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第15話~悪魔の姿~

 ハリルを集落に残して出発したアーシムは、マヘスを憑依させて驚くべき速度で北上していた。四足歩行とまではいかずとも、限りなく上体を屈めて疾駆する。その速さは野を駆る獣とさして変わらず、人が走る速度をゆうに超える。


 わざわざ憑依したのは先を急ぐという理由もあるが、それよりも重要なことがある。


『血を吸う悪魔の正体は俺でもわからん。取るに足らない悪霊かもしれぬし、俺に匹敵する神格かもしれない。ならば今のうちに憑依を慣らしておけ。準備をするに越したことはない』


 走るアーシムの中でマヘスがそう説く。憑依が深くなるせいで正気を失う危険性もあったが、アーシムもそれを納得して受け入れている。憑依が深くなればなるほど、マヘスの力を引き出せるという利点もあるのだ。


「もしも悪魔の力がお前に匹敵していたら、どうする?」


『なに、予定と変わらず排除するだけだ。匹敵するといっても、その可能性は限りなく薄い。そもそも俺に匹敵するほどの力があるのなら、村の教会の扉など容易く破壊して、一晩でこの島の人間を全て食い殺しているだろう』


「島の人間全てか。やはり神格となると規模が違うな」


『そうだ。ゆえに神を封印するということは並大抵の業ではない。そして、どういう経緯かは知らないが、その教会にいまだ悪魔が閉じ込められているのなら、やることは簡単だ。早々に教会に押し入って悪魔を滅し、その老人の遺留物を探せばいい』


「なるほど、それは単純だ。あとの懸念は、その老人がヴェネツィアを騒がせた魔術師なのかどうかという点だけだ」


『うむ。もしもヴェネツィアと無関係ならば、次の目的地は島の北西にある牢獄だ』


 教会に潜むと言われている悪魔についてマヘスと話し合いながら、アーシムは森や草原をまっすぐ突き進んでいく。時おり集落間を歩く島民が見当たったが、アーシムは巧みに草地や木陰に隠れてやり過ごし、誰にも見つかることなく北へ走った。


 1日半を費やして、アーシムはベルから聞いた村に到着した。すでに日は落ちかけて、曇った空はより暗くなっている。


 村の規模は大きく、湾の中にある港もそれなりに立派だ。家と家の間を通る道も広く、人が多かった頃は定期的に草が取り除かれていたのだろう。一目見れば村というよりも、漁港のある小さな町といっても差し支えないほどだ。


 しかし今は活気が感じられず、かつて栄えていた様子がかすかに感じられる。


 道にはところどころに深い雑草が生え、人が住まなくなったせいか、崩れかけたままの家がいくつもある。漁港には人っ子一人おらず、道を歩いている農夫がわずかに見受けられる。


 そして港とは反対側の、西の山を背にした丘陵の上には教会がある。教会の周囲に全く人気はない。それどころか教会の近くに建っている家は軒並み崩れ、まるで意図的に破壊されたかのようだ。


 アーシムがいるのは村の南外れにある林のきわだ。木と木の間から村の様子をうかがうだけで、今の村の様子がなんとなく理解できた。


「ベルから寂れているとは聞いたが、まさにその通りだな」


『うむ、これほどすたれた人里は長くは続かぬだろう。村の家々の様子から察するに、栄えていた時に比べて、住んでいる人間は半分と少しといったところか。こうなると、本土と行き来する船が来るかどうかも心配になってくるが……』


「その心配はしなくていいと思うぞ。漁村といっても港は大きく、今でも手入れされているようだ。ただ地元の人間が漁をするだけならば、ずっと汚く扱っているだろう。また本土の人間がこの島に来る理由として、この島にしかない資源を手に入れること以外に、島に他国の勢力が入っていないかどうか調べる必要もある」


『この島は軍事的な拠点になると?』


「いや、この島にイタリア王国が拠点を築く利点はほとんどない。島の人間に領土意識は低く、兵を送ったとしても王や教皇の威光に従う者は増えにくいだろう。そんな土地に軍を置いても大した戦はできない」


『ならば、わざわざ船を行き来させる必要はどこにある』


「なにもこの島で権力を強めなくてもいいというだけだ。適度に島の情勢を確認しておけば、島に他国の軍や海賊が蔓延はびこった時に、その情報を得て本土に知らせることができる。王国の外から来る勢力にいち早く気づくだけでも、本土が守りやすくなるからな」


『ふむ、領土と権力を広げるだけではないということか。あのエジプトや諸国を震撼させたかつてのローマ帝国とは大違いだ』


「大都市ヴェネツィアを有しているといえども、現在のイタリア王国は決して大国ではないからな。それに今やローマの後継と言えば東ローマ帝国か、北にある神聖ローマ帝国だろう。どちらもはるか昔のローマ帝国のような絶対的な力はないが、まだまだ繁栄著しい大国だと聞くぞ」


 そこで遠く雷鳴が響く。アーシムは小さいながらも不穏な轟きに気づき、すぐに東の空へ目を向けた。


「一雨降るか」


 今日も朝から夕方まで薄い雲が空を覆っていたが、東から流れてきている雲は一段と黒く、うねりながら西へと広がり続けている。日暮れとともに雨が降りそうだ。


『手早く済ませよう。村の人間に見つかるなよ、気づかれたら面倒だ』


「わかった。ならば、教会近くの廃屋まで走るぞ。そこからなら教会の様子が間近で窺えそうだ」


 アーシムは村の西にある教会と、その周囲を素早く確認する。丘の上に建つ教会の近くにも、教会を取り巻く廃屋や村道にも人の姿はない。


「行くぞ」


 すぐさまアーシムは走り出す。丘の教会までおよそ300mほどで、そこへ向かって一直線に駆け抜ける。


 誰にも見つかることなく廃屋の近くまでたどり着き、アーシムは廃屋の中を覗いて確認した。壁も屋根も穴が開いていて、家具なども残っていない。人が住んでいる気配はまったくなかった。


 アーシムは体を屈めたまま崩れた壁の隙間を通り、廃屋の中で一息ついてから、部屋の中を見渡す。


「古い民家か? しかし、何か妙だ」


『妙とは?』


「教会に近い家は恐ろしいから人が住まなくなり、こうして少しずつ寂れていく……それは分かるが、ならば打ち壊せばいい話じゃないか。廃屋とはいえ分解すれば貴重な木材だ。決して裕福ではない村なのに、わざわざ5年もそのままにしておく意味が解せない」


『あまりに恐ろしい出来事だったせいで、その日以来、誰も一切近づいていないのではないか?』


「ならば家具はどうして消えている? 恐ろしくてすぐに家を捨てるが、家の中にある家具全てを運び出す余裕はあったということになるぞ」


『ううむ、そう言われてみれば不自然だな』


 教会の近くに残っているいくつかの廃屋の存在は、アーシムとマヘスに疑問をもたらした。無論、悪魔を倒して魔術師の痕跡を調べるという目的にとって、それは大して重要なものではないが、口では説明しにくい違和感を抱いたのも確かだ。


「……教会に行く前に、もう一軒調べよう。向こうの廃屋も同じような様子か確かめたい」


『良いだろう』


 マヘスもアーシムの考えに同調し、急いで教会に向かうよりも、残された廃屋を調べてから方針を決めた方が良いと思った。


 再び辺りに人影がないか確認してから、アーシムは次の廃屋へ走った。


「見る限り、さっきと同じようだ」


 2つ目の廃屋も同じような造りで、案の定、家具は1つも残っていない。そして先ほどの廃屋よりも若干手狭な印象を受けた。


 壊れた壁の間を通って中へ入る。部屋を詳しく調べてみると、壁際に小さなテーブルがあり、そのテーブルの上には木製のおりが置いてあった。


「これは檻か? 狩人が小動物を捕らえるための……」


 日が落ちかけて暗くなっていたため、アーシムは目を凝らして檻の中を見る。近づきながら目に力を入れていくと、檻の中が見えた。


 中には、血抜きされたかのように干からびた野ウサギの死体があった。


 アーシムが何か言葉を発しようとする寸前、マヘスが先に叫んだ。


『上から近づいてきている! 教会側の方角からだ!』


 人ならざる存在の接近に気づいたマヘスの声に、アーシムも遅れず反応する。曲刀の柄に手をかけ、いつでも抜けるように構える。


 しかしアーシムは狼狽した。マヘスに言われた方向に目を向けても何も見えない。視界に映るのは崩れた屋根と、その屋根の上に広がる夕暮れの曇り空だけだ。


「おい、どこにもいないぞ!」


 アーシムは怒鳴るが、姿が確認できず狼狽したのはマヘスも同じだった。特にマヘスは超常の存在を知覚することに優れている。今も察知した方角からまっすぐ近づいてきているのは明らかなのに、その姿が一切目に映らないのだ。


『ちっ……横に飛んでやり過ごせ!』


 苦しまぎれにマヘスが指示すると同時に、アーシムは横に飛んで転がった。打つ手が思いつかなかったのはアーシムも同じだったのだ。


 横に避けたアーシムは直前まで自分がいた場所を見る。今もその姿は見えないが、そこへ重く柔らかい何かがぶつかったような音が聞こえた。


「例の悪魔か?」


『おそらくな。そして厄介なことに、姿を隠せるたぐいの存在らしい』


 それを聞いてアーシムは唾を飲んだ。


 マヘスの力が強力なのは疑いようもなく、たいていの悪霊や怪物ならば打ち倒せるだろう。しかし姿が見えない相手と準備もせず戦うのは、あまりに分が悪い。


「一旦、逃げるぞ!」


 背後には壁しかなかったため、アーシムは横の壁にあった窓の扉を拳で割って、そこから出ようとした。


 そこへ悪魔が襲いかかる。窓へ身を乗り出したアーシムの左脇腹に何かが突き刺さる。痛みを感じた次の瞬間、そこから無造作に血が吸われた。


「ぐっ?!」


 あまりに急速に血を抜かれた人間は、身体的にも精神的にも大きな衝撃を受ける。刺された時にすぐ反撃へ転じようとしたアーシムですら、この苦しさにより意識が遠のいた。


 だが恐ろしいのはそれだけではなく、脇腹から吸われた血は空中を流れていき、その血の流れが『悪魔』の姿を形作る。


 クスクス……クスクスクス……


 さえずるような笑い声とともに悪魔が姿を現す。元より無色透明な肉体にアーシムの血液が循環したことで、鋭利な吸血のくだにまみれた恐ろしい肉体の形が、血で赤黒く映るようになったのだ。


「こいつが、悪魔か……ッ!」


 うめくアーシムは不気味な悪魔の姿に驚いたものの、生きる活力が恐怖を瀬戸際で抑え込んだ。


 なおも悪魔の吸血器官はアーシムの血液を吸い尽くそうとしたが、その前にアーシムは脇腹に力を込め、自分に喰いついた悪魔の管を左手刀で叩き切った。


 ギュエエエエッ!!


 思わぬ反撃を受けて驚いたのか、吸血の悪魔は野太い叫び声をあげて逃げていく。アーシムの血をこぼしながら空へ飛び、その赤黒い影は教会の尖塔の方へ消えていった。


 少なくない血を一瞬で吸われたアーシムは、痛みと倦怠感でその場に膝をついた。傷口はかなり小さかったが、あの悪魔の吸血の恐ろしさを身をもって知った。


「教会へ逃げていく影だけが、目撃されたというのは……血に染まった悪魔が帰っていった姿を、偶然見ただけだったのか……!」


 アーシムは息も絶え絶えな状態で言葉を絞り出し、マヘスも苦々しい口調で述べる。


『悔しいが、俺も気づけなかった。悪魔は村人に目撃されているという話から、俺たちは悪魔が()()()()()()()()()()と決めつけてしまった……』


「とにかく、ここから離れるぞ。村の人間に見つかって騒がれる前に、村を出て手当てしなければ」


 刺された脇腹に手をあてがいつつ、ふらついた足取りでアーシムは壁の隙間から出ようとした。


「おい、動くな! そこで止まれ!」


 壁から出てきたアーシムの目の前に、4人の若者が待ち構えていた。


 全員が緊張した表情でくわや手斧を握っており、廃屋から現れたアーシムを油断なく取り囲んでいる。


『村の者か、蹴散らして逃げるぞ!』


 マヘスがそう叫ぶが、アーシムはマヘスの指示に従わなかった。


『だめだ、逃げるだけならいつでもできる。廃屋に悪魔のための餌があったならば、ただ教会に押し入るだけでは簡単に解決しないだろう。この村の裏を突き止め、できるだけ悪魔の情報を集めなければ』


『むう、しかし危険な賭けだ。村の人間が悪魔の支配下にあれば、このまま拘束され、餌にされるやもしれぬ』


『それが判明すればむしろ事が単純になる。まず村の者が悪魔の手先ならば、人間相手でも遠慮する必要がなくなり、あとは俺を喰おうとした悪魔を迎え撃つだけで終わる。手刀だけであの悪魔が傷を負うのなら、力ずくで倒すだけなら可能だろう……もっとも、それは最終的な手段だが』


『悪魔と、それにくみする敵を見定めるということか……良いだろう。ただし、もし危険だと俺が判断したら迷わず殺すことだ。忘れるな、お前が死ねば俺も終わりだということを!』


 マヘスを説得したアーシムは若者たちの言われた通り、動かず両手を前に出した。


 抵抗しないアーシムに4人の若者は驚いていたが、その中で頭一つ分は背の高い若者が前に出てきた。


「なんでここから出てきたのか、理由は後で聞いてやる。おい、お前ら! とっととこの男を縛って連れてくぞ!」


 粗雑な口調で命令した若者がまとめ役らしい。残った取り巻きの3人は、背の高い若者に言われた通りにアーシムの手と首に縄を巻き、アーシムを若者たちの後についていくよう命じる。


「さっさと歩け! 逃げようとしたら首の縄を締め上げるぞ!」


 日の沈んだ暗闇の中、まとめ役の若者が脅しながらアーシムを縛った縄を引っ張る。アーシムもほとんど抵抗せず、物言わぬ人形のように若者たちに連れていかれるのだった。

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