婚約指輪とスパイス
〈美幸〉は二人用の小さなテーブルと、白い食器を一揃い買っていた。
さっきは〈違うよ〉と言ったのに、二つもチェストを買っているのはどう言うことだ。
「来週中には届けてくれるから、部屋に入れて置いてね。 食器は私が片づけるから、そのままで良いよ。 うふふ」
「うん、分かった」
俺はとりあえず降参しておこう、偽りだとはとても思えそうにない笑顔を向けられて、〈美幸〉のことを信用しそうになっているんだ。
ジュエリーショップの前を通りかかったら、また〈美幸〉が手の平をヒラヒラとさせている。
鈍い俺でも察しがついた、口に出して言えば良いのに、まどろっこしい女だな。
「〈美幸〉の誕生月は二月だよな。 誕生石は何だっけ」
「えへへっ、二月生まれはアメジストなんだ」
小躍りするよう向き直って笑うから、〈美幸〉に婚約指輪を買ってあげよう。
いつまでもヒラヒラさせて、おくわけにもいかないだろう。
アメジストはさすがに〈美幸〉の誕生石だけあって、かなり地味な宝石だ、値段も相当お安い。
悪く言えば色がついた水晶に過ぎない、日本でも採取可能な数少ない宝石だからな。
「この大きな石にしたらどうだ」
大きくても三万円くらいだから、アメジストは良い宝石だよ。
「うーん、大きいのはちょっと。 小粒が沢山ついているのが良いな」
まあ、好みはそれぞれだからな、俺も小粒の方が上品で良いと思う。
〈美幸〉が「これとこれとこれ」と三つ候補を絞って、また俺に選べと大変邪魔くさいことを言ってくる。
俺は指輪のデザインに興味が全くないから、指を通す所の材質で選ぶことにした。
シルバーでは安すぎると思ったので、ピンクゴールドを選ぶことにする。
「うわぁ、可愛いね。 私でも大丈夫かな」
何が大丈夫かは知らないけど、大丈夫と言わなくては、地雷を踏むことは知っている。
「〈美幸〉なら、可愛いから大丈夫だよ」
「うふふ、嬉しいな」
サイズを微調整して、イニシャルをサービスで刻印してくれるらしくて、一週間後にとりに来ることになった。
今度来た時に結婚指輪のカタログを、たんと見せられるのだろうな。
「えへへっ、婚約指輪を買って貰っちゃった。 すごく欲しかったんだ」
「まあ、あのくらいなら、俺の給料でも何とか買えるよ」
「うふふ、ありがとう。 でも私に厳しい通告をするんだね」
「えっ、通告。 何が厳しいんだ」
「ピンクゴールドはね。 硬いからサイズを変えるのが難しいらしいの。 〈あなた〉は結婚した後も、私に今の体形を維持しろって言ったのよ」
「えぇー、そんなことは言ってないよ。 〈美幸〉の考え過ぎだ」
「でも、太ったりしない方が良いでしょう」
「それはそうだ。 健康のためにも、極端な増加は良くないだろうな」
「だからね。 ヘルシーなお料理を作ってあげるね」
スーパーでどっさり買い物をするからと、早めに昼ご飯を食べたのだが、〈美幸〉はカルボナーラを頼んでいる。
パスタの中で最高のカロリーを誇っていると、ネットに書いてあったぞ、ヘルシーと言いながらこれではな。
〈美幸〉は太ってしまうんじゃなかろうか、今日がその恐るべき未来を暗示する日だったのか、あな、恐ろしや恐ろしや。
「んー、失礼なことを考えていないでしょうね。 スーパーへ行くわよ」
朧げな悪意を〈美幸〉は敏感に見抜いて、少し不機嫌になっている、その反動もあるのか、俺が押しているカートへポイポイと生活雑貨をぶち込んできた。
えぇー、こんなバカみたいに買えば収納スペースが沢山必要になるぞ、俺のシンプルライフが根底から崩されてしまう、〈美幸〉は俺の理想の暮らしを破壊するために使わされた、生活雑貨に呪われた性悪な魔女だったんだ。
「あっ、これも必要ね」
「良いのがあった」
「うそっ、こんなのが出てたんだ」
「えっ、高いよ」
「おっ、これは必須だね」
くっ、〈あ行〉で呪文を唱えてやがる、俺を閉じ込める〈まじない〉を構築しているのだろう。
もう商品がカートから溢れてしまいそうだ、かなり気恥ずかしい商品の量となっている。
ただ買う度に〈美幸〉の機嫌が良くなっていくから、俺はこの運命を受け入れるしか無いのかも知れない。
俺の人生を振り返った時、今日という日が、シンプルライフを一変する恐るべき未来を暗示する日だったと、戦慄を持って後悔するのだろう。
あぁ、俺は下半身の欲望に従ってしまった、男なら良くあることだ、致し方《いたしかた》あるまい。
五階までの階段を、俺は大きなビニール袋を両手に持ち、えっちらおっちらと昇っている。
〈美幸〉はミニスカートじゃなくて、皺を伸ばした一着目のワンピースを着ているから、えっちなことは何も起こりはしない。
〈美幸〉は豆腐を使った和風ハンバーグを、フンフフンと鼻歌を歌いながら調理している。
ご機嫌だな。
楽しそうにハミングしているのは、昔流行った悲しい悪女の懺悔の詩だ。
調理と並行して洗剤で洗い物をしているから、ハミングしているのだろう。
テーブルはまだ届いていなため、俺と〈美幸〉は台所の流しの上で食べることにした、こういうことは想定外だったので、俺のシンプルライフが悪いわけじゃないんだ。
かなり食べにくいが、それで料理の味が変わったりはしない。
「ふわっとして、美味しいよ」
「ふふっ、ありがとう。 ハンバーグも色々と作れるから、何でもリクエストしてね」
「それじゃ、甘いデザートがほしいな」
「うーん、デザートまで作る時間は無かったのよ」
俺は直ぐ側にいる〈美幸〉をギュッと抱きしめた。
台所の流しで食べるのも、メリットがあるだろう。
「えぇー、デザートって私のことなの。 そんなのエッチな言い方だよ」
「〈美幸〉を食べたいんだ」
〈毒を食らわば皿まで〉だ、どうせ結婚するしかないなら、とことん味わらせて頂こう。
「ふぅん、食べるなんて、いやらしいよ。 私をお召し上がり下さいなんて、絶対に言わないからね」
「でも食べても良いんだろう」
「もぉ、好きにしたら良いでしょう。 でもシャワーは浴びさせてよ」
俺は〈美幸〉の乗りが悪かったので、罰としてシャワーを浴びささないまま、抱くことにした。
最初はかなり抵抗していたけど、一着目のワンピースを剥ぎ取り、スケスケの黒い下着姿にされたらようやく諦めがついたようだ。
俺に抱かれるつもりだったのが、明らかになったためだろう。
俺のもっとスケスケを見たいと言うリクエストに、モジモジしながらも応えている。
〈美幸〉は下の毛を、綺麗に処理していたと追記しておこう。
「うぅ、穴が開くほど見詰めないでよ。 もしかしたらと思っただけなんだから」
俺は〈美幸〉の白桃や苺またはライチ、弾けそうな葡萄や無花果を多量に食した。
〈美幸〉からは、甘い声とその他も流れ続けていたため、俺の自惚れは満たされていく。
「好きだよ」
あっと、俺の癖が出てしまった。
甘いの後には、スパイスを利かしたものがほしくなるからな。
「あぁん、私も〈あなた〉が大好きよ」
〈美幸〉がギュッと抱き着いて、キュッと絞ってくるぞ。
〈美幸〉は果実だからな。
スパイスの効果はすごいな。
「愛しているよ」
「はぁん、嬉しいよ。 〈あなた〉を愛しているわ」
〈美幸〉がギューと抱き着いて、キュキューと絞ってくるぞ。
ちょっと効きすぎだ。
二人とも荒い息をついて、裸のままで抱き合っていたが、〈美幸〉はもう帰った方が良い時間になった。
「〈美幸〉、送っていくよ」
「いやだ、帰りたくない。 このままじゃダメ」
「〈おばあちゃん〉が待っているぞ」
「ふぅぅん、しょうがないな」
それからも、怒涛の様に俺は流されていった。
指輪を受け取りに行った時に、心配していたとおり結婚指輪を買わされてしまう、〈美幸〉の目がダイヤモンドの様にギラギラとした閃光を放っていたので、俺はビビッてしまったんだ。
圧に負けたってことだ、海底二万マイルを超えたあり得ない圧だったから、俺の財布は押し潰されてペチャンコになったよ。
その後俺の部屋で〈美幸〉へ婚約指輪を渡す時に、またすごい圧をかけられてしまった。
〈美幸〉の目が夏の木漏れ日の様に、キラッキラに煌めき、俺の目を刺し貫いてくるんだ。
幻惑された俺は理性を見失い、とんでも無く恥ずかしいことを喚いたらしい。
理性を失っていたのだから、当然何を喚き散らかしかたは覚えていない。
「はい。 〈あなた〉と一緒になります。 絶対に離れたくないです」
あぁ、俺は何を言ってしまったのだろう、すごく怖くて〈美幸〉には一生聞けないな。
たぶん、往復ビンタでは済まないだろう。
「うっ、私は幸せだよ。 ずっとプロポーズを待っていたの」
おっ、どうも俺がプロポーズをしたらしいな。
〈美幸〉が俺にしがみついてきたから、キスをしてまた抱いてしまった。
今日のは、目が覚めるようなブルーな下着だ、そのためか真夏のように二人とも大汗をかいてしまう、〈美幸〉がウネウネと動き過ぎだったんだ。
俺はまた「好き」だとか「愛している」とか、風味づけにスパイスを投入したに過ぎない。
それなのに、〈美幸〉と一緒にお風呂へ入って、洗いっこをしてしまうような大汗をかいてしまった。
〈美幸〉は「こんなの、溺れてしまうわ」と言っていたが、こんな浅いのにそれは困難だと思う。
それからも、俺は〈美幸〉に尻を叩かれどおしだ。
俺は〈美幸〉のお尻をまだ一度も叩いたことはない、触って揉んだだけなのに、ひどいと思う。
やれ写真を前撮りするとか、〈美幸〉の家の近所の教会で打ち合わせだとか、その他諸々目が回るほど連れ回された。
〈美幸〉はニコニコと嬉しそうだったけど、俺は疲れてしまって、あまり機嫌は良くなかったと思う。
男ってそうだろう。
俺を宥めるためなのか、〈美幸〉は自分からキスをしてくるように変わった、そして俺の体を撫で回して誘ってくるようにもなった。
艶っぽく微笑む〈美幸〉は、会った時に比べて、とても綺麗になったと驚かされる。
もう地味じゃない化粧も上手くなった、顔を伏せていない前を向いている、そしていつもニコニコと朗らかだ。
女は変わるって言うけど、〈美幸〉はどうしてしまったのだろう。
謎だ。




