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職員室で先生に呼ばれた理由は、雑用と言う名の先生のお手伝いを放課後に頼まれたからだ。つくづく自分には運がないらしい。何を企んでいるのかは知らないけれど、観月達からの呼び出しがない内は早く学校から去った方が身の安全の為だったのに。
仕方がないので奴らが帰ったのをこっそり確認してから作業を始めると、終わった時にはすでに夕方になってしまった。
凝った肩をぐりぐり回しながら、僕は無人の教室を見渡してみる。
僕一人しか居ないこの教室は静かで、とても広く見えた。虐められるようになってからというもの、他人の視線には敏感なくせに、他人の目には映らないよう自分の殻に閉じこもってきた。自分の席にしか居場所なんかなく、ただ下を向いて息苦しいくらい狭い中で過ごしてきたんだ。
この広い教室でのびのびと過ごせたら、とても楽しいのだろう。だけど、僕がこんな風にしか過ごせなくなったのも、あれもこれも全部観月たちのせいだ。
せっかくの一人の時間が観月を思い出した途端、なんだかやり切れないような悔しい気持ちで埋め尽くされていく。
「もう帰ろう……」
肩を落としながら、僕が鞄を持ってドアに手をかけた時だった。
「明ぁー、お前教室戻る?」
そんな声が、廊下に響くようにしてドアの外から聞こえた。そしてそれは、誰かが観月を呼んでいる声だと僕は直感的に思った。
(観月が教室に入ってくるーーー!?)
そう思った瞬間、血の気がサァーっと下がるのが分かる。
(どうしようっ、どうしよう…っ!!)
完全に僕の頭の中は、パニック状態だった。
「あーあ、明が屋上で寝ちゃってさ、もうこんな時間だよ」
「は?お前も寝てただろ」
「それは仕方なくだよ。明が寝ちゃったからね」
教室に入ってくる人の気配を感じながら、僕は息を潜めていた。
結局、もつれる足を動かし急いで隠れた場所は、あの狭い掃除ロッカーの中だった。我ながら情けない考えだけれど、観月と対面してしまうよりはずっとマシな策だと思う。
先ほどより近くで聞こえる声に、僕の緊張は高まっていく一方だ。掃除ロッカーのわずかに空いた穴から教室を覗く勇気さえもなく、観月と他の人物の声を聞いているだけで精一杯だった。
「あ、ちょっと待って。確かここに……」
「探しものか?」
「そう、昼休みにここの教室に置いてきちゃって…あれ?どこにやったかな……」
「……光太、早くしろ」
観月のその言葉に、僕は思わず下に向けていた顔を上げた。
(今、"光太"って…泉の名前だよね……?)
予想外の人物に僕は驚きだけではない、嫌な動機がドクンと音を立てる。
いつも僕を蔑める観月とその取り巻きの奴らを見るより、観月と泉が一緒にいる所を見る方がとても苦痛だった。
観月と一緒にいるうちに同じように僕を嫌いになるのではないかという不安がよぎり、観月と泉の会話が気になりつつも僕はいつも目をそらすだけだ。今日も廊下で泉と会った時だってそうだった。
「あ、見つかった!ここに置いてあったのか~」
「帰るぞ」
「うん、でもちょっと待って。明、これ見てよ」
帰ろうとしている観月を引き止め、泉はまるで面白いものを発見したかのように声を弾ませる。
「立花の鞄、まだ帰ってないみたいだね」
泉が観月に見せたものは、机に置きっぱなしにされていた僕の鞄だった。
思わぬ事態に、今度こそ僕は驚きだけでは済まされず、、魂が持っていかれるんじゃないかと思うほど全身に緊張が走った。
今すぐにでも鞄を取り返したい衝動と、僕の存在に気づいて欲しくない隠れたい気持ちがぐるぐると渦巻いている。
「立花、こんな時間まで何やってるんだろうね」
「……」
「あ、でも先生にお手伝い頼まれたって言ってたから、多分その用事かも」
「……」
「ちょっと明?どうして急にだんまりになるんだよ」
「…………お前ってさ、あいつの事どう思ってるのか?」
ずっと黙っていた観月の声は、泉の弾んだ声とは裏腹に、低く重苦しいものだった。
そして僕は気づく。
どうして最初に声を聞いた時、泉の声と気づかなかったのか。
"頬の傷、血が滲んできてるから気になってさ…ちゃんと新しく貼ったほうが良いよ"
どうしてあの時聞いた暖かさのあった泉の声は、今の泉の声に感じ取ることが出来ないのだろうかと……