5
驚くことに、奴らからの呼び出しはなかった。すれ違いざまに暴言を吐かれることもなかったし、お昼ご飯を買いに行かされることもなかった。僕を見ても、奴らは苦い顔をして仲間内で目を合わせると何もせずに去って行く。いじめられる前のただのクラスメイトの関係に戻ったかのようだった。
突然の変わりように不信感が拭えないけれど、久しぶりに痛い思いをしなくて済むと思えばどこかホッとする気持ちも少なからずあった。
昨日は頬の傷に触れてきたと言えど、その傷に同情して観月が奴らにいじめを止めさせたなんて、そんな事は考えていない。けれど奴らにいじめを止めさせられる人物がいるとすれば、それはクラスの中心にいる観月 明だけだ。
先生から呼び出されて寄った職員室からの帰り道、教室には入らず窓ガラスから見えるある人物の様子を伺ってみる。
奴らとは違って観月はいつも通りだった。
この校舎の中では決して僕に関わることはない。そして今日も彼は取り巻き達に囲まれて時折会話をするだけで、あとはずっと王様さながら机に頬杖をついて座っているだけ。
いつもと変わらない光景を目の当たりにしても、何かが変わりつつあるような気がしてやっぱり僕は不信感が募るばかりだ った。
「立花、そんな所で何やってるの?」
「い、泉…!」
突然掛かった声に後ろへ振り向くと、泉が不思議そうな顔をして僕を見ていた。どうやら僕は泉が来たことにも気がつかないほど、観月を見ていたらしい。
「えっと、ちょっと先生に手伝い頼まれてさ、職員室に行ってたんだ」
「そう?立花の教室すぐそこにあるのに、入らないでここに立ってるからどうしたのかなって思って声掛けたんだけど」
「い、いや、廊下って静かで良いなと思って居ただけだよ」
廊下からクラスメイトの様子見てましたなんてとても言えず、苦し紛れに理由を付ける。教室で観月をガン見する勇気なんて無いので廊下から見ていたけれど、泉からしたら僕は廊下に一人ぼーっと立つ変な奴に見えたに違いない。
僕が言った理由に泉は「まぁそうだね、廊下落ち着くかもね」なんてさりげなく優しい同意をくれるのが、また無性に恥ずかしくなった。
「あの、それより泉はどうしてここに?」
「ん?ああそれは、立花の教室行こうと思って」
「え、僕のクラス…?」
「そう、明に用事があってさ」
泉の口から出たその名前に、僕は心臓が跳ね上がった。観月 明の名前を聞いたりその姿を目にするだけで、条件反射のように意識してしまうのはいつものこと。でも今は、その名が泉の口から出たことに僕は動揺が隠せなかった。
「立花も教室に戻るよね?一緒に行こうよ」
「………いや、ごめん。僕はトイレ行ってから戻るよ…」
一緒に泉と教室に入るなんて無理だ。ましてやその流れで観月を呼んできて欲しいなんてお願いをされたら、僕はどうなってしまうのだろう。
「オッケー、じゃあ立花またね」
「うん、また…」
「あ、待って、これあげる」
このまま立ち去ろうとした僕の腕を、泉は掴んだ。そして腕を掴んだ反対の手で僕の前にあるものを差し出しだす。
それは、何枚かの絆創膏だった。
「頬の傷、血が滲んできてるから気になってさ…ちゃんと新しく貼ったほうが良いよ」
そう言って差し出した絆創膏を僕の手の中に包むと、泉はそのまま僕に背を向けて去っていった。
僕の何とも暗い事情なんてつゆ知らず、泉はいつも通りの柔らかい笑顔を見せてくれる。
本当はトイレに行きたい訳じゃない、一緒に行けなくてごめん、言葉に出来ず心の内で留めていたものがこぼれてしまいそうだった。
「ありがとう…泉……」
泉が僕の手の中に置いていった絆創膏を見つめながらそう呟いた僕の声は、誰もいない廊下に静かに吸い込まれていった。