勇者が魔王に勝つ話 山の話
ゴツゴツとした岩が目立つ山をバラとナフプは上っていく。高い木々も少なくなり、腰くらいの高さまでしか草も生えていないようだ。
「ねぇ、どこまで、登れば、気が済むの!?」
ナフプはかなり息も上がって、いらついている様子であった。
「別に好きで登ってるわけじゃないんだけど。ほら、もう山頂も見えてきたよ。」
バラの指さす方を見ると、確かに青空のなかに山の頂が見える。
「……ねぇ知ってる?山っててっぺんが見えてからが長いんだよ。」
「そうかもだけど……まぁ、私達が目指してるのは山頂じゃないから。ほら、こっちも見えてきた。」
もう少し視線を下げると、動物避けのための柵が見えてくる。その先には、いくつかの簡素な家々。
「ここがメスティア。歴代の勇者達がここで修行したっていう場所。」
「ふーん……。」
簡単な門の辺りには槍を持った二人が立っている。まるで二人を待ち構えるかのように。
メスティアに入ると、村長の家でささやかながらも歓待を受けることになった。
「えっと、いいのかな、こんなの。」
「いいのいいの。くれるっていうんだからもらっとこ。」
遠慮がちなバラを尻目に、ナフプは出された食べ物をバクバクと食べる。
その様子をおろおろしながら見るバラをメスティアの村長が笑って見ている。
「此度の勇者様の同行者は元気いっぱいですな。」
「元気がなくちゃ魔王は倒せないってね。」
それでまた村長はからからと笑った。が、唐突に真面目な顔に戻った。
「さあ、勇者様も食べなさい。最期の食事かもしれないのだから。」
「え、と。……冗談ですか?」
周りを見渡しても、村の人たちは村長を除いて誰もが顔を伏せる。
「メスティアの洞窟から帰ってこぬ者は少なくなかった。勇者様に限って言えば多くが戻ってくるが、それでも戻らぬ者がおらぬ訳ではありませぬ。」
バラは生唾を飲んだ。
「そんなに危ない洞窟なんですか?」
「……難しい質問ですな。危険と言えばそうである。危険がないと言えばそうかもしれん。」
「なんか下手な説教みたい。」
「な、ナフプちゃん!」
村長は気にしていない様子でまた笑う。
「たしかにそうかもしれませんな。メスティアの洞窟が試すは何よりも心であるという。中に現れるは人により異なり、その者にとって倒し難い者が出る。」
「倒し難い、ですか。」
「つまり、それだけ強いってこと?」
村長はナフプの質問に答えず、また人の良さそうな顔に戻った。
「さ、修行のネタばらしをしては面白くもないでしょう。今日の所はよく食べ、ゆっくりと休んでください。もし洞窟に入るのがお嫌になりましたとしても、我々村の者ができる限りの技をお教えしましょう。」
「そんなに強いの?」
周りを見てみるが、少なくともこの家にいる者達はみな一線を引いた者達ばかりのように見える。
「うーむ。流石に魔王にはかなわないでしょうが、伊達に歳を食ったわけではないということはお教えできましょう。実際の所、前にいらっしゃった六三代勇者様との鍛錬の供もしておりましたから。」
ナフプは魔法が使える者がいないかを探しながら生返事を返した。残念ながら、ナフプほどに使える者はいなさそうだった。
「ま、どっちにしてもその洞窟に挑むんでしょ?」
バラに話を戻すと、バラは小さく頷いた。
「魔王に勝つためだから。多少の危険は承知の上。」
「よろしい。では明後日、洞窟を開きましょう。」
明後日、と言うのを聞いてナフプが少しこけた。
「ここまでの山路はたいへんでしたでしょうからな。どうぞ今日明日はゆるりとお休みなされよ。」
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます。」
それでようやく食事に手をつけ始めたバラを見て、ナフプも気を取り直して負けじと食事を再開した。
*****
翌日。日課の訓練を終え、朝食をいただいた二人は村の探索をしていた。
「洞窟の謎を調べないとね。あのじーさん結局具体的なことは何も話さないんだから。」
「知らないところに行くのも含めて修行なんじゃない?」
ナフプは足を止めて、バラに向き合う。
「バラ。戦いは情報だよ。」
「……うん?」
「特に魔法使い同士の戦いなら、戦いが始まる前に終わってるくらいじゃないといけないの。そうじゃないと長ったらしい呪文なんて唱えてる暇なんて普通ないんだから。」
「でも私別に魔法使いじゃないけど。」
「そういう問題じゃなーい!」
「お二人とも元気そうですのう。」
声の方を見ると、村長が髭を整えながら笑っていた。
「げ、どこにでもじーさん。」
「そんな言われ方をしたのは初めてじゃが……まあ狭い村じゃから、散歩をすれば会うのは道理じゃて。」
実際この村には両手で数えられるほどの家しかなく、洞窟の辺りと放牧されている辺りに行かない限りはどこにいても村のすべてが見渡せるといったものだった。だが、どうもナフプは納得がいかない様子だ。
「ぜったいボク達のこと監視してるんだよ。」
「私達なんか見張っても別に何もないでしょ。そういえば村長さん、聞きたいことがあったんですけど。」
「ほう?」
村長は片眉を上げて話を聞く姿勢になった。
「洞窟の修行って、どれくらい時間がかかるものなのですか?」
「ふむ……。」
バラの質問に、村長は空を見上げて深く考える。
「それもまた難しい質問じゃ。一刻のうちに戻ってくる者もおれば、数日かかる者もおる。」
「一刻って……そんなので修行になるの?」
「ならんじゃろうな。」
にべもなくそう言うので、またナフプがこけかける。
「じゃ、じゃあ何の意味があるのさ。」
「昨日もお伝えしたように、この洞窟は心を鍛える。すぐ出られるということは、鍛える必要がないほどに心が強いということじゃろう。とはいえ、流石に一刻というのはワシも話に聞いただけで、実際に会ったことはないの。」
「ふーん……。」
村長の返しに、ナフプは視線を切って考えることに集中し始めた。
「勇者様も、疑問は解けましたかな?」
「あ、はい。ありがとうございます。」
「まぁ、焦りなさるな。焦って得た答えというのは、たいてい間違っているものですからな。」
それで散歩の続きと村長は去って行った。
村長が去ってからもしばらく散策を続けたが、ナフプはどこか上の空になっていた。
「どうしたの?」
「え?いやー、どうしたってわけじゃないんだけど。」
そのままはぐらかそうとすると思ったが、ナフプは頭をガシガシとかいて「あーもう!」とつぶやいた。
「やっぱりこんなのボクのガラじゃない!あのね、バラ。」
黙ってられないナフプを微笑ましく思うバラ。ツイ少し笑ってしまう。
「どうしたの?」
「……。あのね、たぶんだけど、洞窟ではボクは一緒に戦えないと思う。」
「ふーん。」
ナフプの予想に反して、バラの反応は驚くほどあっさりとしたものだった。
「ちょ、ちょっともっとなんかあるんじゃないの!?えぇ!とか、嘘ぉ!とかさぁ。」
「いやまあちょっとは驚いたけど。でも修行って基本的に一人でやるものじゃない?指導役はいても、あまり二人で敵と戦うみたいのってしないような。」
「うー……。」
自分も師匠と一対一の修行しかしてこなかったナフプは何も言い返せなかったので、代わりに歯ぎしりを返した。
お腹がすいたところで食事をしているときも、ナフプはどこかご機嫌斜めだった。
「ねぇナフプちゃん、楽しく食べない?」
「別に……。」
ぷいっとそっぽを向きながらスープを飲むナフプに肩を落とす。
そうは言いながらもナフプは静かに口を開いた。
「……バラってさ、魔王とも一人で戦うつもりでいるんじゃないの?」
「え?」
「ボクのことは魔法の指導役くらいにしか思ってなくてさ、魔界に行くときにはボクのことだって置いてくつもりじゃないの?」
ナフプはバラの方を向かないが、その背中はいつもよりも小さいように見えた。その姿を見てバラはひどく混乱した。いつも自信満々のナフプしか見ていなかったので、今のナフプの姿が知らない人のように見えたのだ。
「え、と。ナフプちゃん……?」
「ねぇ、どうなの?」
振り返ったナフプの、困ったような顔に返す言葉がバラには見つからなかった。
「お悩みのようですな。」
「わぁ!」
後ろから声を掛けられてバラは思わず食器を落としそうになったが、慌てて掴み直して事なきを得た。
唐突の村長の登場にナフプは舌打ちで答えた。
「む、村長さん!?どうしたんですか?」
「ふぉっふぉ。なに、若い方々が悩んでおるのを見ると、どうも声を掛けられずにはいられんでな。」
「ていうかそもそもどっから現れた。」
ナフプのつぶやきは誰にも届かなかった。
「それで、何をお悩みに?」
「いやその、個人的なことなので……。」
「勇者様がボクのこと置いていくって言うんですー。」
まるで告げ口をするようにナフプが村長に告げると、村長はそれはいけませんなと笑う。
「いや、別に置いていくとは言ってないんですけど。」
「しかし悩んでおられるのでしょう?」
ぐ、と言葉につまる。
「な、悩んでる訳ではないです。けど。」
「ほら『けど』って!そういう所がよくないって話なの!」
「そ、そうなの……?」
「そうなの!」
ナフプに押し切られながらも、まだよく分かっていないバラに、
「ま、どうも勇者様は考えて答えを出すタイプではなさそうですからな。」
そう言って村長はからからと笑って去って行った。
「……あのじーさん、ほんとに何しに来たんだか。」
「さぁ?」
とはいえ、ひとまずは向かい合って食事をすることになった二人だった。
*****
次の日、洞窟の前に立った二人は案内役が洞窟に施された封印を解くのを待っていた。
たいした時間ではないが、ナフプは早くもイライラし始めていた。
「たいした封印でもないくせに時間掛けすぎじゃない?」
「まぁまぁ。きっともうすぐだよ。」
バラの言葉通り、案内役はすぐさまに戻ってきてそれぞれにカゴを渡した。
「これは?」
「食料です。修行が終わるまでは洞窟から出られませんので。万一のためですが、大事に食べてください。」
ナフプがカゴを空けると、保存が利くような糧食が入っていた。
「でも、中にいるときにこれを食べるような時間なんて取れるの?」
「おそらくは大丈夫だと思いますよ。詳しくは、入ればすぐに分かると思います。
ナフプはまたそれかと言わんばかりに口をとがらせる。
一方のテスカはどれだけ糧食が持つかを少し計算した。戦闘をするだろうことを考えると、最大でも3日しかもたなそうである。
「それでは、お気を付けて。」
案内役に見守られるなか、二人は洞窟の闇に消えていった。
洞窟の中は暗く、灯りも渡されなかったので何もない。
「普通こんな暗闇を歩かせる?」
「うーん、これも修行の一環、とか?」
バラは剣を取り出して魔法で炎をまとわせ、その炎で周囲を照らす。少しもやがかかっているが、思ったよりは広い。天井に頭をぶつけるなどはなさそうだ。
「どう思う?」
「分からない……このもやは少し怪しいけど、まあどのみち進むしかないでしょ。」
ナフプの答えを聞いて、バラは先の方を覗く。炎の灯りは奥までは届かないが、どうももやが濃くなっているように見える。
と、ナフプがバラの手を取った。
「わっ、な、なに?」
「いや、はぐれないようにって思って。」
まあ無駄かもしれないけどとつぶやくのに首をかしげながらも、ひとまずはそのまま先に進む。
先に進めば進むほど視界が悪くなっていき、もはや辺りを包むのは霧と呼んだ方が良さそうである。視界も自分の手の届く範囲ほどしか目に入らない。炎もただ視界を白くするだけしかなっていなかった。
「ねぇバラ、まだそこにいる?」
「え、うん。いるよ。」
ナフプの問いに答えながらも、自信がなくなっていく。霧の作用か、少しずつ境界の感覚が無くなっていっているのである。
見えなくなっていく視界。音は反響して方向感覚を狂わせる。手が見えないためか、握っているはずの剣やナフプの手の感覚もない。少し不安になってぎゅっと握る。
「……あれ?」
ナフプの手を握っていたはずの左手に、爪の刺さる感覚が来る。
まるで何も掴んでいない手をぎゅっと握ったかのように。
そう思うと、不意に後ろから風が吹いて、周りの霧を吹き飛ばした。突然クリアになった視界には、ナフプの姿はなかった。
代わりに、奥の方にはナフプよりも少し背の低いシルエット。光はないはずなのに、洞窟の中はなぜかよく見える。
目が慣れてくると、その長い髪が金色をしているのが分かる。
バラはゴクリと生唾を飲み、一歩一歩その少女の元に近づいていく。知らず知らずのうちに息が浅くなっていく。
やがて顔が見えるほどに近づいた。いつか見た、いたずらを思いついた子供のような笑み。
「久しぶり、といった方がいいのかのう。」
「……村長さんから倒し難い者って聞いたとき、きっとアナタが出てくるんだろうって思ってた。」
バラの目の前にあったのは、かつて共に旅をしたテスカの姿そのものだった。
テスカは丸腰でありながら、かつてと同様に自信満々に仁王立ちをしていた。一方のバラは剣を掴んではいるものの、抜こうとしない。
「どうした、抜剣術でも覚えたか。」
テスカの挑発にも答えず、何かを考えている様子である。
「ええい、つまらんぞ。」
バラはためらいぎみに口を開いた。
「……ねぇ、アナタ――」
「なんじゃ、テスカと呼んではくれんのか?」
「真面目な話!」
バラが鼻息荒く怒るのを見てテスカはクックと笑った。
「おっと、先に行っておくがワシに質問をしても無駄じゃぞ。ワシは言うなれば影じゃからな。本物のワシの姿を、お主を通して映した影。」
「アナタは、私の知らないことは知らないってこと?」
「察しがよいな。大体そうじゃ。ワシはお主の思う通りにしか動かん。まあ自問自答したいのであれば手伝ってやってもよいぞ。」
バラは首を振って、剣を抜く。
「私の知ってるアナタに勝てないなら、本物に勝つのは夢のまた夢、だよね。」
テスカは指を鳴らして、どこからか剣を抜く。
「ふん、ワシはお主の思うとおりに動くと言ったが、思い通りに行くとは思うなよ。」
テスカが構えとも思えない構えを取ったところで、バラが思い切り踏み込んだ。
*****
バラはテスカの振り上げを細剣で受けてしまい弾き落とされる。
「くっ。」
洞窟に剣が地に落ちる音が鳴り響く。――この音を聞いたのは、これで何度目だろう。
「どうじゃ、まだやるか?」
「まだ、まだぁ!」
落とした剣を拾ってまた構えようとするが、疲れからかよろけてひざをついてしまう。それにテスカが笑いかけた。まるで子を思う母のように。
「そろそろ休息にするがよい。」
「まだいける!」
顔を赤らめながら慌てるようにテスカに駆け寄るバラだったが、横薙ぎを飛んで避けたところの着地に足払いを受けてそのまま顔から倒れてしまった。
「~~!」
「安心せい、ワシは逃げんし休息しとる者をいたぶる趣味もない。」
それで安心したというわけではないが、諦めてバラも寝返りを打って仰向けに大の字で寝転んだ。
「あーもう!なんで勝てないの!」
「単純に言えば、ワシの方が強いからじゃな。」
「そんなのは分かってるけど……。」
バラは体を起こして洞窟に入る前に渡された食料を食べる。
「具体的に何が足りてないんだろう。」
「ふぅむ。」
テスカは肩で剣を担ぎながら顎に手を当てる。
「まあワシが分かるならお主にもとうにわかっとるということであろうな。」
「あー。そうなるのか。」
バラはまたうんうん唸りながらもどうすれば勝てるかを考え始める。テスカはしばらく眺めていたが、だんだん飽きてきたのか足で地面に絵を描き始める。
「そういえば、倒すべき魔王が目の前にいるのにお主は特に心乱れぬのな。」
「え?まあ姿はそうだけど、アナタに怒りを向けてもしょうがないんでしょ?」
「それはそうじゃが……。」
テスカは納得がいかないように口をとがらせる。
「しかしワシはシュキクを殺させた者じゃろ?」
シュカの名前が出るやいなやバラはテスカを睨み付ける。が、すぐにため息をついて、手に持っている残りを食べきる。
「言ったばかりなのに……。殺させたのはアナタじゃない。」
「『アナタ』というのはワシのことか?それとも、テスカのことか。魔王が殺させたのであって、このテスカは関係ない。そう言い聞かせてるのか?」
テスカの言葉にドキリとする。共に旅をしたテスカは、魔王としてのテスカとは違うのではないか。そう思っている心がないと言えば嘘になる。
「違う!アナタも、いやアナタの元となったのは魔王!人界を襲い、私の村を焼かせ、そして一緒に旅をしていたシュカちゃんまで殺させた!」
「そうじゃな。」
「きっと心の中で笑ってたんだ。何も知らない馬鹿な子だって、疑いもしない鈍感だって!」
「いいぞ!」
テスカは地面の絵を消してもう一度構える。
「少しくらい強くなったって敵わないって、それくらい余裕で、だから全部嘘ついて!」
バラも剣を取り構えを取る。怒りに身を任せたような、荒い突撃姿勢。
「だから……だからアナタを許さない!」
いくらかの距離はあったが魔力を込めた一歩で一気に距離を詰め、高速の三連突を見せる、がすべて剣で受けられる。
「甘い!」
勢い余って近づきすぎたバラの腹にテスカが膝蹴りを食らわせる。
「あ、が。」
数歩よろめき、そのまま地面に突っ伏す。
「勢いはよいが直線的に過ぎる。敵意を持つはよいが、頭までいっぱいにしては救いようもないな。」
「テス、うっ。」
得意げに語った後にバラの方を見ると、食事直後に受けたのがよくなかったのか、バラは食べたものを戻していた。
「あー、うーむ……まあ流石にすまんかった。」
ここまでの疲れもあったからなのか、バラはそのまま気を失ってしまった。
*****
「……ら、バラ!起きんか!」
「うーん……。」
テスカに体を揺さぶられ、バラが目を覚ます。
「あれ、テスカちゃん。服着替えたの?」
「寝ぼけとるのか?」
目をこすってテスカの姿を見直したところで、バラはびっくりしながら後ずさった。
「なななな!なんで!?」
「何を言っとる。変な洞窟で修行中じゃろうが。」
「あ、そ、そうか。」
バラは気を取り直して剣を抜いた。
「まあ待て、少し話をしよう。」
「え、なんで?」
困惑するバラをよそ目に、テスカは地べたに座って、お前も座れと言わんばかりに地面をぽんぽんと叩いた。真意も分からないままに、バラも武器をしまって座る。
周囲には、またぼんやりとした霧が立ちこめている。
「それで、何の話なの?」
「いやなに、なぜバラはそこまでして魔王を倒さんとしておるのかと思ってな。」
「だからそれは私が勇者で、それに……。」
バラは目を伏せて言葉を続けない。しばらく待っても出てこない言葉をテスカが拾った。
「怨みか。」
それでもバラは口を開かなかった。その様子をみてため息をつくテスカ。
「怨みで動くのは悪くはない。強い感情によって動くならば、理屈で折れることもない。その心が燃え尽きるまでは戦い続けることができよう。」
「何が言いたいの?」
テスカはためらいがちに返事を返す。
「仮に……仮にじゃが、もしシュカが生きておったとしたらどうーー」
言い終わる前にテスカの胸ぐらを掴み持ち上げ、そのまま洞窟の壁まで押しやる。岩に頭をぶつけた鈍い音が鳴る。
「アナタが!アナタがそれを言う!?その姿をしたアナタが!」
テスカはバラの掴む手を払って着地し、自分の後頭部を撫でる。剣を抜こうとするバラに、
「バラよ動くな!」
命じて動きを止めさせる。動けなくともテスカのことをバラは睨み付ける。
「……そうだ。ワシだからこそ聞く。お主に怨みを与えたワシだからこそ尋ねる。その怨みが万一にも雲散霧消したとき、お主は何のために戦う。それでもお主は戦えるのか。」
「それでも私はアナタを倒す。アナタが魔王であるなら、それが勇者の使命だから。」
鼻息荒くそう言い放つバラにテスカがまたため息をつく。
「まぁ、今はそれでもよかろう。じゃが言っておく。お主は何よりも衝動で動く。理屈で動けば必ず迷う。じゃから、落ち着いたらまた考えよ。なぜ戦うか、その核を。」
術が解かれて動けるようになったバラは、意味も持たない言葉を叫びながらテスカに飛びかかるが、テスカはひらりと避け、顎に鋭い蹴りを食らわせる。
「あーー。」
バラはまた数歩ふらついて、その場にどさりと倒れた。
「それではまた会おう、バラよ。強くーー」
テスカが言い残した言葉も聞ききれないままに、バラは意識を手放した。
*****
バラが目覚めると、周囲に立っていたの霧がまた晴れてテスカの姿が現れた。
「起きたか、バラ。」
テスカはすでに剣を取って準備万端と言った様子だった。
「先に食事をとるか?」
首を振って、バラも近くに落ちていた剣をとる。
「大丈夫。もう頭も冷えたから。」
「そうか。では始めよう。」
バラが構えるのを見てテスカはすぐに飛び出していった。
バラの戦い方は明らかに変わっていた。これまでは敵の前で前後に動くことしかしなかったが、敵の後ろに回り込んだりサイドステップを行ったりと、相手により広い範囲を意識させる戦い方をするようになった。
初めのうちは慣れていない様子だったが、テスカの動きも横移動を誘うように縦切り多めになっており、避けるうちにだんだんと動きがそれらしくなっていった。
そして、短剣を避けられた所をもう一歩踏み込むことでバラがテスカの後ろをとった。テスカが振り返ればバラはすでに攻撃のモーションに入っていた。慌てて剣で受けるが、剣は弾き飛ばされてしまった。
バラは息が上がりながらもテスカの首筋に細剣を向ける。
テスカはにやっと笑い、顔を上げる。まるで首を狙いやすくするように。
バラが顔をしかめて剣を振りかぶる。その振りかぶったのに合わせてテスカがバラの腕をつかみにかかるが、読んでいたのかバラは短剣でテスカの腕を切り落とした。
霧が漏れる腕の傷を押さえながら、テスカは声を上げて笑った。
「やるではないか。」
「それは……もう知ってるから。」
「そうか。そうじゃったな。」
切られた腕を押さえるのをやめ、テスカは片腕ながらも徒手のままに構えをとった。
「じゃが、ワシはまだ生きておる。まだ終わっとらんぞ。」
バラは小さく頷いて、また細剣で連撃を飛ばす。しばらくは片手で捌くバラだったが、やはりバランスが取りづらいのか少しずつ攻撃を受けてしまう。
「やああ!」
そして、ついに細剣がテスカの胸を貫く。貫かれた胸からはあふれるように霧が吐き出されては空気に溶けていった。
刺されながらも、テスカはにやりとした笑みを浮かべている。
「よくやったな。じゃが、本物はこの程度ではないぞ。」
「……分かってる。」
刺し傷は霧を出しながらだんだんと広がっていき、やがてテスカの体すべてが霧となって消えていった。
バラはテスカの消えた後を少し眺めて、そして霧の晴れた洞窟から去って行った。
*****
テスカが洞窟から出ると、ナフプがぎゅっと抱きしめてきた。バラは支えきれずにそのまま尻餅をついた。
ナフプはバラから離れて立ち上がり、ビッと指さす。
「遅い!」
「あ……え?そうなの?」
「もう四日は経ってるよ!ボクなんてほんのちょっとで戻ってきたのに。」
「あー、えー、ゴメンね。」
頭を掻いてると、バラのお腹が鳴る。
「……そういえば、ちゃんとご飯食べてなかった。」
「えー?じゃ、ご飯食べに行こ!」
ナフプはバラの手を引いて、村長の家へと連れて行った。
村長の家に戻ると、少し驚いたように村長が迎えてくれた。
「もう戻ってこないかと思ったんじゃがの。」
「ちょっとじーさん!だから縁起でもない!それよりバラがお腹すいたって。」
「ちょ、ちょっとナフプちゃん。」
村長は気にしていないようにからからと笑い、それではご飯にしようと奥の方に消えていった。
ナフプは我が物顔で座布団をとって床に座り、バラも座るようにと促す。少し戸惑いながらもバラが座ると、ナフプが意地悪そうな笑みを浮かべる。
「それで、誰と戦ったの?」
「え?」
「当てられる自信はあるけど、バラの口から聞きたいなー。」
座布団を掴みながらもナフプが揺れて尋ねるのを見て、バラはためらいがちに答えることを決めた。
「……魔王だったよ。子供の姿だったけど。」
「やっぱりね。でも勝ってきたんでしょ?」
「うん、まあ。……でも、あの人は魔法を使ってこなかった。それに、私と本気で戦ったことはないと思うから、本物はきっともっと強い。」
拳をぎゅっと握るバラ。
「だから、もっと強くならなきゃ。」
口をとがらせながら聞いていたナフプはため息をついた。
「でもさ、あの洞窟ではボクがいなかったじゃん。魔王の魔法は絶対ボクがなんとかする。だから、バラはその『きっと』のところだけ気にしたらいいよ。」
「そう……?」
「そう!だから、一緒に頑張ろうね。」
バラが頷いたところで、あらかたの準備ができていたのか村長が食事と共に現れた。
番外:ナフプの倒し難き者
霧が立ちこめる洞窟の中。右手からバラの手の感覚が無くなると、ナフプはため息をついた。
「やっぱり一緒には戦えない、か。さて、いったい何が出てくるのか。」
ナフプがその場に立って待っていると、やがて霧が一つにまとまって人が現れる。
……いや、人ではない。シルエットは人のようだったが、頭には角が生え、皮膚も人のものではない。
「……はぁ。」
その魔物は人ならざる声を上げ、両手に炎をまとわせ、有無を言わさずにナフプに殴りかかってくる。
ナフプはさっと避けてまたため息をついた。
「ちょっとだけそんな気はしてたけど、やっぱりだったか、お師匠様。」
師匠と呼ばれた魔物が振り返ったところで、ナフプは手を叩いた。すると洞窟中に風が吹きすさび、砂利を巻き上げながら魔物に傷を付けていく。
「一回勝った相手なんだから、もう負けるわけがないでしょ!サンドウォール!」
地面を隆起させて魔物から姿を隠し、呪文を唱える。長い呪文だったが、魔物が壁を破る頃には唱えきっていた。
「業火の内にて灼き尽くせ!コルスフランマエ!」
壁のがれきから顔を出した魔物に向かって炎がぶつけられる。怯まずに攻撃をしに来るが、ナフプはもう一歩も動かない。
魔物に付いた炎はまるで油のようにまとわりつき、しかもどんどん勢いを増していく。そしてついには魔物全体を炎の中に閉じ込めた。洞窟の中に、魔物の叫び声が鳴り響く。
やがて声も聞こえなくなった頃に、ナフプがため息をついてまた手を叩くと、炎をかき消すように風が吹きすさぶ。炎が消えると、後には何も残らなかった。
ナフプは鼻で笑って、そしてまたため息をついた。
「『お前はこうなるな』か。どうせなら人の頃のお師匠様だったらもうちょっと楽しめたかもしれないのにな。」
それできびすを返して、洞窟の外に出て行った。
村に戻ると、村長が驚いた顔をして出迎えてくれた。
「まさか本当に一刻もしないうちに帰ってこられる人がおるとは……。」
「まあ似たようなことやったことあるし。バラは?」
「勇者様ですか?まだ洞窟の中だと思いますが。」
ナフプはバラの普段の様子を思い出し、長くなりそうな予感を受けた。
「まあいっか。ちょっと疲れちゃった。」
「勇者様を待たれるなら我が家でお休みになってください。」
「そう?じゃ、お言葉に甘えさせてもらおうかな……。」
村長の家に着くなりナフプは眠ってしまった。それから丸一日は起きず、村の人々を心配させたが、やがて起きて、まるで自分の家のように村長の家を荒らし始めるのだった。