第21話~西洋世界へ至る船~
コルス島で透明な悪魔を討ち取ったアーシムは、ベルの村で待機していたハリルを迎えに行き、事の顛末をハリルとベルに話した。
アンダーソンたちを含めた村の人間が犯した過ちを聞き、ベルは驚き、そして落胆していたが、フィッチたちがアーシムとともに戦ったことを知ると、涙ぐみながら答えた。
「そうかい、そうかい……あの子たちも立ち上がったんだね……」
「ああ。村にいる誰よりも勇気がある若者たちだった。悪魔を倒すための協力を惜しまず、シャーリア夫妻の教会を取り返そうと行動したのだ」
「……私がこのままでいるのも、情けないね」
「村に戻るのか?」
「戻るさ。私を含めた大人たちの短絡的な行動で、あの子たちの恩師を奪ったんだ。このままここで余生を送るより、大人に疎まれるあの子たちの味方をしてから死ぬさ。せめてもの罪滅ぼしにね」
「そうか」
すべて伝え終わったアーシムはハリルとともに、ベルの家から出ようとしたが、その前にベルが呼び止めた。
「ちょっと待ちな……ほれ、これは私からの餞別だ」
ベルが棚を開けて取り出したのは、いくつかの銀細工と、少し赤茶けた紙だった。
「これは?」
「昔からあの村の港には本土からの船が来ていた。その船乗りたちと友好的な関係を築くために村で作られた銀細工さ。船に乗る者たちへの祈りも刻まれていて、たいていの船乗りに渡せばご機嫌になるだろう。その紙も、昔の村の重役が本土に行くために使ってた通行証だ」
「いいのか? 俺たちのような余所者に渡しても」
「私にはもう必要ない物だ。ハリルの坊ちゃんから聞いたが、あんたたちはヴェネツィアへ行くんだろう? だったら、こんなものはいくらあっても良いじゃないか。気兼ねなく使ったらいい」
「ありがとう、ベル」
「よせよせ。感謝するのはこっちだ。悪魔を倒してくれた人間には足りないくらいだよ」
「……村に行くまで、手を貸すか?」
「いらない世話だよ。故郷へ戻るくらい、私ひとりでできる。あんたたちは先に行けばいい」
「そうか。では、さらばだ。フィッチたちによろしく伝えてくれ……悲しみに囚われるな、と付け加えてな」
「囚われるな、か……わかったよ。私にも、あの子たちに必要な言葉だ。確かに伝えておくよ」
こうしてアーシムとハリルは本土行きの船に乗り、コルス島を出発した。
波に揺られた船の甲板のすみで、ハリルが布かけを被って眠っている。一日中、船乗りたちと働かされたせいで、深いいびきをかいている。
本土とコルス島を行き来する船は、元々は旅人を乗せる船ではない。本土と島の間で物資を運送するための船で、決まった人間だけが乗る船だ。
そこへアーシムとハリルが快く乗せてもらうには、ベルからもらった銀細工と通行証だけでは足りない。船の上で雑用を手伝い、船員と打ち解けることで、ようやく正式に船の一員として乗せてもらうのだ。
日が落ちて海が暗くなると、今日の航行を終えた船乗りたちはくつろいでいた。見張り番以外の人間はおのおの腹ごしらえを済ませ、自由に休んでいる。
「あんたら、サラセン人のくせによく働くじゃねえか」
木のカップを2つ持った大柄な船乗りが、アーシムとハリルがいる場所に来て、話しかけてきた。さっきまで他の船乗りと酒を飲んでいたらしく、機嫌よくアーシムにカップを渡してきた。
「そら、一杯やれよ。ちゃんと働いた礼だ」
「ありがとう……ふうっ、他のサラセン人は怠け者なのか?」
カップに注がれたエールを飲み、アーシムが質問した。会話に応じたアーシムに気をよくした船乗りは、アーシムの前にあぐらをかいた。
「怠け者もそうだが、とにかく鼻につくやつらが多い。学と財があるのか知らねえが、俺たちみてえな下層の船乗りは、馬車馬のように働くのが当然と思っていやがる。呆れるほど、やらしいやつらだよ」
「なるほど。金回りが良いだけの人間に大きな顔されるのは、癪に障るよな。そういう人間に限ってケチな性根だったりする」
「お、あんたもわかってるな。どうだ、もう一杯」
船乗りは腰に下げていた筒の蓋をポンッと抜き、アーシムのカップに2杯目の酒を注いだ。今度はエールではなく、ふくよかな甘い香りを漂わせた蜂蜜酒だった。
口に含めばとろけるような甘さが広がり、呑み込んでも濃い香りと後味が残る。苦みの強いエールとは違い、一口飲んだ時の印象がとても雄弁だ。
「これは、うまいな。蜂蜜が入ってる酒か?」
「おう。それは中でもとびきり濃いやつで、ヴェネツィアで手に入れた上物さ。疲れた体にその甘さが染みるんだ」
「ヴェネツィアか。よく行くのか?」
「出稼ぎにな。前ほどではないが、ヴェネツィアの仕事もまだまだ良い稼ぎになる。まあ、その頃からサラセン人はどうも苦手でねえ」
「ふふ、わかる気がする。雇い主に金払いの良さと気風の良さがなければ、こんな仕事なんてやっていられないよな」
「がははっ!そうだそうだ、居心地が良くねえとやってられねえよ!」
アーシムの相槌に共感した船乗りはだんだんと気分が良くなってきたのか、自分とアーシムのカップに惜しみなく蜂蜜酒を注いでくる。アーシムも上手くその話に乗り、両者の会話は弾む。
「ああ、旅人さんの名を聞いてなかったな。俺はウルフスタン。あんたは?」
「アーシムだ。それと、そこで寝ているのが旅の連れのハリルだ」
「アーシムに、ハリルか。2人は親子か?」
「いいや、ハリルは単に旅の連れだ。今はヴェネツィアにいるこいつの雇い主と俺が友人でな。その友人に旅の供を借りたら、このハリルが遣わされたということだ」
「へえ、こんな若いのが旅の供ねえ……」
そう言ってウルフスタンはニヤリと笑い、酒を口に含んだ。
アーシムはウルフスタンが笑った理由を察し、手を振って否定した。
「言っておくが、そういう意味の連れではないぞ。こいつの言葉の知識は優秀で、知らない国の人間と難しい話をする時に助かるんだ」
「なんだ、そういうことかよ。しかしヴェネツィアの友人から部下を借りて、どうして旅しているんだ?」
旅の理由を聞かれたアーシムは、ハリルにも言っている表向きの理由を、うまく嘘も混ぜて答えることにした。
「ああ……かいつまんでいえば、物集めだ。ヴェネツィアの友人から、どうしても探して取り返してほしいものがあると頼まれた。友人は旅に慣れた俺に依頼して、俺はハリルの手を借りたんだ。詳しくは言えないが、そんなところだ」
「な、なにやら面倒な話だなあ。それを探すためにヴェネツィアからコルス島まで行ったのか。どんな大切なもんか知らねえが、そんなことを頼む友人も、聞き入れるあんたも相当変わってるぜ」
「変わっている、か。よく言われるよ」
「まったくだ。色んなやつを見てきたが、こんな旅人は初めて見るぜ……それで結局、探し物は見つかったのか?」
「いや、まだ見つかってない。久しぶりにヴェネツィアに戻ってゆっくりしたら、今度は北へ探しに行くつもりだ」
そう答えたアーシムが、蜂蜜酒を口に含む。
本当はアル・アジフを探すために中東から訪れ、コルス島を経てここまで北上して来た。しかしそれらの事情を話すのは憚れるため、元からヴェネツィアに滞在していたことにしておいた。
ウルフスタンもしばらく蜂蜜酒を楽しんでいたが、今度はアーシムから話題を振った。
「そういえば、風の噂で聞いたんだが、ここ数年のヴェネツィアがなんだか物騒らしいな。何か知ってるか?」
「物騒な噂? ああ、教皇の配下を名乗る騎士団のことか。確かにあいつらがヴェネツィアでのさばっていた時は物騒だったなあ……俺もちょくちょくヴェネツィアに行ったりしていたが、なるべく目立たないように気を付けたぜ」
「ふむ、騎士団か。よかったら、その辺の事情を教えてくれないか」
すでにギイからヴェネツィアの内情は聞いていたが、魔導書や覆面の集団などの存在を知らない人間の話も聞いて損ではない。
そんなアーシムも思惑を知らないウルフスタンは、酒を一口飲んでから、快く話し始めた。
「おう、いいぜ。といっても大したことは知らねえよ。かなり前の話になるが、ヴェネツィアでいわくつきの品物が出回った時があってな。その時もおかしな事件は増えたんだが……それよりも外からやってきた騎士団が居た時は、そりゃまあひどかったな」
「どんな風にひどかった?」
「ああ……どこへ行っても騎士団の目があり、自由に働くことができなかったぜ。やつらはヴェネツィアに広まっていた不吉な品物や書物を絶やすためだって騒いでな。そんで、とにかく手段を選ばなかった。『教皇様のご意向』というご大層な旗を掲げているが、とても横暴で、疑わしい者や逆らった者を身分問わず無差別に捕らえたんだ」
「身分関係なくか。それは恐ろしいな」
「そうさ。あいつらが来てからヴェネツィアの雰囲気は荒んだよ。誰も彼もが殺気立ち、争いごとは一気に増えたんだ。商売敵を蹴落とすために密告者まで出る始末で、隣で酒を飲んでる人間でさえ気が置けねえ。もちろん、売り買いにおける信用なんて消え失せたさ。俺は水夫の仕事を休んで、店の用心棒をしたこともあったが、まったく気の休まらない日々だったぜ」
ふぅとウルフスタンはため息をついた。屈強な肉体を持つこの船乗りですら、当時のヴェネツィアの危うさに神経をすり減らしたのだろう。
「しかし、よくそんな時にもヴェネツィアへ稼ぎに行ったな」
アーシムがそう言うと、ウルフスタンは「仕方ねえだろ」と返した。
「ヴェネツィアが廃れたら他の港が都合良く潤うわけじゃねえ。むしろ同じように金払いが悪くなり、いずれは共倒れになるんだ。いくらヴェネツィアの中が危険でも、あそこは探せば仕事がある。外の町で仕事にありつけず飢えるよりマシさ」
「やはり食い扶持は大事か」
「あったりまえよ。不吉だの呪いだの、目の前にねえもんを気にして飢え死んだらお笑いだ。神様がパンとワインの雨を降らせてくれるなら、話は別だがな」
ウルフスタンはハッと笑った。暗さはないが、どこか投げやりな乾いた笑い声だった。
それからアーシムとウルフスタンは適当な雑談を交わして、蜂蜜酒が切れたのをきっかけに酒盛りはお開きとなった。
アーシムもそろそろ眠りに就こうとしたが、その前にマヘスが話しかけてきた。
『ギイから聞いた情報と、大して変わらなかったな』
「そうだな。まあ、ヴェネツィアに乗り込んできた騎士団が危険だということは改めて理解できた。ヴェネツィアに着いても、そういったやつらに目を付けられないようにアル・アジフを探す必要がある」
『うむ、目的は暴れることではない。老魔術師からアル・アジフの一部を奪ったという、黒衣の集団を追うことが肝要だ』
「黒衣の集団か。ヴェネツィアに着いたら、ギイにも情報収集してもらおう。もしかしたら、その黒衣の集団がギイに焼き印をつけたやつらかもしれない」
『その可能性は大いにある。しかしながら、ヴェネツィアに着くまでにやらねばならないことが残っている』
「む?」
『あの教会から持ち出した物を、今一度、腰を据えて調べ直すことだ。老魔術師の紙束の他に、シャーリア夫妻の手記も持ってきただろう。会得してはならないものもあるだろうが、それらに記された知識は、間違いなくお前の力になる』
マヘスにそう言われて、アーシムは近くに置いていた荷袋を引き寄せた。袋の紐をほどき、老魔術師の日誌とシャーリア夫妻の手記を取り出した。
シャーリア夫妻の手記は厚い革で装丁されていて、紙の大きさも一枚一枚丁寧に揃えてある。一見すれば手作りには思えないような出来の手記だ。
老魔術師の日誌は今後のアル・アジフ探しに必要な物だったが、シャーリア夫妻の手記は別の理由で持ち出した。
「おいおい、夫妻の手記はフィッチたちのことを配慮して持ち出した物だろう」
教会から去る前にアーシムは他の部屋も探し、この手記を見つけた。手記には夫妻が若い時に各国で知り得た魔術知識が記されていたため、フィッチたちに要らぬ影響を与えないように持ち去った。
しかしアーシムにはわずかな罪悪感があった。いかに理由があるとはいえ、シャーリア夫妻の遺品をフィッチたちから許可も取らず奪ったことに変わりはない。
『気が引けるのはわかるが、そのまま調べなければ宝の持ち腐れだ。この旅の目的が何なのか忘れるなよ』
「……わかった。この船から降りたら、本格的に読み進めてみよう。ああいった悪魔を封じるような魔術が記されているなら、これからの旅の助けになるだろうしな」
アーシムはマヘスにそう約束して、荷袋の中に日誌と手記を入れなおした。
すでに見張り番以外の船乗りたちは眠っている。酒を飲んでいた者たちも、明日の仕事のために酒盛りを止めて休んでいる。
時おり強い横風と波に揺れるが、アーシムは気にせず甲板に寝ころんで眠り始めた。
コルス島を出発して1週間経ち、アーシムとハリルを乗せた船はイタリア王国の本土に到着した。
船の甲板から本土の港を望めば、朝日に照らされた土塗りの家々が見える。大小さまざまな建物があり、中には明らかに古ぼけた掘っ立て小屋もあるが、それでもコルス島の村にはなかった活気がある。
照りつける太陽と青々とした空、そして船の上からでも伝わる活気。まぎれもなく、街の内外の人間が混ざり合って過ごしている港湾の町だ。
「ついに着きましたね、アーシムさん」
アーシムの隣に立つハリルは、ほっとした面持ちでそう言った。
年若いハリルに今回の旅は初めての経験と苦労の連続だった。雇い主ギイのもとを離れ、アーシムの通訳として同行したが、何か手違いがあれば目的地にたどり着けないのが旅というものである。
親のいないハリルにとって雇い主ギイは大きな存在だ。そのギイが待っている本土の土地を目にしたことで、ヴェネツィアにいる雇い主に再会できることが現実味を帯びたのだ。
「ああ、着いたな」
「港に降りたらどうしますか?」
アーシムが応じると、ハリルは落ち着かない様子で聞いてきた。
「まずは物資の調達、それと、あの港町でヴェネツィアまでの行き方を調べなければならない。また道がわかったとしても、俺たち2人だけで行くよりも商隊などに混ざって行く方が安全だ。それらの段取りができたらヴェネツィアに向かうぞ」
「はい! わかりました」
その後もハリルは港に着くまで、自分の荷物を何度も確認し、また用もないのに船内にある渡し橋を見に行っていた。
アーシムはその様子を時おり見守りつつ、甲板の縁に肘をかけて港を眺めていた。
「ついに新天地だな」
『うむ。俺もお前も知らない、未知の国の本土だ。心してかかれよ』
「わかっている。手がかりは見つかったが、この世に広まったアル・アジフ探しは始まったばかりだ。黒衣の集団、焼き印の組織……調べることは山ほどある」
間近まで迫った港の方角を向いているアーシムの目は、そのはるか先を見ている。
その方角の先にあるのは西洋世界の玄関口、港湾都市ヴェネツィア。
東西南北のあらゆるところから人と品が押し寄せ、そこでは人の身すらも売り買いの一部となる。諸々《もろもろ》の文化が交わる華やかさとは裏腹に、財と権力、欲望と快楽がないまぜとなった底なし沼の中心である。
さらにその先には、疫病と戦乱を繰り返す暗黒時代の西洋世界が広がっている。
淀んだ水と濁った酒で人々は乾きを潤し、鬱蒼と茂る森の暗さの中を人攫いが闊歩する。田畑は軍馬の馬蹄で踏みつぶされ、肥えた貴族は貯め込んだ金貨の数と芳醇な葡萄酒に酔いしれている。
アル・アジフを追う旅人アーシム・アルハザードと、エジプトの戦神マヘスが、その混沌の極致に達した西洋世界へ足を踏み入れるのだった。
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