第16話~奪われた子どもたち~
若者たちに捕縛されたアーシムは、村の北側へ連れていかれる。手首と首には縄が締められ、下手に逃げようとすれば絞め殺されるだろう。
だが、アーシムにとって今の状況は何も危機ではない。虎穴に入らずんば虎子を得ずという故事があるように、あえて捕らえられたままでいることで、この村と悪魔の関係を追いやすくなると判断したのだ。
先導する背の高い若者は時々振り返り、そんなアーシムが妙な真似をしないか確認しつつ歩く。
アーシムを取り囲む他の若者たちも、アーシムが突然逃げ出さないように見張りながら歩いているが、一切抵抗せず歩みを進めるアーシムの意図が理解できず、不気味さを感じていた。
そして若者たちがアーシムを伴って着いたのは大きな納屋だった。古びているが堅固に造られており、階層は2つに分けられ、上の階へ行く梯子が掛けられている。
「こっちだ。ほら、来やがれ」
背の高い若者は梯子を登らず、そのまま納屋の1階奥へとアーシムを引き込んでいく。納屋の中には木箱や干し草、壊れた農具などが転がっており、納屋自体は広いものの、思った以上に入り組んでいる。
「おい、この柱に縛り付けろ」
先導した若者が納屋の中央奥にある柱を指し示すと、残りの若者がアーシムを座らせ、首と手の縄を柱にきつく縛り付けた。
柱に縛られたアーシムは、あぐらをかいた体勢で若者たちを見上げる。この4人の若者たちは手に鍬や手斧を持っていて、まとめ役の背の高い若者だけは、鋭い視線でアーシムを睨みつけている。
「いいか、何も抵抗するな。大声も上げるな。俺が聞いたことに答えろ」
しゃがんでアーシムと目線を合わせ、背の高い若者が問い詰めてきた。見た目でアーシムが外国の人間だと気づき、短く、聞き取りやすい単語で話しかけている。
アーシムはまだロマンス語が堪能ではないが、複雑過ぎない言葉なら聞き取れる。
「お前の名前は? どの国からやってきた? まず、それに答えろ」
「……アーシム。南のファティマ朝から来た」
聞かれたことを答えると、わずかに若者たちが驚いていた。アーシムが素直に話したこともそうだが、単純ながらもロマンス語を話したことに驚いたのだ。
「アーシム、か……やっぱりサラセン人だったか。お前は、なぜあの廃屋にいた?」
若者がさらに聞くと、アーシムは少し考えてから答えた。
「悪魔について調べるためだ」
アーシムの答えによって、その場に緊張が走った。明らかに若者たちの顔がこわばり、質問した背の高い若者は静かな怒りをあらわにした。
「アーシム、お前は悪魔の手先か? あの老いた男の仲間か?」
質問する若者の右手には手斧が握られている。下手な答えで怒りを買えば、有無も言わさずアーシムの脳天へ斧を振り下ろすだろう。
アーシムは臆さず若者の目を見て答えた。
「この村から出た、ベルという女から大体の話を聞いた。俺は悪魔を滅ぼして、教会を調べなければならない。俺にも、大事な目的がある」
ベルの名を聞いて、若者たちは顔を見合わせた。自分たちが捕まえた正体不明の外国人が、まさかそこまで村の事情を知っているとは思わなかったようだ。
取り巻きの若者の1人が、背の高い若者に声をかけた。
「なあ、フィッチ……この男は悪魔の手先なのか? ベル婆さんのことを知っているし、悪い異国の人間でもなさそうだし……」
アーシムに対して冷静な見解を話した若者だったが、フィッチと呼ばれた背の高い若者は即座に睨み返した。フィッチはなかなか警戒心が強く、まだアーシムを信用していない。
「本気で言っているのか?」
「え?」
勢いよくフィッチが立ち上がって取り巻きに問うと、全員が困った顔をした。
「あの時、俺たちはまんまと騙されただろう。お人よしの牧師夫妻を騙して、あの教会に住み着いた異国の人間に! そして、すべてを奪われた!」
フィッチの鋭い指摘により、取り巻きの若者たちが一様に深刻な顔をする。今ここにいるアーシムに対して再び警戒心を抱くというより、まるで触れがたい悲しみを思い出したかのようだ。
その様子を見たアーシムは違和感を覚えた。
ベルはあの夜の出来事で恐怖を覚え、その難を逃れるために他の集落へ移住した。ベルと同じく、そうやって住む場所を追われた者は多いだろう。
しかしフィッチと若者たちは今もこの村に住んでいて、住む場所や生活は奪われていない。さらに、もし悪魔による支配を受けいれているのなら、すべてを奪われたという怒りは抱かないはずだ。
場の空気は剣呑としているが、そこへアーシムが切り込む。
「俺が悪魔の手先なのかどうか、その判断は後で良い。答えてほしいことがある。なぜ、あの廃屋にウサギ用の檻が用意してあった? 悪魔に餌を食べさせることがこの村の掟で、それがお前たちが務める役割なのか?」
アーシムの疑問はこの村の核心を突いたようで、すぐさまフィッチが声をあげる。
「馬鹿なことを言うな! あの悪魔に餌をやるなんて、愚かなことだ! 神に誓ってそんなことするもんか!」
「わかった。少なくともお前たち4人の仕業ではないことはわかった。じゃあ、教えてくれ。あの教会で起こったこと……ベルが話していた、あの老人を追い出そうとした夜のことを」
「……ッ、なんでお前なんかに」
「お前はすべてを奪われたと言っていた。あれこれ詮索するのは性に合わないが、お前たちが悪魔によって大事なものを失ったのなら、俺がそれをいくらか奪い返してやれるかもしれん。全部とまでは保証できないが……」
アーシムとフィッチの目線がぶつかり合う。フィッチの瞳は純粋な悲しみと怒りを湛え、対してアーシムの瞳は確固たる意志を帯びている。
無言のまま見合った両者の様子を、取り巻きは息を飲んで見守っている。
先に息を吐いたのはフィッチだった。アーシムの説得が通じ、あの夜に起こった出来事の仔細を話す決心がついたのだ。
「……アーシムだったか。あの教会のこと、どこまで知っている?」
「ベルからは、流刑者の老人が牧師夫妻を頼って、そこに住み着いたと聞いている。あとは、悪魔が目撃されはじめ、ついにあの夜の出来事が起こったところまでだ」
アーシムが答えると、フィッチは再びアーシムの目の前に座りなおした。
「そうか。まず、あの教会にいた牧師のことから話さなければいけないな」
「聞かせてくれ」
「ああ……かつて俺たちは、あの教会にいた牧師夫妻、シャーリア夫妻に読み書きを教わっていた。あの夫妻は元々は異国の旅人でな。若い時は夫婦で色々な国を旅して回り、俺たちが生まれるずっと前に、昔の村長たちと打ち解けて村に住み始めたらしい。教会の本棚には、様々な国の面白い本がたくさんあった」
話し始めたフィッチの顔はわずかに和らいでいる。教会にいたシャーリア夫妻という牧師は、フィッチたちにとって重要な人間なのだろう。
「夫のサレム牧師は、背が高くて、厳格な人だった。けど、俺たちはサレム牧師に読み書きや生活の知恵を、丁寧に教わった。妻のランダさんは絵がとても上手で、色々な花を枯らさず綺麗に育てることができる人だった。俺たちはランダさんの書いた花の絵が、大好きだった」
フィッチがシャーリア夫妻のことを話すたびに、他の若者たちの胸にも思い出が去来しているようだ。誰もが無言だが、唇やまぶたがかすかに震えている。
「俺は周りにいた大人が嫌いだった。親父の言うがままにあくせく働くよりも、サレム牧師に本の読み方を教わって、ランダさんの横で花の絵を描く一日が好きだった。ここにいるやつらも似たようなもんで、家に帰るより、教会で過ごしたいと思っていた子どもばかりだ」
「その夫妻は、とても慕われていたのだな」
「そうさ。他の大人たちは良い顔をしなかったが、少なくとも俺たちは、シャーリア夫妻を心から信頼していた」
昔を懐かしむフィッチの顔には、どことなく影が差している。流刑者の老人が現れてから起こった出来事が、その温かい思い出を塗りつぶしてしまったと窺える。
少し沈黙してから、続けてフィッチは口を開いた。
「……流刑者の、老いた男がこの村に来たのは5年前だったよな。あの時の俺たちは、まだ幼かった。大人たちは『危ない外国人が来たから、話しかけるな』とばかり言っていたが、シャーリア夫妻が保護したのなら、まったく顔を合わせないということもできない」
「では、その男と会って話したことがあるのか」
「はじめは怖くて誰も話しかけなかった。けど、月日が経てば子どもでも慣れるものだろう。少しは挨拶を交わすこともあった。あの老人も、普段は黙々と教会で下働きをしていたから、素性はよく知らないままだったがな」
「そして、次第に小動物の死骸が出るようになり、ついに人が死んだ。そこから悪魔がいるという話が広がったのか」
アーシムの言葉にフィッチは頷いた。
「動物の死骸が出てから、日が落ちる前にみんな家に閉じこもるようになった。悪魔は夜の道に出ると言われていたから、俺たちも遅くまで遊ばないようにしていた。それから数日経ったある晩……ふと教会の方が気になった俺は、窓を少しだけ開けて、夜の教会を見た。サレム牧師はいつも遅くまで本を読んだり、聖書の写本も行っているから、その明かりが見えると思ったんだ」
フィッチはうつむき、その時のことを後悔していると呟いた。
「そして、教会の上……尖塔がある方に、空飛ぶ影が見えたんだ。生き物の血を吸い尽くす悪魔がいるという話があったから、俺はそれを思わず親に知らせてしまった」
ベルの話では、窓から教会へ逃げていく悪魔が目撃されてから、騒動が大きくなったという。
無論、いずれ誰かが見つけなければ、悪魔はのさばったままだっただろう。しかしフィッチは、騒ぎを大きくしたせいで牧師に迷惑をかけてしまったことを悔いている。
「どうして悪魔が教会の方へ入ったのか、俺にはさっぱりわからなかった。すぐに大人たちは教会に住み着いた老人が怪しいと言った。外国の人間は、俺たちにはわからない方法を使って悪魔を呼び、夜な夜な人の血を吸うのだと噂していた」
「その時、お前たちは変わらず教会に通えたのか?」
「最初は通えたが、悪魔を見た人間が増えていくにつれて、もう教会へ行くなと親に止められた。他のみんなも、近所に住んでいた大人たちなどから言いつけられて、昼間はひたすら農作業や漁の手伝いをするだけになった」
そこでフィッチは息を吐いた。その褐色の瞳には熱がこもっている。とうとうこの話の核心、教会が閉ざされた夜のことを語るのだろう。
「教会が閉ざされた日、あの日は大人たちの様子がおかしかった。誰もが張り詰めた顔をしていて、何かを隠しているような素振りをしていた。それがどうしても気になった俺は、ある大人たちがこの納屋の中で話していることを聞いてしまったんだ」
「何を、話していたんだ?」
「今日の夜に、教会にいる下働きの老人を追い出そうという話だった。動ける大人たちが武器を持って教会を取り囲み、シャーリア夫妻に老人を追い出すよう訴えると。そしてもし夫妻がその要求を拒否しても、強引に教会へ押し入って、老人を引きずり出してやると言っていた」
「なるほど、昼間のうちに示し合わせておいたのか。子どもに教えなかったというのは、シャーリア夫妻に肩入れすると思ったからだろう」
「ああ、俺もそう思っている。大人たちは俺たちに隠し通して事を進めようとしたようだが、俺は大人たちに見つからないように教会へ向かい、窓からシャーリア夫妻を呼んだ。先にシャーリア夫妻に知らせておけば、老人の処遇はともかく、シャーリア夫妻が危ない目に遭うことはないと思ったんだ」
フィッチは目を閉じて天井を仰いだ。歯をぐっと噛みしめてから、鼻から息を吐いて話を続けた。
「外から窓を開けて呼びかけると、ランダさんが出てきた。俺はこの納屋で盗み聞きした話をすべて教えて、ランダさんに逃げようと言った。あの老人も得体が知れないし、村の大人たちだって何をしてくるかわからないから、サレム牧師とランダさんは一足先に逃げてほしいって言ったんだ。けど、ランダさんは首を振った」
「なに?」
「ランダさんの顔は青ざめていた。俺が話したことに驚いていたし、顔を出した時もすでにとても悩んでいる表情だった。俺は心配でたまらなかったけど、ランダさんは俺の言いたいことがわかったみたいで、念押しするように再び首を振り、すごく真剣な目で、俺にこう言ったんだ。『みんなには、大人たちの言うことを聞いて、今夜は家から出ないように伝えてほしい。私とサレムのことは心配しないで』と……」
「……シャーリア夫妻は、村人が教会に集まることを知っていたのか」
「そうだ。俺が確かに伝えたからな。結局、ランダさんは俺に家へ帰るよう言いつけた。夜になると、聞いた話の通りに大人たちが教会へ押しかけ、俺は家の窓からその様子を見ていた。しばらくして叫び声が聞こえ、全員が散り散りに帰ってきたんだ。突然逃げ帰ってきた理由を聞いても誰も話してくれなかったから、その日からずっと俺たちは大人の様子を見張っていた」
「そしてあの時のことを、知ったわけだな」
「ああ。はじめは信じられなかった。天井から雨のように血が降るなんて、あまりに唐突な話だったからな。けど、教会に押しかけた大人たちは本気で怯えていた。子どもに対する嘘や建前ではなく、大人同士で話しながら、もう教会へは近づきたくないと震えていたんだ。それ以来……俺たちは教会へ入ることができずにいる」
今の話を聞いたアーシムは、フィッチたちが慕っていたシャーリア夫妻が、何を考えて老人を雇い、教会へ向かい入れたのだろうと疑問に思った。
状況的には、明らかに老人が原因で悪魔が現れたと予想できる。しかしベルの話を聞くところによると、あの晩のシャーリア夫妻は老人を引き渡すことを拒否したという。
聖職者として村人たちから老人を守りたいと思ったのかもしれないが、ただ拒否すれば、興奮した村人をさらに逆上させてしまうことは容易に想像つく。老人の立場を守りつつ騒ぎを収めるならば、老人をしかるべき場で発言させるように促し、それを村人たちに約束させる方が賢明に思える。
アーシムはその場の状況を実際に見たわけではないが、どうも腑に落ちない。さらに言えば、フィッチが村人たちの計画を事前に知らせてくれたのならば、先に村人たちに対して、老人を問いただす場を設けようと提案すれば話は違っていたはずだ。
村人たちにしても、直接教会に押しかけることに勇気が要ることだっただろう。追い出すにしても、自分たちに危険が及ぶ方法をとることは避けたかったはずだ。
『マヘス、どう思う? シャーリア夫妻は、村人たちが押し寄せてくることをフィッチから聞かされていた。突然村人に押しかけられて、老人を引き渡すことをとっさに拒否したのではない。事前に村人が来ることを知ったうえで、老人を引き渡さないという判断をとったということだ。こうなると話が変わってくるぞ』
『まだ、その牧師夫妻の真意はわからん。もしも牧師夫妻が老人と手を組むような人間だったならば、老人をかばった一連の行動に説明はつくのだが……』
『本当にそう思うのか?』
『いいや。話を聞く限りでは、その牧師夫妻はいたって善良な人間だったようだ。それに、子どもの目は本質をつかみやすい。知り合ったばかりの人間ならともかく、深い付き合いの人間の変化や好悪を見定める目は鋭い。牧師夫妻が悪辣な人間に豹変していたら、すぐにそれを敏感に感じ取っていたに違いない』
『そうか……ならば、実際に教会へ行かなければ真実は掘り起こせないか』
アーシムはマヘスとの話を終えて、フィッチの方を見た。フィッチや子どもたちは、あの晩は家から出なかった。後から大人たちの話を盗み聞き、教会が閉ざされた経緯を知った子どもらは、二度と牧師夫妻に会えなくなったことをどれほど悲しんだのだろう。
フィッチたちは敬愛しているシャーリア夫妻を失った。閉ざされた教会の中はどうなっているのかわからないが、すでに夫妻がこの世にいないことは自明の理だ。
代わりに悪魔は生き延びていて、今も教会の中に巣くっている。さらには、その悪魔に対して餌を用意している人間が、この村のどこかにいるのだ。
仮にアーシムが教会に乗り込んで悪魔を滅ぼしても、フィッチたちが奪われた思い出は戻ってこない。すでに起きた過去は、たとえ神でも取り戻せない。
しかし、アーシムは顔を上げて周りの若者たちに問いかけた。
「お前たちは、どうしてこの村に残ったんだ」
「……え?」
「敬愛してやまなかったシャーリア夫妻はもういない。この村でやりたいこともなければ、未練に思うことはないはずだ。なぜ村を出て、新たな生活を始めなかった?」
そのアーシムの言葉にフィッチは怒りを覚え、声を荒げた。
「てめえ! サレム牧師とランダさんがいないなら、さっさと村を出れば良かっただと? あの人たちのことを忘れて、のうのうと別の村で住むなんてことできると思ってんのか!」
周りにいる若者もフィッチと同じ怒りを抱いた。全員が鋭い目つきでアーシムを睨んでいる。
「すまない、悪いことを言った」
素直に頭を下げたアーシムに、若者たちの空気が幾分か柔らかくなった。フィッチはまだ怒りが消えていないようだが、アーシムは続けて問う。
「あの時、偶然居合わせた俺をお前たちは捕まえたが、そもそもお前たちはあそこに来て、何をするつもりだったんだ?」
「……俺たちは、確かめにきたんだ。ここ数年、村の人間の様子がおかしかった。言葉ではうまく説明できないが、大人たちは何かを隠しているような雰囲気だった。そして最近になって、そこにいるワードが、教会近くの廃屋に出かけていくやつを見つけたんだ」
近くに立つ若者の1人が頷いた。ワードと呼ばれたその若者は、アーシムに話し始める。
「村の人間は滅多に教会へ近づきません。俺たちもそうだし、他所の村から来た人間も近くを通らないくらい恐れられています。なのに、暗くなってから教会の方へ歩いていく人間を見たんです。毎日ではありませんが、数日に1回、捕らえた小動物を持っていくんです」
ワードが話し終えると、フィッチが話を続けた。
「明らかに怪しいと思った俺たちは、すぐに確かめるために行動に移した。まあ、お前みたいなやつに出くわすとは思わなかったけどな……」
はあ、とフィッチがため息をつく。だがアーシムはすかさず声をかけた。
「それだ」
「……なに?」
「ようやく俺はわかったよ。お前たちはあの夜にすべてを奪われたと言っていたが、まだお前たちが失っていないものがある」
「なんだよそれ……シャーリア夫妻はもういないんだぞ。俺たちにだって何もない。やりたいことも、守りたいものも……」
「違う」
アーシムの強い口調に、フィッチはハッと顔を上げる。
「お前たちは行動したじゃないか。確かめるためとはいえ、過去のことに蓋をせず、恐ろしい悪魔が住む教会の近くまで足を進めた。誇ってもいい。お前たちは夫妻のことを悲しむ優しさがあり、村の者が目を背けたことに向き合おうとする勇気がある。それは誰にも奪われていなければ、失われてもいない」
力強い叱咤の言葉が、フィッチを含めた若者たちの胸に響く。
さらにアーシムはフィッチたちに言い放った。
「今夜だ。夜明けまでに悪魔を滅ぼし、シャーリア夫妻とお前たちの思い出を、あの教会を取り戻す」
「なっ、今夜だと?! ……そんなこと、できるわけ……!」
「もちろん、俺だけならやれないこともある。だがお前たちが協力してくれるなら、俺も宣言したことを約束できる」
真っ向からフィッチを見据えていたアーシムがゆっくりと立ち上がる。
立ち上がったアーシムの背が一層大きく見えたのか、若者たちはわずかにアーシムを見上げている。
「はじめに言ったが、俺にも悪魔を倒さなければならない目的がある。どうだ、お前たちも俺のためではなく、シャーリア夫妻のために立ち上がってくれないか」
長らく変わらなかった現状が、目の前にいる人間の手で変わるかもしれない。しかし、悪魔は人を軽々と餌食にすることができる。
いまだ決心が追いつかない若者たちは、そんな恐怖と期待に揺らいでいる。
そこでアーシムが手に力を入れる。手首に縛りつけられた縄をよじり、引き伸ばし、ついには縄を引きちぎって、その手をそのままフィッチに差し伸べる。
驚きと恐怖に染まっていたフィッチの瞳が、爛々とした激情に塗りつぶされていく。
「本当に、悪魔を倒せるのか」
「ああ」
「シャーリア夫妻の教会を取り戻せるのか」
「そうだ。それからはお前たちの勝手だ。取り返したものをどう育むかは、お前たちの力で決めろ」
フィッチが差し出されたアーシムの手をつかみ、強く握り返す。
「何をやればいい?」
もはやその声に、やり場のない怒りや悲しみは残っていない。冷ややかだが、揺るがぬ決意が籠っていた。
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