春芽の宴 1
花の香に誘われて、ゆっくりと瞼を上げる。
直前までは全体的に薄暗い部屋にいたはずなのだが、今は光に満ちていた。
ついに神々の元へと攫われてしまったか――と一瞬だけ考えて、すぐにそれが思い違いだと気づく。
パチパチと瞬きを繰り返しているうちに、思考もはっきりとしてきた。
「……ここは」
「お目覚めですか、姫様」
「ああ、よかった。このままお目覚めになられなかったら、どうなることかと……」
横から聞き覚えのある声が聞こえて、そちらへと視線を向ける。
いつの間にか寝台に寝かされていたようで、寝台の横には侍女のサンゴとザクロが控えていた。
「えっと……? なにが、あったの?」
なぜ自分は寝台に寝ているのか、と直前までの記憶と今の状態とが繋がらなくて、困惑する。
知らないうちに何か起こっているのか、と。
「私たちは祭祀の場へは入れませんでしたので、何が起こったのかは見ておりませんが」
「祭司長のお言葉によると、姫様は神々の神気に充てられ、倒れられたそうです」
今は神々の視線を遮ることのできる特別な部屋にいるのだ、と教えられ、改めて周囲を見渡す。
装飾は、奥宮の部屋と変わらず、なにもない。
これが普通なのか、神殿内だからなのかは、やはり私には判らなかった。
カーネリアの中に、奥宮以外の知識がほとんどないからだ。
……そういえば。
カーネリアの中に、と考えたことで、祭祀場で気が付いたことを思いだす。
私が白雪 姫子なのではなく、白雪 姫子がカーネリアだったのだ、と。
……変な感じ。
カーネリアと白雪 姫子の間で、繰り返しが発生している。
ずっと白雪 姫子がカーネリアに転生したのだと思っていたのだが、前提が違った。
そして、イスラが想っている『本物のカーネリア』も、私が覚えていないだけで私である。
これについては喜んでもいいのだろうが、今度は違う意味で申し訳なくなってきた。
カーネリアと白雪 姫子間のループは自覚したが、だからといって幼いイスラとの思い出を思いだせたわけではないのだ。
……思いだせない。
繰り返しすぎて、すでに古い記憶だからだろうか。
それとも、これもまた隠された記憶なのだろうか。
記憶を遡ってみても、幼いイスラとの思い出はおろか、現在の太ったカーネリア以前の記憶も思いだせなかった。
神殿で目覚めた後、部屋へと飛び込んできた父を宥めて神域を辞する。
本当はイスラか誰かにお願いして、神域にいるらしい弟たちの様子も見たかったのだが、気を失っている間にそんな時間はなくなってしまった。
本日の私は、予定が詰まっていて忙しいのだ。
父王アゲートの乗る竜籠は、マタイの飛竜が運ぶ。
マタイの飛竜は、傭兵であるマタイが連れてきた飛竜で、マタイの個人所有だ。
そのため、こう数えるのは正しくないのだが、我が国で一番大きく、立派な飛竜である。
そんな理由で父王の竜籠を運ぶ大役を務めることになっていた。
「……ご気分は、もうよろしいのですか?」
父が自分の竜籠に座るのを見守り、私も白い飛竜の横に用意された竜籠へと座る。
安全のためにつけられた扉の鍵を確認しながら、イスラが話しかけてきた。
この距離ならば、イスラと話をしていても、父に気づかれることはない。
「気分がいいか悪いかで言ったら……微妙? すっきりしたような、逆に疑問が増えたような」
「疑問……ですか?」
望んでいた答えとは違うものが出てきたのだろう。
作業の手は止めないが、イスラはわずかに首を傾げて続きを促してきた。
「まだ、考えが纏まってくれないの」
「お話しくだされば、お手伝いしますが」
「……その前段階にも達していないぐらいに、混乱中」
私の考えが纏まらない時に、イスラは思考の整理を手伝ってくれることがある。
つれづれと思ったままを口にすると、それをイスラがまとめてくれるのだ。
しかし、今回の私は、本当に混乱している。
それまで思っていた前提がひっくり返ってしまい、思考のあちらこちらに齟齬が出ている感じだ。
さすがに口から出せる内容がちぐはぐすぎて、いくらイスラでもこれをまとめるのは不可能だろう。
「でも、後でゆっくり……相談させて」
「はい。必ずですよ」
一人で抱え込む前に相談してほしい、と念を押されてしまい、かすかに笑う。
私はいつだってイスラを頼っており、頼りすぎだと思っているのだが、イスラはまだ頼られ足りないと思っているようだ。
この後の春芽の宴が終わったら、と約束をして、イスラは竜籠の点検を終えた。
……これ、は……っ?
父を運ぶマタイの飛竜を先頭に、私を運ぶ白い飛竜が続き、その後ろを行きと同じように侍女や父の従僕を乗せた飛竜が続く。
行き以上に壮観な行列になっているはずなのだが、私が驚いたのはそんなことではない。
神域を離れ、王都上空へと差し掛かったと思ったら、急に周囲を花の香が包んだ。
あの花の香りだ、と種類を特定することはできない。
仮に名前を付けるのなら、『百花の香』だろうか。
数多の花の香が混ざり、溶け合って周囲を満たしている。
そして、異変は香だけではない。
いったいどこから舞って来ているのか、色とりどりの花びらが王都中に降り注いでいた。
……やりすぎだと思います、神様っ!
他にこんな大規模な演出ができる相手はいないだろう。
疑いようもなく、神々からの成人の祝いと判断し、困惑しながらも苦情を入れる。
花びらが雪のように舞い降りていることから、おそらくは花の女神メンヒリヤの趣向だろう。
私の銀髪も、緑の輝きを帯びていた。
「一応聞いておきたいのだけど」
コイズの春芽節の後も、こんな演出があったのだろうか。
そう飛竜の背にいるイスラへと話しかけたら、イスラからの答えはなかった。
これは、距離のせいで私が声が聞こえなかっただけだと信じたい。
答えられなかったからだ、とは思いたくなかった。




