海の話
魔王を倒すための旅の途中。森の中で遭遇した魔物を撃退し、一息ついた一行には旅の疲れがたまってきていた。
ただでさえ暑いなか、すばしっこく走り回る魔物達を追い回したおかげで、四人とも汗だくになっていた。
「あーもう!ベタベタする!コア!川はどこだ!」
「川ですと、先ほど横切ってしばらく経っておりますから、この先にもなかなか無いのではないでしょうか。」
テスカは舌打ちをしながらべったりとくっつく服をばたばたとあおる。シュカからの治療を受けながらもバラはひどく慌てた。
「て、テスカちゃんはしたないよ。」
「なんじゃバラ、どうせ誰もおらんし気にするでない。」
「い、いや一応コアさんとか。」
「私は見慣れておりますから、気にいたしませんが。」
「そ、うかもしれませんけど!」
バラはシュカの方を見るが、さっと顔を背けられて、どうも味方がいないことを知った。
「……そうだ!魔法で水を出すのは?」
「うむ。それは考えた。しかし力の調整が難しいから、下手をすれば死ぬ。」
「死……。」
テスカの目は本気の目だった。
「じゃ、じゃあ仕方が無いね。」
バラも本音を言うと汗や泥でかなりべたついてきていたのだが、諦めてシュカの治療を大人しく受ける。
シュカがバラの攻撃を受けて腫れ上がった左腕に湿布を巻いて、ぎゅっと締めた。
「お、終わりました。」
「うむ。では行こうか。」
「あれ、テスカちゃんなんか元気になった?」
「うん?そんなことはないぞ。」
実はテスカはバラが治療を受けている間にこの先の道を覗いていたのだ。
「ほれコア、はよ馬車を呼び戻せ!」
「もう少しお待ちを……来ました。」
コアの言葉通り、ぱっかぱっかがたがたと馬が馬車を引いて戻ってきた。
「今更だけど、馬車ってこういう風にしつけられる物なのかな?」
「違うんですか?」
これ以外の馬車をほとんど知らないシュカが不思議そうな顔を向ける。
「うーん、どうなんだろう。私も別にできなかったところを見たわけじゃないからなんとも。」
「ま、便利なんじゃからよいじゃろ。」
それでさっと馬車に乗り込むテスカに続いて、バラとシュカも馬車に入っていった。
「それでは出発します。」
パチンと鞭のいい音が鳴って、馬車は走り出した。
道の先にある、海へ向けて。
*****
「海じゃあーーーー!」
潮の香りがしてくると、テスカは馬車を飛び降りてそのまま海の方に走り出してしまった。
「ちょ、ちょっとテスカちゃん!シュカちゃんはここにいてね!」
「は、はい。」
バラも追いかけるように海に向かって走る。少しでこぼこした森の道を走ると、少しずつ木々の間から入ってくる光が多くなり、やがてさっと木が消え、砂浜の海が視界に広がった。
「わぁ……。」
「なんじゃ、バラも見たことなかったのか?」
「うん……って、えぇ!?」
テスカの方を見れば、すでに上着を脱いでいる。
「て、テスカちゃん!だから服を!」
「誰も居らんのはさっき確認しておる。それよりも、もうこのべたべたとくっつきよるのに辛抱ならん!」
それでそのままテスカは海へとダイブ。
「だから恥じらいというか……もう。」
バラがあきれながらテスカの様子を眺めていると、馬車が追いついてきた。
「あ、コアさんからも何か言ってくださいよ。」
「ふむ。」
馬を木に繋いで、砂浜に来たコアは顎に手を当てながらテスカの様子を眺める。
「楽しそうですね。」
「そうですけど、そうじゃなくて……。」
この人、実は天然なのかな……。
そのあと馬車を降りたシュカが、砂に足をとられて転んだので、むしろこっちを心配してあげるべきだったろう。
バラはこけたシュカを起こして、髪の毛に混じった砂を振り払う。
「大丈夫?」
「は、はい。ちょっと熱いですけど。」
バラが地面を触ると、太陽に焼かれた砂の熱がじんわりと皮膚に伝わる。
「あ、確かに。砂が熱いね。」
何度か砂に触れたりしてシュカと笑っていると、さっきまでひとりで海につかっていたテスカが出てきた。
「おい、何をしとるんだ。」
「いや砂が――。」
水に濡れて下着がぴったりと服についているせいで、テスカの未成熟さを思わせるボディラインがはっきりと出ていた。少し肌の色も浮き出ている。
「どうした?」
「え、ううん。足、熱くないのかなって。」
テスカは水に入るために、靴も脱いで、直に砂に触れていた。
「ん?ああ、濡れておるからな。」
「ふーん。」
「おい、聞いといてそれだけか?」
手をわきわきさせながら近づいてくるテスカに身構えるバラだったが、その標的はシュカの方だった。さっとシュカの上着を掴むと、ばっと脱ぎさってしまう。
「え……?」
無防備にも万歳の格好で固まったシュカは、顔を下げて自分の状態を視認すると、声にならない声を上げた。
「ちょ、ちょっとテスカちゃん!」
「おうおう可哀想にのう。バラの態度が悪いばっかりにこんな格好させられて。」
「や、やぁぁ。」
なんとなく胸元を隠しながら、シュカが逃げるテスカを追いかけるが、やっぱり途中でこけてしまう。
仇を討たんとばかりにバラが立ち上がって全速力でテスカを追い始める。
「おっと、しかしこいつでどうかな。」
追いかけるバラの格好を見て、テスカが海に逃げ込む。服や靴を脱がなければ追ってこれないだろうという算段だ。
「あっ。ちょっ、テスカちゃん、そこだと落としたら洒落にならないって!」
「ふん、ワシがそんな失敗をーー。」
ざっぱーん。
不意の高波で、持っていたシュカの上着ごとテスカは全身ずぶ濡れになってしまった。そのままうつむき、怒りからかぷるぷると震えている。シュカの方は伏せたまま涙目になりながらテスカの方を見、バラはまた一つため息をついた。
「……本日はここで野宿といたしましょうか。」
一連を静観しながら笑いをこらえていたコアが、静かに馬車からテントを出し、物干し台を作って手際よく野営の準備をする。
「それしかなさそうですね。」
海から上がってきたテスカからシュカの上着を受け取って、バラは物干し台に掛けた。
「……悪かった。ちょっとやり過ぎた。」
テスカがシュカを少し乱暴に引き上げ、砂を払ってやった。
*****
日の静まり掛けた頃、コアが起こした火を囲んで四人は夕食を食べていた。
「でもテスカちゃんがあんなにはしゃぐなんて、ちょっと意外だったな。」
「そ、そうか?そんなにはしゃいでおったか?」
テスカは自分の髪をがしがしといじりながらご飯を食べている。
「確かに、お一人で走り出すのは珍しいことに感じましたね。」
「まぁ、ワシだって初めて見るものには年甲斐もなく気になってしまうところはある。」
「年甲斐もなくって。」
むしろ年相応であろうとバラは思ったが、大人ぶりたいものと流した。
と、シュカがくちゅんとくしゃみをした。シュカは上着を乾かしているので、下着の上に毛布をかぶっているような状態だ。
「大丈夫?寒い?」
「いえ、大丈夫、です。」
と言いつつ、またくしゃみをする。
バラとコアがテスカの方を見る。
「じゃから、謝ったじゃろうが!というか、なぜお前までこちを見る!?」
「いえ、そういう場面かと。」
「変に空気を読みよって……。」
テスカは舌打ちをした後、また髪をがしがしとかきむしった。その様子を見てバラが声を上げて笑った。
「ふふ。」
「……なんじゃバラ、気色悪い。」
「いや、なんか仲間って感じがして。息が合ってきたなって。」
バラはそのままシュカを毛布ごと優しく抱きしめた。
「わ、な、何を!?」
「ほら、こうすると暖かいでしょ?」
「……はい。」
「……。」
テスカはその様子を見て何も口に出さず、また髪を手ぐしする。
「テスカ様、先ほどから髪をどうされたのですか?」
「いや、乾いてからゴワゴワするのでな。」
「ああ、海水が乾いたからじゃない?前に海辺の街で聞いたことがある。それがあるからよく髪を短くするって。」
今度はテスカがバラのことを睨み付ける。
「つまり、バラは知っておりながら、黙ってワシがこの髪を傷つけていくのを見ておったというわけじゃな?」
「いや今思い出したことで忘れてた……っていうかそもそも教える暇なかったじゃん。」
「いーやどこかにあったはずじゃ。」
「そんな無茶な。」
助けを求めてコアの方を見るが、コアは優しい顔で微笑むだけだった。そういう方ですから。
しばらくテスカはふくれっ面だったが、何かを思いついたのか食い気味にシュカの方に寄る。
「のうシュカ。お主、髪に効く薬など知っておるのではないか?」
「髪……ですか。」
シュカは少しうつむいて考えながら、
「ある種の油を、貴族様に卸していた、とか。私は触らせてもらえませんでしたが。あとはよく梳くといいとか。」
「油か……。おいコア。」
コアはゆっくりと首を振るだけだった。
「ございません。」
「なぜ!」
「私達はほぼ焼き物を造りませんので。野営の際の火起こしも木々で行いますし。緊急時の灯り用の油ならありますが。」
「……分かった!」
テスカは諦めて手ぐしでよく梳くことにしたらしい。
「どれだけやればいいのだ?」
「え、えと、たしか毎日百回、とか。」
「毎日!?それはまじないの類いではないか!」
テスカは諦めてシュカの頬をむにむにといじるが、そのうちやっぱり気になるのかまた手ぐしで髪を梳きだすのだった。
*****
夜。バラも眠った頃。テスカはひとり立ってバラの方に寄っていく。
そんなテスカの前に両手を広げて立ちはだかる影を、焚き火の残り火が照らす。
「なんのつもりじゃ、シュカ。」
シュカが震えながらも、まるでバラを護ろうとするように動かない。
「……そんな格好で、はよ寝んと風邪を引くぞ。」
「……バラさんに聞いて、気にしてたんです、バラさんのこと。それで感じたんです。夜ごとに変わっていく、テスカさんと、一緒に眠るたびに……。」
テスカはどうやってシュカを眠らせるかを考えながらも感心していた。
「テスカさんも、コアさんも、こうやって変わったんですか!?」
震えながら叫ぶシュカに、テスカは思わずふっと笑ってしまった。ごまかすように頭をかく。夕食の時よりは髪通りがよくなった髪を。
「大きな声を出す出ない。二人とも起きてしまう。」
「あ……。」
手で口を押さえたシュカの元にバッと近づき、金色の瞳をもってシュカの目を見据える。シュカが視線を逸らそうとしても、どこに目を動かそうともその瞳が付いてくるような感覚に落ちる。
「あ、ああ……。」
「怖いか?」
首を振ろうとするが、震えるようにしか動かすことができない。
「怖かろう。もはや指一つも動かせまい。」
「う……うう……テスカ……さん。」
「この身の名を呼んだところで何も起きぬぞ。なんせこれは夢じゃからな。」
「ゆ……め?」
予想せぬ言葉に、シュカの緊張がすこし解ける。その隙間に入り込むようにテスカが近づいて、視界がテスカの瞳でいっぱいになる。暗い中でよく見えないはずなのに、その瞳の色だけは輝くように目に焼き付いてくる。
「そう、夢じゃ。お主の心の中の怖れが見せる夢。」
「で、で、でも夢ならもっと自由に。」
視界に広がる瞳の中の虹彩の模様がぐるぐると動き出すように感じる。否応なくそれを追ってしまい、目が回ってくる。
「主は夢を自由にすることができたか?ただ思わぬ思いが表に現れるだけじゃないのか?」
「思わぬ思い……。」
金色に濁った視界の奥に、テスカが成長したような風貌の角の生えた女と、コウモリの翼のようなものが生えたコアが見える。
「ワシらを怪物と思うその心が、ワシらを怪物と見せる。じゃがこれは夢なのじゃ。夢が現実となったことがあったか?」
「え、あ、」
テスカとコアのような二人の姿が、金色の波に揺れるように姿がぶれる。自分の心が揺れているかのように。
「まだ夢と思えぬか?ではここはどこじゃ?」
テスカが指を鳴らすと、潮の香りに混ざって街の料理の匂いが鼻に来る。故郷の王都の匂い。
「お主は誰じゃ?何が聞こえる?ここにはどうやって来たのじゃ?」
考えようとしても、頭に靄がかかったように何も結論が出てこない。それどころかどんどん散漫になっていく。
「さあ、夢に戻るがよい。優しい夢に戻り、目が覚めればすべて忘れることじゃ。」
糸が切れたようにシュカは崩れ、規則的な寝息を立て始める。
テスカはシュカをバラに寄り添うようにさせて、毛布を掛ける。
「お優しいのですね。」
いつの間にか本当に起きているコアの声を無視して、テスカは口を開く。
「こやつ、ワシの前に立ちおった。脅してもおらんかったのに震えおって。」
「脅しには従うという当てが外れましたかね。」
「いや、あの時の奴はそういう人間じゃった。変わったというわけじゃろう。」
テスカは自分の毛布に戻って包まる。
「今日はシュカに免じて自分の寝床で休むとしよう。まったく、いったいどこでかような自信を付けおったのか。」
「怖れながらも、テスカ様が付けさせたものと存じます。」
「自業自得であるというか?」
コアはにっこりと目を閉じた。
「此度の旅は、一切がそのようなものかと。」
「ふん。」
テスカは悪態をつくような態度をしておきながら、その実顔は満足げなものだった。
*****
朝になってバラが目覚めると、懐にシュカがいるのに少し驚いた。シュカはまだ寝ているようで、バラはシュカに気を遣ってあまり動かないように気を付けた。
周りを見ればテスカ達はすでに起きているようだ。
「朝食は準備中ですから、もう少しお休みになるといいでしょう。」
コアのささやきに甘えて、バラはもうちょっと寝転ぶことにした。
しばらくして、シュカがもぞもぞとし始める。
「あ、シュカちゃん、起きた?」
「あ……バラさん。おはようございます……。」
挨拶は返したもののまだ寝ぼけていたようで、少しの間そのままでいたシュカが突然ばっとバラと距離を取った。
「あ、あ、あ、あの、ご、ごめ、ごめんなさい!」
「謝らなくても。ほら、前にも言ったけどバラちゃんとも結構添い寝してるし。」
「ワシのことは言わんでいいぞ。」
口をとがらせるテスカに微笑みを向けた後、バラはシュカの方に少し寄る。
「でも珍しいよね。なにかあったの?」
シュカは近くにあった自分の帽子を深くかぶってうつむいた。
「……夢を見ました。怖い、怖い夢を。」
ほとんど分からないくらいピクリとテスカとコアが動きを止める。バラは二人の様子に気付かないまま続ける。
「どんな夢?」
「……忘れました。」
「そう。じゃあ、もう怖くないね。」
にっこりとそう言うバラに、シュカもつられてはにかんだ。
「あの、バラさん。」
「うん?」
「……バラさんは、そのままでいてください。」
バラは不思議そうに首をかしげるも、あまり変わるつもりもなかったのでとりあえず頷いた。
「あ、でももっと強くはなるからね!」
「うむ。いい心がけじゃ。」
と、すっかり準備を終えたテスカとコアが二人の間に入ってきた。
「朝食ができましたから、その後に稽古をしましょうか。」
「けいこ……。」
稽古と聞いてテスカの方を見て、少しげんなりしたシュカだった。
*****
食事の片付けの後、四人は砂浜に出て朝稽古となった。
「うーん、改めて歩いてみると、砂の上ってちょっと動きにくいかも。」
「環境を変えて鍛錬を積むことで、どんな環境でも動けるように、というわけですね。では行きますよ。」
「はい!」
その言葉を合図にコアが飛び出して、バラと剣を交える。
バラがやや足を取られながらもコアと剣を打ち合っているのを、テスカが横目に見ていた。シュカはテスカに言われて水の操作の訓練をしている。
「うぅぅ……えい!」
桶にためられた海水に向かって、両手をばっと向けるも、波紋の一つすら起きない。
テスカはあくびをしながら手を向けると、沸き立ったかのようにボコボコと泡が出る。
「魔法において最も重要なのはイメージじゃ。無論呪文も重要ではあるが、それ以前にその魔法を使い何をするかを頭に思い浮かべられなければ、言葉を上げても何の意味もない。」
「……はい。」
シュカはうなだれて、目を瞑りながらまた桶に手を向け、手が震えるくらいに力を入れる。が、やはり特に何も起きない。
「ふむ、魔力付与はできるようじゃったが……素手はまだ難しいか。」
テスカは馬車の方に行って木の棒を取ってくると、シュカに投げ渡した。
「そいつを持って水に付けろ。それで、木を伝って力が流れていくイメージをするんじゃ。」
「は、はい。」
言われたとおりに棒を持って水に付け、目を閉じて木の棒の先に魔力を流すように考える。すると、ぽく、ぽく、と桶の方から音が聞こえる。
シュカが恐る恐る目を開けると、水から小さな泡が断続的に出ているのが見えた。
テスカの方を見ると、ゆっくりと頷いている。
「それを棒無しでできるようになればよしじゃ。ひとまずはそれを続けてみよ。」
言われたとおり泡を出し続けようと桶に向かい直したシュカだったが、ふと気になってまたテスカの方を見る。
「あの、どれだけ……ですか?」
「できるだけ、じゃな。」
あやふやな言葉が返ってきてぽかんとしていると、はよせいと言われたのでせっせと自ら泡を出す作業に勤しむことにした。
テスカはしばらくシュカの様子を見て、満足した様子でもう一度頷くと、どこからか剣を取ってバラの方へと向かった。
ちょうどバラが砂地の動きに慣れた頃にテスカがやってきた。
「やっとるのう。」
「あれ、テスカちゃんが剣を持つのって久しぶりに見た気がする。」
「ま、ワシは剣をもって大立ち回りをするタイプではないからな。とはいえ、剣がまったく使えぬ訳ではないのは知っておろう?」
自分の背丈ほどの長さの剣を肩に担ぎながらテスカがにやりと笑う。
バラは武術大会の時のことを思い出す。その時のテスカは、正直なところ剣の腕はまるで駄目、といったように思えた。
「……おい、何をにやついておる。」
「え?あ、いや。うん、分かった。まあ、怪我しない程度にね。」
バラの態度にテスカは不満たらたらだった。
「……本気度が足らんな。よし、ではこうしよう。お主が勝ったらなんでも願いを一つ叶えてやろう。」
そう言って構えるテスカを見て、バラは気合いを入れ直した。テスカの提案を真に受けたからではない。構えが以前と明らかに違ったからだ。
バラは腰に差したままの短剣を取って、こちらも構えを取る。
「私だって、コアさんといっぱい訓練したんだから、負けないよ。」
「うむ、意気込みやよし。では行くぞ!」
その言葉と同時にテスカは一歩で間合いを詰め、勢いをそのままに横薙ぎに剣を振る。バラは短剣で受けながらもバックステップで距離を一度取る。
「うわっとと。」
戻った足でそのまま前に出ようとするが、砂で足が滑って体勢を崩してしまう。
見上げれば今にも振り下ろされそうな剣。いっそのこととバラはそのまま砂の上を転がって立ち上がる。テスカの振り下ろした剣は空を割き、そのまま砂に突き刺さってしまった。
「ふん、ちょこざいな。」
「隙ありぃ!」
構え直して直進してくるバラの姿を見て、にやりと笑ったテスカは剣の腹を蹴って砂ごと掘り起こす。巻き上がった砂がちょうどバラの方に飛んでいく。
「わ、ぷ。」
短剣で砂を避けるが落としきれなかった分が左目に当たる。
「砂を払っとる暇はないぞ!」
踊るように剣を振り回すテスカの攻撃をなんとか受けつつ、テスカの隙をうかがう。
(なんとか間合いを詰めないと……。)
上下に振られた剣をなんとか捌いていると、リズムを変えるためかテスカが横切りを見せる。
「今!」
勢いのまま後ろに振りむいたの二合わせ、バラは密着するくらいに踏み込む。
「よし!」
「この間合いでワシができることはないと?」
バラの短剣の刺突をしゃがんで避け、そのまま砂に手を当てて魔力を流す。
バフンッ。舞い上がった砂を避けるためもう一度距離を空け、バラは目に付いた砂を振り払った。
「これで仕切り直し……!」
「じゃな。」
視線を交わして、二人同時ににやりと笑った。
木の棒を持ちながら、シュカは遠くで剣を交わしている二人を見ていた。
砂煙が晴れた頃、さっきと打って変わってバラが細剣の連撃を仕掛けてテスカが守りに入っている。
「桶の方はもうよろしいのですか?」
「ひゃい!」
声の方を向くと、逆に驚いた様子のコアが立っていた。
「申し訳ありません、驚かせるつもりではなかったのですが。」
「あ、い、いえ。」
空いている手で帽子をかぶり直し、また桶に魔力を流し始める。
時々ちらちらとコアの方を見るが、コアはテスカとバラの方を見ているようだった。
(気まずい……)
シュカはコアと話をしたことがほとんどなかった。二人きりの状況も、そんなに多くない。
何か話をした方が気が紛れるのだろうが、シュカにはどんな話をすればいいか皆目見当が付かなかった。
コアはシュカのそんな様子を見てこちらから話題を提供しようと考えた。
「テスカ様、昨日に引き続きいつになくはしゃいでらっしゃいますね。」
「そう……なんですか?」
シュカにとって、テスカはいつと同じように騒ぎまくっているように見えていた。
「ええ。ああやって他のことは考えずにただ体を動かしているのを見ると安心します。」
帽子の影からコアの方を伺うと、テスカに向ける視線はまるで母親のようなものに見えた。
テスカは自分の身長ほどの剣をむしろ振り回されるように振るが、バラが少しだけ間合いを取って避ける。
「コアさんは、テスカさんのなんなんですか?」
「テスカ様の……。」
すぐに返事をしないので、シュカがコアの方を見ると、ニコニコとこちらを見ていた。
「泡、途切れていますよ?」
ビクッっと体を震わせた後、シュカは慌てるように両手で木の棒を掴んで魔力を流す。その様子を見て、コアは一層笑った。
「私は執事ですよ。テスカ様の身を案じ、どんな命令でもテスカ様のものならばこなすのが、私の使命です。」
「どんな命令でも?」
「よろこんで。」
表情をそのままにそう言い切るコアに、シュカは少し恐怖を覚え、視線をテスカとバラの方に戻す。
「もうそろそろ決着が付きそうですね。」
「え?」
シュカの目からは、二人の状況はあまりさっきと変わっていないように思えた。しかし。
「あっ。」
バラが一歩後ろに引いたかと思ったら、一気に距離を詰めてテスカに仕掛けた攻撃がテスカの剣を弾き飛ばした。
剣が宙を舞うのを見て一瞬気を抜いたバラだったが、その隙にテスカがさらに一歩近づいてバラを組み敷き、短剣を奪い取ってテスカの喉元に突きつける。
それでバラが両手を上げて、テスカも短剣をバラに返した。
「え、え?」
「どうやら、テスカ様の勝利のようですね。」
「でも。」
「武器を手放したのはテスカ様が先でしたが、その辺りの取り決めは特にしていなかったのでしょう。」
コアは流石ですとか言っているが、シュカにはどうも納得がいかなかった。
*****
「納得できない!」
シュカ達の所に戻る途中、バラは口をとがらせながらつぶやいた。
「うむうむ。まだまだ青いのう。」
満足そうな様子のテスカのことを見て、バラは自分と身長を比べる。
「そうかもだけど、テスカちゃんがそれを言う?」
してやったりといった感じのテスカはバラの言葉にもかっかと笑う。
「ま、またいつでも挑戦は受けようぞ。」
「絶対次は勝つから!」
「そう来なくてはな。」
戻ってきた二人にシュカが駆け寄り、怪我などがないかをじぃっと見る。
「そんなじっくり見なくても大丈夫だから。」
「でも、膝すりむいてます。」
「こんなの、すぐに治るし。」
しかしシュカはカバンから塗り薬を出して、擦り傷に塗る。どうも染みたようで少しバラが顔をしかめた。
「テスカさんは……大丈夫そうです。」
「ま、こう見えて頑丈なもんでな。」
腰に手を当てて笑うテスカについた砂をコアが払う。
「流石でございます。」
「うむ。」
座りながら傷を眺めていたバラも立ち上がってお尻をパンパンと払う。
「さ、それじゃあそろそろ次の街に向おう。」
「待て。」
テスカは顎に手を当てながら、海の方を見ていた。
「どうしたの?」
「先の勝負の約束を忘れたか?『勝ったものの言うことを聞く』んじゃろ?」
「……それってテスカちゃんだけじゃなかったんだ。」
「馬鹿者!バラはこんなか弱い娘にそのような分の悪い賭けを仕掛けさせたというのか?」
急にしおらしく体をくねくねしだしたテスカに、バラは返す言葉が思いつかなかった。
それで、荷物番のコアを除いた三人は上着を脱いで海で遊ぶことになった。
「ごめんねシュカちゃんまで。」
「いえ、いいです。」
膝が波を受けるくらいのところに立つと、引く波と一緒に足下の砂がぞぞぞと動く。それがどうも心地悪くて、波が引くたびにシュカが体を震わせる。
「ほれ、二人ともそんなところで突っ立ってどうする!」
「そうはいっても……何するの?」
テスカは少し考えて、
「ウォーター!」
二人に向けて海水を飛ばした。バラは顔はガードしたが、シュカはもろに受ける形になった。
それを見て、テスカはひとり大笑いをした。
「す、少しは防ぐそぶりをみせんか。」
シュカは少しの間動かなかったが、ゆっくりと両手を海に付け、思い切りテスカに向かって水を掛けた。そこまでの動作がゆっくりだったからか、テスカも無防備なところにもろに掛けられることになった。
シュカの方を見ると、口をへの字に曲げていてどうも怒っているらしい。しかしどういうわけかバラもテスカも吹き出してしまった。
「よしシュカちゃん、私も手伝うよ!」
「む、二対一か。よかろう!存分にかかってくるがよい。」
それでしばらく、三人で水を掛け合い、そのまま三人とも全身びっしょり濡れた。
遠くから様子を眺めていたコアは
「これは出発は明日になりますかね。」
相変わらずの笑みを浮かべていたのだった。
*****
ひとしきり水の掛け合いをした後、三人は砂浜で横になった。はしゃぎすぎて疲れたのか、早くもシュカは寝息を立てていた。
海から吹く風が、体から熱を奪っていって心地いい。
「ま、昼寝にはもってこいの陽気じゃな。」
「そういえば、魔法で水を扱うのは危ないんじゃなかったっけ?」
「ん?ああ、水を生み出すのが少し難しいのでな。元々あるものを動かすのは簡単じゃ。」
「ふぅん。」
バラはテスカの方を向く。テスカの長い髪が水に濡れて、砂を噛んでいた。
「髪、またゴワゴワになるね。」
言われてテスカも気付いたのか、軽く砂を払う。
「なに、また手ぐしにかけてやるわ。」
「やってあげよっか?」
テスカがバラの方を見る。目が合って、少し笑った。
「シュカも交えて砂を払い合うのもまたよかろう。」
シュカの名前が出て、バラはシュカの方に体を向ける。
小さく丸まって、一定のリズムで寝息を立てている。
「シュカちゃんといえば、シュカちゃんも怒るんだね。」
「ま、当然と言えば当然じゃが、怒りを人に向けるタイプとは思わなんだ。」
「ね。」
バラはまた仰向けに戻る。雲一つない空から、日光が遠慮なく主張してくる。
「ね、テスカちゃん。」
「なんじゃ。」
「……今度は負けないから。」
テスカは目を閉じて、目を腕で覆う。
「そんなにワシにやって欲しいことがあるのか?」
冗談交じりの言葉に笑いながら、バラは太陽に向かって手を伸ばした。
「そういうわけじゃないけど、でも、なんとなく、テスカちゃんには負けたくないなって。」
「そうか。」
テスカは体を起こして、簡単に砂を落とす。
「ワシはいつでも待っておるぞ。」
そして、バラに向かってにやりと笑った。
「……ら、バラ!ほら起きて!」
不規則に揺れる馬車の中、眠っていたバラはナフプに揺り起こされた。
「う……ん、おはよう、ナフプちゃん。」
「寝ながら笑ってたけど、どんな夢見てたの?」
バラは見ていた夢を思い出そうとするが、うすぼんやりとしたことしか出てこなかった。
「忘れちゃった。でも、懐かしい思い出。」
だんだんと目が覚めてくると、潮の香りが漂ってくることに気付いた。
「この匂い……。」
「そう、海だよ海!ほらほらこっち来て?」
ナフプにつづいて馬車の後ろから顔を出すと、街道の横に海が広がっていた。
「そっか、これであんな夢見たんだ。」
「なに、やっぱり覚えてたの?」
「そうじゃないけど、海が出てきたから。」
「ふーん。」
口を濁すバラの姿に、ナフプはそれ以上聞くことをしなかった。
代わりに、
「ねえねえ、ちょっと海で遊ばない?」
「遊ぶって……そんな急に降りれないよ。」
ナフプはむぅっと頬を膨らませたかと思うと、御者のところへ向かった。何か話したかと思うと、馬車が街道の端によって止まった。
「今日はどうせ街には着かないから良いって。ほら行こ!」
「あ、ちょ、ちょっと待って!」
そのままナフプに手を引かれて海へと行くことになったバラだった。
少し暖かくなった頃で、流石にナフプも海に入ることはしなかった。波打ち際に近づいて、海水を少し舐めてみる。
「うわしょっぱ!」
「汚いよ。」
「魔法の基本はなにごとも経験ってね。」
時々強めの波が来るのを後ろに下がって避けたりと、ナフプはなんとなく楽しそうだ。
「ボク、海って初めてなんだ。里の外に出ることはあったけど、大体山間の村までだったりだったし。さっきの口ぶりからすると、バラは来たことあるんだよね?」
「……うん、前にね。」
やはり何かを言いよどんでいる様子のバラに、ナフプはすっかり水を差された気分になった。
「ねぇ、海で何かあったの?」
「何かあったってほどじゃないけど。」
聞いても答えないバラに、後ろからナフプがどっさりとのしかかる。
「わ、な、ナフプちゃん?」
「つまんない!」
「つ、つまんないって言われても。」
ナフプはさらにバラに体重を掛ける。
「ねぇ、ボクにも言えない話なの?」
「そういうわけじゃないんだけど。」
そもそもナフプにしか言えない話というのもよく分からなかったが、諦めて話すことにした。
「魔王と一緒に旅をしてた話はしたよね。海で手合わせしたことあったんだけど、その時負けちゃって。」
ナフプは黙って続きを待ったが、バラは特に話を続けなかった。
「それだけ!?」
「え?まあそれだけだけど。でも、今考えてみると遊ばれてただけなのかなって。」
ナフプは体を揺らしながら気のない返事を返す。
「でも、たしか武闘大会ではバラが優勝したって聞いたけど。」
「あれだって。どう考えても手を抜いていたとしか。……本当にあの子に勝てるのかな。」
うじうじとため息をつくバラに、ナフプはほっぺをつねったりしてみるが反応がない。
「むー、ウォーター!」
ナフプが手を海に向けると、海水がバラめがけて飛んでくる。
「な、サンドウォール!」
とっさに砂を巻き上げて飛んでくる海水をガードする。
「何するのナフプちゃ、わっ。」
バラが振り返ったところをぐいっとナフプが押し倒した。
困惑するバラにナフプがにっこりと笑う。
「魔法もだいぶ慣れてきたね。」
「う、うん。えっと。」
「大丈夫。だって、その時はボクがいなかったでしょ?」
馬乗りになりながらも胸を張って自信満々に言う姿に、バラも思わず笑ってしまう。
「なんでそこで笑うの?」
「ご、ごめん。つい。」
むぅっと口をとがらせるナフプに、どこか懐かしさを覚えながら。