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ガソリン品質問題からの・・・

 戦争が一見して膠着状態に見えた1943年、日本はとうとう、高オクタン価ガソリン不足が露呈していた。

 近衛が大々的に命じ開発された金星18気筒版エンジン「土星」や中島が対抗心を燃やして世界一に挑んだ「誉」は、ガソリン品質の問題から所期の出力を出すことが出来ずにいた。


 幸いにも蘭領インドシナを得たことで高オクタン価ガソリンの入手は出来る目処が立ったかに見えたが、開戦に際してオランダによって設備が破壊や撤去という状態になっており、生産再開は翌年以後とされていた。さらには、相良油田の生産が急拡大して国内輸送すら逼迫、遼河油田開発による需要もあってインドシナで生産が再開されても本土へ運ぶ手段がなかった。


 燃料確保を考えずに開発を急いだ「土星」や「誉」であったが、現実は悲惨である。火星やハ41系と変わらないか多少マシな出力と、比較にならない不具合の多さ。

 これでは使える筈もなく、日本はその主軸をターボプロップへと移す事となる。


 ターボプロップは近衛が早くから着目しており、1939年に海軍が開発に参画した事で加速、1941年には目標とした出力を達成し、タ20として翌年には制式化される。

 元は「土星」や「誉」の搭載を予定していた開発計画は軒並みターボプロップへと変更され、1943年にその第一号となる機体が実戦投入された。

 それが近衛が強引に決めた陸海軍航空機統合指令後の第一号でもある、陸上攻撃機「銀河」であった。


 銀河は海軍が高速陸上攻撃機として開発をスタートさせるが、近衛指令により陸海軍共同開発となり、陸軍においても三式双発軽爆撃機として採用されている。陸海軍は操縦体系が違うため、計器や操縦装置に差異はあるが、性能は同じである。

 タ20は1700馬力の出力を発揮し、星型に対して前方投影面積が小さく、直列液冷に対して軽量に仕上がっていた。


 その為、よく対比される英国機モスキートとの性能差もほぼ無い優秀な機体である。


 まず投入されたのは中国戦線であり、その高速力を活かして各地の飛行場を爆撃、中型機による日本支配圏爆撃をほぼ封殺する戦果を挙げる。


 さらに生産に余裕が生まれると戦闘機型も開発され、飛来する爆撃機迎撃にも活躍する。その上ターボプロップであるため高空性能もよく、P51やP47との空戦さえ可能であった。


 ターボプロップエンジンは深山の発動機換装にも使われ、高出力型のタ250を搭載した深山は性能を飛躍的に向上させる事に成功し、後継として開発された大型陸上攻撃機/四式重爆撃機「連山」はB-17相当のサイズながら、速度は600Kmを超える優秀な性能を示していた。

 こうした事から既存機の換装も模索され、二式大型飛行艇のような成功にも繋がっていく。


 その様な状態から、発動機問題に悩んでいた「彗星」や開発中の一六試艦攻「流星」なども換装しようとしたのだが、排気の取り回しが難しく、結局はターボプロップを前提として新規に設計された「将星」の登場を待つことになる。

 将星にはタ250が採用され、排気は主翼後端胴体両側面から行う形として運用の妨げにならない様工夫されている。ただ、新規に設計されたため、1944年半ばまで待たなければならず、それまで単発機は苦しい戦いを強いられる事になった。

 艦上戦闘機も開発されたが、厳しい要求に応える事が出来ず試作のまま終わっている。その為、土星を積む「烈風」は最後まで苦戦を強いられ続ける運命にあった。


 「烈風」は一式艦戦に次ぐ艦上戦闘機として計画され、エンジンに「土星」を積み、軽量小型を目指した機体で、一二試艦戦の再来を目論でいたとも言われる。マトモなガソリンさえ手に入れば、F6Fを凌駕する力はあったとされるが、如何せん、燃料政策の失敗によって悲劇から逃れる術を持たなかった悲運の機体である。

 

 この様に上手く後継機開発が行えた中大型機は活躍の場を得るが、単発機は結局、鳴かず飛ばず、インドシナからのガソリン供給が行えたインド戦線のみ活躍したなどの例があるだけであった。


 1943年は、対米戦線はニューギニア作戦に始まりニューギニア作戦に終わる消耗戦となり、ただ疲弊しただけであった。

 対してインド戦線は陸と海から徐々に圧迫を加え、カルカッタなどインド東方では独立運動が起こるまでに混乱させている。


 1944年に入ると中国奥地、成都を基地とするB29による爆撃が開始されるが、台湾や九州、大連近郊には電探網が敷かれており、その来襲は事前に探知することが出来ていた。

 さらに米軍にとって都合の悪い事に、高高度飛行をしているその高度へ到達可能な「銀河」が複数配備されており、来襲の度に損害を積み重ねるだけに終わる。

 日本側は重慶周辺までしか爆撃に向かえない事から、基地の安全性は高かったが、欧州で始まっていたドイツ空襲と変わらない損害を出す事は、全てを空輸に頼る成都基地には重荷でしかなく、3月に開始された爆撃は5月には支障を来していた。


 この爆撃計画は米国反攻の第一段階として九州や満州を狙うものだったが、ほとんど成果無く、その活動は低調となる。

 そんな6月末、万を期して行われた米海軍の反攻作戦は第二次マリアナ沖海戦として知られている。


 圧倒的な航空戦力を誇る日本の機動部隊だったが、残念な事にその性能はこの2年でほぼ向上しておらず、ニューギニアでの消耗戦で技量の低下も著しかった。

 その結果起きたのが、いわゆる「マリアナの七面鳥撃ち」である。

 しかし、トラックを出撃した部隊には高オクタン価ガソリンが供給されていた為、先行した本土出撃部隊の性能を前提にトラック出撃の第二波を受け止めた米軍は混乱を来たすことになった。

 その結果、空母への攻撃をゆるし、4隻の空母が損害を被る事になったのである。


 日本側も米海軍と同程度の監視、管制機能を有していた為、米艦隊上空の再現が起こり、「マリアナのかも撃ち」と称される事になる。

 しかも、艦船への攻撃に関しては日本側の成功率が高かった。


 理由は簡単である。


 南シナ海海戦で初使用された誘導爆弾をさらに改良し、マリアナに投入された最新型の中には、爆弾が標的の赤外線探知さえすればあとは自動で誘導される物さえ含まれていたほどだ。

 その為、日本側攻撃隊は米艦隊の遠方から飛行爆弾を投下し、あとは無線誘導を行っているだけだった。その為、推進力を有する誘導爆弾多数は母機が撃墜される前に突入を果たし戦果を挙げていた。対して従来の攻撃手法を採る米飛行隊は日本艦隊内部に侵入しなければならず、幾ら米艦隊に劣る管制指揮であろうと、その損害は増すばかりとなっていた。


 この時点では米海軍も未だモンタナ級戦艦の完成はなく、戦艦による砲戦を意図しない空母同士の航空戦によって勝敗を決しようとしていた。

 結果は双方が膨大な飛行隊の損失を出したことによる引き分けとなり、戦術的には日本の勝利、戦略的には米国の勝利となった。


 なにせ、日本側は4隻の大型空母に損害を与えたが、1隻しか損傷していないのだから。しかし、パイロットについてみれば、日本側は一年以上大規模な空母運用が不可能なほど損失を出していた。


 ちなみに「将星」の運用が始まるのは8月からであり、マリアナ沖海戦には間に合っていない。

 


 

将星のネタ元は記述の通り、ウェストランド ワイバーン。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「ライトな軍オタが転生したらこうなる」というリアルシミュレーションですね [気になる点] >>「彗星」や開発中の一六試艦攻「流星」なども換装しようとしたのだが、排気の取り回しが難しく…… …
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