その果ての世界で
その後、探偵団の日常は平穏なものとなった。
梨乃が珍しく探偵団と居て、玲奈と話をしている。そんな中、勤が近付いてきた。
「梨乃さん!」
梨乃が勤の方を向くと、駆けて来た勤に胸をぶつけられてしまった。
「あっ、ごめんなさい!」
そして、振り向いてきた勤はこんな事を言った。
「やっぱり梨乃さんって…無いですよね?」
「無いって、何が?」
智と玲奈はなんの事だかさっぱり分かってないようだった。
「だから…あれだよ、あれ!」
勤が梨乃の胸を指さした。
確かに言われてみれば女性として有るべき部品が、香澄や同級生の子達と比べてみてもない。それは、梨乃の最大のコンプレックスでもあった。
「梨乃さん……?」
すると梨乃はくるりと後ろを向いた。
「玲奈ちゃん、智君、行こうか?」
その声は、荒れてもなく、怒ってもなく、むしろ感情がこもらず淡々としていた。
「あっ、はい」
二人は、せかせかと歩く梨乃を追い掛けて行った。
「あっ…俺は?!」
勤は無視…、どころかまるで存在すらも認知されてないようだった。
「そんな…、梨乃さんしょっぱいですよ?!」
玲奈はそんな勤に苦笑いをして、智にこう話した。
「梨乃さん、どうしたんだろ?」
「梨乃姉ちゃんを怒らせたら怖いよ?何せ怒るを通り越して塩対応になっちゃうから…。」
「そうだったのか…」
「存在ごと無視されたり、話にも乗ってくれなくなったり、本来の面倒くさがりな性格も出ちゃうからね。しょっぱい通り越して死海レベルで辛いよ…。しかもそれ、三日間くらい続くんだからね。」
玲奈は梨乃を見て、苦笑いをした。それから玲奈の言う通り、勤は梨乃に三日間くらい無視されてしまった。
それから明くる日、勤は一人梨乃の家に向かった。
「梨乃さん!」
梨乃は相変わらず怒ってもなく、相変わらず淡々としていた。
「勤君?」
「あの…、すみませんでした!」
勤は梨乃に深々とお辞儀をした。
「俺、デリカシーというものが欠如してました。それに、梨乃さんが一番気にしている事だと分かっていながらも、申し上げてしまいました。どうかこの俺をお許し下さい!」
梨乃はそんな勤に戸惑っていた。
「いや、良いのよ。私の方こそ塩対応しちゃってごめん…。」
「梨乃さん…」
梨乃は勤の頭を撫でた。
「俺、何があろうとも梨乃さんの事リスペクトしますから!」
梨乃は何も言わない代わりに微笑んだ。
智は渡辺邸で茂と話をしていた。
「…そうか、貴重な話をありがとな。」
「まさか、死神の事で小説をお書きになるのですか?」
茂は智の方を見て笑った。
「ああ…、君と玲奈の話を受けてね、私も何か書こうと思うんだ。それに、知り合いの死神に聞いた話って言ったら臨場感が増すだろう?」
「そう、ですか…」
茂の前にはメモ代わりの大量の紙が置かれ、どれもぎっしり内容で埋め尽くされていた。
「で、話は変わるけど、智君と玲奈ってどういった関係なんだね?」
「えっ?」
智は戸惑い、頬を赤らめた。
「いや、別にあなたの孫娘をどうしようとか、そういうのは考えてません…。」
「本当か?」
茂が智の顔を覗き込んでくる。智の顔からは冷や汗が出ていた。
「いや、私の気のせいならばそれで良いんだ。まぁ…、もし本当だとしても、玲奈の事を分かってはいるし大丈夫だろう。」
智は茂から目を背け、考え込んだ。
「ただ…、もし玲奈が君のものとなるならば、頼みたい事があるんだ。」
茂は智の首筋にそっと触れ、顔を近づけた。
「えっ?」
「フードが邪魔だな、」
茂は智のパーカーを強引に脱がせた。
「あっ!」
そして、次の瞬間には首筋を噛まれ、血を啜られていた。
口元に血を付けたまま茂は笑っている。
「茂さん?」
「これと同じ事を玲奈にして欲しいんだ。あの子はたまに寝付けなくなる事があってな…。」
智は躊躇った。
「そんな、玲奈を傷つけるわけには…。」
「たまには欲に素直になれよ?」
茂は智の頭を撫でた。
「茂さん…、」
智は俯き、これ以上の事は考えないようにした。
それからしばらく経ったある日、智と玲奈は夜の縁側で座っていた。
「これで夏休みも終わりか…、」
夏休みの最後に、探偵団は渡辺邸にお泊まりする事になっていたのだ。志保がくれた花火を全てやり終え、四人は暇になっている。
「こんなに賑やかな夏休みって、初めてだったな。」
「智君って夏休みはどうしてるの?」
「え〜と、家で過ごしたり、お盆は冥界に帰ってご先祖様の墓参り行ったりとかかな。」
「冥界にお墓があるだなんて…、意外すぎる…。」
智は頭を掻いた。
「まぁ、死神だって死ぬからな。少なくとも人間よりは寿命は長いけど…。」
「そうだったんだ。」
玲奈は立ち上がって梨乃達が待つ寝室に向かおうとしたが、それを止める手があった。
「玲奈、待ってくれ…」
智は玲奈の膝に乗ると、首に腕を回した。
「智君?」
「俺、今は玲奈の側に居たい……、」
「…そっか、」
玲奈は智の背中を撫で、顔を見た。
「たまに智君甘えてくるよね?」
「うん…」
玲奈はまた髪の毛をポニーテールにしていて、首筋が剥き出しだった。
「あっ…、玲奈の首筋…、」
「お祖父ちゃんのせいで傷だらけだけどね?」
確かによく見ると何かに噛まれた跡が幾つもある。
「いや、そんなのじゃなくて…」
智は玲奈の首筋に噛み付くと、滲み出る血を啜った。
「痛っ…」
「あっ…、ごめん…。」
智は自分が付けた傷を見て俯いた。
「…優しいね。」
「えっ?」
智は戸惑い、どうすればいいのか分からなくなった。
「…なぁ、あの時もそうだが、玲奈はどうして俺を許そうと思うんだ?普通、あんだけ酷い目に合わされたら怒るし、二度と会わないくらいになってもいいのに…、どうして玲奈は許して、また俺に優しくしてくれるんだ?」
「理由は分からないけど…、何故か許せるんだよね。しょうがない事ってあるじゃん、でもそれに対してどうこうするんじゃなくて、なんとか受け入れていこうって思ってるんだ。」
「そっか…」
智がそれに対して返す言葉を探してるう間に、玲奈はその体勢のまま眠ってしまった。
「あっ、玲奈…」
そして、智も眠ってしまった。
梨乃は四人分の布団を敷いていたが、中々帰って来ない二人を心配して、縁側に来た。
「あれ、二人ともこんな所で眠って…」
梨乃は二人の肩に布団を掛けてあげ、戻って行った。
二人は安心したように眠っていて、起こす訳にもいかなかったのだ。
………そして、何年か経った日の事、茂と志保は日が当たる部屋に居た。
「志保、布団を敷いてくれないか?」
それが最後の願いである事は聞かずして分かった。
志保はいつものように布団を敷き、その側に来た。
「ここまで来るのに色々な事があったな。ただ、どんな事があっても志保は私の側に居てくれた。自分の心の闇に溺れ、狂気に陥った時も私を見放したりはしなかったね。」
志保は茂の手を取り、頷いた。
「それは私だって言いたいよ。私がした事は迷惑だったり、お節介に思われたりもしたかもしれない。だけど、それもこれも茂の事を心から愛してたからなんだよ。
今まで色んな事があったけど、私の人生は茂が居てこその人生だったんだよ。」
茂は布団から手を出し、志保の肩を持った。
「また次の世界で会おうな、ここからしばらくは私が居なくても大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ。ありがとう…、また次の世界で会おうね。」
茂の手は志保から離れ、そのまま眠るように息を引き取った。
その表情は穏やかでしばらく経ったら、何事もないかのように起きてきそうな気さえした。
その寸前まで居た書斎は、原稿用紙が綺麗に束ねられ、湯呑の中には、大切にしていた万年筆が水に付けられ、日の光を浴びて輝いていた。
志保はそれを取り出して拭き取り、そのままいつも通り、引き出しにしまった。
茂の魂は抜け出し、冥界へと上がって行った。死出山の死者の道を抜け、三途の川へと向かう。
そこには、茂を待つ一艘の舟があった。銀髪で和傘を被り、羽織袴を来た死神が船頭をしている。
茂はそれに乗り、向こう側へと向かった。
「未練はないのか?」
死神が茂の方を見てこう話してくる。
「ああ…、大切な人の側に居れたからな。それだけで十分だよ。だけど…、また生まれ変わるなら、もう一度生まれ変わる事が出来るのならば、私はその人の側に居たいよ。」
「そうか…、智から聞いてるよ。二人は仲良かったってな。大丈夫、君のその強い思いがあればきっと大切な人の側に生まれ変わる事が出来るさ。」
舟はそろそろ向こう岸に着くところだった。