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第20話~魔術師の正体~

 血を吸う悪魔を討ち取ったアーシムは、教会近くの廃屋で休むことにした。


 フィッチは自分の家でゆっくり休んでもらいたいと言い続けたが、アーシムはこの廃屋で充分だと断った。


「アーシムさん、何もこんな粗末な所でなくても……」


 フィッチはそう言いながら、アーシムに自分の家から持ってきたパンとエールを渡した。


「良いんだ。悪魔を倒したとはいえ、まだ村の者たちはそれを知らず、悪魔や異国人への恐怖が根強く残っているだろう。俺が村の中で過ごせば無用の騒ぎが起きる。食料をもらうだけでもありがたい」


「わかったよ。その代わり、なんか欲しいものがあったら言ってくれよ。そうだ! ワードはうまい酒を家の棚に隠しているし、コーンズは干し肉をたくさん持ってるぜ」


「酒に干し肉か。それは良いな」


「だろ? 待ってろよ、あいつらに話してからすぐ持ってくるぜ」


 フィッチは窓を軽々と乗り越えて、廃屋から出ていった。


 アーシムは丘を下っていくフィッチの背を見送ってから、ふうと息を吐いて壁際に座り込んだ。


「案外、手こずったな。お前も焦ったんじゃないか?」


『馬鹿なことを。あれほど厄介な敵だったとは思わなかったが、所詮はそこらの魔術師でも使役できる使い魔だ。まあ、お前が死にかけたなら、俺が強引に憑依して倒していただろう』


「ずいぶんな自信だ」


『事実を言ったまでだ。しかし俺の憑依に頼らず、機転を利かせて討ち果たしたのは見事だ』


 基本的に厳しい見方をするマヘスだが、今回のアーシムの戦いぶりは光るものがあった。


 地下遺跡で遭遇した怪物の時も、船の上でガザール隊を殲滅した時も、程度の差こそあれどマヘスの憑依による影響が大きかったが、先ほどの悪魔はアーシムの機転により討伐できた。


 戦神マヘスはアーシムに力を貸すが、従っているわけではない。憑依して助力するというのは、あくまでも必要に迫られた場合に限る。


 ゆえに先ほどの悪魔との戦いでは、マヘスが積極的に力を貸すことはなかった。深手を負って危機に陥れば話は別だが、いざとなれば助けを呼べて、逃げることもできる戦いだったためだ。


「別に大した知恵ではない。それどころか、戦う前から想定はしていた」


 そう答えたアーシムにマヘスはうんと首をひねったが、すぐにその意味に気づいた。


 悪魔と戦う前、アーシムは剣を抜いて刃を見つめた。刃に自分の顔が映るかどうかの確認かとマヘスは思っていたが、実際は自らの瞳が物を映すか確認するためだった。


「これからは長い旅になる。ああいう化け物がいくらでも立ちはだかるだろうし、狡猾な魔術師だって襲い掛かってくるかもしれない。あの程度の化け物に殺される程度では話にならないだろう?」


『良いだろう。その覚悟を忘れなければ、しばらく俺が口出しすることはない』


 それからマヘスは何も話さず、アーシムも疲弊した体を休めた。目を閉じたまま呼吸を整えていると、丘を上ってくる複数人の足音が聞こえた。


 廃屋の壁をくぐって入ってきたのは、フィッチとその取り巻きたちだった。


 全員が安堵と喜びに満ちた表情をしていて、それぞれの手には酒や干し肉がある。


「アーシムさん、みんな呼んできたぜ。悪魔が死に、シャーリア夫妻の教会を取り戻した祝いといこうか」


 酒瓶を掲げながらフィッチが笑い、座っているアーシムも笑みを返す。


「本当に悪魔を倒すなんて、あんた、すごい人だったんだな」


「ありがとうな。これで、サレム牧師もランダさんも安らげる……」


「家にあるものをありったけ持ってきました。さあ、遠慮なく食ってください!」


 コーンズ、ワード、ベンの3人もアーシムに感謝を込め、狭い廃屋の床に酒と食料を広げる。


 これは命を賭けて戦ったアーシムを讃える宴。


 村に蔓延っていた恐怖を討ち、活力と希望を失っていた若者たちを救った、たったひとりの異国人の武勇と義侠を高らかに讃えるためだ。


 その場にいる全員の手に酒が注がれた後、フィッチが器を掲げた。


「シャーリア夫妻の魂、そしてアーシムさんに、乾杯だ!!」


 村の片隅でひらかれた小さな宴は、おのおのが酒に酔いつぶれ、夜が更けるまで続けられた。




 フィッチたちが眠りについてしばらく経ってから、アーシムが目を覚ました。


 機嫌よく酒を飲み続けたのはアーシムも同じだが、あの程度の酒で酔いつぶれる体ではなかった。


『起きたか。動けるか?』


「少し休めば充分だ。酒で体も温まったことだし、さっそく教会の中を調べ直そう」


 廃屋を出て教会へ向かう途中、ふとアーシムは振り返った。


 教会のある丘を下った先には村が広がっており、さらにその先には港と水平線が見える。水平線の向こうから朝焼けの太陽が顔を出し、村と教会を照らしていた。


「俺からすれば、いつもの朝だ。だが、フィッチたちにとってはまったく別の夜明けだろうよ」


『うむ。そして、この先の人生が大きく変わった朝に違いない。お前がもたらした村の平和だ』


「……驚いたな。またも人助けを褒めるとは」


『俺は軍神だぞ。武を振るってもたらした平穏は誇るべきものだ。慈善を行うことにさして興味はないがな』


「ネフレン=カへの復讐だけを考えているかと思っていたぞ」


『ふん、ぬかせ若造』


 軽口を叩き合いながらアーシムとマヘスは丘を上り切り、教会の扉を開けて中へ入った。


 扉を大きく開け放つと、入り口から朝日が強く差し込み、礼拝堂の中央を真っすぐ照らす。乾いた血が染み込んだ床も、古びた椅子も聖書台も、明るい朝日に晒された。


 こうして見ると昨夜の教会よりも雰囲気が違う。


 夜と違って明るいからではない。悪魔が巣食っていた教会の中は陰気で、なんらかの生物の口の中に入ったかのような圧迫感があった。


 しかし今はない。血を喰らう悪魔はついえて、静謐な教会の空気は澄んでいる。中の様相は変わらず古びているものの、そこに不気味な廃墟の面影はなかった。


 階段を上がって2階の空き部屋に入る。廊下の窓と部屋の天窓から差し込む陽光により、空き部屋の中は柔らかな明るさと薄暗さをかもしていた。


 扉の裏にはシャーリア夫妻の遺骨が、寄り添うように堆積している。厳格な黒の牧師服をまとっている大柄な骨と、絵の具の付いた作業着をまとっている小柄な骨がある。


 弔いの意を込めてアーシムは遺骨の前に膝をつき、目を閉じた。


 様々な異国を渡り歩いたアーシムは何かを特別に信奉しているわけではないが、悪魔に挑んだ夫妻の生き様に、改めて祈らずにはいられなかった。


「……よし。部屋を見て回ろう」


 アーシムはすくっと立ち上がり、ほのかに明るい部屋の中を歩き始めた。


 床の複数箇所には悪魔が空けた穴、そして奥にはアーシムが落下した穴がある。見上げれば天窓と、それを取り囲むように封印の術式が描かれている。


「おい、あれも骨じゃないか」


 アーシムが指を差した先には別の人骨が散らばっていた。人骨は部屋の隅でうずくまるように残っていて、服装はみすぼらしい庭師の格好をしている。


 素性不明の人骨のそばでしゃがみ、アーシムがそれを詳しく調べる。


「どうやら、これが老人の遺骨らしい」


『そのようだな。何か見つかったか?』


「ああ。こいつを腕に抱えていた……紙の束だ。日誌か、もしくは、」


『魔導書か』


「そういうことだ。迷うことはない、目を通してみよう」


 老人の遺骨から紙の束を取り出したアーシムは、経年劣化した紙が崩れないように細心の注意を払いつつ、一枚、また一枚とめくって読んでいく。


「内容はアラビア語で書かれていて、文章の言い回しは古い。装丁もなく、紙を乱雑に束ねているだけだ。売り買いしたものではなく、著者はこの老人自身だろう」


『そうだな。そして紙一枚に大小合わせて十数通りの魔術が記されている……マギ族の異端祭祀、死者の闊歩、血の毒……うむ。不完全なものもあるように見えるが、どれも残酷な手段で実現できる魔術ばかりだ』


 紙に記されていたのは怪しげな降霊術、毒の精製方法、とある部族に伝わる生贄の儀式などで、著者の酷薄な性格がかいま見えた。


「おい、この一文があの悪魔の召喚術じゃないか? 姿見えざる闇の眷属、星々より遣わされた血喰らいの使い魔と書いてあるぞ」


『間違いない。その文章に記されていることを実践すれば、あの悪魔を呼び出せるのだろう。勧める気は一切ないが』


「頼まれたってやるものか。それより、俺が知りたいのはこいつの素性だ。この老人の知識だけ知っても意味がない」


 劣化の激しい箇所も根気強く読み続けるが、なかなか老魔術師の情報に繋がるものがなく、諦めかけたその時だった。


「……! これは、記録か」


 ある紙に書かれていた文章を見て、思わずアーシムが呟いた。


『見つけたか、読んでみろ』


「ちょっと待て、新しい順に読み進めてみる……あの牧師夫婦の目を盗んで動くのは限界か。俺も賭けに出なければいけないだろう……か」


『シャーリア夫妻に隠して悪魔を呼び出すまでは良かったが、それが露見されそうになって焦ったか。書いている字も走り書きのように見えるぞ』


「そうだな。では、その前を読むぞ……飢え死ぬ前に牧師の世話になったのは幸運だった。しかし星の胞輩を御することは容易ではない。獣だけではなく、人間を食わせなければ満足しない……」


 その文章は魔術に関することではなく、老魔術師が体験したことを書き残していたものだ。


「それはそうと、どうしてこんなものを残す? 他人に見つかったら困るはずだ」


『さあな。狂人の考えることは分からぬ。だが古代エジプトでも、魔術を営む者はこのような自らの思いや行動の記録をよく残していた』


「不自然な習慣だ。何も得しない」


『ふむ……案外そうでもないかもしれん。人の道から外れた魔術師といえど、元は人間として生まれた赤ん坊だ。絶対的な孤独の中で正気から外れた研究を続けることは至難であり、自らの記録を残さなければ、早晩に自分の理性や記憶の境界線すら危うくなるだろう』


「己の意識を繋ぎ止めるためか」


『あくまで俺の推測に過ぎないが。して、さらにその前は何と書いている?』


 アーシムは紙に書かれている文章を追っていく。癖のある汚い文章だが、時間をかければ内容は理解できた。


 老魔術師の日誌には、シャーリア夫妻に警戒している旨と、どのように悪魔を召喚して利用するかの方策や思案が書きつづられていた。シャーリア夫妻の慈悲を利用し、村人たちの目を騙していた老魔術師の、この部屋の中で行っていた忌まわしい所業が明らかになっていく。


 そしてついに、アーシムとマヘスは重要な事柄を書き残した文を見つけた。


『む、これは……!』


「当たりだな……我が道しるべ、アル・アジフに記された秘術と書かれている。つまり、こいつはアル・アジフを知っていた。それどころじゃない。一時期とはいえ、アル・アジフの写本の一部を所持して研究していた……!」


『原典はエジプトの奥に隠され、すでにそれはお前が破壊している。こいつが所持していたのは、アブドゥル・アルハザードが紙を媒体にして遺した、書籍のアル・アジフの一部だろう。他になんと書いてある?』


「ちょっと待て。小さい字でぐちゃぐちゃと書かれているから、読みにくいんだ……あった! ヴェネツィアのことも書いてある……写し書きを都市の商人たちに流し、流布することに成功した……やはり、この老魔術師はヴェネツィアで魔導書の写しを広めていた。しかもよりによって、あのアル・アジフの内容を広めるとは、何が目的だったのか……」


 探し求めていたアル・アジフへの糸口が、ギイを巻き込んだヴェネツィアの事件と結びついた。ヴェネツィアの裏で出回った魔導書の正体は、この老魔術師が所有していたアル・アジフの一部を写したものだった。


 思いもよらぬ大きな収穫に喜ぶアーシムだったが、とある一文を読んだ時、紙をめくる手を止めた。


『どうした?』


「……アル・アジフを奪われた。我が魔の礎、深き境地に至るための道しるべ、黒衣の集団に……だと?」


 アーシムが読んだ内容を聞き、マヘスも言葉を失った。


『どういうことだ、持っていたアル・アジフを奪われただと?』


「黒衣の集団に奪われ、その後に流刑されたと記されている。かなりの怒りだったのだろう、字がさらに乱雑になっていて、筆圧も強い。アル・アジフの一部を奪われたことがよほど悔しかったらしい」


『ああ。そして問題なのは、黒衣の集団だ。5年前に老魔術師からアル・アジフを奪った勢力がいたということだ。それはギイに焼き印を刻んだ組織か、それとも別の何かか……』


 それからしばらく老魔術師の日誌を読み進めたところで、アーシムは紙の束を荷袋に入れて立ち上がった。


「こいつに関する情報は、この紙の束を持っていけば事足りる。あとはこの教会にある諸々を調べてから、この村を出て……ヴェネツィアに渡ろう」


 アーシムは静まりかえった部屋を出ていった。その後、残された夫妻の骨はフィッチたちが弔い、彼らの手で教会は再びかつての美しさを取り戻すことになる。


 村の将来を担うフィッチたちに別れを言わず、アーシムは静かに村を去った。


 すでにアーシムの目は、島の北にあるイタリア王国の本土ーーーギイの待つヴェネツィアへ向いていた。

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