから、また違った気恥ずかしさが私に襲ってくる、胸の鼓動があまり遅くならないよ。
私は〈イタリアンスクリュードライバー〉と言う名前の割には、かなりアルコール度数が低いカクテルを頼むことにした。
弱いお酒で検索に出てきたものだ、もう二度と泥酔するような愚かな事はしない。
「バーボンがお好きなんですか」
「このお刺身は角が立っているから、かなり新鮮ですよ」
「茶碗蒸しにすが入っています。加熱し過ぎですね」
自分でも信じられないけど、仕事以外で男との人とまともに会話したこともない私が、良くしゃべっていたと思う。
手も繋いだし、何回も抱き着いたし、太ももだって触らせたんだ。
慣れたって言うか、遠慮がなくなったと言うのか、私にとってこの人はすでに特別な人になっているんだわ。
普通に付き合っている人の様に、おしゃべりを楽しんでいると、意外なことを聞いてきた。
「新聞で横領の話が載っていたけど、うちの会社も心配になるね。 〈美幸〉さんは経理だから、その辺のところの情報は持っていないの」
えぇー、どうしてこんなことを聞いてくるのかしら。
予想外過ぎて、理由が全く分からないよ。
「えっ、横領ですか。 私の知っている限り、そんなことは無いですよ。 変な心配をするんですね」
誰かが会社のお金を、横領したっていう噂でも流れているの。
だけど経理部では、そんな感じは全然しないよ。
私は周りの人の言動にいつも注意を払っているけど、そんな雰囲気は微塵も感じないわ。
でもこのタイミングで聞いてきたってことは、何かがあるんだ。
私はもう酔わないって言ってたけど、少し酔っていたのかも知れない。
少し揺さぶりをかけて、様子を見ることにした。
でも本音は私のことをどう思っているかを、知りたかったんだと思う。
「何時まで経っても、私のことを〈さん〉づけで呼ぶんですね。 少し淋しいです」
「もぉ、私を呼び捨ててください」
「はぁ、どうしてもですか」
何よ、その言い方は。
私が一方的に好きになっているみたいじゃないの。
「うぅぅん、どうしてもです」
うわぁ、どうしたんだろう私は。
こんな甘えた声を出して、色仕掛けをしろと言われているけど、やりすぎじゃないのかな。
「分かったよ。 〈みゆき〉、可愛いね。 これで良いかい」
あぁ、また〈可愛い〉って言われた。
呼び捨てにされたのは、思ってた以上に衝撃が強くて痺れてしまいそうだ。
ブスにそんな事を言ったらいけないんだよ。
本気にしたら、あなたは責任を取ってくれるの。
「ふぁ、キュンってしちゃいました。 突然は、ズルいです」
ほら、また甘えた声が出たでしょう。
もう知らないんだからね。
割り勘にしようと言ったら、すごく抵抗されてしまった。
お店の人も困っているよ、変なところで頑固なんだね。
借りは作りたくはないのだけど、悪い気もしないな。
しょうがないから、今度私が奢るってことで今晩は譲ってあげよう。
更に私はこの人を試すことにした。
腕を絡めてホテル街の方へ、私が引っ張っていったら、果たしてどうするかだ。
ホテルに私を強引に連れ込むようなまねをすれば、やっぱり私の体が目的だと思う。
危なくなった時のために、私はいつも鞄に防犯ブザーを忍ばせているから、連れ込まれる直前に鳴らす予定だ。
クズにやられた時は泥酔していたから、使えなかったことが、今もすごく悔しい。
へぇー、ホテル街へ私が向かうのを止めて、家まで送ってくれるの。
クズに結婚しろと言われたこの人は、一体どう言う人なんだろう。
私の弱った心が、この人に助けて貰いなさいと、囁いてくるよ。
この人と結婚すれば幸せになれるかも知れないと、私をそそのかしてくる。
私のことを「可愛い」と言ってくれる、とても珍しい人なんだ。
珍獣みたいなものじゃないかな。
私は少しハイになって、珍獣さんに変なことを言いながら、家へ帰ってきた。
やっぱり少し酔っているみたいで、玄関のカギが中々開けられない。
珍獣さんは私を背中から抱くようにして、玄関のカギを開けようとしてくれたけど、いきなりそれは反則だよ。
私は突然、背中が燃えるように熱くなって、またキュンとしちゃったじゃないの。
こんなことをして、責任をとるおつもりはあるのですか。
おっ、〈おばあちゃん〉に丁寧に挨拶をしているな。
初めて会ったのに、〈おばあちゃん〉がなぜか少しも警戒していない。
この人がとんでもない笑顔を〈おばあちゃん〉に向けているからだ。
この人も、〈おばあちゃん〉子なのかも知れないな。
「うふふ、酔っぱらいを送って頂いて、ありがとうございます。 外では何ですから、汚くしていますが、どうぞお上がりになってください」
帰りたそうにしていたけど、〈おばあちゃん〉に言われて、古くて汚い家だけどあがってくれたね。
ただ私の言うことより、〈おばあちゃん〉の言うことを聞くのは、いかがなものかと思う。
あんたと付き合っているのは、〈おばあちゃん〉じゃなくて、私だぞ。
帰った後に、〈おばあちゃん〉に彼の印象を聞いたら、笑いながら答えたくれた。
「悪い人じゃないね。 ただ頑なところがある気がする。 〈みゆき〉ちゃんは、もう好きになっているようだけど、焦っちゃだめよ」
「えぇー、変なことを言わないでよ。 好きにはなっていないよ。 でも頑固なのはそのとおりだと思うな」
「ふふっ、おじいさんもお父さんも頑固だったわ。 頑固な人を好きになるのは、悪い遺伝ね。 でもその方が、何時までも噛んでいられるスルメみたいで、味があって良いものよ」
「ははっ、スルメ男なんだ」
「おつまみ昆布でも良いわよ。 ふふ」
「はぁ、段々ひどい例えになるね」
「ふふ、そんなことないわよ。 歯が悪くなる前は、〈おばあちゃん〉の好物だったのよ」