12
「泉っ!ちょっと待って!」
「でも手を離したら帰っちゃうでしょ?」
「帰らないから、手は離して…」
泉に手を引かれて歩く僕たちの姿を行き交う生徒達が物珍しそうに見ていた。
その羞恥に耐えられず泉と放課後を共にする意思を伝えれば、掴まれていた腕がようやく離される。
「……ご飯食べに行くだけだよね?」
「うん、久しぶりだし、ゆっくり話そうよ」
他意のない爽やかな笑みに抗える勇気もなく、僕は黙って頷くしかなかった。
2人で学校を出て電車を乗り継ぎ、静かな住宅街へと足を運んでいた。偶然にも通学電車の方向が同じだった僕らは、泉の提案で彼のお家にお邪魔することになった。もちろん僕にとっては有り得ない提案で全力でお断りをしたのだけども、またも泉に踏み切られてしまった。
そして降りた駅から薄々気付いてはいたけれど、泉は中々良い場所に住んでいるらしい。僕が普段目にする住宅街の雰囲気はなく、デザインに凝った小綺麗な家が並んでいた。
その中でも一際と目立つ大きな門が特徴の家に泉は足を止める。一軒家と言うには迫力のある佇まいで、一般庶民の僕には尻込みするほどの立派な家だ。
てっきり泉の家だろうと思って、ぼくは泉の背中に問いかけた。
「……ここが?」
けれどすぐに泉は首を横に振った。
「ここは…観月の家」
「……っ!!」
「あ、ちょっと!」
とっさの防御かもしれない。次の瞬間には門に背を向け走り出しそうな勢いで引き返した僕に、泉は腕を掴んだ。
怒りのようなものが突然と僕の中でマグマのように湧き上がる。
僕と観月の関係性を知っているのに、泉のこの行動はあまりに悪意があった。
「泉はっ…、観月が僕のこと嫌いなのは知ってる人でしょ?」
言ってはいけないと思うのに、溢れ出したマグマに蓋をする事は不可能で、必死に押し殺すようにして閉じた口からは核をついた言葉が出てしまっていた。
そして僕の言葉に、泉は一瞬目を見開いた後、掴んでいた腕から少し力が抜けるのが分かった。
「……ごめん」
僕の剣幕に泉は眉を下げて、そう小さく呟くと、とうとう掴んでいた手を離した。
「…場所移動しよう」
日が沈み始めた曇り空に消え入りそうな声で、泉は静かに告げた。
*
それから一言も発さず、僕たちは駅の近くのカフェに入っていった。あの放課後の泉と観月の会話を聞いてからは一方的に気まずく感じていたものの、まさか本人にぶつける事になるとは思いもしなかった。
「ごめん…。まさか立花があんな嫌がると思わなくて…」
届いた飲み物に口を付けるのも躊躇する重苦しい中、最初に切り出したのは泉だった。
どう返事して良いか分からず押し黙る。そもそも今の自分の感情が分からなかった。
「立花と明の関係が良くないのも知ってた。それなのに明の家の前にあんな風に立ち止まるのは、立花が怒るのも当然だよね…ごめん……」
「…いや、僕は……」
あの放課後の観月と泉の会話を聞いていたと言うべきか、迷う。掃除ロッカーの中に入って隠れていたという羞恥心もあるけれど、興味本位で僕に近づく泉の真意をここで問いただす勇気もなかった。
「あの…観月は目立つ存在だし学校でも有名だから、観月に関する事は結構広まっちゃうっていうか…
だから僕が観月たちにお金巻き上げられたりするのも、知ってる人はいると思ってたよ」
言葉を選びながら辿々しく話す僕に泉も「…うん」と静かに相槌を打つ。
「あ、…でも、今は何もされてないんだ。クラスメイトに松永っているんだけど、松永からお前は解放されたって聞いてはいる…」
「え、そうなの…?」
目を丸くして反応する泉に、お互いに伏せていた視線がそこで初めて合う。驚いている泉の様子からするに、観月たちが暫く何もしていない事は知らなかったようだった。観月と付き合いの深い泉でも、やっぱり僕に関することは知り得ないらしい。
「仲直りしたの…?」
「いや、そういうんじゃないよ。そもそもまともに話した事もないから…」
「本当に?何も関係性ないの?」
相変わらず泉の口調は柔らかいけれど、不可解だと言いたげに少し固いものを感じた。当の本人である僕が分からないのに、他人から追及されるのは苦しい。思わずキュッと結んだ僕の口元を見ても、泉はまだ何かを考えているようだった。
「明とは付き合い古いけど、立花のことは一切聞かされたことないよ。聞いても、関わるなって跳ね返されるしね。正直どうして明が立花にこんな事してるのか検討つかないんだ」
「…うん」
「でも…ごめん、立花にとっては酷な事だって分かってるけど…
どうしても、明がそんな事する奴だと思えない。ましてや何の理由もなしに」
泉の揺るがない声色は、あの放課後に聞いた会話のものと同じだった。泉にとって観月は大切な親友で、僕はそんな親友を狂わす原因なんだ。
「…ねぇ、いっそのこと、立花が明本人に聞いてみたら良いんじゃないかって思ってる」
「え?」
「関係のある立花が聞けば、明だって何か話すと思うよ」
「…でも、今は落ち着いてるのに、また蒸し返すようなこと…」
「大丈夫。その時は俺も隠れて2人の様子見張るよ。立花が暴力振るわれることなんかさせない」
机に置いていた震え出しそうな僕の手に、泉の手が重なる。
前の僕なら、伝わる温かい体温に迷わずこのまま委ねていたのかもしれない。けれど今は、目の前の男が天使か悪魔なのか、僕は分からなくなっていた。