勇者が魔王を倒す話
「さて、勇者達は如何様なものか。」
大げさな椅子に座った、巨乳で双角の女性が、隣の男に尋ねる。
「は、魔王様。六三代勇者は六四代勇者と力を合わせ、四天王の三角目、空のトラロを打ち倒されました。」
男の声は、しかしながらその見た目にしてはやや高い声で、よくよく見ると体つきも女性のそれである。
報告を聞いた魔王は、大きくため息をつき、身を椅子に預ける。
「トラロも討たれたか。核はどうした、コア?」
「こちらに。」
コアの指し示したところには、すでに三つの球形の宝石が並んでいる。その周りにも大小様々の石が敷き詰められている。
「これで残るはロトルのみ、か。他は?」
「はい。六七代勇者は魔界に向かう為、着々と準備をされております。」
「むぅ、奴が来るにはちと早い。少し足止めをしてやらねばなるまい。」
「仰せのままに。」
コアが恭しく礼をする。すでに魔物達の指揮はコアの影がそのほとんどを行っていた。
魔王はまた椅子に座り直す。
「……それで?」
「はい?」
とぼけた声を上げるバラにテスカが噛みついた。
「お前、分かってやっておるな。あまりからかうとお前といえど。」
「滅相もございません。ただ、テスカ様はお手持ちの鏡でよくご覧になられていますから、私の方からお伝えすることもないかと。」
「名前。」
「……これは失礼を、魔王様。」
魔王は目を閉じてゆっくりと頷く。
「で?」
「六五代は現在ナナフ……彼らの言うところの『喚嵐の三頭獣』と対面されております。」
「ふむ……魔界に来る前に思い残しを無くそうということか。」
魔王はまた手の中に鏡を作り、その中をのぞき込む。
*****
バラはナフプと並んで喚嵐の三頭獣と対峙する。
「ぐっぐっぐっ。また会ったか勇者。この前はどういうわけか魔王様に止められたが、今度は三つに食いちぎってやろう。」
魔物は吠え、その体に沸き起こる火を、風を、雷を周囲にまき散らす。
「なるほど、確かにこれは強そうかも。……ボクほどじゃないけど。」
ナフプのおちゃらけた雰囲気に、はやる気持ちを和らげられる。
「あの時はやられるばっかりだったけど、もうあの頃の私とは違う!」
バラは剣を抜き、それぞれに魔力付与を施す。
ナフプの方は数歩下がってバラに魔法を掛ける。さらにその動きを速めるように。
「足よ走らせ駆け馬のごとく、ラピッドトレッド。」
三つ頭の獣がバラを頭から潰すように前足を振り下ろす。
しかし足に感触はなく、目の前には自信満々といった風のナフプがいるばかりだった。
「ノロマ。」
その言葉に振り返れば、すでに跳び上がったバラが目玉の一つめがけて突き出していた。
「やあああ!」
バラの細剣は巻き上がる炎を抜け、その頭で潰れていないもう一方の目を突き刺した。
「ぐぐあああああ!」
炎に焼かれる間もないほどに素早く顔を蹴って剣を抜き、その風圧で髪に着いた火の粉を振り払う。
「ぐっぐぐっぐぐぐ。殺す、噛み殺す、嬲り殺す、焼き殺裂き殺貫き殺殺殺殺」
喚嵐の三頭獣は喚きながら暴れ回り、周りに炎を、風を、雷を振りまいていく。
「あら、壊れちゃった?」
「ナフプ!」
「はいよ!」
細剣をしまい舞い戻ったバラがナフプを抱き上げ、そのまま魔物の正面から逃げる。逃げる間にもナフプは呪文を唱え始める。
「降り落ちるは神の雫、全てのものが受けるべき大水、避けるもの無く、その冷たさに皆力を失う。アクアジェラータ!ついでに自分の雷に打たれちゃいな!」
詠唱が終わると水の塊が魔獣の上に落ちる。その水は巻き上がる炎を消し、風の姿を浮かび上がらせ、そして雷をその体中に流れさせた。
「がぐぐっがあああ!」
「バラ、自分もしびれないでね。」
「分かってる!」
ナフプを下ろし、痺れ悶える魔獣に向かって再度跳び上がるバラ。
「風よ湧き上がれ、ウィンドブロウ。」
自分の周りに風をまとわせ、自身を回転させていく。
回転したままにダガーを突き立て、魔獣の頭を、背を、足を無数に切り裂いていく。
その切り傷が体内に電撃を呼び込む。その痛みがさらに魔獣を震えさせ、さらに雷を呼び起こさせる。もはや自らを傷つけるだけとなったその雷を。
「ぐぐぐああがががあああああ!」
「無様なものね。自分で生んだものが自分を傷つけるなんて。」
ナフプの声ももはや届かず、喚嵐の三頭獣はただ頭を垂れ、その身を震わせる。
そしてその頭の前には勇者が一人。
「ぐ、ぐぐ。こ、ころ。」
「これで最後!」
中央の頭、雷を喚んでいる頭の前に近づいて、眉間に当たる部分の奥深くに細剣を突き刺し、手を離す。
痛みに悶えてその頭を天に上げると、剣から天に向かって雷が昇っていく。端から見れば、剣を避雷針に天雷が落ちたようにも見えた。
やがて雷を下ろした空は晴れ、魔獣が消えて細剣が地面に突き刺さった。
剣を抜いて土を振り落とし鞘に収めたバラは、青を取り戻した空を見上げる。
「やりました、お父様。」
と、背中をナフプに押された。
「さ、あとは魔王を倒すだけ。でしょ?」
「……うん。テスカを、この手で。」
ナフプの方に微笑みかけた後、自分の左手の甲をなでる。勇者の紋章を浮かび上がらせるように。
*****
ナフプに抱きしめられた魔力供給が終わると、二人は旅に戻る。
「で、どんな気持ち?」
「何が?」
「敵討ちだったんでしょ?それを終えての感想は?」
「うーん……。」
バラは口に手を当てて少し考えたあと、
「肩の荷が下りた、かな。」
「何それ。そんなものなの?まーでもそっか。魔王まで倒さないと敵討ちも終わらないよね。」
「そう……だね。」
バラが見上げると空がまた暗くなってきている。
「うーん、流石にこの辺りだとひっきりなしだねぇ。」
「早く行こう!」
二人は暗くなっている方へと駆けだしていった。
そこにたどり着くと、倒された馬車にいくつかの動かなくなった鎧姿、震えている男の前に複数体の木製ゴーレムがいた。
「ナフプ!」
「はいよ!風よ吹けブロウ!」
今にも振り下ろされようとするゴーレムの腕に向かって吹き飛ばされたバラは、その勢いのまま逆にゴーレムの腕を切り裂いた。
「ひぃ!」
「大丈夫ですか!?出来れば逃げ、ってぇ!」
そしてゴーレム達の攻撃をかばいつつ、震えた商人に檄を飛ばす。
腰を抜かしながらも後ずさっていくのを見た後、ナフプにも声を掛ける。
「ナフプ、お願い!」
ナフプは応えもせず呪文を唱える。
「跡形も無く爆ぜ散れ、エクスプロージョン!」
バラの目の前が爆発して、目の前にいたゴーレム達は呪文の通りに跡形も無く吹き飛んでいた。
周囲を警戒するが、他に敵の姿は無かった。その間にナフプは倒れていた馬車を起こしていた。
「あの、大丈夫ですか?」
「ひっ。あ、い、いや。ありがとうごぜぇやす。へ、へへ。」
どこからその力が出たのか、商人は逃げるように自分で馬車を引いて逃げるように去って行った。
「なにあの態度、むっかつくー。」
「ま、まあ色々あるんだよ、きっと。」
バラは後に残された死体達を見る。それでナフプもなんとなく察した。
「あー、うん、なるほど。確かに一撃はやり過ぎだったかも。まぁ次の街も近いし、途中で力尽きなきゃあのおっさんもたぶん大丈夫でしょ。」
「じゃあこの人達を弔ってあげよう。」
ナフプはため息をつきながらも頷いて、バラと共に穴を掘った。
残された戦士達を埋葬し、なんとなく重い雰囲気の中二人は歩いていた。
しかし、やはり沈黙に耐えきれずにナフプがしゃべり出す。
「ねぇ、バラはどうして勇者なんてやってるの?」
「そりゃあ、魔王を倒すためだけど。」
「それだと逆じゃない?別に魔王を倒すだけなら、肩書きなんか村娘でもいいわけじゃん。」
「まあ、それだとここまでの旅がもっと大変だったとは思うけど。」
バラは苦笑しながらも、もう一度考えてみた。
「うーん、たぶんもう私の中では逆でいいってことになってるんだと思う。私は勇者で、だからあの悲しみを撒く魔王を倒す。」
「さっきの人みたいに、感謝の言葉の裏で恐れられるとしても?」
「怖がられてたのはどちらかというとナフプでしょ?」
「そうだけど!それでもきっと、魔王を倒したってなるとそうなるよ。」
またバラは考え、そして口を開いた。
「それでも。だって私は勇者だから。勇者が魔王を討つ。……正直、この役目は他の人に譲りたくない。」
「つまり、やっぱり恨みを晴らすため?」
バラが眉間に皺を寄せる。
「……そうなのかな。でも。」
バラのはっきりしない態度にやきもきしながらも、ナフプはバラと共に次の街を目指した。
*****
ある森の中。
「あーもう!どんだけ森が続くの!」
「ナフプちゃんって森に住んでたのに森が嫌いなの?」
「森に住んでたから、森が嫌いなの。こんな生物いっぱい足下悪い草木が邪魔ジメジメしてるで誰が好き好んで森の中に住むのかって話。」
「うーん、そんなものかぁ。」
程なくして、少し開けたところに家が建っているのが見えた。
「あ、あれじゃない?有名な薬師の家。」
「まったく、こんなところに住むなんてどんな偏屈なんだか。」
「そんなに嫌なら私だけで来たのに。」
「じゃあバラだけで必要な薬分かる?」
バラは返事を返さない。というか、ナフプの方すら見ていない。
視線の先には、井戸から水をくむ、帽子をかぶった少女の姿。
ナフプを置いて、ふらふらとバラがその少女の方へと向かう。
「ちょっと、バラ?あ、ちょっと!」
少女は人の来る気配を感じて帽子を深くかぶり直し、ゆっくりとバラの方を向く。そこで、目が合った。
「バラ、さん?わっ。」
バラはその少女を強く抱きしめる。その体温を確かめるように。
「シュカちゃん。」
「は、は……あの、く、くるし。」
「良かった……ほんとに。」
バラはそのまま膝をついて、少し泣いた。
*****
その後、屋敷の主のクルカとナフプによって二人……というかバラがシュカから引き剥がされ、そのまま屋敷に招待された。
「……へぇ、それじゃシュカと一緒に旅してたっていうのが。」
「はい。私です。でも、どうして……。」
「そうそう。バラから聞いた話だとお腹突き破られて死んだって。」
ナフプがシュカの服をまくり上げようとするが、慌てて防がれる。
「あ、あの。そもそも突き破られてない、です。」
「え?でもあの時確かに。それに血だって……あ。」
自分で言って気がついた。バラは、あの時血を見ていない。確かにコアの腕が体を突き抜けてはいたが、血の一滴もその腕には付いていなかった。
「じゃあ、幻惑させられてた?」
ナフプの言葉に首を振る。
「た、たぶん、腕は通ってました。ただ。」
「うん。たぶん空間魔法だね。」
クルカはお茶を一口すする。それでナフプが立ち上がった。
「そうか!体の前と後を穴で繋げれば確かに腕が通るように見える。……でも何でそんな面倒なことを。それに空間魔法なんて大層なもの、呪文が長くなりすぎるでしょ。」
「うーん、でもあの時テスカは呪文を唱えてる様子なんて。」
「ゆ、指。」
みんながシュカに注目すると、シュカは縮こまってしまった。
「あー、つまりそのテスカ?は指を鳴らして魔法を使ったと。」
「うっそ!」
「嘘じゃない!です……。」
シュカは尻すぼみに言ってまた縮こまってしまった。
「あーごめん。別に疑ってるわけじゃなくて。でもそうか……無詠唱魔法ということか……無詠唱魔法?空間魔法を?そりゃ理論上は可能だと思うけど、それにしたって魔力量とか、計算とか……。」
ナフプはそのまま一人でブツブツとつぶやき始めてしまった。
「どうしたんだ?彼女。」
「あー、大丈夫です。そのうち戻って――。」
「えーい、知るか!なんだってボクが勝ーつ!」
突然立ち上がったナフプに二人が驚いてる中、慣れたようにバラはお茶を飲んでいた。
「ナフプちゃん。」
「あ、ご、ゴメン。つい。」
落ち着きを取り戻したナフプはひとまず座った。
「しかし、なんだってそんな面倒なことをしたんだろ。グサッと殺したほうが……あ、ゴメン。」
シュカはふるふると首を振る。
「うーん、私は良くは知らないけど、流石に旅の仲間は殺しづらかったんじゃないかな。」
「何それ、人間じゃないんだから。」
「でも、テスカさん、優しかったです。」
シュカの言葉にお茶の席は静かになった。そしてバラが口を開いた。
「うん。私も、あの旅の全部がウソじゃないと思う。テスカちゃんはいつも偉そうだったけど、でもいつも他の人のことを考えてた。だから、本当に殺すのをためらったとしても、そんなに驚かないかな。」
「ふーん。で?バラはこれからどうするの?」
ナフプはやや落ち着かない様子で髪をいじりだした。バラはお茶を一口飲んで、左の手の甲をなでる。
「……テスカを倒すよ。あの子は魔王で、私達人類の敵で、私は勇者で、もうこれ以上里を失った人なんて生み出しちゃいけないから。」
「そう。ならいいけど。」
ナフプは言葉とは裏腹に納得いかない様子でお茶を飲み干す。
「そうだ、ねぇシュカちゃん、良かったらだけどまたーー。」
「バラ。」
ナフプの声にシュカを見ると、寂しそうな顔を浮かべていた。
「ありがとう、でも、私、足手まといだから。」
「シュカちゃん……。」
「それに、私はこ、ここで頑張って勉強してますから。」
「そうだぞぉ勇者さん、私だって優秀な助手を簡単には手放さんからな。」
「あ、そ、そうですよね。ごめんなさい。シュカちゃん、そっか。頑張ってね。」
「はい!」
気がつけば、全員のお茶が空っぽになっていた。
「さ、代わりと言ってはなんだが今日は泊まっていくといい。積もる話もあるだろうからね。」
クルカの言葉に甘えて、二人は一泊することにした。シュカを交えて、油が尽きるほど話に花を咲かせた。
******
その後も二人で旅を続け、ついにナフプとバラは『門』にたどり着いた。
『門』というのは便宜上そう呼ばれているだけでいわゆる王城の門のようなものでは無い。
そこにあるのはただの穴。暗闇へと続く、どこまでも落ちてしまいそうな、近づくものを引きつけ、そして離さない。まるで毛もないきれいな穴。
「なんだか、殺風景なもんだね。『門』だけに、なんて。」
バラは特に返事もせず、『門』をじっと見つめている。
「ちょ、ちょっとは反応してくれてもいいんじゃない?」
「え?ああ、ゴメン。ちょっと考え事して。」
「ふーん。まいいや。さ、行こ?」
「あ、ちょ、ちょっと!」
ナフプに引っ張られるがままにバラは『門』へと入っていった。
その先は外から見たよりは暗くなかった。地面に流れるマグマが、空を照らす月の光を薄めている。
「不思議……地面の下なのに空がある。」
「地面の下じゃないからね。『門』っていうのはただの穴じゃ無くて、まあ言うなれば異世界との境界みたいな?」
「はぁ……?」
ナフプの説明にあまり納得出来ていないようす。
「ほら、バラが聖域に飛ばされたことがあったじゃん。アレの魔界行きバージョンみたいな。」
「つまり、あの穴もテスカの魔法?」
「そゆこと。まあたぶんだけど。しかし、この規模。それに魔界と人間界を繋ぐなんて伊達に魔王を名乗ってないってわけか。こりゃ流石の私でも。」
「負けそう?」
不安そうなバラの顔を見て、考え直した。
「一人なら。でも、ボク一人で戦うわけじゃないでしょ?勇者さま♪。」
明るく振る舞うナフプを見て、自然と頬が緩んだ。
「そうだね。とりあえず、あそこを目指そう。」
そう言って遠くに見える城を指す。そこまでの道のりにも、すでに黒い影がいくつも見えている。
*****
道中の魔物をやり過ごしつつ、魔王の城を目指してナフプとバラは進んでいく。
突き出た岩に隠れ、足を速めて逃げ切り、時には巨躯の魔物の影を進み、なるべく消耗しないように。
「なんか、勇者っぽくないね。」
「まあそもそも裏を掻いて頭に直行するって言う作戦自体正々堂々って感じじゃないから。」
「まぁ、それはそうか。」
必要最小限の戦闘をこなし、ナフプが「ようやく暖まってきた」とうそぶいたところで、いよいよ城にたどり着いた。
城は黒く、どこぞの王城かと言ったような荘厳な作りであった。
「光り物は嫌い、か。」
「何か言った?」
「ううん、ひとりごと。見張りとかはいないんだね。」
周りを見渡すが、道中の魔物達が嘘のように何もいない。
「代わりに中は魔物でいっぱいだったりして。ともあれ入らないと始まらないよ。」
「そう、だね。気を付けていこう。」
石造りの城扉は音を立てながらゆっくりと開いていった。
開いた門の先は、案の定というべきか、魔物達が所狭しとうろついていた。数が多いのもあるが、それ以上に一体一体の体が大きいためにそう見えるのだろう。
その魔物達が、一斉に入り口の方、つまりはバラとナフプの方を見た。
「あ。」
「やば。」
目が合った。どの目とあったかは定かではないが、とにかく一体と目が合えば、それが全ての個体に伝わり、全てが臨戦態勢となる。
ナフプは下がり、ドアを閉めた。
「って閉めちゃうの?」
ドアの向こうからは色々な鳴き声が聞こえて来る。人語のようなものもあった。
「だって準備なしに一斉に襲いかかられたら、流石に相手出来ないでしょ。ボクにだって詠唱する時間は必要なんだから。いい、合図をしたら開けてね。」
そうしてナフプは詠唱を始める。その呪文はこれまでのどの魔法のものよりも長く、唱えているナフプの頬をつぅと汗がしたたる。
どんどんと体当たりを受けていた石扉が静かになった頃、ナフプがバラの肩を叩く。
慌てて石扉を開けると、わずかな隙間からナフプがするりと滑り込む。慌ててバラも入ってナフプの前に立つとナフプにぐいっと引っ張られて後ろにやられた。
「……身を震えさせ、我が身も凍えさせ、遍くものを凍てつかせよ!ウェントゥスニワーリス!」
今まさにナフプに飛びかかってきた魔物に突風が吹き付ける。大きく開いたその口をそのままに動きを止め、空気中の水分が周囲に凍り付く。
気がつけば突風はフロア全体に吹き荒れ、部屋全体が一面の銀世界といった風になる。
そしてナフプがパンと手を叩くと部屋中の魔物の氷像が一斉に割れ、光に消えていく。
「す……。」
目の前の光景にバラも言葉が続かない。
しかし、
「わ、な、ナフプちゃん!?」
ナフプは力尽きるかのように目の前でぺたりと座り込んでしまった。よく見れば、髪の毛や頬などに霜が降りている。
慌てて霜を払ってナフプを抱きかかえる。体もかなり冷え切ってしまっている。
「えへへ、どうよ。魔女の里一の魔法使いは伊達じゃないってね。」
「すごいけど……大丈夫なの?」
「うん、魔力使い切っただけだから。」
ナフプは腰のバッグに手を掛けるが、考え直し、開くのを止めた。
「ただ、もったいないしちょっと休ませて。」
しかし、冷え切ったフロアに熱気が伝わってくる。
「……バラ。」
「うん、ナフプちゃんは休んでて。」
「ゴメン。頑張って。」
ナフプを寝かせ、剣を抜いて魔力付与を与え、階段を一段一段降りていく。
段を降りる度に、割れる霜の音が硬質な石畳を踏む音へと変わっていく。
顔を上げれば、燃える炎が立っている。空気さえ凍り付く寒さの中でも消えることのない炎。その炎は意思を持ち、勢いよく燃え上がったと思ったら消え、人の形をとった。
火をつければ赤くなる炭のように黒い肌を持った、金色の目の男のようだった。
「よく参った勇者よ。我こそ魔王謁見のための最後の門番にして四天王の最後の一柱、炎のロトル。」
「私はバラ。魔王を打ち倒すべくここまで来た。あなたに恨みはないけど、ここは通させてもらう!」
「良かろう!貴様が魔王様に会うだけの技量を持つか、この身をもって測ろう!」
ロトルはまた自らを燃え上がらせ、バラと自分を囲むように炎を上げる。
逃げることも出来ない、炎の闘技場に一対一で対峙する。
見た目の派手さに反し、ロトルの動きはあまり激しいものではなかった。むしろあえて避けずにいるようにさえ見える。
事実、バラの剣はロトルの炎をまき散らすばかりだった。
一方のロトルの攻撃も、今のバラを焼くには直線的すぎた。拳を繰り出すように火焔を伸ばすが、サイドステップ一つで避け、空いた脇腹に細剣を通す。が、やはり何の手応えもない。
どちらも傷つかぬ膠着状態が続く。そして、こうなると不利なのはバラの方だった。
「はぁ、はぁ。」
炎に囲まれた中での戦闘で、まさしく滝のように出る汗に視界が潰される。喉の渇きで動きが鈍っていく。熱に冒されて思考も鈍る。
「勇者よ、こんなものか。」
一方のロトルは余裕の表情である。炎を宿している身であるから、当然である。
「まだ、まだぁ!」
素早い剣戟でロトルの左腕をまき散らすが、すぐにまた燃え上がる。
「いくら切りつけようが、炎を切れる剣など存在するはずもなかろう。」
歯ぎしりをするバラ。そんなことは分かっている。でも、何か手があるはず。
「バラぁ!火を弱めるのは!?」
後から叫び声が聞こえる。ロトルからの攻撃を避けつつ鈍くなった頭を動かす。
火を強めるのは風、弱めるのは……水!
「水よ降り落ちよ!レインドロップ!」
炎で囲まれた全体に大雨が通り過ぎる。ロトルは少し火の勢いが弱められ、黒い体が見えるが、水を蒸発させてまたすぐに炎を燃やす。
「無駄だ無駄だ。この程度の水で押さえ込めると思うな!」
さらに勢いを強めると、地面に出来ていた水たまりすら蒸発していった。
しかし、バラは打って変わって余裕の表情となっていた。
「ありがとう、ナフプちゃん。ちょっと落ち着けた。」
水をかぶって体温が下がり、少しながら喉の渇きも癒やせた。
そしてもう一つ。黒い体には水が滴っていた。つまり、水を掛けるのは全くの無駄というわけでもない。
「いざ水よ滴れ、スプリングウォーター。」
バラが細剣に手を当てて詠唱すると、細剣から水があふれ出てくる。その剣でロトルを切りつけるが、炎が弱まるだけでやはりロトルに傷つく様子はない。
「だから無駄だとーー。」
瞬間、炎が再度強まる前に、踏み込んでダガーをロトルに刺そうとする。すると、ロトルはこれまでに無い速度で反応してギリギリダガーを避ける。
一瞬の沈黙。
「やっぱり、これは効くみたいね。」
「ならば、たどり着けぬようにするまで!」
ロトルの金色の目が輝き、やがてその輝きが自らの大火によって隠された。
常人には近づけぬほどの熱気。ただ側にいるだけで体力を奪い、呼吸を浅くさせる。
水の剣を当てようにも、本体より前の炎が少し弱まるだけで、すぐに蒸発してしまう。
「こんなの、もっと早く出せばいいのに!」
「それではつまらんだろう。ほれ!」
炎の拳が一振りされると、残像を残すように火の粉が飛び散る。拳自体を避けても、じわりじわりと身を焦がされる。
「ぐうぅ!」
やけどを冷やすために細剣を自分の体に当てる。最悪これで喉の渇きも潤せそうではある。
だが、それでもやはりこのままではじり貧である。
湧き出る汗を拭いながら、どうすればいいか頭を巡らせる。しかし、薄い酸素の中ではうまく思考がまとまらない。
「でやぁ!」
闇雲に突っ込んではみるも炎に巻かれてやはり本体には届かない。むしろ無駄に焼かれてしまう。
ついには今にも膝をつきそうなほどなまでに消耗してしまった。
(もう、ヤバいかも)
「どうやらここまでのようだな。では、死ねぇ!」
ロトルが炎腕を振り上げる。バラの眼前に、自分の何倍の高さにもなる炎の渦が湧き上がる。
「バラ!上!」
言われるがままに見上げると、炎の渦のさらに上、黒い雲が出来上がっていた。
(あれは煙……違う!)
その正体に気付いたバラは最後の力を振り絞り、目の前の豪炎に飛びかかっていく。
「潔く死を選んだか!」
向かってきたバラを包むように炎を振り下ろす。その瞬間。
「食らえ!ピオーヴェモルト!」
まさにバケツをひっくり返したような水が降り、周囲に水蒸気を発生させ、炎が消えていく。
そして飛び込んだバラの目の前には、もはや火の消えたロトルの本体。
「やあああ!」
勢いをそのままに細剣を突き刺し、ダガーでさらに攻撃を加える。蹴り飛ばして細剣を抜き、倒れた体に再度細剣を突き立てる。
「ぐ、ひ……いや、み、ごと。」
その言葉を最期に、ロトルは光の粒となり、内に火をともしたような赤い宝玉を残して消えた。
消えたところでバラはそのまま倒れてしまった。
「バラ!」
慌ててナフプが駆けつけて治癒の魔法を掛ける。
「ご、ごめん。そっちは、もう大丈夫なの?」
「ボクは平気。なんか流石魔界というか、魔力の回復は早いみたい。後は魔王だけだし、もうちょっと休んでから行こう。」
「うん。ありが……とぅ……。」
「わ、だからって寝るな!まったく。」
そういえばと、ナフプはバラに身を預けられたまま周りを見渡すが、先ほど落ちていた宝玉はなくなっていた。
「気のせい……だったのかな。」
あまり気にせず、ひとまずバラにまた治癒魔法を掛ける。
*****
「そうか、ロトルが逝ったか。」
コアから赤い宝玉を受け取り、指を鳴らして他の宝玉と同じ所に安置した。
「奴は四天王の中でも最弱……それが最後の一人とはな。」
「城内の魔物達もほぼ残っておりませんから、残るは魔王様ただお一人でございますね。」
「お前もおるじゃろが。」
テスカの言葉に、コアは驚いたような顔を見せる。
「……なんじゃ。」
「いえ、お一人で戦うものとばかり考えておりましたので。」
「まったく、全てお見通しというわけか。戦いの間、誰も入れるなよ。」
「承知しました。」
コアはうやうやしく礼をして、テスカの前から姿を消した。
時を同じくして、重い扉がゆっくりと開いた。
隙間から現れた姿に、テスカはにっこりと笑った。
*****
バラとナフプが扉を開けると、広い部屋の奥で大仰な椅子にどかりと座った、双角の女性がいた。
「よくぞここまで来たな、勇者よ。」
「テスカ。」
「魔王だ。わしこそ魔王。魔界を統べ、人界に攻め入らんとした魔物達を統べる王であるぞ。」
魔王は椅子から立ち上がり、側にあった大剣を小枝のように手に取る。バラも鞘に収めていた剣を握った。
「私は勇者テスカ。お前を倒すため、ここまで来た。」
二本の剣を抜いて、魔力付与をほどこす。
「……あれ、それだけ?」
「戦いの前にそんなに話すこともないでしょ?」
バラは振り返らずに答える。
「……ま、そうか。じゃあボクも。ボクは魔女の里のナフプ。里一番の、いや、人間界一の魔法使い。アンタを倒して両界一の魔法使いになる!」
びっとテスカに指を差すと、テスカは高笑いを上げる。
「愉快な奴じゃ。それに、バラが世話になったようじゃな。」
「テスカ。」
バラの言葉で一瞬真顔に戻り、そしてまた悪魔的な笑みを浮かべる。
「気安く名を呼ぶな。さあ、今度は稽古ではないぞ。」
剣を地面に突き刺したまま待ちの姿勢を崩さないテスカ。バラはナフプと目配せをする。
「足よ走らせ駆け馬のごとく、ラピッドトレッド。」
魔法を受けて加速したバラはそのままテスカに正面から突っ走る。
「なんも学んでおらんのか。」
テスカは舌打ちをして、突き刺した剣を軸に回転してバラの突進をよけ、そのままバラに蹴りかかる。
「跳び上がれ、フライ!」
ナフプの魔法で跳び上がってテスカの蹴りを避ける。
「ほう!ならばこれはどうだ!」
テスカが着地したところで剣を抜いてまだ中空にいるバラに投げる。
「嘘!」
慌てて飛んでくる大剣を迎え撃つ。そのまま天井に着地して、空から再度テスカに斬りかかる。が、これはひらりと躱される。
「まだまだぁ!」
そのまま連続刺突を繰り出す。踏み込みが早くなった分テスカも下がらざるを得なくなるが、攻撃自体はどれも軽くいなされる。
テスカからも爪を立ててバラを引っかこうとするが、ダガーで防ぎ、そのまま腕を切らんとする。
「バラ!」
ナフプの声が聞こえたところで、バラはテスカに体当たりをかます。剣にばかり注意を向けていたテスカはこれをまともに受け、体が浮き上がる。
ナフプの方を見ると、巨大な氷柱がいくつもテスカの方を向いている。
「食らえ!」
その氷柱がそのまま足の浮いたテスカにめがけて飛んでいく。しかし、テスカはにやりと笑って指を鳴らす。
「ナフプちゃん!」
慌ててテスカが戻り、ナフプを抱えまた飛ぶと、先ほどまでナフプの居たところに氷柱が突き刺さる。
「おーこわ。なるほど、アレはやっかいだね。」
「どうすればいい?」
「指を鳴らせなくすれば、ひとまず無詠唱は出来なくなるはず。」
「分かった。」
「分かったって、ちょっとどうするの?」
バラはナフプに耳打ちをして、再度テスカの方を見る。テスカは剣を拾い、楽しげに口角を上げている。
「作戦会議は終わりか?」
バラは答えず、再度突進する。
「それはもう見飽きた!」
テスカは指を鳴らして目の前に穴を作り、バラを自分の背後に送る。
「飛べや火の玉、ファイアボール!」
そして無数の火の玉をバラに向けて飛ばす。バラは開きっぱなしの穴に再度入って攻撃を避ける。火の玉は地面に当たり煙を辺りにまき散らす。
バラはさらにもう一度穴に入って煙にまぎれる。
「煙の中なら見つからんと思っておるなら、甘く見すぎじゃぞ。」
火の玉が壊した床の欠片を掴んで煙の中へと投げる。しかし、煙の中からは乾いた音しか鳴らなかった。
「ほう?」
煙が晴れると、そこにバラの姿はなかった。
「ふむ。どこに行ったか。」
ナフプの方を見ると、なんらかの呪文を唱えている様子だった。
「ま、よいか。」
テスカはナフプを無視して部屋の片隅に斬りかかる。と、何もない所から細剣が出て受け流す。
「もらった!」
もう一本の剣が剣の柄に向かう。が、テスカはひるまず剣の伸びた元に向かって蹴りをかませる。
「ぐぅっ。」
剣が吹き飛び、何もない所からバラが飛び出してきた。
「下手な幻覚に頼らないのは考えたが、ただ視界を塞ぐだけで見えなくなると思われたのは心外じゃな。」
バラは悔しげに眉間に皺を寄せる。その刹那、テスカは左腕を上げる。と、先ほどまで左手のあった所にかまいたちが起きた。
ナフプが苦虫を噛んだような顔でテスカを睨む。
「この程度!奇襲にも――。」
しかし、テスカの眼前には自らの親指が飛び出てくる。細剣に貫かれたそれは、ピクピクと震えた後、光となって消えた。
「隙あり。」
「ふ、ふふ。いいだろう。傷をつけた礼に少しばかり本気を見せてやる。」
テスカは切られた部分を握り、力を込めて親指を再生させた。
「うそ、マジ?」
「この程度で驚かれては困る。さあ行くぞ!」
再生した指でパチンと鳴らすと、ナフプの頭上から異様な熱気が降りてくる。
「あ、ヤバ。」
見上げれば目を焼くほどの赤黄色。瞬間、ナフプは後ろに吹き飛ばされる感覚を覚える。 「……出来れば次からはもうちょっと優しく。」
「ゴメン、たぶん無理。」
バラに抱えられたナフプは、先ほどまで自分が居たところにマグマが塊になって落ちているのを見た。
「でもこれくらいなら――。」
また指が鳴ると、今度は頬をかするようになにかが突き抜けていった。後ろを見れば壁がえぐれている。
「……なにあれ。」
「分かんない……けど逃げろ!。」
指がぱちぱちと鳴るたびにバラとナフプに向かってなにかが飛んでいき、頬を裂き、髪を持って行く。
「ほれほれ、逃げるだけじゃと!」
テスカは二人に向かって打ちながらも自分の足下に穴を空け、そこからバラに蹴りを繰り出す。
「ぐぅっ!」
もろに食らい足の止まったバラを狙い撃つ。バラはとっさにナフプを放り投げて横飛びをし、体制を整えてから空中でナフプを受け止める。
その間に、テスカは指を鳴らしながらも詠唱を始める。
「その力は何よりも弱く、されど誰もその力から逃れることはできぬ。塵よ積もれ、グラヴィタツィオネ。」
「うぐっ!」
突如自分とナフプの体が重くなったように感じ、バラは一歩も動けなくなった。
「ほれ、今度は狙いを付けて……。」
テスカは余裕の表情で人差し指で照準を合わせる真似ごとをする。
「ご、ごめ……なふぷ、ちゃ。」
そして、指を
「土よ起こりてその子を護れ今こそ壁となりて我が身を傷つけんとするものに立ち塞がれバリエラデルスオーロ!」
鳴らし終わると同時にナフプも超高速詠唱を終え、大きな壁を作って弾を防いだ。
「ぎりぎり分かった。あれ水だよ。」
「水!?」
ナフプはこくりと頷いた。
「どうやってか知らないけど、めちゃくちゃ高速に打ち出してるんだと思う。正体さえ分かれば対策は組める。」
壁の向こうでテスカは満足げに笑った。
「なるほど。だが、これならどうかな!」
テスカは二度指を鳴らし、自ら作った穴に向けて水を打ち出す。その穴は、二人の後に繋がっていた。
なんとか身をよじらせて直撃は避けたが、それでも脇腹に激痛が走る。
「っつああ!」
痛みに耐えつつ、空いた穴に向かって細剣を通し、テスカに攻撃する。テスカはこれを避けるも、代わりに二人に掛けていた重力魔法の集中を切らしてしまった。
「小癪な。」
と言いながらも、楽しそうに笑うテスカを横目に、バラは傷の痛みを止めてもらっていた。
「後でちゃんと治すから。」
「うん、血も出てないから大丈夫。」
「おっけ!ボクはボクで護るから。遠距離には?」
「詰めて戦う!」
ナフプが先ほどの土壁をゴーレム化して自分の盾にする間に、バラが一瞬で間合いを詰め、テスカに向かって斬りかかる。
「やあああ!」
バラは二三合打ち合ってすぐに下がろうとするが、それでも引き下がらずに追いかけてくる。
指を鳴らして水を撃っても、怯まずに攻め入る。
「ならば!」
バラをけん制しつつ、背後に穴を空けて離脱する。バラは遮二無二追いかけるが、出てくる先は中空で、下にはテスカが剣を構えて待っていた。
「風よ吹けブロウ!」
風を使って体制を整え、避けつつも攻撃を加える。
着地し片腕を押さえるバラと、片目を押さえるテスカ。
しかし、バラと対照的にテスカは余裕の笑みを浮かべている。
「この程度なら――。」
「……封鎖、完成、魔のものを塞ぎ閉じ込めよ!バリエラマギカ」
テスカが右目を治した頃、ナフプは密かに魔法を完成させていた。正体に気付いたテスカは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「これは、魔力結界か。」
「どう?これで無尽蔵に回復するわけにもいかなくなったでしょ?」
「ああ。おかげで水鉄砲も撃てん。じゃが。」
テスカは指を鳴らしてナフプに斬りかかる。バラが一瞬で追いついてダガーで受けるが、傷ついた腕では受け止めきれず、ダガーを落としてしまった。
テスカは大剣をバラの喉元に突きつける。
「おいそれと回復できんのはそっちも同じ、じゃろ?」
「……どうだろうね。」
バラは細剣でテスカの剣を振り払い、ダガーを蹴りつつナフプを抱えてテスカと距離をとる。追うテスカをゴーレムが立ち塞がる。
距離が取れたところでナフプはバラに液体を振りかけ、簡単な回復魔法を掛ける。
「傷よ癒えよ、ヒール。」
「マナポーションか。小癪なものを!」
指を鳴らして近づいたテスカが、再度ナフプに斬りかかる。が、今度はしっかりとダガーで受け止められる。
「これからが本番!」
「よかろう、二人まとめて倒してやろう!」
テスカは一歩引いて、
「燃え上がれフレイム!」
二人との間に豪炎を上げ、部屋を二分する炎の壁を作る。その上で指を鳴らして一方的に剣戟を向けた。
「ぐぅっ。」
バラは剣をいなした後の根元を狙うが、テスカの剣が戻ると同時に穴は塞がってしまう。
「くっ。」
「魔力をちょうどいい感じにしてるんだ。これは、後追いは難しいと思う。」
「じゃあ。」
神出鬼没の剣をいなしつつ、二人は向かい合って頷く。そしてナフプは詠唱に専念し、バラがナフプの分まで避ける。
と、地面が揺れる。
「やば!」
ナフプを抱えて跳び上がると地面が割れる。
「あっぶな。」
避けた先でもやはり斬撃が襲いかかる。そして今度は炎の渦が飛んでくる。
なんとか避けているとナフプは詠唱を終えたようだ。
「バラ!」
バラは頷いて、目の前の炎の壁に飛び込む。
「フィオレディネーベ!」
炎から身を守るように、二人を雪の膜が覆う。そうして炎の壁を抜けたところでナフプを下ろし、そのままの勢いでテスカに細剣で斬りかかる。
テスカが大剣で受けると、凍った細剣とくっついて離れない。
「む。」
バラはそのまま剣を振り払ってダガーで突く。しかしテスカは指を鳴らして後ろに逃がす。
そこでバラは後ろに一つ飛ぶと、テスカの頭に氷柱が降り注ぐ。
「くっ。」
テスカは急いで指を鳴らして自分を別の場所に動かすが、多少傷を受ける。
「単に自分を冷やすためにあんな長い詠唱したわけじゃないんだから!」
避けても避けても追いかけてくる氷柱を魔力を放出して吹き飛ばすと、テスカは自分の身を抱えて小刻みに震えだした。
「うううがああああ!」
苛立ちを発するようにテスカが吠えると、その身に稲妻を帯び始めた。電気を帯びたテスカは髪が逆立ち、目もまるで自ら輝いているようになっている。
「この姿を取ったのはいつぶりになるか。」
テスカが腕を一振りすると、ナフプに向かって雷撃が飛びかかる。
「あああああああああ!」
痺れ悶えるナフプにバラが駆け寄る。
「ナフプちゃん!」
「いっつぅ。さっきの本気ってのはなんだったの!まったく。」
ナフプは軽い口ぶりだが、電撃の衝撃はまだ体に残っているようだ。
「まあでも逆に言えばそれだけ追い込んだってことだよね。」
「たぶん。それに、あの姿をテスカが『本気』と言わなかったのには理由があると思――ぐぅっ!」
またテスカが電撃を打ち込んできたのをダガーで受け止める。それでも左腕が多少けいれんする。
「ゴメン、あんまり考えてもらう時間ないかも。」
「分かった。ボクも出来ることからやってみる。」
バラは何度目になるか、テスカに向かって突進する。途中で細剣を拾い、電撃を絡め取るようにテスカに連続刺突を繰り出す。それをテスカは身じろぎだけで全て躱す。
代わりにバラの右腕を握ると、それだけでバラの全身に電撃が走る。
「ぐぅぅぅううう!」
衝撃に耐えるように全身に力を込める。そのとき、偶然か本能かバラの身自身に魔力付与がかかる。体への衝撃がなくなった。
「バラ離れて!」
同時にナフプの声が聞こえ、即座にテスカに蹴りを入れて距離を取る。途端に鉄の柱が何本も部屋に降り注ぐ。
テスカは離れるバラに向かって電撃を放つが、鉄の柱に阻まれてしまった。鉄柱から放電される様を見て口を歪ませる。
「……なるほど。」
ナフプはバラと合流してマナポーションを一飲みする。
「たぶんアレは魔力消費が激しい。今だと特に長くは持たないはず。」
「その通り!だがそれももはや問題ない。」
突如隣に現れたテスカが、素手でナフプに襲いかかる。そこはバラがダガーで受け止めるが、もう一本の腕がナフプの腰を狙う。
「あっ!」
なんとか避けようとしたナフプは、しかし避けきれずに腰のバッグに攻撃を受け、中身ごと引き裂かれてしまった。
「マナポーションが!」
バラが細剣でバッグを引き裂いた腕を切りつけ、追撃を防ぐ。しかし、テスカの頭の上から大剣が振り下ろされた。
「きゃっ。」
ナフプはとっさに両手で頭を防ぐが、もろに剣を受けてしまう。
「三本目の腕!?」
バラは慌ててテスカに斬りかかるが、テスカは軽く距離を空ける。
「切り札というものは最後まで取っておくものじゃ。」
ナフプの方を見ると、ひとまず両手は繋がって、血も止められていた。しかし、地面に座り込んでしまっている。
「ゴメン、もう打ち止め、かも。」
息が荒く、かなり苦しそうだ。なんとか笑おうとしているようだが、それでも悔しそうに顔が歪んでいる。
「ううん、ありがとう。後は任せて。」
ナフプに背を向け、バラはテスカの方に向かう。
テスカは傷ついた腕を治し、代わりに三本目の腕を失っていた。
「さて、これでまた一人になったの。」
余裕そうな笑みを浮かべてはいるが、テスカも息を荒げている。
一方のバラは、傷つけば治す手立てはないものの、魔力付与を自分の体に施してテスカの前に立つ。
「一人だけど、一人じゃないよ。」
「ふん、まあいい。始めよう。」
それでテスカとバラは切り交わす。片手で大剣を振りつつ、指を鳴らして四方八方から攻め入るテスカ。魔力付与で護られた体を駆使しつつ、細剣とダガーのコンビネーションで攻めるバラ。
最初はむしろバラの方が有利に思える状況であったが、しかし。
(強い……。このままじゃ。)
少しずつバラの身が削られていく。魔力付与で護られているとはいえ、剣で切りつけられれば痛む。電撃を受ければ魔力が剥がれていく。
「どうした、こんなものか!」
「く、そおおおおおおお!」
バラは攻撃を受けるのもいとわずにテスカの胴元に入り込む。通常であれば大剣の間合いのさらに内側になるが。
テスカが指を鳴らして剣を適当に振ると、その攻撃はバラの背中に降りかかる。
「んぐあああ!」
それでもバラは怯まず、そのままテスカの方にダガーを突き刺す。
「ぐぅっ。」
「おりゃああああああああああ!」
そのまま肩から左腕を切り落とす。
衝撃で数歩下がったテスカに、さらに間合いを詰めて細剣で斬りかかるバラ。しかし、
「舐めるなぁ!」
直線的に過ぎるその剣をテスカは蹴り上げ、二の手に来ていたダガーを右腕に持った大剣で吹き飛ばす。
そのまま大剣を振り上げ、勝利を確信したテスカはにやりと笑う。
「さらばだ、勇者よ。」
終わった、とバラも覚悟を決めたところで、パンと部屋中に手を叩く音がなった。
途端に部屋中に風が吹き荒れ、かまいたちとなってテスカの身を傷つける。その上右手を大きく上げていたテスカのからだがよろめいた。
「切り札は最後に取っておく、ってね。」
遠くでナフプがしてやったり顔を浮かべている。
「おのれおのれおのれおのれぇ!」
蹴り上げられていた細剣がバラの手に戻り、それをもってテスカの右手までも切り裂いた。
両腕を失ったテスカは急ぎ両腕を再生しようとする。それで無防備になったテスカの心臓めがけ、バラは最後の突きを繰り出す。
「やああああああああああああああ!」
しかし、バラの攻撃は外れた。
目の前に居るはずのテスカが急に消え、バラは周りを見渡すが視界にテスカが入ってこない。
「バラ、下!」
ナフプの声に下を見れば、角の生えた頭が目に入った。
「この……。」
バラは再度突こうとしたその手を止めてしまった。
その目に映った姿は、角こそ生えてはいるものの、幼女のような背格好の、共に旅をしていた頃のテスカの姿そのものであった。
「テスカ……ちゃん。」
「……ここまで、じゃな。」
バラは思い直して止めてしまっていた攻撃を再開する。しかし、生まれた隙を見逃すテスカではなかった。
テスカは振り下ろされる細剣をするりと避け、その細剣をポール代わりに握ってテスカを両脚で思い切り蹴飛ばす。
さらに飛ばされて倒れたバラに馬乗りになり、バラの顔を小さな両手で握り絞める。
「悪いが返してもらうぞ。」
「え?あ、あああああああああああああああああ!」
テスカはバラから魔力を吸い取っていく。バラにはそれが力がだんだんと入らなくなっていくように感じられ、恐怖のあまり声を出すのを止められなくなった。そしてそれもやがて止まった。
バラの身に蓄えられていた魔力を吸いきったテスカは、幼女から元の姿に戻っていた。
「さて、あとはお前の処分だけじゃな。」
そして遠くで柱にもたれながら一部始終を見ていたナフプに近づいていく。
「バラをどうしたの?」
「安心せい、眠っておるだけじゃ。……さて、お前は殺してもよいのじゃが、バラをここまで育てた礼もあるし、何よりその気概気に入った。もし死を恐れるなら、ワシが魔物にしてやろう。」
テスカからの提案にナフプは少し考え、口を動かすがテスカまで言葉が届かない。
声を聞くためにテスカが近づくと、
「降り注げコールレイン。」
ナフプはテスカの頭上に水を降らせる。
「頭冷えた?」
テスカは応えずにナフプを蹴り飛ばす。もはやナフプには立ち上がる元気もなかった。
その様子を見て、テスカは口が裂けたかと思えるほどに笑った。
「よかろう。そこまで言うのなら魔物にしてやろう。」
そして倒れ込んでいるナフプに手を当てる。
「ちょ、やめ。あ、ああああ!」
ナフプは体の芯が熱くなっていくのを感じ、そしてその熱が全身に行き渡り、痛みとなって意識に伝わっていく。その痛みに耐えかね、ナフプも気を失ってしまった。
テスカは指を鳴らしてナフプを自室に送る。
これで、部屋に立つ者は魔王テスカただ一人となった。
テスカはまた自分の椅子に座り、今後のことを考える。
「さて、バラはどこかの街に送るとしても、此度の人界侵略はここまでじゃな。我が軍全てに帰還命令を出して――。」
テスカの思考を邪魔するように、目の前に人型の影が立ち上がった。
「どうした、コア。」
「すみません、魔王様。私もこれまでのようです。」
よく見ると影もどこか透けていて、今にも消えそうになっていた。
「……そうか、よく働いてくれた。」
「いえ、お言葉を守れず申すべき言葉もございません。」
「よい。むしろ戦いの間良く守り通した。」
「恐悦至極、にございます。」
「もうよい、休め。」
テスカの言葉で、コアの影は自ら宝石台の上に立ち、そして黒い宝石となった。
テスカは手の中に鏡を出して、部屋の扉の向こう側を見る。
そこには、六七代勇者と、その仲間と見られる三人の人間がいた。
「そうか……。まさかここまでくるとはな。では、出迎えてやらねばなるまい。バラは……いや、もうアレは魔力を失いもはや町娘と同じ。そのままでもよかろう。」
テスカが偉そうな形で椅子に座り直したところで、重い部屋の扉がゆっくりと開いた。
*****
以下、大僧正ツァム著 『自省』第三章最終段より
我々は、門番を名乗る悪魔を倒し、ついにその先に魔王の待つという扉に手を掛けました。
扉の先には、確かに魔王が、その悪逆非道を語るかのように座っておりました。そして部屋の隅を見れば少女が倒れております。
マッツ様の声に、皆それがかの六五代勇者その人の姿であることを知ったのです。
「この者と同じく、貴様達も返り討ちにしてやろう。」
魔王のその言葉で火が付いた私達は、最後の戦闘を始めました。その内容は筆舌に尽くしがたく、まさしく死闘と呼ぶに相応しいものでした。
私もチェルもほとんどの魔力を使い果たし、チョウにいたっては片手を失ってしまうほどでした。
しかし、それでもマッツ様の攻撃が最後には魔王に届き、魔王はその膝をつくこととなりました。
倒れる前に、魔王はマッツ様に一つ呪いを残されました。
それと同時に城が揺れ始めました。チェルが言うことには、魔王の魔法が解けるゆえの揺れであり、急がねば私達も魔界に取り残されてしまうとのことです。
私達は急ぎ戻ろうとしましたが、マッツ様は倒れていた六五代勇者の身を案じておいででした。しかし残念ながら彼女を救う余裕は私達に残されてはいません。マッツ様を押し込んででも私達は急いで部屋を出ようとします。
部屋を出る際、何やら指の鳴る音がしたので振り返ると、倒れているはずの魔王も六五代勇者も見えなくなっておりました。チェルに言うと、魔王も魔物であるから、ただ光に消えただけだと言います。それはその通りでしょう。六五代勇者は分かりませんが、なにか人界に戻る手立てを持っていたのかもしれません。
ともあれ、我々は無事に全員で人界に戻ることが出来ました。その直後、我々が通ってきた穴は塞がってしまったので、かなりギリギリだったようです。
その後、人間界にいたほとんどの魔物も去り、我々は王宮にことの顛末を報告に上がりました。
その功績を称えられ、マッツ様には領王に封ぜられることとなりました。片腕を失ってしまったチョウは、お二人のかねてからの願い通りマッツ様と結ばれ、王妃となったそうです。またチェルは王宮から資金を受け、魔法使いを束ねる仕事を始めておりました
そして私といえば、お恥ずかしながら身に余る位階を授かることとなってしまい、このような立場となりました。
ともあれ、マッツ様のお力もあってこのように人界から魔物が去り、戦争が終わることとなったのです。
しかし、それも全てこれまでの六六名の勇者の力があってこその、いえ、この戦争に関わった全ての人の力あってこその勝利であったことを忘れてはおりません。
団結と忍耐こそ、我々人類が困難に立ち向かう際の武器なのですから。
賢王と呼ばれたとある領王の日記(抜粋)
領内の視察から帰る途中、馬車が止まった。御者に尋ねさせるとどうやらぼろぼろになった女が倒れていたらしい。検分させると、どうやら左手の甲に勇者の刻印があること、にもかかわらず魔力が無いことが分かった。
刻印によって勇者を名乗るのであれば大罪である。私自ら彼女を見てみると、それは触れでみた通りの姿であった。
周りを見渡すも同行者はいないようだ。慌てて保護するように命じ、その日は城へと連れて帰った。
*****
戦争終結の祝賀会から帰ると、かの勇者が目を覚ましたことを聞き、自ら会う。彼女は初め恐縮しているようだったが、やがて同行者のことを聞いてきた。見ていないと伝えると、小さく言葉を返し、震えていたのが印象的であった。しばらくゆっくりするようにと伝え、城下の者には客人として扱うようにと触れた。
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かの勇者に仕事を求められたので、一度は断ったが彼女の熱心さに思い直し、王子の剣術指南を頼むことにした。かの武術大会でも優勝したと聞くし、元とはいえ勇者であればこれ以上の指南役もあるまい。
彼女は快諾し、早速王子に稽古をつけてくれているようだ。
最近世には不穏な空気がはびこっている。出来る準備はしておかねばなるまい。
*****
魔を滅せよとの触れが出てから、我が領にも調査の手が伸びてきた。幸い魔法使いどもには年金を出して暇をやっていたため、大事となることは無かった。
ただ勇者を指南役としていたことがばれてしまったが、彼女にはもう魔力も無かったためそれほど大事となることはなかった。
彼女は自らよりも森に住むという薬師を心配していたが、薬師であれば目こぼしされるはずだと告げた。気になるならば休みを取るように言ったが、かえって迷惑になると辞退した。
*****
いよいよ我らも戦を免れることは出来ないようだ。王子とともに出征の準備にかかる。
王子もついに独り立ちし、私の後継として少しずつ仕事を任せるようになった。
それに合わせ、勇者を指南役の任から解き、これまでの礼を兼ねて褒美をつかわすというと、彼女は小さな道場を求めてきた。ちょうど志願兵の中に道場を持っていた者がおったため、留守を守るついでに彼女に貸し渡すようにとした。
*****
私もついには死神の鎌からは逃れられないようだ。一つ心残りがあるとすれば、王子に委譲する前に敵味方を定められなかったことばかりである。
そういえばかの勇者はどうしているだろうか。道場はよくやっていると聞いたし、なにやら子供を育てているだの誰かと共に住んでいるだのと風の噂に聞いた。元気であるならばそれ以上のことはあるまい。
彼女の幸福を望む。