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自律飛行爆弾「桜花」

 マリアナ沖海戦が引き分けの形で終わるとサイパン島が取り残されることになった。すでに海兵隊は上陸しており、上陸支援の為に戦艦や巡洋艦、軽空母なども展開していたが、もし、有力な日本艦隊に攻撃されればひとたまりも無かった。


 日本にはサイパン救援に向かわせる様な艦隊は無かったが、長躯、陸攻隊による攻撃が海戦の隙を衝く形で行われている。

 この作戦に投入された一式陸攻の一部はターボプロップに換装され、速度の違いから銀河隊、ターボプロップ換装隊、在来機隊の三波に分離しての攻撃となった。使用したのは最新の自律飛行爆弾「桜花」であり、世界で初めての撃ちっぱなし対艦ミサイル運用であった。


 先行した三式長距離偵察機から状況を伝えられた三波は、それぞれ別コースからの攻撃を敢行し、海戦に主力空母が振り向けられた関係で薄くなっていた防空網を見事に突破して攻撃に成功している。

 もちろん、米側からすれば8kmも手前で切り離しを行うなどと言う事は想定している訳もなく、日本軍の行為に首をかしげていたと言った方が良いかもしれない。

 だが、煙の尾を引いて突っ込んでくるそれが兵器であることを認識して迎撃に入るが、ロケット推進によって時速800kmにも達した桜花の迎撃は容易では無かった。


 さらに、誘導兵器だと理解した戦闘機が陸攻隊を阻もうとしたが、そもそも直進してくる機体など一機たりとも存在しなかった。

 もはや陸攻隊を追い回す暇などなく、何としてでも飛翔する物体Xを阻止する事が厳命された。が、多くの桜花は阻むことが出来ず、戦艦や輸送船と言った大きな標的へと次々と着弾。輸送船は一発で沈み、戦艦にも甚大な損害を与えた物まで出る始末だった。

 南シナ海海戦における誘導兵器の事を知らない米軍人たちはやはり、桜花を自爆兵器と理解し、恐慌状態に陥ることとなった。


 自律飛行爆弾「桜花」の構造はそう複雑なものではない。慣性誘導装置と敵のレーダー波を目指して飛ぶ無線誘導によって飛行制御を行い、最終的に弾頭部に配置された赤外線受光部が熱源を探知して突入するという、既存の誘導爆弾の構造をそのまま大型化しただけだった。違いは母機から誘導するのではなく、敵のレーダー波に乗って目標へ向かう事だけである。その装置を内蔵するために爆弾サイズには収まらず、小型機サイズにまで肥大化した結果、銀河以上の機体でないと運用できなくなってしまったが、その分、射程は10km程度にまで伸び、より母機の安全性は増すことになった。


 さて、有名過ぎるので説明を省いても良い三式長距離/司令部偵察機は百式司令部偵察機の後継であり、タ20双発によって最高速度は650kmにも達する。改良型では高度8000mにおいて時速702kmに達した。

 この悲報を呼ぶ鳥は米英軍から恐れられ、多くの場合、迎撃も失敗している。阻止する事も撃墜する事も出来ない存在であり、桜花と並び、米国が対空ミサイル開発に躍起になるきっかけを作った機体であった。


 サイパン島が陥落した事は日本に衝撃を与えた。が、近衛は全く反応を見せていなかった。それがさも当然であるかのようだったという。

 その上、秋にはフィリピンに来るだろうと冷静に次の事を考えるほどだったが、この行動はどう見ても冷静とは言い難いと云うのが大方の見方ではないだろうか。

 彼は、サイパン島陥落に何故か笑みさえこぼしたというのだから。


 さて、この1944年というのは米国においてはルーズベルトが四選を目指して選挙戦を戦っていた。対する共和党候補は対日戦に対する疑問を投げかけ、選挙戦の争点に挙げているほどだった。

 なるほど、近衛はそうした米国情勢を知って、サイパン陥落にすら楽観的だったという見方も存在するが、残念なことに、近衛は米国における対日戦懐疑論に何ら関与していないどころか、知っていたかどうかすら怪しいと言われている。

 米国における対日戦懐疑論は開戦すぐから日本とかかわりのあった企業を中心に出て来てはいたが、この声は大きくなることは無かった。

 俄かに声が大きくなるのは、近衛による「人種間戦争演説」によってである。


 近衛は1943年、当人は全く望まない大東亜会議を開き、アジア各地から指導者を招いた席上、「今次戦争は人種間の戦いである。特に魔王ルーズベルトが我が国へとしかけたソレは、かの魔王が心に抱いている人種差別から発した物以外の理由が何処にも見出せない」と語り、ルーズベルトとヒトラーを同類だと断じていた。

 この話は米国にも伝わっていたが、当然ながら、その様な物を政府が認める訳もなく、一切の報道を禁じていた。  しかし、その内容は日本が邁進していたユダヤ人保護を通じ、ユダヤコミュニティー内へあっという間に広まり、日本と関係のあった企業を中心とした対日戦懐疑論と融合する事となった。

 そうした小さなうねりが四選という本来あり得ない異常事態によって噴出。共和党までもが対日戦懐疑論に乗っかる事態にまで発展していた。

 その為、近衛の読みはほぼ確定と言って良かった。米国政府、特に大統領は選挙投票日までにより大きな戦果を太平洋で挙げる必要性に迫られていた。その舞台はフィリピンを置いてない。

 そうした事もあって、せっかく優位な状況を維持していたインド洋からの空母撤退まで行い、フィリピンを巡る攻防へと投入する事を決め、大胆にも、仏印を含む東南アジア放棄すら画策しだしていた。

 東南アジアからの撤退は陸海軍の大反対で実現しなかったが、必要最低限の守勢部隊を除いて10月までに出来る限り、フィリピンまで退くことになる。

 ただ、誰も「決戦の地は比島」などと口にしなかった。いや、大アジア主義への共鳴者も多く居た為、口にしたくなかったと言った方が良いかもしれない。


 そんな中、近衛はひとり「アジア?日本が自ら豊かにならなければ、手助けする事など出来ない。まだまだ内地にすらマトモな道が通っていない地域があるのに、どうやって外国の手助けをするんだ?臣民を放置して外国を助けるなど、成金の自己満足に過ぎん」と言って憚らなかったという。


 こうして決戦の準備は着々と整っていく。


 10月10日、米艦隊はまず台湾へと襲い掛かった。


 だが、彼らが思い描いた展開になることはなく、その多くが蹴散らされるという驚異的な事態が巻き起こってしまった。

 確かに、一八試艦戦計画は破綻したものとなっていた。ターボプロップ単発機は艦上攻撃機「将星」を除いて上手く開発できていないはずである。

 しかし、裏を返せば、将星は望外の成功作であった。転用しない訳がない。

 将星の成功を見た近衛は、すぐさまその戦闘機仕様の開発を命じる。無茶にも程がある話だったが、単座化を行い、航続距離は二式単座/局地戦闘機と同等でも可という要求だったため、思い切った事が行えた。

 その結果、僅か60日で設計から模型審査まで行い、将星と共に夏から量産に入るというスピード開発が実現していた。ただ、要求緩和に従って、その航続距離は1100kmと非常に短くなっていたが、迎撃戦闘機としては特に問題視されることは無かった。


 この様にして完成した四式単座/局地戦闘機「紫電」は台湾航空戦に間に合わせる事が出来た。攻撃機としての装備類を取り払い単座化した事で軽量化し、最高速度も340ノット(約650km)に達する優速な戦闘機へと変貌していた。

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[一言] 桜花が自律飛行爆弾!? エクセレント!
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