勇者が魔王に勝つ話
『喚嵐の三頭獣』が倒されたと聞いたテスカは、思いのほか動揺した。とはいえ、多少顔に出た程度だが。
「珍しいですね、そのような顔をされるのは。」
「ん、ああ。核は持って帰ったか。」
影の内から戻ってきたコアは、宝石で埋まった杯に持って帰った一つをさらに積んだ。
「ええ。この大きさですと数年は戻らないのでしょうね。」
「頭は悪そうだったが、存外魔力は高かったのか。」
テスカは指を二三鳴らしていくつかの戦場を覗き、何かを考えている様子である。コアは何も言わず、ただ側に立っている。
「……何じゃ。」
「いえ。失礼ながら質問にお答えいただけておりませんので。」
テスカは不機嫌そうな顔をして、腕を組んで胸に乗せる。
「その質問にワシが答えねばならん理由は?」
「もちろんございません。」
にっこりと笑いながらはっきりとそう言うコアを見てため息をつく。
「正直さが美徳と言ったのはいったい誰なんじゃろうな。」
「魔物に美徳があるとは存じ上げませんでした。」
いい加減面倒くさくなったのでテスカは答えることにした。
「……また一つ、バラの戦う理由が減ったなと思ってな。」
コアは予想していたように、何一つ表情を変えない。
「バラ嬢のことを気に掛けるのもよろしいですが……。」
「言わんとすることは分かってる。じゃが、戦況の方ははっきり言って打つ手なしじゃ。表に出した将はみな討たれ、もはや大規模な行軍も敵わん。」
テスカの覗いていたうち、一つの戦場が戦いを終えた。人側の消耗も決して少なくはないが、それでも大敗という言葉が合っていた。
「我が軍は敗北したと言ってよいじゃろう。じゃが、ワシはまだ負けておらん。それまでは軍を退くわけにもいかん。」
「ですが、この調子ですとバラ嬢よりも先に別の勇者がここを訪れそうですね。」
バラが勢いよく立ち上がりコアを睨む。が、何も言わずにそのまま座った。
「まるでワシがその者に負けると言いたいかのようじゃな。」
「決して。ですが、古来より魔王は勇者に負けるものと言いますゆえ。」
「……じゃからこそ、急いでもらいたいものじゃ。」
またバラが指を鳴らすと、今度はどこかの街の景色が写った。
*****
『喚嵐の三頭獣』を倒したバラとナフプは、補給のために近くの街に寄っていた。
街を歩く人は多いが、話し声もあまり聞こえずどこか暗い様子だった。
「なんか空気悪い……。」
「歩いてるのも軍人が多いみたいだね。」
軍装をしている人の中には、バラを見て会釈をする者もいる。あるいは睨んで去って行く者もいる。
「勇者って案外複雑な立場なんだね。」
「うーん……まあそうなのかも。旅してたときは勇者に仕事をとられることもあったし、魔物に家族を殺された人の中には、たぶん私達を恨む人もいるだろうし。」
バラの顔が暗くなったのを見てナフプは慌てるようにバラの手を取った。
「あ、ちょ、ちょっと待って。」
「ほら、早く薬屋に行こ?」
小走りでナフプは駆けていく。
たどり着いた薬屋は閑散としていて、棚にもたいした薬が置いていなかった。
ナフプは脇目も振らずに店員のいるカウンターに向かう。
「ねぇ、マナポーションが欲しいんだけど。」
「申し訳ないけど、ウチにある薬は大半が軍に接収されてね。在庫もないから表に出てるので全部だよ。」
「はぁ?そんなんじゃ商売にならないじゃん。」
「だから僕としてもさっさとあるものを売って店じまいにしたいんだ。どうだい?頭痛薬とか。」
「いらない!」
ナフプがぷいとそっぽを向いたのを苦笑しつつバラが代わった。
「あの、それじゃあ他にマナポーションが手に入りそうなところはありますか?この子が絶対必要になるからって言うので。」
「子供扱い!」
歯ぎしりしているナフプにこちらも苦笑しながら、店主は少し当てを考える。
「そうだな……さっきの様子だとこの街にあるのはたぶん他もやられてるだろうから、後は直接行くしかないね。」
「直接?」
薬屋は頷いて、店の奥から地図を持ってきて広げる。
「ええと、どこだったかな。たしか……こっちの方の森だったかな。ウチの薬の半分くらいはこの森に住む薬師から買ってるんだ。結構有名な人らしくてね、たしかマナポーションも作ってたはずだよ。」
いつの間にやら一緒に覗いていたナフプが、店主の差したのとは別方向の森を指した。
「たぶんこっちだよ。そっちの森だと『そういう』薬に向いた植物は少なそう。」
「ああそうだそうだ。前に雨が降って川を渡るのがたいへんだったって話をしてたっけ。」
二人に大丈夫か尋ねた後、店主は地図をしまいに奥に向かう。
「よく分かったね。」
「別に、地元も似たような土地柄だったから。」
どういうわけかナフプは何か不服そうだったので、バラはそっとしておくことにした。
店主が戻ってくると何かの木細工を持ってきていた。
「ほら、これを渡せば僕からの紹介だって分かると思うから。森の中は道なりに進めばいいって言っていたと思う。」
「ま、その薬師だってそんなに面倒なところにはいないでしょ。」
軽く考えていたことを、ナフプはすぐに後悔することになるのだった。
*****
例の薬師がいるという森の中。
「あーもう!どんだけ森が続くの!」
「ナフプちゃんって森に住んでたのに森が嫌いなの?」
「森に住んでたから、森が嫌いなの。こんな生物いっぱい足下悪い草木が邪魔ジメジメしてるで誰が好き好んで森の中に住むのかって話。」
「うーん、そんなものかぁ。」
程なくして、少し開けたところに家が建っているのが見えた。
「あ、あれじゃない?有名な薬師の家。」
「まったく、こんなところに住むなんてどんな偏屈なんだか。」
「そんなに嫌なら私だけで来たのに。」
「じゃあバラだけで必要な薬分かる?」
バラは返事を返さない。というか、ナフプの方すら見ていない。
視線の先には、井戸から水をくむ、帽子をかぶった少女の姿。
ナフプを置いて、ふらふらとバラがその少女の方へと向かう。
「ちょっと、バラ?あ、ちょっと!」
少女は人の来る気配を感じて帽子を深くかぶり直し、ゆっくりとバラの方を向く。そこで、目が合った。
「バラ、さん?わっ。」
バラはその少女を強く抱きしめる。その体温を確かめるように。
「シュカちゃん、シュカちゃんなの!?」」
「は、は……あの、く、くるし。」
「生きて……良かった……ほんとに……よかった。」
バラはそのまま膝をついて静かに泣いた。
*****
その後、屋敷の主のクルカとナフプによって二人……というかバラがシュカから引き剥がされ、そのまま屋敷に招待された。
「いやー、まさか勇者さんがわざわざこんな所に来てくれるなんてね。しかもシュカと一緒に旅してたんだって?」
「はい。でもいろいろあって、その……。」
「バラからは死んだって聞いてたんだけど。お腹を貫かれたとかで。」
ナフプがシュカの服をめくって確認しようとするのを慌てて防ぐ。
「あ、あの、そもそも貫かれてない、です。」
「そうそう、私が拾ったときも傷一つなく眠ってただけだったしね。」
「え……でも、あのときも血だって流れて……あれ?」
それでバラは思い出した。あのとき、シュカの体を貫いていたはずのコアの手には、血が一滴も滴っていなかった。
「いや、でも、だって確かにあの時シュカちゃんの体を……呪文だって唱えてなかったし!」
呪文を唱えていないというところでナフプが顎に手を当ててからくりを考え始める。
「うーん、魔法を使ってるのは確かだろうけど、呪文を唱えなかった……呪文がなくても簡単なのならできるだろうけどそういうレベルじゃなさそうだしなぁ……。」
「ほ、ほら!そんなのおかしいって――」
「なんだか、まるでシュカちゃんに死んでてほしかったみたいだね。」
「そんなこと!」
バラは思わず立ち上がってクルカの発言を取り消そうとするが、言葉が続かなかった。シュカの方を見て、少し笑おうとして失敗した。
「ありません……。」
バラが座るのと入れ替わりで勢いよくナフプが立つ。
「分かった!ねえバラ、その時呪文は唱えなかったとしてもなにか特別な動きとかはしなかった?」
「動き?」
「他にも、シュカやバラを飛ばしたときにも。ねぇ、何かない?」
シュカの方を見ると、シュカはびくっと身構えるが、思い当たる動きがあった。
「……指、鳴らしてた……ような。」
ナフプは机を叩いて指を鳴らした。
「それだ!魔王は指を鳴らすことで別の場所と繋げる空間魔法が使えるんだ!それで体のこちら側とあちら側を繋げば体を貫いてるように見える!同じようにバラやシュカも別の場所に飛ばせる!これっきゃない!」
「なんでもいいけど、椅子からは降りてね。」
興奮してついには椅子の上に立っていたナフプは、すごすごと椅子に座り直した。
理由が分かって満足したナフプ。一方のバラは顔を少し下げてどこでもないところを見ていた。
「魔王は……テスカちゃんは、シュカちゃんを殺してなかった……。」
それっきり言葉を発しなくなったバラを、心配そうにシュカが見つめていた。
「しっかし、まさかウワサの魔王サマが殺したフリをするなんてね。しかも空間魔法なんて手の込んだ方法で。」
「あるいは空間魔法自体は魔王にとってはお手軽なものなのかもしれないね。無詠唱でできるくらいだから。」
ナフプとクルカが魔王と魔法について話し合っている一方で、シュカはバラの様子をうかがっている。
テスカがどうやってコアを殺したフリをしたのかを聞いてから、バラは一言も言葉を発していなかった。
「バラ……さん?」
「え?あゴメン。ちょっと考え事してて。どうしたの?」
シュカは首を振って小さくなった。バラは首をかしげるも、また自分の中に入ってしまった。
クルカがふと外を見ると、もう日が傾き始めていた。
「もうこんな時間か。これから帰るのも危ない。積もる話もあるだろうし、今日は泊まっていくといいよ。」
しかし、バラは特に返事を返さない。ナフプが肘で小突いて、ようやく気がついた。
「え?」
「泊まっていいって。」
「あ、ありがとうございます!」
ナフプにも礼を言うように促すので、ナフプはため息をつきながら礼をした。
*****
夜になって、客間に通されてからも、バラの調子は戻らなかった。むしろさらに反応が悪くなっている。今ではナフプにどれだけ髪をいじられても何の反応も返さない。
「どう思う?」
「え、えっと……バラさんの髪だとちょっと短いというか……。というか、そんなことしちゃだめなんじゃ……。」
「ダメなら怒るでしょー。怒らないってことは何してもいいってことじゃない?」
ナフプが目を離している隙に、バラは自分の頭を掻いてせっかくの編み込みを崩してしまった。
「あー!せっかく頑張ったのに。」
「え?ごめん?なに?」
何のことか分かってなかったような様子のバラにため息をついた。
「ねぇバラ。」
「んー?」
生返事のバラの肩を揺さぶって、こっちを見させる。
「真面目な話。ボク、もう里に帰ろうかなって思うんだけど。」
「え……?」
バラはナフプの言葉がうまく頭に入ってこなかった。
「それってどういう……。」
「だから、ボクはもう魔王とは戦わない。バラも好きにすればいいよ。まあ知らない仲じゃないから里に紹介してみてもいいし、クルカ……だっけ?ここの人も悪いようにはしないでしょ。」
「ちょ、ちょっと待って!そんなの困るよ!だって、私は魔王と戦わなくちゃいけないのにーー」「戦えるの?」
遮るように言うナフプの言葉に、バラはぐっと詰まった。
「それは……もちろん……戦うけど。」
「無理。いや、戦えるかもしれないけど、今のバラじゃ絶対勝てない。」
「そんなこと……。」
「それじゃ、バラは斬れるの?一緒に旅をしたっていう、かわいらしい姿をした魔王を。」
バラは口を開くが、次の言葉が出てこない。代わりに、ナフプがたたみかけるように続ける。
「バラが何考えてたか当ててあげよっか。村の仇をとって、シュカが生きてたことを知って、それで戦う理由がなくなっちゃった。」
「やめて……。」
「それでも自分は勇者だからって、戦うそぶりを見せなきゃいけないって考えてるけど、本当はむしろ戦いたくはない。」
「違う!」
「違うっていうなら具体的にどう違うか言ってみなよ。言える?言えないでしょ?勝つつもりもない人と一緒に戦うなんて自殺行為、ボクは絶対イヤだから。」
ナフプの言葉を最後まで聞かずに、バラは部屋の外に飛び出していった。追いかけるように立ち上がったシュカはふと止まって、ナフプに向かって手を振り上げる。が、振り下ろさない。
ナフプは笑って、そんなシュカの手を取って自分の頬に当てる。
「なんか、シュカも聞いてたのと違うね。」
それでシュカをバラの元に行かせるように促す。
シュカが部屋を出て行った後、ナフプはふっと笑って
「それじゃ、ボクは先に寝よっかな。」
そのままハンモックに潜り込んだ。
*****
部屋を飛び出したバラは、危うくろうそくを持ったクルカにぶつかりそうになった。
「おっとすまない、気を付けて……どうしたんだい?」
「え……。」
ろうそくの灯りに照らされたバラの目は今にも泣きそうなように光っていた。
「あ、いえ、こっちこそごめんなさい。」
目を拭っておろおろしながらも部屋に戻ろうとしないバラを見て、クルカは笑いながらため息をついた。
「お茶を淹れようと思ってね。勇者さんもどうかな?」
「あ、はい。いただきます。」
部屋にも戻れないバラにとっていい話だと思って、机に座った。
お湯が沸く間も、お茶を淹れている間もクルカは特に口を開かなかった。バラも少し気まずく感じながらも話すきっかけもなかった。
そうしている内にお茶の準備ができて、クルカは机に三つカップを置いて、それぞれにお茶を淹れる。
「気分が落ち着くお茶だ。ゆっくり飲むといいよ。」
それだけ言ってクルカは自分の分を取って部屋に戻っていった。
「あ、ありがとうございます。」
背中越しにそう言われて、クルカは振り返らずに右手で答える。そのクルカと入れ替わりにシュカが現れた。
シュカはバラの隣に座ってお茶を飲む。バラの方をチラチラと見るが、何を言えばいいか分からなかった。
バラも気付いてはいたが、何から話したものかと考えあぐねていた。
お茶が半分ほどなくなった頃に、バラがようやく口を開いた。
「……実は、シュカちゃんと別れてから、たぶんテスカちゃんに会ったの。」
「テスカさんと……?」
バラはお茶をすすりながら頷く。
「一回だけ。修行のために洞窟の中で。その洞窟の中で、私は私が思うテスカちゃんと戦ってたんだけど、その時、一回だけ本物のテスカちゃんがいたの。」
シュカはつばを飲み込んで、続きを待つ。
「その時私はシュカちゃんが生きてるなんて夢にも思ってなかった。それなのにあのテスカちゃんはシュカちゃんが生きてたらどうするかなんて聞いてきたの。それでも戦えるかって。」
「バラさん……。」
「その時は戦えるって言ったけど……でも実際はこんなもの。ぜーんぶナフプちゃんの言ったとおり。正直、今あのテスカちゃんに会ったとして、本当に戦えるか……テスカちゃんを殺せるか自信ない。」
バラはテーブルに突っ伏して、そのまま顔を動かしてシュカの方を見る。
すきま風か、バラを照らす光がかすかに揺れている。
「ねぇシュカちゃん。どうして、テスカちゃんは私達と一緒に旅してたんだろうね。」
「え?」
「何度考えても勝つためじゃないってことしか分からない。そんなことしなくてもテスカちゃんはいつでも私を殺せたし、それに洞窟で会った時のことが分からなくなっちゃう。むしろ負けたがってるみたいにしか思えない。」
シュカも考える、昔の旅のことを。テスカ達の様子を。シュカやバラにちょっかいを掛けて、いつも笑っていた。
「旅の時のこと、私は楽しかった……です。たぶん、シュカさんも。」
「楽しかった……。うん、私も楽しかった。楽しむような旅じゃなかったけど、それでも。」
昔のことを懐かしむように、二人ともろうそくの火を見て、静かになる。
やがてシュカが口を開いた。
「昔、私がテスカさん達のこと疑ってたの、覚えてます?」
バラは小首をかしげていたが、思い出したように「ああ」と言った。
「あの『怖い』とか言ってたの?今思うと、シュカちゃんはずっと正しかったんだね。」
肩をすくめるバラにシュカが首を小刻みに振る。
「私も、思ってたのとは違いました。テスカさんの中に、別のテスカさんがいるって……。それで、時々その……今思えば、あれが魔王としてのテスカさんだったんだと思いますけど、そのテスカさんが出てくるんだって。」
珍しく長く話をするシュカに、バラはただ相づちを返す。
「ここに来てからも時々考えて、本当は逆で、魔王のテスカさんが演技してただけなのかなって。」
シュカはふぅっと息を吐いて、一口お茶を飲む。
「でも、今はこう思うんです。どっちも本当なのかなって。私達の知ってるテスカさんも、魔王のテスカさんも、どっちもうそや演技じゃないのかなって。」
「……うん。そう思う。そうだといいよね。」
少し元気を取り戻したようなバラの様子に少しほっとした後に、慌てるように両手を振った。
「あ、ご、ごめんなさい。関係ない話でしたね。」
「ううん、なんとなく分かったかも。」
シュカが小首をかしげて真剣に考えている様子なのを少し笑って、
「考えても分かんないってこと。よくよく思い出したら、私テスカちゃんのこと分かったことなんてなかったもんね。でも、テスカちゃんが戦いたがってるのは本当だと思う。何でなのかは分からないけど。」
「……だから戦うんですか?」
不安そうなシュカを見て頭を掻くバラ。
「……やっぱり、こんなのじゃダメかな。」
「バラさんらしいとは思います。」
何かを続けようとしてシュカは口を開いて、でも言いあぐねるようにまた口を閉じ、それでもう一度口を開いた。
「……また、バラさんと会えますか?」
その質問の意味を考えて、バラはゆっくりと口を開いた。
「……頑張るね。」
どこか頼りない笑顔のバラに、パジャマの裾をぎゅっと握りながら頷くことしかできなかった。
*****
部屋に戻ると、窓から入る月明かりが静かに揺れるハンモックを照らしていた。
「ナフプちゃん、まだ起きてる?」
静かにバラが聞くが、返事はない。それでもバラは話を続ける。
「あのね、やっぱり私、魔王と戦うよ。ナフプちゃんが里に帰るとしても。でも、たぶん私ひとりだと魔王の前にたどり着けないと思うから、やっぱりナフプちゃんに着いてきて欲しい。」
ハンモックからは返事がない。
「ダメ……かな。」
と、ナフプが器用に上半身をハンモックから出す。
「もしかして脅し?『私を見殺しにするの』って。」
「え?あ、いや。そういう訳じゃない!」
わたわたと慌てながら言い訳を探すバラを見て、ナフプは笑いそうになるのをこらえながらため息をついた。
「ま、まだちょっと不安だけどいいよ。でも勝てそうにないなって思ったらボクは遠慮なく逃げるからね。」
そうひねくれがちに言うナフプに、
「うん。ありがとう!」
まっすぐお礼を返すバラだった。
*****
翌日。薬をもらい受けて準備ができた二人は、別れの挨拶を済ませる。
「せっかくだから外まで見送ろう。」
「え、そんな悪いですよ。ゆっくりしていてください。」
「いえ、あの、私達も薬草摘みとかありますし。」
それで、家の前で改めて挨拶をすることになった。
「……本当は、シュカちゃんともまた旅ができたらいいんだけど。」
とバラが残念がると、クルカは大げさに二人の間に立ち塞がった。
「おおっと、いくら勇者さんといえど簡単に私のシュカを渡すわけにはいかないよ。」
「えっと……別に師匠のものではないです。」
「え!?」
あっさり否定するシュカとオーバーに驚くクルカを見て、安心したようにバラが笑う。
「うん、シュカちゃんが元気そうで本当によかった。」
「あ、あの、ごめんなさい。私が力不足で……。」
「ま、バラのことはボクに任せればいいよ。」
ナフプが胸を張るのに「よろしくおねがいします」といったところで、なんとなく静かになった。
「それじゃあ、またいつか。」
「生きて帰ってきたら是非寄ってくれ。」
振り向いて去って行こうとするところに、シュカが思い立ったように駆けだして後ろからバラに抱きついた。
「わ、ど、どうしたの?」
腰をひねりながらシュカの方を見るバラに、シュカは顔を上げて目を合わせる。
「あの、昨日言ったことと比べると変かもしれないですけど、やっぱりお願いしようと思って……。あの、テスカさんを取り戻してください!」
バラはシュカの真意を測ろうとシュカの顔を眺めていたが、やがてはっと口を開ける。
シュカの言葉が、バラの中で語りえぬ追想と思惟を呼び起こし、その果てにかちりとはまった。自分のやるべきこと、自分がやりたいことがなんなのかがはっきりと見えたのだ。
バラはにっこりと笑いながら、
「うん。勝ってくるね。」
そう言ってシュカの頭を撫でた。
様子を見ていたナフプは口笛を鳴らした。
「さて勇者サマ、やることをやったら後はもう一本道だね。」
「うん。目指すは魔界、魔王のいるところ。」
そうしてシュカ達が見送る中、二人はまた旅立っていった。
*****
『門』と呼ばれる、人間界と魔界を繋ぐ穴を抜け、魔王のいる城にたどり着いて四天王である炎のロトルを倒した二人は、最後の休息を取っていた。
「はい、これでおしまい。どう?」
「うん、もう平気。ありがと。」
ナフプの治癒魔法を受けたバラは、椅子に座りながら腕をぐるぐると回して不調がないことを示す。
改めて部屋を見渡す。どうやら会議室のようで、いくつかの椅子の他には簡単な敷物と机があった。
「魔物も椅子に座ったりするんだね。」
「まああの……ロトルだっけ?あれも人型だったし、魔王も人型なんでしょ?じゃあ他にいてもそれほど不思議じゃないかな。」
実際のところ人のものに比べれば基本的にスケールが大きかったが、これ幸いとナフプはバラの座った椅子の肘掛けに座ってた。
ナフプは治療中とは一転して真面目な顔になって、バラに尋ねる。
「それで、魔王とはどう戦うつもり?」
バラは手を組んで顎を乗せた。
「うん……全力出し切って頑張る。」
真面目な顔のままナフプは続きを待つが、バラは何も話さない。
「……それだけ?」
「それだけ……だけど?」
ナフプはため息をついて、バラの肩にのしかかる。
「わ、重い。」
「ちょっと失礼じゃない?じゃなくて、もっとこう作戦とかさ、あるじゃん。ないの?」
「ない……かな。結局テスカちゃんの底は分からないし、私ができることもそんなにないし。」
またため息をついて、ナフプはゆっくりと首を振る。
「いい?前にも言ったけど魔法使いにとっては戦いは始まるころには終わっているのが理想なの。」
「そうだ、魔法といえばーー。」
途中で遮られてナフプは露骨にいやな顔をした。
「まいいや。それで?」
「あの、空間魔法って何か弱点とかないの?たぶん戦う時にかなりやっかいになると思うんだけど。」
バラの予想に反して、ナフプは腕を組んでうんうん唸りだした。
「空間魔法……は、普通は計算量とか必要な魔力とかがネックだから、呪文唱えてる間に攻撃するか、数回無駄打ちさせるのがいいんだけど。」
「無詠唱……だっけ?」
バラの言葉にナフプは頷いて応える。
「だから発動させないってのは無理。ついでに言えば、バラやシュカの話を聞くに数回出して終わりってことはないだろうね。魔王の名は伊達じゃないってことか。」
「じゃあやっぱり難しいんだ。」
バラが肩を落とすのをナフプが苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「いや、多少はやりようがある……と思う。」
珍しく言いよどむナフプに、バラは首をかしげる。
「えっと……どうするの?」
「それは……。」
なぜか周りを見渡した後、ナフプはバラに耳打ちをして教えた。
*****
コアをロトルの代わりの門番として送り出した後、テスカはゆっくりと静かに息を吐いた。そして扉の奥を覗くために指を鳴らそうとして、やめた。
(そう焦らんでもすぐに見える、か)
代わりに頭を掻き、安堵の息をつく。
(シュカと出会った時にはどうなるかと思ったが、あのナフプとやらもようやってくれたな)
扉の方から人の気配。どうやら勇者とその連れが来たようだ。
(負け戦の最後の一戦か。どうせなら派手に終わらせたいものじゃな)
影から剣を取り出し、テスカは椅子から立ち上がった。
*****
バラが扉を開けると、広間の奥、段々になった最上段に、豊かな胸と双角をもったテスカが剣を携えて待ち構えていた。
「よく来たな、勇者とその一味よ。」
「テスカちゃん。」
「魔王だ。わしこそ魔王。魔界を統べ、人界に攻め入らんとした魔物達を統べる王であるぞ。」
魔王は一段一段階段を降りて二人に近づいていく。
バラは剣を抜いて魔力付与を施す。
「私は……やっぱりいいや。勝負だよ、テスカちゃん。」
まだ名前を呼んでくるバラに舌打ちをするが、その目に甘えがないことを悟ると、テスカも改めて両手で構える。
「待った待った!ボクだって少しくらい話させてよ!っていうかバラもそんだけなの!?」
「戦いの前にそんなに話すこともないでしょ?」
バラはテスカから視線を逸らさずに答える。
「……ま、そうか。じゃあとりあえず自己紹介。ボクは魔女の里のナフプ。テスカ……だっけ?どこまで覗いてたかしらないけど、ボク達はそんな卑怯者には負けないから!」
覗いていたという言葉で、バラは思わず振り向き、テスカは目を見開いた後に、くっくと笑った。
「よかろう。死を望むのであれば、初めから本気でいってやろう。」
テスカは剣を片手で持ち直し、片手で指を四度鳴らした。と同時に、ナフプに向かって四発、鋭い何かが飛んでいった。
「ナフプちゃん!}
バラが振り返れば、ナフプはどうもすんでで避けたようで多少かすり傷が付いただけのようだった。
「大丈夫、それより前!」
前を見ればすでに迫っていたテスカが横薙ぎに剣を振っている。短剣で直撃は防ぐが、勢いのままにバラは吹き飛ばされた。追撃するようにまた指を鳴らして弾を飛ばす。
「ぐぅっ。」
さらに指を鳴らすバラ。同時にナフプが床に手をついて魔力を流し、床を砕いて巻き上がらせて飛んでくる弾をはじいた。
「なんだか分かんないけど、空間魔法で出たものなら防ぐ手段はある!」
ナフプの叫びと同時にバラが土煙の中から飛び出してテスカに斬りかかる。バラの細剣によるラッシュは、しかしテスカの大剣ですべて止められ、そのうえ空いた片手でまた空間魔法で何やら飛ばしてくる。
今のところはナフプが反応して防いでいるが、ナフプはかなりじり貧に感じていた。
(ボクも攻撃に転じないといけない、けど!)
テスカの攻撃は多岐に富み、弾一つをとってもただ撃つだけではなく開けた空間の穴に飛ばすことでより防ぎにくくしてくるので、少しでも集中をきらせばバラが直撃を受ける。
「バラ!右から!」
ナフプの声に、バラはサイドステップを踏んで剣を持っていないテスカの左手側から攻撃をする。
「舐めるな!」
すぐにテスカも剣を持ち替えて対応し、むしろステップを踏んで少しリズムの空いたところで剣を振り入れる。
それを細剣で受けてそのままテスカの懐に入り込み、短剣でテスカの右手を切り落とした。
「ぐっ。」
「ふぅ。」
テスカのうめき声を聞いて息を吐いたバラ。その隙にテスカは大ぶり気味に剣を振ってバラを遠ざけさせる。
「この程度の傷!」
剣を床に刺して切られた右手の傷に左手を当てると、落ちたはずの右手がまた戻る。床を見れば落ちた右手もまだ残っていた。
「うそ!」
「ふ、一撃で屠る気概で来てもらわねば困るぞ。」
そしてテスカがまた指を鳴らそうとした時。
「……封鎖、完成、魔のものを塞ぎ閉じ込めよ!バリエラマギカ」
この部屋全体を覆うように、ナフプが魔法結界を張る。テスカが試しに指を鳴らすが、特に何も起こらなかった。
バラが体制を立て直すためにナフプの元に戻る。
「今のは?」
「結界。これでもう外とは繋げない。あの変な弾は飛ばせないはず!……まあ、使える魔力も限られちゃうけど、それは相手も同じだし。」
「ふふ、なるほど。じゃが、ワシの魔法すべてを防いだと思ってもらっては困るぞ。」
言いながらテスカは自らの剣に手を当てて、魔法剣を発動させた。テスカの剣には大きな変化はないが、よく見ると青白く発光している。
「ほれ、いつまで引っ付いておる!」
剣を地面に突き刺すと、電撃がバラとナフプの元に走る。
「ナフプちゃん」「跳び上がれ、フライ!」
ナフプを抱きかかえたバラが中空に跳び上がって電撃を躱す。
「ほう、じゃが空でどう避ける!」
テスカはまた指を鳴らして穴を空け、そこに向かって剣を突き刺す。剣からはじけ飛んだ稲妻は蜘蛛の巣を張り巡らせるように空間を裂きながらバラ達の元に向かう。
「ごめん!」
「え、わ!」
バラはナフプを投げ飛ばし、その勢いで稲妻を避けてそのままテスカのもとに向かう。
「後よろしく!」
「よろしくじゃなくて!もー!」
バラと別れたナフプは空中で体勢を立て直し、そのまま呪文を唱え始める。一方のバラはそれまでの時間稼ぎのためテスカと撃ち合う。
突っ込んでくるバラに指を鳴らし、自分の前と後ろを繋いでバラを後ろにやる。そのまま振り向きながら剣を振るが、バラはそれを短剣で受け止める。
「ぐぅっ。」
短剣から電撃が伝わる。しかしそれに怯まずにテスカに斬りかかる。が、指を鳴らして攻撃を穴に逃がす。
「前へ!」
事前のナフプの助言通り、後ろから出て来る細剣に怯まずにさらに前に踏み出すことで細剣も避け、さらにテスカの懐に入る。
「ここなら!」「どうかな?」
力が入ってやや大振りになった短剣を腕で受けつつ、指を鳴らしてバラに向けて大剣の突きを撃つ。
「ぐぅぅ。」
ぎりぎりで直撃は避けたが、それでも剣先が胴に触れてしまい体全体に電撃が走る。
バラは一度下がろうとするが、これにも指を鳴らして再度自分の元に引き戻す。
「さあ、これでどうじゃ!」
天高く掲げられた大剣が振り下ろされる。短剣で受け流そうとするが、剣の腹を頭に受けてしまう。
「ぐあっ。」
そのまま吹き飛んでいき、床に血の跡を残す。
「いざ水を流し尽くしその場に留まれよ!ミッサアクアフリュイッド!」
その血を洗うように水が流れる。バラの身を清め、そして部屋全体に柔らかに水の流れが満ちていく。
「ゴメン、遅くなった。」
魔法を発動させたナフプは倒れ込んだバラに駆け寄って治癒を掛ける。バラはゆっくりと体勢を立て直してナフプの頭を撫でた。
「ううん、これで大丈夫……なんだよね?」
ナフプは手を振り払って、マナポーションを飲みながらにやりとした笑いをテスカに向ける。
「この水、雷撃を防ぐつもりか?甘い!」
テスカが剣を振れば、その剣に触れた水が一瞬で蒸発してはじけ飛ぶ。やがて蒸気になった水がまた水にもどって流れていく。
剣を持ち直したバラが、またテスカに突進していく。
「やあああ!」
テスカが舌打ちをしながら指を鳴らす。開いた穴にバラが飛び込む前に、周囲を飛んでいた水が穴に入っていき、すぐに穴が消えた。
「なに!?」
油断したところに飛び込んだバラがテスカの左胸を細剣で突き刺した。
「空間魔法は穴それぞれにキャパシティが決まってる。だから、それを越えるように水を流すようにしたんだ。」
テスカは剣を突き刺されて少しの間止まっていたが、やがて笑って細剣を握る。
「くく、切らぬのか。」
「……無駄なんだね。」
テスカはそのまま細剣を動かして自分の身を切らせる。切れたところを手でなぞり、また再生させていく。
「かっか、無駄ではないさ。まだ足らぬというだけ。さあ、続けよう。」
テスカがまた剣を振ると、はじけ飛んだ雷が飛んでいる水に吸収されてはじける。
バラが一度ナフプの元に戻って、もう一度テスカの元に駆ける。テスカはまた指を鳴らしてバラの進行方向に穴を空ける。
「だから無駄だって!」
「無駄ではない。」
今度は穴が閉じることを知っていたテスカは余裕にバラの剣を受け、その後の連続攻撃にも対処をしながらもまた穴を空ける。穴が空くたびに近くの水が入り込んで、消えていく。
「無駄なことなど一つもない。ほれ!」
テスカはバラに蹴りをかましてまた間合いを取らせ、そして剣を振ると同時に指を三度鳴らす。
余分の二つの穴は水が閉じ、間に合わない一つから出た剣戟はバラ自身が受け止める。
「ぐぅっ。」
「こなくそ!」
剣から直接流し込まれる雷を、バラの手元についた水が受け持つ。
またポーションを飲んでいるナフプを見て、テスカがにやりと笑った。
「やはりお主が水を動かしていったか。さて、いつまで持つか。」
「……ふん、そっちだって再生したり穴空けたりと結構ヤバいんじゃない?」
バラはナフプの様子を見て、残りのマナポーションの個数を思い出す。
(マナポーションはあと三本……それまでに決着を付けないと)
焦って動こうとしたバラの元に優しい風が吹いた。
「バラ、私に楽させて!」
言い方に笑いそうになったバラは、しかしナフプの意を汲んだ。またテスカの元に飛び込んでいくが、途中で浮いている水を抜けてから、剣を持っていない方目がけて飛ぶ。
「く、小癪な。」
テスカは剣を持ち替えて対応しようとするが、そのたびにまたバラが狙う方向を変えて攻撃をする。指を鳴らす暇を与えないように。また、テスカの剣と触れるたびに、電撃を肩代わりして手元の水がはじけていく。その水が乾かないように、立ち位置を変える際に必ず水を通るように動いた。
「ちょこまかと……。」
しばらくにやつきながらも対応をしていたテスカだったが、ふとナフプの方を見て舌打ちをする。
「くっ。」
そして指をならしつつバックステップを踏んで、その場から離れた。さっきまでテスカのいた場所に氷柱が突き刺さる。
「おしーい!」
「甘いわ!」
「まだ!」
バラの声に反応すると、まだ空いていた穴かバラが追いかけてきていた。一撃目は大剣で受けられたが、二撃三撃と続く攻撃に剣を離して素手で対応する。急所は避けるが、それでも少しずつ手が傷ついていく。
「バラ!」
ナフプの掛け声に、バラが一瞬の間をおいてからテスカと距離を取る。
テスカもまた移動のために指を鳴らそうとするが、傷の痛みで一瞬反応が遅れてしまった。
「業火の内にて灼き尽くせ!コルスフランマエ!」
テスカを囲うように炎の渦が巻き上がる。視界を塞がれ身を焼きながらもテスカは穴に逃げ込むが、逃げた先でもまだくっついたようにテスカの体が焼け続ける。
「く、まだ、まだだ!」
テスカが振り返ると、すでに攻撃の構えに入ったテスカが目の前にいた。
「やあああああああああ!」
一発。二発。三発。
バラの打ち込んだ突きはすべてテスカの体を貫き、その空いた穴から炎が入り込んでテスカの身を内から外から焼き焦がす。
苦しみながらも近くを飛んでいた水に飛び込み、何とか鎮火したテスカは、しかし体もすでにボロボロで息を切らしていた。
「う、くぅぅうう!」
テスカは急に苦しみだしたかと思うと、みるみるうちにその体が縮まっていく。そうしてバラの目の前に現れたのは、角こそ生えてはいるものの、幼女のような背格好の、共に旅をしていたころのテスカの姿そのものであった。
「テスカ……ちゃん。」
その姿を見たバラは剣を落とし、
「……ここまで、じゃ、わっ!」
テスカに駆け寄って抱きしめた。
「……は?」
ナフプが集中を切らしたか、周囲に飛んでいた水が一斉に落ちた。
バラをぎゅっと抱きしめたバラは、少し苦しそうに上を向いているテスカの顔を見る。
「私の勝ちだね、テスカちゃん!」
「なにを……。」
テスカは抵抗をしようとするが、無意識のうちにか自分自身に魔力付与を施しているバラにはこの姿では力負けをしてしまうし、その上ただ抱きしめているように見えてテスカの腕を完璧に封じ込めていた。
「……よかろう、ワシの負けじゃ。」
テスカは抵抗を諦めて、力なく笑った。
「じゃあ、私のお願い聞いてくれるよね?」
「なんでそうなる!?」
「だって前に海で約束したよね、テスカちゃんに勝ったら何か一つお願いを聞いてくれるって。」
テスカは何のことかと口を開けていたが、やがて思い出した。
「お、お前、いつの話をしとるんじゃ!」
「だっていつでもいいって。」
確かにいつでも待ってると言った。それにテスカは、闘技大会でバラとの約束を破ったことを思い出した。
(まあ、どうせこの後のことは考えとらんかったしな)
テスカはため息をついて、「それで、お願いとはなんじゃ」と言った。
ただでさえ魔力が尽きかけていたところに、目の前の状況にあっけにとられてナフプは完全に力が抜けていた。
「なに、これ。これで終わり?」
「お気持ちはお察しいたしますが、どうやらそのようですね。」
急に声が聞こえてバッと振り向くと、男のような顔つきでありながらも柔らかそうな体つきをした人が立っていた。
「……誰?」
「ああ、これは失礼いたしました。私、魔王様の侍従にして門番代理のコアと申します。以後お見知りおきを。」
「コアって……っていうか魔王の仲間!?」
ナフプが身構えると、「ああいえいえ」とコアが手を振る。
「主が終わりと言った戦いです。私も始めるつもりはありませんよ。……どうやら話し合いも終えられたようですね。」
コアの言葉に二人の方を見ると、テスカをお姫様抱っこしながらバラが来ていた。
「あれ、コアさん。」
「おい、足止めはどうした。」
「終えられたようですから、必要ないかと思いまして。」
悪びれもせずに言うコアにため息をついて、「他も引き上げさせろ」と言った。コアはただ一礼をする。
「さ、ナフプちゃん。帰ろう。」
「え、ちょっと待って、連れてくの?」
「うん。一緒に帰るから。」
「ワシのことはテスカと呼ぶがよい。ほれ、コアも行くぞ。」
「御言葉のままに。」
それでおいてかれそうになったナフプに、コアが声を掛ける。
「ご安心を。あの方といますと退屈しませんよ。」
そりゃそうだろうよと頭の片隅に思ったが、それ以上に驚きあきれて声も出ないナフプだった。
*****
魔王の城の玄関ホールのところにたどり着くと、勇者の一人であるマッツとその仲間達が休息を取っていた。
マッツ達はコアの姿を見るとまた戦闘態勢に入るが、一緒に歩いている人たちを見て混乱した。
「あ、えーっと、マッツさん……でしたっけ。」
「そういうあなたはバラ殿か。なぜ……いや、その腕に抱えておられるのは。」
テスカに生えた角はすでに隠している。
「久しぶりじゃの。闘技大会以来か。」
マッツの周りにいた人たちは戦闘態勢を崩さずに皆マッツの指示を待っているようだった。
「誰なんですか、マッツ様。」
「あー、えー、この方達は私と同じ勇者だ。しかし、なぜ魔物と共に……?」
先ほどまでコアと戦っていた四人には、今の状況がまったく飲み込めていなかった。
「ああ、私を魔物と勘違いされたのですね。私はテスカ様がこの城にとらわれていると聞きましてここまで来たのですが、魔王の力かここで無理矢理戦わせられていたのです。」
「でもさっき変身を……。」
続きを言おうとする魔法使い風の女性の目をコアが見ると、さっきまでの出来事がなんとなく曖昧になる。
「してたような、してなかったような。」
マッツはあまり気にせず、バラの元に来る。
「ともあれ、バラ殿が無事ということは。」
バラは頷く。
「魔王は倒しました。これで、人間界に平和が来ると思います。」
「じゃが、魔王はこうも言っていた。人界に混乱が起きる時、我は必ず復活しわずかに残った安寧さえも食らい尽くしてやろうと。」
悪ぶるテスカに不満そうな顔を向けるバラ。マッツはそんな二人の顔を見る。同行していたナフプのことも見るが、こちらは何か複雑そうな苦笑いを浮かべていた。
と、僧侶風の男がマッツに耳打ちをする。マッツはうなずき、テスカの左手を取る。
「失礼。」
そして手の甲を見る。角度を変えても何も写らないその手を。
同じようにバラの左手の甲を、勇者の印章を見る。
テスカは余裕そうだったが、対称的にバラはどこか緊張した顔つきをしている。
その二つの顔を見比べていたマッツは、「わーっはっはっは」と笑い出した。
「よく生きておりましたな、テスカ殿。死んだと思われていた勇者が生きていたとなればきっと皆も喜ぶだろう。」
テスカは偉そうに頷いて、バラの腕から降りる。
「いいのですか?アレはおそらく――」
僧侶がマッツに再度話しかける。さっきよりも少し声が大きい。
「うむ。だがバラ殿の言葉も真実だろう。魔王は倒され、魔物の軍も人界から引き下がっていく。それが真実であれば、俺たちのできることはもうあるまい。」
そう言ってマッツは先を行った四人組を見る。
「さ、帰ろう、テスカちゃん!」
「お、おい走るな。この姿は久しぶりで。」
途中でこけそうになるテスカを抱き留めて、バラはにっこりと微笑んだ。
後に魔界戦争と呼ばれるこの永きに続いた戦争はついに終わりを迎え、後の世にて様々な形で物語にされた。
巧拙入り交じったその物語達は様々な読者を楽しませ、時には読者に気を持たせるような場面も生まれたりした。
しかし、どのような物語であっても、すべては史実と同じ最後を迎える。
かくして魔王は勇者によって倒され、そして勇者は後の人生を幸福の内に終えたという。