怪しい女
「校内で野犬が目撃されました」
眠たげな顔の担任が、朝学活の初めにアナウンスした時、わたしは「またか」と思った。
「場所はC校舎の1階。毛色は黒。これまでと同じ犬です」
入学して数ヶ月。似たような通達が定期的に振ってくる。学校の敷地に野良犬が居座ってるらしくて、大型らしい。実際に見た人も多いらしい。
らしいとしか言えないのは、何故かわたしはその犬を、1度も見たことがないからだ。
「出会っても絶対に近付かず、すぐに先生を呼んでください。怪我人も出てますからね」
2週間前、古文の竹崎が腕を噛まれて騒ぎになった。ネチネチ言葉責めする嫌な奴だったから、噛まれても刺されてもどうでもいいけど、入院したのはさすがに同情する。
「くれぐれも餌をあげようなどと考えないように。それと、今日から外部の方が多目的室を使うので、入らないでください。朝礼終わり」
いつも通りの話の短さで、担任が教室を後にした。皆がせわしなく1限目の準備を始める。
わたしの通う熊本井芹女学園、通称「イセジョ」は中高一貫の女子校だ。縁結びで有名な北岡神社から、白川沿いに続くクスノキの並木道を抜けて、長六橋を渡った先にある。
敷地の半分はグラウンドで、残りをA、B、Cと3つの校舎、そしてポツンと学生寮が占めている。
全校生徒は1000人くらい。わたしみたいに高校入試で入って来た人間は「外部生」って呼ばれる。
校内を野良犬がさまよっていても、授業は時間割通りに進む。英語、数学、苦手な化学、眠たい地理が終われば昼休憩。
今は七月。もうすぐ夏休みだ。外部生もだいぶクラスに馴染んできて、一匹狼はレアキャラ。
わたしのことだ。
人間嫌いなわけじゃない。友達を作る必要性を感じないだけ。親にそうやって育てられたのが半分で、半分は元の性格。小中はずっと腫れ物扱いされてた。
それでいい。交友関係が広ければ敵も増える。だからわたしは一人でいい。
毎日キャッキャとつるんでる娘たちは、さぞ輝かしい青春を満喫してるんだろうけど、思うに世の中は一人でも生きていけるように出来てる。
ただ、そんなわたしにも話し相手はいて――
「千鶴はーんっ」
例えば彼女がそうだ。
「こっとん」
「なにボーッとしてはるん? ご飯、食べようや」
綿貫古都。”綿”と”古都”で”こっとん”。同じ外部生の子だ。
入学式の日にハンカチを拾って以降、どういう訳か懐かれてしまい、毎日わたしの分の弁当を作ってきてくれる。
「今日はハンバーグやで。金平ゴボウとほうれん草のゴマ和えも。バランスバッチリや」
「いつもありがとね。大変でしょ?」
「ぜんぜん。ウチが好きでやっとることやさかい」
教室を出て校舎の裏へ。誰もいない中庭。クスノキの下に腰掛ける。
そうやって二人きりになって、のんびりご飯を食べるのが、わたしたちの昼休み。
小中と親しい相手はいなかった。こっとんが一人目。友人なんてと思ってたけど、彼女といると無意味な時間にも意味があるように感じて、悪くない。
「千鶴はん髪伸ばさへんの?」
「どうして?」
「ショートも王子様っぽくてええけど、ロングにしたら可愛いやろなって」
「手入れが面倒だしさ。それよりこっとん、ハンバーグ美味しい」
「やろ? もっと褒めてええよ!」
こっとんが無邪気にサムズアップする。夫になる人は幸せ者だ。
五限の始まりまで時間があったので、弁当を食べ終えた後、しばらくくつろぐ。膝枕したりして。
こっとんの手が頭を撫でる。そよ風と満腹感のダブルパンチ。眠くなってきた。寝ちゃおうかな……。
「――残念だ。ここにはいなかったか」
誰かの声が聞こえて、わたしはハッと顔を上げた。
視界に飛び込んできたのは、風になびく長い黒髪。モデル顔負けの整った顔立ち。すらっと伸びた身体。
「起こしてすまない。君に話があるんだ」
突如として現れた声の主は、そう言って太陽のように微笑んだ。
めちゃくちゃ美人で、めちゃくちゃ胡散臭かった。
白のワイシャツと黒のパンツスーツ。服だけ見れば性別不詳の、女。歳はわたしより少し上、20歳前半といったところか。
問題は雰囲気だ。溢れ出る自信と不敵な振る舞い。堂々とし過ぎてて逆に何か企んでいそうな、底知れない怪しさが女にはあった。
おそるおそる立ち上がると、女は遠慮なく握手を求めてきた。
「こんにちは、神船千鶴」
「え、ああ、こんにちは。……どうして名前知ってんの?」
「否定しないということは、やはり君が神船千鶴なのだな?」
しまった。一歩後退り、すぐ隣にこっとんがいるのを思い出して、咄嗟に彼女を背中に庇う。女が肩を竦めた。
「警戒されているようだ」
「アンタ誰? 学校の関係者じゃなさそうだね」
「怪しい者じゃないさ」
「怪しいやつは誰だってそう言うよ」
生徒にしては大人びてる。教師にしては若すぎる。
人を呼ぼうか。わたしが迷っていると、女は不意に声を上げて笑った。
「はっはっは! もっともだな。では取り敢えず、自己紹介しようか」
胸の膨らみに手を乗せて、優雅に頭を垂れてみせる。
「千里眼、長瀬郁香だ。以後お見知りおきを」




