第18話~惨劇の真実~
静まった工房の中、焼き窯の薪がパチパチと断続的に弾ける。
椅子に座っているギュンターと、彼の目の前に膝をついて質問を迫るアーシムが対峙する。フィッチはアーシムの後ろに立ち、2人の様子を見届けている。
すでにギュンターの酔いは醒め始めていた。観念したようにため息をつき、酒を注いでいた器を床に置いた。
「それで、俺は何を話せばいいんだ?」
ギュンターがアーシムに聞き返す。
「そうだな……悪魔に餌を与えることになった経緯や、そのほかのことを詳しく聞きたいところだが、あいにく今は時間がない。フィッチから聞いたが、お前はあの夜に教会へ突入したそうだな」
「ああ、そうだ」
「では、そこから話せ。教会に押し入り、なぜ逃げ帰ったか。その時に目にしたものを重点的に教えろ」
「……わかった」
ギュンターは一度、焼き窯の方を見た。火の勢いはまだあるが、近くに積まれている薪を窯にくべて、さらに火の勢いを強くさせた。
「牧師夫妻が雇った異国の老人が、悪魔を呼び起こした元凶だと思い、俺たちは教会に押し入った。ほぼすべての村人たちで教会に押しかけ、夫妻にあの老人を村から追い出そうと訴えたが、夫妻は聞き入れなかった」
しわがれたギュンターの声が工房に響く。5年前に起こった出来事を詳細に思い出しながら、ギュンターは話し続ける。
「俺やアンダーソン、力に自信のある者が真っ先に動いた。今すぐにでも老人を追い出さなければ、みんなが悪魔の餌になると思っていたから、牧師夫妻の声は全く耳に入らなかった。行く手を遮ろうとした牧師を押し退け、俺たちは2階に上がり、あの扉を目の当たりにした」
「扉、とは?」
「怪しげな模様が描かれた不気味な扉だ。元々はただの空き部屋だったはずで、そこを老人に寝床として貸しているとは聞いていたが、まさかあんな模様が描かれているとは思わず、さすがに俺たちも一度立ち止まった」
模様と聞いたアーシムが眉をひそめる。ギュンターに嘘をついている素振りはなく、おそらく本当のことをありのまま話しているのだろう。
『マヘス、扉に模様ということは、魔術が施されていたということか?』
『そうだろう。問題はそれが老人が描いた術か、シャーリア夫妻が描いた術か、だ』
さらにギュンターの話は続く。
「しかし俺たちは止まらなかった。この部屋に老人がいると分かっているなら、ここで叩き出さなければいけないと思った。誰も逃げ出してない今だったら、恐れず行けると思ったんだ」
ギュンターは視線を動かし、アーシムが腰に差している剣を見て、さっと目を背けた。不自然な動きだったが、アーシムはそれに触れず、黙ったままギュンターの話の続きを待った。
「先頭のアンダーソンが扉を開ける直前に、階段を上がってきた牧師夫妻が何か叫んだ。しかしその声をよく聞きとる前に扉が開き、俺たちはその殺気立った勢いのまま部屋へなだれ込んだ」
話していたギュンターがうつむく。強い恐怖が老いた顔を歪ませている。
「部屋には、あの老人がいた。空き部屋の奥にうずくまりながら、低い声で呻いていた。俺たちはそいつとまともに話したことがないから、その薄気味悪い呻き声が、初めて聞く声だったが、もはや俺たちは細かいことを考えられなかった。持っている武器を構えて、すぐに部屋の奥にいる老人を囲もうとした……だが……」
「……何があったんだ?」
アーシムがうつむくギュンターの顔を覗き込む。ベルと同じく、話していくにつれてあの夜の恐怖が去来するのだろう。あまりに鮮烈でおぞましい恐怖の記憶が、老いたギュンターの表情を、泣きそうな子どもの顔つきにさせていく。
「俺たちが、部屋に入った途端、笑い声が聞こえてきたんだ。今でも、夢に出てくるくらい覚えている……」
「笑い声だと?」
「ああ……小さな子どものような、クスクスとこぼれるような声だ。はじめは空耳かと思ったが、その声はだんだんと、俺たちの後ろまで迫ってきていた。すぐに振り返ったが、誰もいない。そうして胸を撫でおろそうとした時、隣にいた仲間の目玉がグルリと裏返った」
目を閉じて震えたまま、ギュンターは言葉を絞り出していく。
「驚いた俺が声を上げる前に、みるみるうちに仲間の男の顔がやつれて、その場に倒れた。がくがくと痙攣したそいつは餓死したみたいにやせ衰えて、着ていた服も、元の人間が着ていたとは思えないほど大きく見えた」
「悪魔が待ち構えていたということか」
「そうさ。悪魔はあの部屋の中で俺たちを待っていた。誰かが上の方を指さして、腰を抜かした。俺たちはその先を見ると、血の色をした悪魔が、そこにいたんだ」
「どんな姿をしていた? ゆっくり話せ」
「……おとぎ話に出るような悪魔の姿ではない。尻尾や羽根はなく、それどころか、顔もなければ、手足がどこかさえもわからない。波打つ無数の管が集まっている体に、何本かの鎌のような爪が伸びていた。あんな動物は見たことがない。ぴくぴくと絡みついている管だけでできている生き物なんて……」
怯えているギュンターの肩に、アーシムが左手を置いた。マヘスが宿る左手から、わずかながら力が漂う。5年前に目にした悪魔の恐怖につぶされそうになったギュンターの精神が、マヘスの力により持ちなおした。
アーシムがギュンターに語りかける。
「わかった、もういい。悪魔のことは話さなくても充分だ」
アーシムにそう言われて落ち着きを取り戻し、ギュンターはこくこくと頷いた。
「ならば、最後の質問だ。悪魔に襲われたお前たちは、どうやってその場から逃げた? そして、シャーリア夫妻はどうなったのだ?」
シャーリア夫妻の最期を聞きたいとアーシムに言われ、ギュンターはフィッチの方を見た。フィッチは腕を組んだままギュンターの方を見ているが、その顔には先ほどより強い緊張が走っている。
ギュンターはフィッチの顔から視線を外し、うなだれた。
「俺は、シャーリア夫妻に謝らなければいけねえんだ」
絞り出した言葉には、深い後悔が滲んでいた。今にも嗚咽しそうな声で、ギュンターは話していく。
「悪魔に襲われた俺たちは、慌てて部屋を出ようとした。すでに何人も血を吸われて殺され、俺たちは泣き叫びながら、走り出していたんだ。でも、シャーリア夫妻は違った。俺たちが逃げ出す前に部屋へ入って、悪魔の目の前に立ちはだかったんだ」
「……!」
あの時、シャーリア夫妻は悪魔と対峙した。その事実を知ったフィッチの顔は驚きで固まっている。5年間知りえなかった恩師の最期を聞き、にわかにフィッチの胸が騒ぎ始める。
「シャーリア夫妻が何かを叫ぶと、悪魔の動きが止まったんだ。腰を抜かした俺たちが逃げようともがいている間も、夫妻は何らかの方法で悪魔を苦しめていた。今、思えばよぉ……扉に描かれていた模様も、夫妻が悪魔を閉じ込めるためのおまじないだったかもしれねえ……」
「つまり、お前たちが悪魔に逃げ道を与えてしまった。それでもシャーリア夫妻は悪魔と戦い、その果てに命を落としたというわけか?」
アーシムがそう尋ねると、ギュンターはわずかにためらいを見せてから、小さく首を振った。
「俺たちは、シャーリア夫妻が死んだところを、見てねえ……」
含みのあるギュンターの言い方に、アーシムは首をひねった。
シャーリア夫妻が悪魔に殺される前に逃げたというのなら、逃げたからわからないと言えばいいはずだ。それなのにギュンターは、今にも罪悪感で押しつぶされそうな顔をしていて、ひどく血の気が引いて青ざめている。
「もしや、お前……外から塞いだのか?」
アーシムの問いにギュンターがびくりと体を震わせた。
「その場からすぐ逃げたのではなく、戦っているシャーリア夫妻がいる部屋を、外から塞いだ後に逃げたのか」
「ち、違う! やったのは俺じゃない! アンダーソンが今のうちに塞げと言って、それで……!」
ギュンターが言い終わる前にフィッチが踏み出し、座っているギュンターの腹を蹴り飛ばした。アーシムが止める間もなく、ギュンターが床に転がって呻く。
フィッチの顔はあまりの怒りで蒼白になっていた。敬愛していた夫妻を見捨てたどころか、ギュンターたちは夫妻を悪魔の囮にして逃げたのだ。フィッチの怒りが一瞬で頂点に達したのも無理はない。
「もう思い残すことはねえだろ、くそじじい。今すぐ殺してやる」
「ごほっ、ま、待ってくれ……俺は……」
「うるせえっ!」
さらに拳を振り上げたフィッチだったが、アーシムがその手をつかんで止めた。
「離してくれ……こいつだけは……!」
なおもフィッチはギュンターを殺そうとするが、アーシムもフィッチをつかんで離さない。
「フィッチ、それでいいのか?」
「なんだと……?」
アーシムの問いに、フィッチの怒りがほんの少し揺らぐ。
「シャーリア夫妻はお前に読み書きと絵を教えた。そこらの子どもでは一生教わらないような知恵を、お前やワードたちに植え付けたのだ」
「それが、なんだっていうんだ」
「言っておくが、俺はお前の復讐を止めはしないぞ。どうしてもというなら、後でギュンターやアンダーソンたちを好きにすればいい」
鋭い視線をアーシムはぶつける。フィッチはその力に押されて、アーシムの手を振り払おうとする力が弱まる。
「だが、これだけは覚えておけ。シャーリア夫妻はお前たちにとびきりの知恵を授けた。すでにお前の手は些末な人間の命を散らすものではない。それをわかった上で殺すなら、俺は咎めない」
アーシムの忠告を聞いたフィッチの目から、次第に怒りが薄れていく。夫妻を失った怒りや悲しみは残っているが、殺意に塗れた表情は消えていった。
うなだれていたフィッチの頬を伝って、涙が床に落ちる。
「あんまりだ……サレム牧師も、ランダさんも、村のために戦ったのに……」
歯を食いしばり涙をこぼすフィッチを、アーシムが腕に抱きよせる。
「泣くな。2人のために、まだやれることがあるだろう。教会を取り戻すと誓ったのではないのか」
アーシムの言葉にフィッチは頷き、袖口で乱暴に涙を拭いた。
「……ああ!」
「それでいい。お前が立派になれば、シャーリア夫妻も安らげる」
フィッチに微笑んでから、アーシムはギュンターのもとへ向き直る。
アーシムはフィッチのような殺意は湧かないが、夫妻を囮にして逃げた事実は到底許しがたい。腹を押さえてうずくまるギュンターの近くにしゃがみ、冷徹な声でギュンターに問う。
「聞きたいことはあらかた聞き終わったが、まだ大事なことを聞いていない」
「う、うぅ……ごほっごほっ! …な、なんだ……?」
苦し気に息を吐くギュンターの目の前に、冷酷な威圧感を帯びたアーシムの顔がある。もはや先ほどのような落ち着いた雰囲気ではない。何か言い間違えれば容赦しないという意思が伝わってくる。
アーシムはフィッチを制止したが、シャーリア夫妻を囮にしたことに対する義憤は同じだった。
「具体的なことだ。夫妻はどうやって悪魔と戦っていた? 見えない悪魔と戦うには何らかの工夫があったはずだ」
「工夫と言われても……」
「なんでもいい。たとえば、悪魔を見分ける方法などだ」
ギュンターはアーシムから視線を外して、何か考え始めた。それからすぐにはっとした顔をして、話し始めた。
「そうだ、悪魔は映るんだ。直接は見えなくても、磨かれた鉄や、鏡のようなものには映っていた」
「ふむ……先ほど、お前は俺の剣を見て戸惑っていたな。あの夜、悪魔が鏡に映ることを知ったのか」
「あ、ああ、そうだ。血を吸った悪魔の姿を見たが、その血の姿はすぐに薄れて消えたんだ。また誰かが殺されれば姿が見えるが、同じように悪魔は姿を消す。けど、俺があの部屋で逃げ回っている時、誰かが落とした銅貨に、悪魔の輪郭が反射して映ったんだ」
「それは間違いないな?」
「本当だ! その証拠に、シャーリア夫妻もガラス細工を掲げながら動き回っていた。あの時は必死だったから意図がわからなかったが、少し経ってから、悪魔は反射して映ることに気がついた。だから、俺は、まともに鉄を覗き込めなくなった……」
鉄を打つ職人として、磨き上げた鉄を見ることができないのは致命的だ。フィッチはギュンターが酒におぼれ、ほとんど仕事をしなくなった理由を知らなかったが、鉄をまともに見つめられないと聞いて合点がいった。
聞くべき情報を全て集めたアーシムは、立ち上がって玄関の方へ歩き出す。フィッチもその後ろに続き、玄関の扉を閉めて出ていった。
薄暗い工房の中にただ一人、ぐったりと憔悴したギュンターだけが残っていた。
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