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マゾ犬賢者は飛ばされたい!

作者: アズキ

1人称視点小説と挿絵の使い方の練習として短編を作りました。この話が気に入ったら連載中のクラフティングダンジョンも見ていただけると幸いです。

挿絵(By みてみん)

「あ、そうだ。マーカスさん、そういうわけで今回限りで僕たちのパーティから出ていってもらえます?」

「は……?」


 俺達の受けた隊商護衛クエスト、依頼主の一団を目的地へ届けて心地よく拠点の村へ引き返すはずだった道中。俺は年下のリーダー、茶髪の少年剣士のアレクにそんな言葉を投げかけられた。その語気は丁寧ながらも敬意など微塵も感じられない。


「そうですよぉ。今回も前回も、一度も雑用以外で活躍しなかったじゃないですか。マーカスさんの強化ってろくな効果が感じられませんし?」

「うんうん♪ アタシら充分強くなったし、『置物』はもういいかなぁって♪」


 リーダーお付きの仲間達も、俺を酷評しながら彼の意見に同調する。丁寧な口調ながら淡々と詰ってくる金紫の髪の魔術師のエリファと、甲高い声で罵る紫髪で褐色肌の小柄な斧戦士少女のドルチェが、口々に俺の成果の無さをあげつらう。


「おいおい、だからってこんなに急に……」


 俺が反論を述べようとした途端に、声が出せなくなる。その場に立つことすらままならず、地面にくずおれた。顔こそ起こせないが、俺の耳はエリファが背後から麻痺【パラライズ】の呪文を聞いていた。


「な……なんで……!?」

「ふふふ、コレも日頃の行いのせいですよ? 一昨日の夜だって前の宿に忘れ物をしたと野営を抜け出して……見張りが減った寝不足でイライラしてるんですよ、私達!」


 苦悶の声をあげる俺に、冷淡に俺の落ち度を詰りながら返答するのは魔術師のエリファだった。アレクとドルチェは言葉こそ発さなかったが、仲間への攻撃を咎めもしない様子が、俺を追い出すことがパーティの総意であることを雄弁に語っていた。


「ほらほら、仮にも聖護術士ならこの程度の麻痺呪文くらい解除できないの?」

「ぐ……!」


 俺が自力で麻痺解除ができないと見て余裕ができたのか、ドルチェが眼前で座り込んで煽り始める。俺はたまらず声を漏らす。


「ざーこざーこ♥ モブ顔無精ヒゲのヘボ賢者♥ 知識スカスカ♪」

「お……大人を舐めているといつか痛い目をみるぞ……!」

「きゃっ……こわーい♥」

「人を攻撃できない聖護術士が私達に何をできるんです?」


 ドルチェの追撃の煽りに俺が言い返すも、この童はまったく意に介さない様子で怖がる演技をする。そして横でエリファが躊躇なく俺を棄てる3人の余裕の根拠を補足する。


「這いつくばりながらお説教とかマジきっつーい♥ 赤ちゃん大人はせめて這い這い卒業してから喋りまちょうねー♥」

「こらドルチェ、『大戦の搾りカス』をイジメるのはかわいそうですよ……くくっ……」


 エリファはドルチェをたしなめているようで、明らかに俺を見下している。


「じゃあなオッサン。あーあ、噂の山賊も出てこなかったし、全員無傷で依頼達成だ。準備し過ぎて肩透かしだったな」


 アレクは依頼の分け前だと報酬の銀貨を何枚か布袋に入れて目の前に放り投げ、振り返りもせず去っていく。2人の少女も何の躊躇もなくリーダーの彼について行く。麻痺を浴びて立ち上がるない俺だけがこの場に残される。


「負け犬、負け犬、負け犬マーカス♥」

「ううっ……」


 エリファに首根っこ掴まれながらも振り返って煽るドルチェに対して、俺はうめき声をあげることしかできない。落ちた衝撃で袋から飛び出した1枚の銀貨が、俺の復活を急かすように日光の照り返しを目にぶつけてくる。


(お……お前ら……お前ら……)


 俺はそれを意に介さず、だんだんと小さくなっていく彼らの後ろ姿を睨みつけ続けた。彼らのシルエットの大きさに反比例して、心の中でひとつの感情がグツグツと温度を上げていく。この痙攣は麻痺による筋肉の不随意運動だけではない。


(ありがとうッ……! ありがとうございますッ……!!!)


 感謝。圧倒的感謝。俺を追い出した3人へ対する感情はその2文字のみ。這いつくばる俺の全身は捨てられた屈辱と、戦力外通告の敗北感を余すことなく快楽に変換していた。

 そう。俺ことマーカスは、首が飛ぶとトぶのだ。







(はーっ、分け前を残してくれるだけ今回の解雇はまだ優しかったな……一番ゾクゾクした追放はダンジョンの最下層で全裸で置き去りにされた時だったからな……)


 麻痺の治まりと共に遠ざかる快感をひとしきり味わった後、俺は着ているローブの土埃を払い銀貨を回収して此度の追放を回想する。快楽の反動で今の心は明鏡止水、俺の頭は悟りを開いたが如くあらゆる煩悩を弾き飛ばし冷静になっている。


(こんな趣味が許されるのは大陸が平和になってこそだよなあ)


 善神スクアローが守護する人族と悪神ガレオスが生み出した魔物達との戦争が終わって15年。勝者となった人族だが、魔物と戦う為に焼かれた村を棄てて立ち上がった傭兵や民兵の全員が、元の農民に戻れたり国に兵士として雇われはできなかった。

 残された者たちは食い扶持を得る為、俺のように大陸に残る魔物を狩る民営の冒険者になるか、野盗に身を落とすかの二択なんだ。


(……あの山賊団、一応行き先の街の自警団に報告だけはしといたが、数ばっかは多いから全員捕まえられるんかね)


 アレクが杞憂に終わったとボヤいていた山賊団な、実は奴らの縄張りに入る前の晩に俺が乗り込んで制圧したんだ。前の宿に忘れ物をしたと嘘までついて一人でな。奴らは呪文であと三日は眠りこけているはずだが、砦から連れ帰った町娘さんが証人になってくれなければ、とても聖護術士の俺が山賊団を倒したなんて信じてもらえなかっただろうな……。


(『当人の認識で安全に寝泊まりできる施設の中で睡眠をかけることは、人族への攻撃に該当しない』なんて、とんだ聖護呪文の抜け穴だよな)


 俺の使う聖護呪文だが、ひとつの重大な弱点があった。善神の加護により行使するため魔物へは絶大な効果を発揮する反面、人間へはほぼ無力ということだ。人間へ使っても攻撃は通じず、状態異常を付与することもできない。

 さらに人間への行使を神に見咎められた術士は、一定期間の魔力の剥奪というペナルティつきだ。あらゆる人族の守護神であるスクアローは、盗賊や暴君ですらも保護してしまう困った一面もあるのだ。魔物との戦争に決着がついて人同士の衝突が予感される昨今、新しく習得する者が目に見えて減っている呪文体系だ。

 だがしかし、安全な家でとる睡眠は人として当たり前の行動。現に睡眠障害の治療に用いる術士もいるくらいだ。野外で同じことをすれば罰の対象で、れっきとした神を欺く行為だが、悪事を働いてるわけじゃないから黙認してほしい。


(ともあれ、無能を演じきったまま依頼を終えられてよかった。あのパーティーも神の祝福【スクアローブレス】が効いている間に無事に成長していってくれるといいが……)


 彼ら視点で見れば手を焼きそうな山賊団は幸運にも現れず、自分達の力で隊商を護衛したんだ。しかも格下の魔物しか出なかったため、治療と強化がメインの聖護術士の活躍も無い。後方保護者面して立ってるだけのオッサンが疎ましくなるのも無理はない。

 そして追放という御褒美を与えてくれた彼らの去り際に、俺は最後の聖護呪文をかけておいた。神の祝福を受けた者は1日に1度だけ、格上の魔物に不意打ちされたり森で彷徨うような死を招く規模の不運を回避できる。効果は1年続くので、その間に今の自信に見合う実力の冒険者になってくれれば幸いだ。俺は何も悪くないパーティの将来の無事を祈りながら帰りの身支度を済ませる。





――――――――――――――――――


「帝都で読んだ医学本で聞きかじった知識だがねえ……人の頭ってのはマイナスの感情を感じた時に、自分を守る為に頭の中で気持ちがいい時の感情になるよう働きかけるそうだ。マーカス、あんたは戦いを続けるうちに恐怖や屈辱によるマイナスを、その働きのプラスが上回っちまったんだろう。それに病みつきになって、自ら痛みや苦しみを求めだす性癖を業界用語で『マゾ』って言うそうだ」


――――――――――――――――――


 数日後。拠点にしている村の冒険者ギルドの待合室で俺は、帝都の近衛兵に就職した昔の仲間の言葉を思い返していた。どうやら度重なるピンチに戦意を失わないために脳が元気になろうと頑張りすぎて、俺の頭がイかれてしまったんだと。


(戦争中に恐怖や屈辱を感じたことは何度もあったけど、一番は八軍将の死霊術士・カルカリウスとの戦いだったな……)


 恐怖と屈辱で真っ先に思い浮かぶのは魔王率いた魔物の軍勢幹部、死人に魔物の魂を入れ不死の化け物にして操る強大な魔術士との決戦だった。こいつに負け、自分や仲間が同じ魔物にされてしまうことが怖かった。数が減らない不死の魔物達相手に何度も傷つく仲間を見せつけられて、俺の治癒や強化など無意味だと嘲られているようで屈辱だった。


(……そんで戦争が終わった後、帝都の聖護術士は貴族様のコネで席が埋まっててよぉ。パーティで俺だけ近衛兵に迎え入れられなかったんだ。皆は『一人増えるくらい困らないだろう』って抗議してくれたが、思えばあの除け者にされた時の疎外感、俺だけが置いてかれる敗北感が、心の内にあった何かに火をつけたんだよな)


 貴族様の聖護術士の中で平民の俺が混じっていても連中はいい顔しないだろうし、無理言って引き入れた仲間達の立場も悪くなりかねん。ま、あそこで辞退するのがお互いの為だっただろう。それに戦いで芽生えた名状しがたい気持ちに答えをくれたんだ、むしろ感謝しているよ。

 つまり俺は魔物との戦争で屈辱と敗北感に興奮を感じる思考回路が芽生え、戦後の処遇で仲間から除け者にされる方向に開発されちまったわけだ。


(最初は八軍将撃破に貢献した英傑が冒険者にって噂のおかげで最初は引く手あまただったが、いまや若い冒険者としか組ませてもらえないんだよな……)


 ギルド側だって俺の追放ムーブに無為無策でいるはずがなかった。幾度目かのクビを迎えた時に、ここまで繰り返すのなら何か事情があるはずとギルド長から面談を持ちかけられた。その時のギルド長はむしろ追い出した冒険者達を裁かんばかりの態度だったな。

 そこで俺が開発された性癖を打ち明け、追い出した冒険者を不問にしてくれと懇願した。そこから追放のされ方が変わって来たんだよな。当初は仲間同士で慎重に協議をし、酒場やギルドの待合室で行われていたクビ宣言。あれが平気でダンジョンの中や旅路でも行われるようになった。


「あ、そうだ。マーカスさん――」


 俺はアレクの唐突に思い出したかのような追放宣言を思い出した。恐らくギルド長越しに情報が冒険者達に伝わって、『マーカス追放マニュアル』的なものが作られているのだろう。俺が追い出した冒険者に神の祝福をかける習性を、新人冒険者のゲン担ぎに利用されているのだろう。追い出した冒険者から、あたかも捨てて効果を発揮する開運グッズかのように扱われている可能性に俺は歓喜の身震いをした。

 だが俺はどうしても追放マニュアルの存在もゲン担ぎの扱いも、それ以上真実を確かめるわけにはいかなかった。いわば御伽噺に出てくる、開けたら最後の玉手箱だ。お膳立てされた追放など萎えるものだが、どれだけ八百長を臭わされていても証拠こそなければ疑いに過ぎない。俺は俺の幸せのため、何も知らず追い出され続ける道化のままでいようじゃないか。


(人選やわざとらしさに文句なんて言える立場じゃないのはわかってるが……新人ばかりあてがわれるようになって、ローテーションが乱れている)


 追放マゾになってわかったことだが、負けたがりは誰相手でも良いわけじゃない。俺達だって負けてもいい相手を求めるということだ。専門分野じゃないが、きっと美少女に殴られて喜ぶタイプの人間だって、急に知らんオッサンから殴られたらムカつくのだろう。

 春はメスガキ。幼き異性の童が大人を這いつくばらせ、全能感で自信満々に嘲るその姿に感じる屈辱が良い。不満を溜め込んでいたタイプも最初から内心見下していたタイプも、追放の瞬間に全てをぶちまけてくれるので重みを足してくれる。

 夏はショタ。年下の同性に見下されることで、己の人生が彼に追い越されたと心がざわついた時に覚える敗北感がたまらない。最初は兄や父親代わりに慕ってきて買い物や祭りに付き添わせてくるが、実力をつけるにつれだんだんと傲慢になっていく様もよい。

 秋はベテラン。上の世代の行う大人の対応はゆるやかで、若者特有のスピード感は無い。だが真綿で首を締めるようなじっとりした追放は、年下の厳しい追い出しに慣れた身に滋味のように沁みわたる。

 冬は――


「マーカスさん、次の冒険者の組み合わせが決まりました。査定の結果、マーカスさんと条件が合う冒険者は1名見つかりました」

「ああ、ありがとうございます……って1人?」


 受付嬢の呼ぶ声に席を立ち、俺は窓口に向かう。受付業の一環として、仲間の死亡や引退等であぶれた冒険者の人物や実績などから、お互いの希望が合う冒険者のマッチングや既存パーティへの斡旋をする仕事があった。

 俺の成績は決して悪くない。仕事を受ける以上、俺の関わるクエストは失敗するつもりも犠牲を出すつもりも無い。それは周囲を俺の呪われた性癖に付き合わせている代償というか、義務だ。

 だが今回は『出身・年齢・性別・実績問わず』と条件フリーで希望したにも関わらず、過去を振り返る暇があるほど手続きに時間をかけられてしまった。俺の場合は少し特殊なんだろう、それは仕方ない。だが他の新入り達が俺を追い出し尽くしたのか、希望に見合う野良の冒険者が1人というのが想定外だった。2人パーティじゃ追放は実質解散と同義だから、ハードル高いぞ。


(3人以上なら合議制を利用できるが、2人ならまず相手に人事の主導権を譲らなければならない。落ち着け……こういうのは顔合わせでだいたいの序列が決まる。追放されるなら下からが基本だ、先手を打ってリーダーを譲る!)


 この村で組むのが最後になるであろう冒険者の登場を待ちながら、俺は息を整える。追放を言い渡す以上、相手にはリーダーになってもらわなければ困る。追放の達人である俺も腰を低くし、初対面の相手に優越感を与える経験は豊富に積んで来たつもりだ。

 待つこと十数秒、受付嬢に連れられて件の冒険者が現れた。パッと見は年下の若い女性、ならば第一印象で舐めていただくために先んじて卑屈にならねば――


「初めまして、冒険者のマーカスと申しま――」

「お初にお目にかかります、拙者は東国イザカマより参りましたメイコと申します! 諸国を巡り武者修行に励む身でござるが、路銀も尽き果て冒険者稼業を志願いたしました! 是非ともそなたのパーティの末席に加えてもらえれば恐悦至極にござりまする!」

「す……?」


 俺の第一声をかき消したのは相手のバカでかい大声だった。しかもこっちの45度のお辞儀を上回る、片膝をついての敬礼。この大陸でも冒険者ギルドみたいな民間組織じゃまず見ない、上流階級の作法だ。

 相手の下からいこうと思ったら、さらに下からすくい上げられた。相手は歳の頃は二十歳前後か、紫紺色の髪をポニーテールに結わえ、見慣れない服を身にまとった剣士の女性。建物の外に漏れるような彼女の大声に俺は気圧されてしまう。


「マーカスだ、よろしく……あの、とりあえず立ってください、膝が汚れるから……」

「はい!! マーカス殿ですね! 気軽にメイコとお呼びください! さぁ、さっそく初依頼を! 魔物討伐ですか、討伐がいいですね!」


 年下の女性の勢いに負けて、完全にペースを握られてしまった。トントン拍子で互いの実力を計るのも兼ねて、初対面の女剣士と依頼を受けることとなった。







「せい……はっ……!」

(強い……これは強化を使うまでもなかったな)


 メイコと組んで赴いた山に巣食うケンタウロスの討伐。上半身が人で下半身が馬の肉体を持ち、馬の膂力と人の器用さを併せ持つ強力な魔物だが、メイコは独特の反りを持つ片刃の剣一本で互角以上に渡り合っている。この実力差を見るに、予めかけていた強化呪文がなくても結果は同じだったろう。


「チェストォォォ!」

「グギャッ」


 裂帛の叫びと共に放たれたメイコの一太刀がケンタウロスの首を斬り飛ばした。首が地に落ちて地に転がると、メイコは一度派手に剣を振り血を落として鞘に納める。そのまま彼女はこちらへ振り返り、戦いを眺めていた俺に拳を突き出す。


「マーカス殿の強化呪文、すごいですね! かけられた感じも無いのに、確かに拙者の力を底上げしてござる!」

「は?」


 メイコが急に俺の評判の悪い強化を褒めちぎる。かけられた感覚も無いのに、なんで自分が強化されたってわかるんだ?


「新記録です、失礼!」

「うげっ」


 俺はついメイコが開いた拳の中を見て声を上げてしまった。彼女の掌にはケンタウロスの身体についていたのであろう、十数匹のノミが蠢いていた。


「拙者は魔獣と戦う時は必ず首を斬り飛ばし、地に落ちる前に彼奴の身体についたノミを取る縛りを己に課していたのですが……ケンタウロスはどうしても8匹が限界でしたが、今回はなんと11匹です!」

「はぁぁぁ!?」


 メイコの顔は返り血を浴びながらも、目を輝かせギザギザの歯で満面の笑みを俺に向けてくる。この娘は修行と称した無茶な縛りで戦っていたようだが、その縛りの境地によってわずかな強化呪文の効果を鋭敏に感じ取ったようだ。強化された身体で首をより高く飛ばし、眼力でノミを探し当て、手さばきで素早く回収したのだ。


「この呪文は確か出発前にかけた強化ですよね、何時間も持続しているなんて独特な術式です! 後学のため、詳しくお話をお聞かせくださいませぬか!?」

「あ、あぁ……」


 俺のかけた漸強化【リトルゲイン】は、対象の身体能力や知覚能力を総合的に僅かに上昇させる。半日は効果が持続するが、効力が僅かなだけにかけた時にも切れた時にも自覚がなく、結果だけ見るといつもより仕事が捗ったなと感じる程度のものだ。


「と、とりあえずこいつを解体しようか……」

「そうですね!」

 

 メイコのペースに巻き込まれたらケンタウロスの遺体が腐りかねない。コイツは村の作物を奪う害獣だったが、根城を探すうちに山奥へ来てしまった。俺達は夜を明かして安全に帰る為に、開けた場所を探して野営をすることにした。







「今主流になっている瞬間的な強化呪文は、言うなれば元気の前借りだ。いつもより素早く考えたり動いたりできるようになれば、その分頭は疲れ身体は悲鳴をあげる。強化が解けた時にその反動が来て、普段より動けなくなってグダグダになる」

「ふむふむ、一理ありますね!」


 夕暮れの山は鬱蒼たる木々が西日を妨げ、比較的開けた場所とはいえ夜並みに暗い。俺達は焚火を囲みながらケンタウロスの解体を始めた。雑談片手に討伐の証のため、ケンタウロスの体毛をこより作った紐を第一尾骶骨―ケンタウロスの人体と馬体のつなぎ目にあたる骨―に巻きつけてる俺の横で、メイコはうんうんと頷きながら肉を焼いては食う。

 というか馬の部位どころか人型の部分まで平気で食うか……流石に俺はそっちを食うのは抵抗があるぞ。


「それで、動けない自分にイライラして余計にパフォーマンスが下がる。戦争中じゃ籠城戦や撤退戦なんて長い戦いも珍しくなかったから、自分のスペックを一定に保ったまま微強化が合理的ってのが俺ら世代の主流なの」

「なるほどですね! 戦争を生き抜いたベテランの慧眼というやつですか!」


 俺だっていざという時に瞬間強化が使えないでもないが、そんなもんに頼らないと攻略できないクエストは最初から受けるべきじゃないんだ。その考え方が派手好きの若者―特に戦争後から冒険者になった世代―に受け入れられず、俺の追放を後押ししてくれるんだろう。


「ということで時代遅れの術士とのタッグなんて、今のうちに解散を検討した方がいいぞ」

「お断りします! もうそのご要求今朝から7回目ですよ!」


 話題にかこつけて時代遅れアピールをしても取りつく島もない。6回目に解散を要求したのは道中だったか、しりとりを10回連続で強制的に終わらせた時だったな。その時もメイコは俺の即座に終わらせる語彙力を褒めてきて、全く精神攻撃にならなかった。

 今回は生半可なムーブでは追放はさせてもらえなさそうと判断し、強硬手段に出ることにした。だが小さいことでイライラを貯めて依頼完了後に爆発させる作戦が、この娘にはまるで通用しないぞ。


「ところで、メイコさんこそなんで武者修行なんてしているんだ。大陸が平和になって長いだろうに」

 

 彼女の出自のイザカマは確か、山脈を隔てて遠く東に位置する国だ。特に個々の武力に秀でた国で、侍という戦士達が魔物との戦争でもそれを遺憾なく発揮していた。他国の常識は詳しくは無いが、戦争が終わってから若い娘が独りで修行している状況は異様に思える。


「拙者は夢を追っているのでござる! それは腕を磨き、17年前に母を討った八軍将・武傑ブルジャルクと果たし合うこと!」


 話す間にケンタウロスの殆どを平らげて、目を輝かせながら夢を語るメイコ。魔物を魔族としてまとめ上げた魔王メガドロンが討たれて戦争は終わったが、幹部の何人かは行方をくらませて生き延びている。確かブルジャルクが討たれた情報は帝都にも入っていなかった。


「敵討ちか……褒められた動機じゃないし、そもそも八軍将相手に勝算はあるのか?」

「命の奪い合いは戦いの常、個人的な恨みはござらん。というより、拙者はブルジャルクと戦えるなら負けて死のうが結果は気にしません! 一太刀も身に刻めず果てようと、拙者の血と臓物を彼奴にブチまける最期となっても本望にござる!」


 ヤバい、どこの戦闘民族だ。想像する自分の死に様すら嬉々として語るメイコの瞳に曇りは一切なく、背筋に悪寒が走る。


「それ、実家の皆はそんなことをするのを了承してるのか?」

「もちろん! 病に伏せる父上や跡継ぎで家を離れられぬ兄上は、代わりに戦えぬこの身を恨むと泣いて悔しがってました!」

(ああ、この娘の家って全員そんな感じなんだな……)


 今は平穏に暮らしてるか再起を計っているか知らないが、こんな血の気の多いバトルジャンキーに粘着される八軍将も気の毒だな。


「それでこちらのギルドでもパーティ募集候補に『八軍将とも戦える人』と条件を書いたら、拙者と組める相手が見つからないのでござった……」

(当たり前だ! 冒険者ギルドは残党狩りの組織じゃないんだぞ!)


 メイコがこのギルドに流れ着いてから数日、誰も条件に合う相手がいなかった理由を語る。冒険者は自分の力で出来る仕事をこなして日銭を稼ぐものだ。魔王に次ぐ実力を持つ幹部を探して倒すなんて埒外な目標がある相手、無視されて当然だ。


「それで巡り合えた初めての仲間がマーカス殿ですよ! 其方は八軍将とも戦えるのですよね!?」

「……ああ、まぁ」


 俺がカルカリウスと戦ったこともギルドに帰って情報収集でもしたらすぐわかること、ここで嘘をついてもただの急場しのぎだ。


「やはり! 戦も終わって久しい世に、異国の地で同志を見つけるとはなんたる僥倖でござるか! 今はご自身を時代遅れと蔑もうとも、諦めず己を研ぎ直せいいのです! マーカス殿がいくら己の実力や人柄を卑下しようとも、拙者は見限りませんよ!」

(ん? なんだこの食い違い……?)


 マズい、メイコは『できる』を可能ではなく覚悟の『〇〇したっていい(例文:愛の為になら死ねる)』と解釈するタイプの人間のようだ。


(このまま一緒にパーティやってると、俺も八軍将との戦いに巻き込まれる可能性がある……)


 八軍将の実力を肌で知った経験が、余計に俺の中の危機感を加速させる。この変態に付き合っていたら命がいくつあっても足りない。


「キヒヒヒヒ……逃がしませんよ……」

(逃げなければ……だが山の中で2人きり……いろいろな意味で無理だ!)


 しかしこの全肯定娘、未だに追い出してくれる気配が無い。抵抗しようにも俺に勝ち目は無い。聖護呪文の定義する『人間への攻撃』は、人間同士の争いに肉体強化をかけることも該当する。人類同士の戦争に使えないのもそのせいだが、つまり戦争になっても駆り出されないため、国家奉仕のフリだけしたい一部の貴族層に人気なのも頷ける。

 だが俺が習得したのは魔物との戦争の真っ最中。故郷を襲った魔物への怒りに燃えて、伸び盛りの10代を人に通じない呪文の習得に費やした過去を呪ってやりたいのはこれが初めてだ。

 しかも今から逃げればクエストの放棄ばかりか、メイコに1人で野営をさせる羽目になってしまう。明日になって帰宅したら荷物をまとめて村から――


「おうおう、ここにいたか旅人の姉ちゃん」


 脱走を企てている俺の前に、ガサガサと茂みをかき分けて髭面の巨漢が踏み入ってくる。男の目当てはメイコのようで、小ぶりな水晶玉を片手に恨みがましい視線を彼女に投げかけている。


「そなたは……誰でござるか?」


 恨みをぶつけられる一方で、見覚えが無いと返すメイコ。短いつきあいだが彼女は嘘が苦手そうなのはわかる。与り知らぬところで恨みを買っているのだろう。


「ケッ……先週アクイラって山村で、アーマーウルフを退治しやがっただろう?」

「ええ、山越えの時に遭遇したので身を守るため。生活を脅かす魔物だったと村人さんから感謝され、拙者もありがたく歓待に応じました。振舞われた野菜の煮物の味まで憶えてますよ」


 男から問い詰められ、メイコは先週の所業を思い出す。魔物を倒し、村人から感謝されただけの立場からすれば当然だが、彼女は涎混じりの笑顔で悪びれもせず思い出を語る。


「ググ……ええかっこしいはいつもそうやって、タダ働きで他人様の食い扶持を奪いやがって……許せねえ、許せねえぞ!」


 食い扶持? ああ、なんとなく事情が飲み込めてきたぞ。ただ当のメイコ本人は何のことかさっぱりって顔をしてるな。


「オレからウルちゃんを奪いやがって……おおかわいそうに、痛かったよねぇー?」

「従魔術……この外道が」

 

 目の前の男は急に甲高い声をあげ、手に持った水晶玉を撫で始めた。水晶の中では狼型の黒い霊魂が憎悪の念を込めてメイコを睨む。なるほど、この場所がわかったのもあのおかげか。死んでも魔物のせいにできるクエスト遂行中のタイミングをうかがっていたんだな。

 従魔術は魔族と戦う為に編み出された呪文体系のひとつで、魔物を従える専門のものだ。従えた魔物に離れたところでも緻密な命令をすることや、特別な強化を施すことができる。その中に従属した魔物を倒した者をマーキングする呪文もあったのだろう。

 おおかたコイツは従魔術を悪用して、アーマーウルフとやらを操って村を脅かしては追い払うフリをして、用心棒として村でふんぞり返っていたのだろう。コイツが俺の故郷で同じことをしていたらと考えると怒りが湧いてくる、許しがたい所業だ。


「すみません、どういうことか説明していただけますか?」


 いかん、肝心の当事者が理解してない。


「オ、オレはなぁ、このウルちゃんからアクイラ村を守ってたんだよ!」

「すごいですね! ご立派です!」


 男の怒声にメイコは賞賛の声を投げかける。


「ウルちゃんはなぁ、オレの命令を忠実に守ってただけなんだよ!」

「飼い主に従順なのは結構なことじゃないですか!」

「村人なんか見せしめに片手で数えられる数しか殺させてないし、オレが村に来てからは大して被害は出させなかったってのに……」

「悪い魔物を懲らしめて更生させたんですか、すごいですね!」


 メイコが男の所業を全部肯定する。この分だと、悪だくみとかそういうのに疎いんだろうな。


「おい、そこのてめえ! この姉ちゃんにわかりやすく説明しろ!」

「え、俺ぇ?」


 自分の復讐の大義名分が伝わってないことに業を煮やしたらしく、男は俺に説明を要求した。悪党に悪事と逆恨みの解説を求められるなんて、生まれて初めてだ。


「メイコ、魔物から村人を助けて振舞われた飯は美味かったか?」

「はい!」

「魔物から助けたら村人はご飯をくれる、そこまでは覚えたな? そこの男は、まず魔力で従えた魔物を村に送り込んで村人を襲わせた後、素知らぬ顔で現れて追い払うフリをして、用心棒として毎日感謝の飯をもらってたんだ。その魔物をメイコがやっつけてしまったもんだから、用心棒として飯が食えなくなったのを恨んで追いかけてきたわけだ」

「……」


 メイコが手振りで俺の説明をかみ砕こうとしている。悪いな従魔術士、俺はこれ以上わかりやすく説明するのは無理だ。


((いけたか……?))

「……すごいですね、拙者には無い発想の稼ぎ方です! 仮に拙者が思いついても良心が咎めますが、将来的にはこういう人間がお金持ちになるのでしょうね」


 俺の説明でメイコがようやく事態を飲み込んでくれたが、この娘は相手のプラス面をどうやってでも見出して褒め始める。


「まあこの外道に将来など無いんですけど」

「メイコ……」


 メイコは表情を一転して怒りの色を露わにし、剣の柄に手をかける。流石にあの娘でも好意的に受け取れないラインはあるようで少し安心した。


「よぉし合格だ。どんな悪人だろうと、どんな悪事を働いたか知らないまま死んじゃあ罰にならんからなぁ……それともお前らが土下座して俺に服従して、ウルちゃんの代わりに稼いでくれんなら命だけは助けてやるがなぁ」


 男がニタニタと宣言しながら水晶を握る手を掲げる。ちゃっかりお前らと俺のことも一括りにされているが、そりゃ魔物の仕業にして殺害するって都合上、目撃者を生かしておく道理はないな。


「なるほど、果たし合いですね! 愛刀・青醒丸あおざめまるの錆にしてくれましょう!」

(嫌な予感がする……)


 命を惜しまぬメイコに後者の選択肢はないらしく、早々に臨戦態勢に入る。しかし白兵戦が苦手そうな術者が、己の従魔を倒した剣士相手に勝算も無く正面から現れるか疑問に思い、俺は頬に一筋の冷や汗を垂らす。


「かわいそうなウルちゃんよぉ……オレと一緒に仇を討とうなぁ……」


 目に涙を浮かべた男が水晶玉を握りつぶすと、ヒビ割れの隙間から濃く黒い煙が噴き上がる。俺達が呆気に取られている間に、煙は男の身体を包み、その姿を変貌させる。


「さぁ始めようぜぇ! お前らと、オレとウルちゃんとで二対二だぁ!」

「!」


 従魔術の一種か、アーマーウルフと融合した男。普通の人間より二回りは大きい、灰色の岩盤のような装甲で覆われた二足歩行の狼が金色の目で見おろしてくる。

 その目つきが残忍な色を帯びたその刹那、狼男は視界から消え、メイコもまたそれに反応して動く。気付けばオレの視界の端で狼男の鋭い爪とメイコの剣が競り合っていた。


「ケケケ……」

「くっ……」


 体躯も膂力も上回る狼男が上から押さえつけるようにメイコに迫る。狼男の右腕に対して彼女は両手で受けている。フリーになっている奴の左腕が無防備な胴体を攻撃するのは目に見えて明らかだった。


(援護を――)


 メイコがいくら危ない奴とはいえ、パーティを組んだ以上逆恨みで襲ってくる敵から見殺しにはできない。呪文で援護をしようとした瞬間、俺の脳裏に声が届く。


――人間同士の諍いにおいて、強化呪文により片方に肩入れした事象を確認――


「なっ……」


 聖護呪文最大の弱点は人間を攻撃できないことだ。呪文を通じて術者は善神と精神的に繋がるため、呪文の使い方が妥当か不当かの判断から逃れられることはできない。

 今のは人間に危害を加えると頭に届くペナルティのメッセージだが、今回はクエスト開始前に予めメイコにかけた強化呪文が対象になったようだ。神の判定基準が人間のそれと異なるのは肝に銘じていたはずだが、魔物と融合した人間相手でも人間扱いになるのをこんな窮地に知ることになるなんてな。

 そういうケースで言えば戦いが始まる前に同等の強化を両者にかけておけばよかったのだろうが、それをしたらしたで魔物の身体を強化したとかで咎められるリスクがあるかもしれない。


「オラアッ!」

「うっ!?」


 狼男の左腕がメイコの胴体を薙ぎ払う。攻撃の手を変える瞬間に押さえつける右腕の圧力が弱まったため、彼女は飛びのいて直撃を避けられたが、わずかに皮を傷つけたらしく、脇腹に赤い三本線が滲む。


「メイコ!」

――聖護術士マーカスの魔力を剥奪する。期間は――


 違反とはいえ故意でもなければ効果も微量の強化呪文だ、魔力剥奪のペナルティは決して重いものではない。俺は続けて届く罰則期間の告知を受け取った。


「60秒粘れるか!?」

「……御意!」


 俺の魔力が復活すればメイコを援護できる。その援護で神から再びペナルティを受けようとも、メイコがそれで勝てば安全を確保して罰則期間を過ごせる。俺の声を受けたメイコは、返事と共に腹に流した血を親指で掬い取り舐めることで消えぬ闘志を表明する。


「なるほどなぁ、仲間が傷ついてただ突っ立ってるだけと思えばお前は聖護術士かぁ! 噂通り人間相手には攻撃できないんだなぁ!」


 狼男がオレの方に振り返って残忍な笑みを浮かべるが、即座に対するメイコに向き直り爪を構える。聖護術士の欠点は周知されているようで、男はメイコさえ片付ければ俺のことはどうとでもできると判断したらしい。


「60秒と言わず30秒でキめてやんよぉ!」

「60秒と言わず、1時間でも2時間でも楽しみましょうよ!」


 挑発に威勢よく返すもメイコの戦況は芳しくない。狼男の爪は振り抜く余波だけで一撃で周囲の木々をなぎ倒し、岩石を削る。メイコは的確に体捌きでそれを交わしながら急所を狙って反撃するが、装甲の厚さで通常の魔物であれば急所であるはずの箇所が急所にならない。

 直撃こそ受けないもののメイコは数秒ごとに傷を身体に増やし、狼男の肉体は依然として傷つかない。彼女は攻めを諦め防戦一方となっていた。俺だって冒険者として最低限の護身術は持っているが、到底あの戦いに混じって通じるものではなかった。


「……すごいですね、膂力も硬さも山で戦った時とは段違いでござるよ」

「当たり前だろぉ! オレの身体にはウルちゃんの無念と痛みが詰まってんだよォ!」


 不利な戦局に屈さずとも、なおも素直に敵の術の効果を褒めるメイコ。それに対して復讐対象が相手だと特効が加わる術式を自慢する狼男。まだ約束した時間まで半分も過ぎていない。


「オレと繋がることでウルちゃんの想いはいくらでもオレの力に上乗せされる!」

「しまっ……」

「これが絆の力だァ!」


 狼男は己の右手でカマイタチのような爪の斬撃を放つ。しかしそれは罠で、男は跳んで避けたメイコの背後に回り込み、そのまま無防備な胴体を蹴り飛ばす。彼女の細身の肉体は樹木に激突し、そのまま動かなくなる。


「メイコ!」

「おっと慌てなさんな、あの姉ちゃんに確実にトドメを刺してから相手してやるからよ」


 傷ついた相棒が心配で叫ぶ俺を嘲るように、狼男は彼女の体に突き立てるべくその爪を擦り合わせながら歩みを進めていく――


「「!!!」」


 魔の手がもう数歩の距離まで迫った瞬間、狼男が突然飛びのいた。分厚い岩の奥の瞳は倒れているはずのメイコに釘付けにされ、驚愕の色を浮かべている。


「メイコ……?」


 俺が喋りかけても反応をしない。メイコは確実に気絶をしている。それなのに彼女の両手はまっすぐに刀を狼男の方を向け、目は見開かれギザギザの歯は不敵な笑みを浮かべている。

 あのメイコに近づいていれば、間合いに入った瞬間に渾身の斬撃を見舞われたかもしれない。狼男はそう感じたから躊躇したのだろう。闘争本能か時間稼ぎの使命感か、彼女の肉体は気絶してもなお戦っているのだ。


(そうだよな……メイコは八軍将になら負けてもいいと言ってたが、こんな相手に負けるのは嫌なんだろう……俺だって同じだ、負けるのが嫌な相手ぐらいいる)

「恐れ入ったよ。野生の勘が働かなきゃ、考え無しに近寄って頭を斬られていたかもしれん。ウルちゃんがオレの中で『近づくな』って守ってくれたんだなぁ!」


 冷静になってバックステップで距離をとる狼男。これではいくら戦意があってもメイコの意識が戻らなければ、何もすることはできない。


「お前のくれた命でオレはもっと幸せになってやる! ウルちゃんのロックブラストでトドメだぁ!」


 狼男はそう宣言すると顔を虚空へ向け、魔力を集中させる。その魔力に従うように周囲の岩石が口元に集中していく。その岩塊が人を圧殺するのに申し分無いサイズになったのと同時に、狼男の口からメイコへ放たれる。







「魔術で従わせて何が絆の力だ。お前のような小悪党に屈服土下座しても、微塵も気持ちよくなさそうだな」

「!!?」

 

 勝利を確信した狼男は、何が起こったのか理解できない顔で呆けていた。メイコに放った必殺の魔術は銀色に光る六角形の塊に阻まれ、密集した塊が壁を成し己を包囲している。


「なんで……まだ1分はたってねぇだろう!」

「――44秒。メイコの気迫の勝ちだ」


 単純な話、俺がメイコに実際の罰の制限時間よりも長く伝えていた。ただそれだけの話だ。


「なにぃ! あれは嘘だってのか……」

「敵の前で戦えない時間を正確に伝えるバカがいるか。ゴールが近いと時間稼ぐ側も油断しだすし、お前だって勝負を急ぐだろう」


 敵を欺くにはまず味方から。メイコには悪いがこの男を罠にかけるために嘘をつかせてもらった。こういう時にキリのいい時間を告げれば、たいてい信じてもらえるものだ。


「お前……味方まで騙して、良心ってやつはねぇのかよ! 相棒から嫌われるとか怖くねえのか!」

「正直……早く俺のこと嫌って追い出して欲しい……」

「!?」


 俺は結界に閉じ込められた狼男のお説教を聞き流す。だって早く追放されないと、将来的に八軍将との戦いに巻き込まれるかもしれないんだもの。


「わけわかんねぇこと言いやがって! 力が戻ったからってお前の呪文で人間を閉じ込められるわけがないだろうが!」

「ああ」


 狼男のロックブラストは魔物由来の攻撃魔術だから防御できた。しかし聖護呪文の特性上、この聖壁【セイクリッドウォール】を人間は素通りしてしまう。その弱点を知っている狼男は標的をこちらに変えて爪を振り上げる。


「ぬぐぁ!? ウルちゃんの右腕がぁ!」


 包囲された光の結界を潜り抜けようとした狼男だが、壁を抜けた己の腕に起きた異常に叫び声をあげる。結界を素通りできたのは男の腕だけで、融合していた魔物の部分はボロボロと引き剥がされ黒い煙と化していた。


「通れるだろうよ、人間の部分は」

「オレとウルちゃんの繋がりがぁ! こんなチンケな結界なんぞにぃぃぃ!」


 魔物の部分が引きはがされることに憤慨する狼男だが、彼の叫びも空しく右腕を魔物のそれに戻すことは叶わなかった。従魔術の融合を保つ力は、結界の人間と魔物を分離させる効果の前では無力でしかなかった。そりゃそうだ、自由に使える別の魔術体系に制約持ちの聖護呪文が出力でも力負けするのは筋が通らんだろう。


「こいつの使い道は防御用だけじゃない、魔物にとり憑かれた人間を助けるためってのと――」

「があぁぁぁ!」


 人差し指を上に上げたオレの指に合わせて、光の結界が上空へ移動する。地を離れていくにつれ、結界の淵が男の下半身から枯れ木の皮を剥がしていくように魔物の部分を剥奪していく。

 死霊術士との戦いにおいても、俺はこうして魔物に弄ばれた人々の死体を解放していた。収束した結界の中には融合前の黒い煙が閉じ込められており、俺はそれに向けて攻撃呪文を放つ。


「結界の外から一方的に人間の攻撃呪文でぶちのめすためのだ!」


 放ったのは聖護呪文のサブの役割、攻撃呪文の光槍【ディバインランス】。地上から放たれた3本の光の槍が結界を交叉して貫通し、黒い煙は霧散していく。神に一連の呪文の行使は『魔物にとり憑かれた人間の救助』と映ったらしく、罰を下す声は届かなかった。


「初歩の攻撃呪文で一発か、実体も無きゃ恨み補正無い奴からの攻撃には滅法弱いな」

「テ、テメェ……これで勝ったと思ってるのか、依然オレを傷つけられない状況は変わって――」


 男は剥がされた融合相手を倒されたことにワナワナと身体を震わせて憤慨し、降参することなく飛びかかってくる。だが、その言葉を最後まで紡ぐことは許されなかった。まるで丸太で殴られたような衝撃を受け、男の身体が横に跳ねたのだ。


「僅かの間ですが意識を刈り取られていたようです、重く鋭い良い一撃でした!」


 衝撃の正体は、気絶から復帰したメイコの鋭い蹴りだった。傷だらけの彼女は威勢よく拳を手の平にあてて一礼し、気絶した男へと賛辞を贈る。







「悪かったな、ちょっと時間稼ぎを長く頼んじまって」


 メイコの治療と男の捕縛を済ませた俺達はそのまま夜を明かし、野営の片づけをしていた。神は人間同士の戦いが原因であっても、傷ついた相手の救護は咎めない。だが治療を済ませた途端にメイコが眠りこけてしまい、昨夜の戦いについて話すのは朝になってしまった。メイコをテントで寝かせて一晩中見張りをしていたためか、頭がボヤボヤする。


「マーカス殿……やはり拙者達のパーティは、お望み通り解散することにしましょう」

「急にどうしたんだ」


 治療では供給できない血が足りなくて寒いのか、焚火の前で毛布を被り丸まっているメイコが話を切り出してきた。昨日までは彼女が頑なに断っていた追放を、向こうから志願している。その声色からは昨日までの自信と元気は欠片も感じられない。


「拙者の世間知らずで、マーカス殿を個人的な因縁に巻き込みました……力不足で敵に敗れ、今朝の見張りも満足にできませんでした……拙者なんか連れていたって、足手まといにしかならないんですよっ!」


 己の無力を語る彼女の目には涙が滲んでいる。悪いのはそこで縛られてる男で、メイコの時間稼ぎは成功して、野営でより消耗した仲間の休息を優先するのは当然のことだ。何もメイコが己を恥じる道理は無い。それに――


「メイコ、その要求は飲めない。なぜなら今のメイコが自分に落ち度を感じて、望んでも無いことを言ってるからだ」

「え?」


 俺に別れを切り出す奴は勝ち誇った笑顔であるべきで、無力さに苛まれた泣き顔で自分から去ろうとするもんじゃない。確かに俺は、役立たずを言い渡されて捨てられることに快感を覚える呪われた生き物だ。だが本来追放ってのは、受けた人間の心を酷く痛めつけるんだ。俺はそれを望まぬ人間に同じ痛みを味わわせるつもりは無い。


「自分がダメだと感じても、諦めず己を研ぎ直せばいいと言ってたのはメイコ自身じゃないか。だからメイコがいくら自分を卑下しようとも、俺からは絶対に見限らない」

「マーカス殿……」


 俺は野営でのメイコの励ましの言葉を言い換えて返す。たとえ彼女の勘違いから出た発言だろうが、あれは純粋な誠意からの激励だった。他人の弱さを許せる者は、得てして自分の弱さを許せないものだ。だからこそ、お互いの至らなさを許し合ってこその仲間だろう。

 

「だから解散したけりゃメイコがニューリーダーになって、俺をこの場で叩きのめして1人で山を下りてほしい」


 ただ、俺の至らなさは目を皿にしてでも絶対に許すな。時間稼ぎの期限を誤魔化した件とかどうだ?


「どんな胆力があったらこの空気でそんなこと言えるでござるか!!?」

「だめか……」


 ツッコむ元気を取り戻したにメイコの拒否により、最初のクエストの追放は双方とも保留に終わった。冷静に考えたらこの大陸でメイコが狙八軍将の生き残りとバッタリ出会うなんて、隕石が家に落ちるより珍しいことだよな。きっとギルド側もそう思って俺をあてがったに違いない。焦ることは無いんだ、そいつと戦うハメになる前に追い出されればいいだけだ。


 こうして、絶対に追放されたい対人最弱賢者VS全肯定バトルジャンキー侍娘の追放を巡る冒険の日々が始まった。

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