閑話:イスラ視点 辺境と不在期間の異変 2
「……出直されなくとも、大丈夫ですよ」
なにか私に御用ですか、とマタイとカーネリア姫の声が聞こえる部屋へ入りながら続けると、顔を上げたカーネリア姫の深紅の瞳と目が合う。
カーネリア姫は自分と視線が合うと、嬉しそうに可愛らしく微笑みながら「おかえりなさい」と言った。
「なにかあったの? イスラが十日もお城から離れているなんて、けっこう珍しいような……?」
「書簡を方々へ届けたり、遣いの品を届けたりと……冬は飛竜が便利に使われることが多いのです」
空を飛ぶ飛竜は、移動手段として馬や人の足とは比べるまでもなく早い。
とはいえ、人間の騎乗を許すほど慣らされた飛竜の数は少ないので、普段から荷運びのような真似をさせられることはない。
今回は季節が冬であったことと、目的地が『辺境』と、王都からかなりの距離があったことから、早く行って、早く帰ってこられるように、と移動手段として飛竜が選ばれた。
「さすがに、十日も王城から離れる予定ではありませんでしたが……」
天気が急変し、予定外に時間がかかってしまった、と続けると、カーネリア姫は一瞬だけ眉を顰め、またすぐに微笑んだ。
……考えていることが、そのまま表情に出ますね、姫は。
おそらくは、「天気が急変した」というくだりで心配し、しかしそれはもう過ぎた話で、私は無事に帰還している、と安堵から微笑んだのだろう。
私の言葉を、カーネリア姫は少しも疑わないようだ。
以前、カーネリア姫には嘘をつかない、と宣言しているところも、この姫からの信頼にあるのだと思いたい。
いつもの『推し』という概念由来の信頼だとは、思いたくなかった。
白雪 姫子の知っている『推しのイスラ』と、『私』は別人なのだから。
王城から十日間も離れることになった理由は、実のところ少し違う。
カーネリア姫に聞かせたことはまったくの嘘ではないが、事実の多くが省略されていた。
……嘘をつかないかわりに、内容を伏せることがある、とは気が付いているはずなのですが。
とはいえ、わざわざカーネリア姫に実情を伝え、無用な心労を与えたいとは思わない。
帰還が遅くなった理由をありのまま報告するとすれば、それは祭司長に対してだろう。
……姫に知らせる必要は、ない。
どこへ遣いに出ていたのか、といえば、国土の中で最も西にある辺境の村イエシアスだ。
秋に陳情のため王城を訪れ、怖い物知らずにもアゲート王の足下にひれ伏し、勘気を起こされる寸前でカーネリア姫に救われた若長の村だ。
冷夏の影響で収穫が落ち込み、例年通りに税を納めていたら餓死者が出る。
それも、イエシアス村だけではなく、周辺のいくつもの村々で。
そういう訴えだったので、この冬、イエシアス村周辺は注視されることとなった。
とはいえ、イエシアス周辺の村々へとしてやれることは少ない。
そもそもとして、アゲート王にその気がないため、動かせる人材も、物資もないのだ。
為政者ではない自分たちにできることといえば、現状を憂える心ある文官が書簡をしたため、当各地を治める領主へと私的な手紙として警告を送るぐらいである。
一文官からの私的な手紙だ。
当然、王命ほどの効力などなく、警告が受け入れられるかどうかは、各領主次第だ。
口減らしの一種として、冬の間だけ領主が村人を領都で雇う、というものがある。
が、これは領都に集められた収穫物が雇われた村人たちの口へと入ることになるので、今度は領都の住民たちが飢えの危機にさらされる、ということだ。
そんな理由から、領都民は村人を歓迎するはずもなく、また別の問題が発生する。
それに、周辺すべての村人を受け入れることは不可能なので、どうしても村に取り残される者は出てしまう。
すべての民を救うことは、王が動いてくれない限りは難しい。
そして、そもそもの原因は『天候』だ。
こればかりは王が動いたところで、本当にどうにもならない。
……それに。
なんと表現し、言葉にしたらいいのか。
それが判らない様相だった。
遣いとして書簡を届けるだけならば、飛竜を使えば翌日には帰還できる距離だった。
実際に、イエシアス周辺を治める領主へと書簡を届けたあとは、そのまま王都へと戻ってくる予定で出かけている。
けれど、領主へと書簡を届け、帰路で飛竜の背から見下ろしたイエシアス村の異様な様子に、すぐに領主の元へと引き返した。
あの異様な光景を見てしまえば、見なかったふりなどできない。
イエシアス村は、雪と氷に閉ざされていた。
飛竜の背から見たイエシアス村の上空には重く黒い雪雲が居座り、しんしんと雪を舞い落す。
村とその周辺は雪に覆われて白く染まり、池や小川も凍りついているのが見えた。
人や生き物が動いている気配もなく、そこだけ異様な静けさに包まれた世界。
それが今のイエシアス村だ。
領主へ報告するにしても、もう少し情報がほしい、と村へ降りようとしたら飛竜が抵抗した。
あの村には近づきたくない、降りてはいけない、とでも言うように。
仕方がないので村から離れた場所に飛竜を降ろし、徒歩で村の入り口へと向かう。
歩きながら、この異常事態を引き起こしたものについて考えていた。
見るからに異常な事態ではあったが、原因がまったく思い浮かばない、というほどのものではない。
辺境の村に魔力をもった者が生まれ、その才能を暴走させたか、あるいは――
……神々がなんらかの介入をしたのか。
神々がなんらかの介入を行ったと仮定すれば、雪の降らない地域に積もるほどの雪が降ったことも、それが局地的であることにも、納得はできてしまう。
できてしまうのだ。
神々に声を届け、動かせる存在にも、心当たりがありすぎた。
……民に餓死者が出そうだと聞いて、気にかけそうな王族は、姫しかいませんし。
カーネリア姫の祈りは、神に届く。
そして、カーネリア姫の願いに、神々は不可解なまでの気軽さで応じてしまう。
目を離した隙にカーネリア姫が神々へと無茶な願いをしたのではないか、と仮説を立てたところで、村から歩いてくる老人の姿を見つけた。
イエシアスの村長を名乗る老人は、というよりも、各地の長を務める人物は、集団の中で祭司の役割をを務める。
そのために、イエシアスの村長は雪に閉ざされた村の中で一人だけ起きていることになったらしい。
村に何が起こったのかは、村長が教えてくれた。
……名も知らない男神、か。
村長の言うことには、長い黒髪に青い目をした男が現れ、村を雪と氷で閉ざしたらしい。
春まで眠れ、と。
魔法というすべがある以上、人間がこの事態を引き起こすことは不可能ではない。
が、男が黒い髪をしていたというのなら、この事態は神が引き起こしたことになる。
黒髪は、神々しか持ち得ないものなのだから。
……神が、なぜ?
行動と発言だけを取れば、イエシアス村は村人ごと『冬眠』していることになる。
そして村長は、村人たちの寝床を守る役割を神から与えられ、逆に一人だけ目を覚ましている。
春までの間、起きているのが村長一人だけなら、不足しているはずの食料も十分な量となるはずだ。
イエシアスの村長から話を聞いた後、他にもいくつかの集落が雪に閉ざされていることを確認した。
それらの調査と確認、領主への報告を行っているうちに、気が付けば十日が過ぎていたのだ。




