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パン屋のお菓子

作者: ゆみ

 ミーナの家は王都の表通りから少しだけ離れたところにある商店街の中にあるパン屋だ。父親がその師から店を引き継いだのはミーナが母のお腹の中にいる頃だからもう16年も前のこと。小さいながら二階建ての店舗は住居も兼ねている。

 パン屋の朝は早い…とよく言われるが、ミーナの家は違った。パンを仕込む父親だけは暗いうちから動き出していたが、母親とミーナはそうでも無い。パンが焼き上がる頃からが母の出番で、ミーナはその後から店に降りて行けば丁度よく開店に間に合う。


 多くの客がパンを求めて店を訪れるのは開店から昼過ぎまで。そこからパンがなくなる閉店時間迄は店番はミーナ一人でも問題がなかった。

 今日もいつものように昼過ぎに客の波が途切れると、母親は待っていたように買い物に出かけて行った。一人店番を任されたミーナは残り少なくなったパンをひとつの籠に集め始める。


「ミーナ、間に合った?」


 店の奥からそっと様子を覗き込んできたのは粉屋の息子のアランだった。


「あ~、残念!さっき最後のひとつがでたところよ?」

「そうなの?」


 アランは毎週木曜に粉を納めにパン屋を訪れ、その時に決まって同じパンを買うのだが、今日はあいにく間に合わなかった。


「来週はひとつ取っておこうか?」


 最近ではアランが来る頃には売り切れてしまうことも多く、その度に取り置きを提案するのだがアランはなかなかうんと言わない。


「…いいよ、気にしないで。今日は他のにしようかな。」


 アランは籠に並んだパンの中から普通の丸パンを選ぶと、ポケットから無造作にコインを出してミーナに渡した。


「丸パンでいいの?」

「うん、親父さんのパンはこのままでも美味いんだ。」


 その場でパンを噛じるアランは、笑いながら店の奥に入って行こうとするので、ミーナは慌てて引き止めた。


「もう帰るの?」

「次の配達もあるから、家に戻らないと。また来週来るよ!」


 仕事があるのならば引き止める訳にもいかない。


「…そっか。」


 ドアが開き別の客が入ってきたので慌ててそちらの応対をするミーナを、アランはパンを食べながらしばらく見ていたようだったが、次にミーナがそちらをみたら既に居なくなっていた。


 アランは店の奥でパン窯の掃除をしている店主に声をかけると、裏口から出て行った。ここからだとパン屋の入口が見えないため、少しだけ表通りの方へ移動する。

 アランがお気に入りのパンが売り切れてしまう時間まで配達の時間を遅くしたのには訳がある。あれは、ひと月ほど前だっただろうか?たまたまこの店に寄るのが遅くなった時があった。アランがいつものように店番をしているミーナに声をかけようとした時、ある男が店を訪れたのだ。


──やっぱり、また来た!


 商店街の小さなパン屋には不釣り合いなその男は、やはり今日も姿を見せた。騎士団の制服をキッチリと着こなした黒髪のアイツだ。

 アランがこっそり見ていることも知らないで店の中に消えていく。今頃ミーナは顔を赤くしながら嬉しそうに応対していることだろう。

 あの男はいつだって客足が途切れるような少しだけ遅めの時間を見計らって来店する。パン屋なのにパンが少なくなる頃にわざと来るのだから、目当てはミーナと話すことしかないじゃないか?

 男が店に入って行ってどのくらい時間がたっただろう?アランはジリジリして男が出て来るのを待っていたが、広場の鐘が鳴るのを聞くと仕方なくパン屋を後にした。そろそろ戻らないと父親の雷が落ちてしまう。


「また来るよ!」

「はい、ありがとうございました!」


 騎士様は、いつものように母の焼いたお菓子を沢山買い込むと、嬉しそうに店を後にした。

 学園帰りにあの騎士様がうちに寄るようになってひと月ほど経つだろうか?うちはパン屋だと言うのに、どういう訳かあの人はパンには見向きもしない。カウンターに置いてある母手製の甘い焼き菓子が目当てなのだ。特に好んで買っていくのはチョコレートがたっぷりかかったクッキーだった。

 ミーナは小さくため息をつくと騎士が歩いて去って行った方を見つめた。

 あんなに嬉しそうに沢山の菓子を買っていくのだ、誰かにプレゼントするのだろう。

 黒髪の名前も知らない騎士様は、貴族のご令息に間違いなかった。ミーナが他では聞いた事のないような上品な言葉遣い、翠色の綺麗な瞳は穏やかで、口元にはいつも笑みをたたえている。あんなに綺麗な人をミーナは他に知らない。あの騎士様に甘いお菓子をプレゼントされるだなんて、一体どんなお相手なのだろう。きっと、綺麗なドレスに身を包んだ笑顔の可愛らしい人だ、そうに違いない。


──今日こそは、あいつの素性を確かめてやる!


 次の木曜日。アランは遂に直接騎士を迎え撃つことに決めた。パン屋の奥から、ミーナにはばれないように様子を探るだけだけれど…。

 今日は粉を納めた後も店番をしているミーナに声はかけない。ミーナの父親が不審な目をしているが気にせずにじっと店の奥で騎士が来るのを待つ…。

 客足が途切れると母親が買い物に出掛ける。裏から通りに出ようとした時、ドアの影にいたアランにぶつかりそうになってビックリしているがそんな事はどうでもいい。


──来た!


 ドアを開く騎士の手が見えた。何時もより少し遅めの時間だ。


「?」

「いらっ…しゃい…ませ…」


 ミーナの声が震えている。それもそのはず、騎士は今日は1人ではなかった。貴族の通う学園の制服を着た、金髪の美しい女性が隣にいる…。


「やぁ、こんにちは!」


 騎士は慣れた様子でカウンターまで進み出ると、そこにある菓子を女性に指し示した。


「セシリア嬢、これだよ!」

「まぁ本当に!こんなに沢山種類があったのね!」


 二人は嬉しそうにクッキーを選び出す。ひとつ、ふたつとそれを手に取るとふと顔をあげた女性が店内を見回した。


「…パン屋さん、ですよね?」

「えぇ、もちろん甘くないものも置いてありますよ。ジークに何か買いたいんでしょう?」


 騎士はからかうように女性に笑いかけると、今度は何やらパンの籠を覗き込んでいる。


「レジナルド様はそれだけでいいのですか?足りないでしょ?」

「後でチョコレート買いにもう一箇所寄りたいんで、このくらいでいいんですよ。」


──レジナルド…というのか、この騎士は。


 なおも二人は仲良さそうに沢山の菓子とパンを選ぶと、ミーナの元へ運んでいく。騎士が支払いを済ませると当然のように荷物を受け取り、ドアを開けて女性をエスコートして店を後にした。


「また来るよ!」

「ありがとうございました…。」


 ミーナはドアに向かって頭を下げたまま、じっとしている。──騎士の後をつける必要は、もうないだろう…。

 アランは少しだけ迷ったが、今日のところはミーナに声をかけるのは止めておくことにした。

 

 それからしばらく、騎士は店に現れなかった。西の隣国ステーリアから王太子が訪問するとかで王都の警備も厳しくなっていたからそのせいかもしれない。

 アランはいつものように粉を納め、店番をするミーナに声をかけた。ミーナは騎士が来なくなってからちょっと元気がない。今もボーッと通りを眺めているようだ。


「なぁ、ミーナ。今度表通りでパレードがあるの聞いただろ?ステーリアの王太子が帰国する時。」

「えぇ…」

「良かったら一緒に見に行かない?店は少しだけ閉めていけばいいさ、どうせみんな見物に行くだろうし。」

「そうね…。」


 ミーナは尚も通りを見たまま、アランに頷いた。



 ステーリアに帰国する王太子は、王都の門まで立派な馬車に乗ってパレードを行うようだった。今回は特別にヴィルヘルムの王太子もそれを見送るらしい。滅多にない事なので沿道には多くの市民が王国の旗を持って見物に出ている。

 沢山の騎士が先導する中、フェルナンド王太子の乗った馬車がまず通りに見えてくる。

 アランとミーナは運良く車列が良く見える場所をとることができた。ミーナも王国の旗を振りながらフェルナンド王太子に熱い視線を送っている。


「凄いわね!アラン、見て!王太子様って本当にいらっしゃるのね!ほら、もっと旗を振りなさいよ!」


 フェルナンド王太子の次に来るのはヴィルヘルムの王太子の乗った馬車。


「…ミーナ、あれ見ろよ!」

「何?」


 ヴィルヘルム王太子ジークフリートの馬車を一番近くで護るように伴走するあの騎士…。レジナルドと言っただろうか。まさかこんな所で見ようとは…。


──それより、王太子殿下の隣に座っているあの女性は…。


 アランとミーナは旗を振るのも忘れてヴィルヘルム王太子の馬車を凝視していた。


「王太子殿下の馬車に乗ってるって事は…」

「…つい先日婚約された方でしょう?」

「…だよな。」


 間違いない。あの日ミーナのパン屋に菓子を買いに来たあの二人が今こうして目の前を通り過ぎようとしている。


「…」

「…」


 馬車から沿道に手を振っていたヴィルヘルム王太子が婚約者のご令嬢に何か話しかけている。ご令嬢はそれを聞くととても嬉しそうに、馬車の外の騎士に向けて笑顔を見せた。騎士もそちらを見て笑っているようだ。


「アラン、私…」

「…ミーナ。」

「今度お母さんに教えて貰ってチョコレートクッキー焼いてみようかな。」

「…甘くないパンもな。」


 きっとまた買いに来てくれるだろう。ひょっとしたら、次は三人で…。

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