第11話~背中の焼き印・後~
過去のギイが受けた背中の焼き印。それを刻まれた裏には、魔導書を巡る陰謀と、ヴェネツィアの闇に蔓延る謎の集団が関係しているという。
同業者エモンに強い薬を飲まされて謎の集団に監禁されたギイは、その時の記憶をひとつひとつ思い出してアーシムに語っていく。
ーーー以下はギイの話した状況をそのまま記したものである。
「お前がギイか」
痩せた男は静かに名前を問う。男の背はとても高く、椅子に縛り付けられているギイは、峻厳な目つきで見下ろす男に畏怖を抱いた。
「ああ、そうだ」
気圧されないように腹を据えて、短い言葉でギイは答えた。
男は腕を後ろに回して腰で組んだまま、城郭の尖塔のように直立している。その姿勢のまま男はさらに問いかける。
「商人であるお前が、どうしてあの魔導書を追うのだ?」
その問いにギイは即座にうつむいた。酩酊した気分は抜けていないが、今はとにかく男から視線を外し、思考を素早く回したかった。
問いの内容だけ聞けば、この男が率いる集団が魔導書を所持している張本人に思える。エモンがギイを騙して拉致させたのも、ギイに魔導書を調査させたくなかったためだと考えれば、一応は筋が通る。
しかしギイを狙った理由がわからない。これだけ手の込んだ策を講じて、人員を使って、なぜギイだけを監禁したのだろうか。
普通なら魔導書を徹底的に探し出そうとしている商人が標的となるはずだ。ギイよりも調査に乗り気で、なおかつ資金力も影響力も大きい商人は何人もいる。
この集団の正体は不明だが、ギイは自分を捕らえた動機に疑問も持った。
「口が利けなくなったか」
黙ったまま顔を下げたギイの髪をつかみ上げ、目の前に立つ男が返事を要求してくる。感情の起伏は読み取れないが、男の酷薄な本性がかいま見えた。
「俺は別に、魔導書なんか追う気はない」
痩せた男の視線に目をそらさず、ギイは向けられた嫌疑を否定した。
「エモンから聞いた話とは違う。お前はエモンとともに魔導書を探すことを約束していたではないか」
その場にいた者たちに緊張が走る。この男が仲間内でよほど恐れられているのだと感じたが、それでもギイは口を動かし続ける。
「確かにエモンの話には乗ったさ。魔導書の噂が広まってから、ヴェネツィア中が殺伐としている。商売が上手くいかない同業者も増え、教会からいわれのない取り締まりが始まるようになった。だからヴェネツィアの商人の端くれとして、手伝うのもやぶさかではないと言っただけだ」
「同じことではないか」
「いいや。手を貸すことと、身を挺することは違う。魔導書があってもなくても俺自身に大きな影響はない。ヴェネツィアを良くするために相応の努力は払うが、いよいよ情勢が悪化すれば、逃げて別の町で商いをすればいいだけだからな」
ギイは毅然とした態度で答えた。取り囲む人間と目の前の男はみな不気味だが、下手にごまかそうとすればさらに窮地に陥ると踏んだのだ。
さらにギイは呼吸を整えて気を鎮めた。ここで臆して何も行動しなければ、さらなる深みへ引きずり込まれると思ったからだ。
「なあ、ここで逃がしてはくれないか」
釈放を乞うギイの言葉に一同が驚いた。目の前の男も意外そうに眉をひそめる。
「そのようなことを許すと思うか?」
「聞いてくれ、魔導書の噂が広まっても俺に痛手がないのはさっき話した通りだ。それに俺はまだ、あんたたちの正体を全く知らない。つまりここで俺を逃がしても、俺があんたたちのやる事を邪魔することはできない。だが、もしも俺が殺されて前触れもなく姿を消せば、さらにこの街の騒ぎは大きくなる。だったら穏便にことを済ませたらどうだ?」
ギイの言っていることはある程度筋が通っている。この謎の組織は魔導書に関わりが深いようだが、まだ何も知らないギイを始末するのはリスクが高い。今ならばギイをヴェネツィアから追い出せばそれで良いのでは、と考える者も徐々に現れてきたようだ。取り囲んでいいたうちの数人が、顔を見合わせて小声で話しだした。
その様子を見てギイはまだ望みがあることを悟り、さらに言葉を続けた。
「……頼むよ。俺はあんたたちに干渉しない。このまま、この街から出してくれ」
震えた声を絞り出してギイはうなだれる。小さな体がさらに縮こまり、その姿を見た人間はわずかに同情的な感情が芽生えるほどだった。
下に向けた顔をギイは小さく歪ませている。悲しみや恐怖はすでに飲み込みつつあり、無論のこと今の弱弱しい姿も巧妙な擬態である。この場を切り抜けるには自分に害がないと思わせることが重要で、そのためならギイはどんな芝居も手軽にやってのける。
問題は目の前にいる痩せた男だ。この男は周囲の人間を束ねていて、その冷徹さも明らかに頭一つ分飛びぬけている。男がギイを始末すると決心すれば、間違いなくギイは男の部下たちに抹殺されるだろう。
すべてはこの男の判断にかかっている。ギイは顔を伏せたまま、男の次の言葉を慎重に待った。
「お前の言うこと、確かに一理ある」
男の答えは意外にも肯定的だった。声こそ冷ややかだが、ギイの髪をつかみ上げた時のような恐ろしさは感じなかった。
望みがつながったとギイが見上げた途端、男が初めて薄く笑った。仮面を被せたかのような無機質な微笑を浮かべている。
「そして、気に入った」
男の手がギイの肩に触れる。何の変哲もない中年男の手に見えるが、手が乗せられた瞬間、ギイはそれが手ではなく怪物の舌に思えた。重みや質感、果ては臭いにいたるまでが尋常のものではないと感じたのだ。
「お前は賢い。この状況で生き延びる術を模索していた……また、お前は敏感だ。俺にとり憑くお方の気配を感じ取ったようだ」
言葉を紡ぐ男の手がギイの頬にあてがわれる。脈打っているのに温かさを感じない。まるで冷たい血液が巡っているかのような手のひらだ。
ギイの本能が警鐘を鳴らすが、どうすることもできない。身じろぎして近づいてきた手を拒むことすらできず、その手を受け入れることしかできない。
それは脅しや暴力などで感じる普遍的な恐れではない。
人間が触れてはならない。逆らうことなど恐れ多い。人が目にして耳にするモノではない超常の恐怖が、男の手から発せられている。
「お前はこのヴェネツィアから去らない。今夜より我々の一部になるのだ」
男の視線とギイの視線が空中で重なり合う。金縛りにあったギイは動けず、男が指示した部下になすがまま連れられていく。
部屋を出た先がどうなっていたのかはよく覚えていない。
ギイは自分の体を客観的な視線で眺めている気分だった。恐ろしい流れに飲まれそうになっている自分の姿を、少し高いところから俯瞰で観察している感覚だ。
そのような夢うつつの状態のまま、ギイの体は木製の頑丈な台にうつ伏せに縛り付けられた。拘束具は血の臭いが漂う革のベルトだ。粗末なつくりではなく、人を捕らえて傷つけるための本物の拘束具だ。
うつ伏せにされたギイは若干たじろいだが、半ば呆然とした意識で自分と周りの人間の動きを見ていた。生の執着は残っていたが、それよりも目の前で起こっている光景を眺めるだけで意識は精一杯だったのだろう。
顔を隠した者たちが、部屋の片隅にあった暖炉の前にしゃがみ込んだ。入ってきた時はあまり意識していなかったが、この部屋には多くの拷問器具が掛けられていた。
「火の様子はどうだ」
「まだだ。数年で消えるほどでは足りないからな」
その者たちは淡々と話している。残虐なことを平気で準備して実行する彼らは、果たしてギイと同じ人間なのだろうか。もしかしたら、顔を隠したフードをはぎ取れば凶暴な怪物や悪魔の顔を晒すかもしれない。
やがてギイの視界の端でフードの人間が立ち上がった。その手には鉄の棒が握られ、奇妙な造型が施された棒の先端は、真っ赤に焼けただれている。
別の人間がギイの服を破り、裸の背中を晒した。
これから起こることを理解したギイは歯を食いしばった。自分を拘束する器具すべてに綻びはない。どうあがいても破壊することは不可能で、せめて次の瞬間に襲い掛かる激痛を待ち構えることしかできない。
「ギイ、この焼き印は尊いお方を称えるものだ。お前もこの聖なる印の熱で目覚めるがよい。名づけざられし王の加護が宿る聖印だ」
焼きごてを持つ男が近づき、ギイの背中に先端を押しつけた。皮膚どころか肉にすら焼き目をつけようと、強く強く押しつけてくる。
「あっ、があぁあああっ! あああぁっ! うああああーー!!」
ぶすぶすと肉が焼ける臭いとともに激痛が走る。身じろぎして焼きごてを振り払おうとしても、別の人間がギイの胴体を押さえつけている。
一切の抵抗ができず、ギイは地獄のような熱さと痛みで叫び続けた。
焼き印が完成するまでの時間は、ギイにとって気が遠くなるほど長く感じた。実際はわずか十数秒だったが、その恐ろしい儀式は凄まじい苦痛のひと時だった。
「う、ぐっ………」
気絶する直前にギイは声を聴いた。それは取り囲む人間の声ではなく、あの痩せた男の声でもない。
無音となった意識の中でそれが頭上から語り掛ける。太い馬毛の弦が震えているような低い音調で、空間を振動させながらギイに言語を投げかける。
『私のもとへ来い』
人の言語を借りた何かが囁く。はるか遠くで鎮座している存在が送る思念が、ギイの脳髄を揺すって叩く。
ある意味心地良い響きがギイの精神に染みていくが、その声をギイは思考のすみへ押し込めようとした。あの痩せた男のもたらした恐怖とは比べ物にならない、ギイという存在を根本から染め変えるほどの思念だ。
『いずれまた呼ぶ。私のいる空を見上げよ、暗く、赤い、明けの一つ星を仰げ』
拒否する姿勢を見せたギイの様子を感じ取り、ギイに語り掛けてきた存在は一旦引き下がる旨を伝えた。
それが言い残した一つ星という言葉をギイは覚えているが、ギイはその日以来、夜明け前の空を見上げることを避けてきた。どれほど美しい夜明けであろうと、その空の中にはギイの心を縛り上げた絶対的な存在が潜んでいるのだから。
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