中編
魔王選別の儀の翌日。バラは、テスカ・コアと待ち合わせをして、昼の酒場へと向かった。
「あ、別にお昼からお酒を飲もうとしてるわけじゃなくてね。」
「分かっておる。仲間探しじゃろ?」
なんとなくいぶかしそうな目つきをしていたコアに弁明しようとしたら、その前にテスカにフォローされてしまった。
実は、コアさんはテスカちゃんよりも世間知らず、なのかな。
二人の関係にやや疑問を抱きつつも、深くは考えないバラ。あまり考えるのは得意ではないのだ。
何はともあれ酒場に入ると、昼間だというのにテーブルの半分ほどは埋まっていた。
「いらっしゃい。おや、昨日勇者になった子達だね。」
カウンターの向こうの店主が、知った顔で迎えてくれた。
「ええ、はい。それで、一緒に旅をしてくれる仲間をーー。」
バラが話している間に、コアはカウンターに座って銀貨を数枚取り出した。
「ぶどう酒……を、こっちの男に。ワシはミルクで。」
注文の途中にコアに睨まれ、慌てて注文を変えた。
「はいよ。そっちの勇者様もまずは注文。なんてったって、ここは酒場だ。」
テスカの様子に吹き出していたバラも、慌ててカウンターに座る。
「あ、えっと。私もなにかジュースを。」
「はいはい。そう来ると思ってちゃんと準備してるよ。」
店主は手際よく仕事をこなしていく。先にテスカとコアの分の飲み物を出してから、オレンジを搾ってバラにも出す。
「はいお待たせ。で、仲間だっけ?」
「あ、はい。」
完全に店主にペースをとられたバラだった。
「そうだねぇ。昨日の戦いぶりだと、二人に足りないのは防御って感じだったね。そっちの人は何ができるんだい?」
「コアは何でもできるぞ。のう?」
「はい。テスカ様の仰ることであればなんでも。」
自信満々のテスカに、苦笑いを向けて店主は一人また考える。
「うーん、そうなら、まあ俺のおすすめだとあっちのテーブルのでっかい盾持ったのだな。カンっつーんだが。」
店主のさした方向を見ると、確かに大きな盾を壁に立てかけた男が目に入った。大変筋肉質で、腕の太さなど、今のテスカの胴ほどもある。
しかし、テスカは首を振った。
「アレはダメじゃ。」
「どうして?強そうだけど。」
「むさい。」
「む。」
むさいって。
「でも命がけの旅なんだよ。そんな見た目で選ぶような。」
「見た目で選ぶようなものじゃ!よいか、これからワシらは旅に出るんじゃぞ。つまり、四六時中共におるものを選ぶ訳じゃ。だというのに、見るだけで負担になるような奴など到底受け入れられるわけもなかろう!」
ひどい言いようだけど、一理ある、ような。
「で、でも私達に足りない」
「それもおかしな話じゃ。お前のスタイルは速剣じゃろう?ワシはそのリズムに合わせることはできるが、あの大男には無理じゃろ。せいぜい、疲れたときの骨休めの場所を作ってくれる位で、それならコアで十分じゃ。」
すっかり言いくるめられたバラはついに口を閉ざしてしまった。
代わりに、店主が口を開く。
「……そんじゃ、勇者様のおメガネに叶いそうな奴はいそうかい?」
言われ、テスカはざっと店内を見回す。そして、ミルクを飲み干し、
「いない!」
その声は、店いっぱいに響いた。
*****
それで、三人は店を追い出された。
「私まだジュース飲んでなかったのに……。」
ちょっとセコいところのあるバラだった。一方でミルクを飲み干していたテスカは上機嫌なものだった。
「なに、どうせ王から頂戴した金だ。」
「大事な旅の資金源だけどね……。コアさんも飲み物に手を付けてませんでしたよね。」
「いえ、私は酒はたしなみませんから。」
ふーん、と生返事を返しながら、バラはコアの顔を見る。ひげ面に白髪、の割にきれいな肌。
ぱっと見たときはいかにもな老執事、といった風だったけど案外年が若いのかも。
「……なにか?」
じっとコアの目を見ていると、バラが慌てたように手をぶんぶんと振った。
「あ、い、いえ。済みません。ただ、お酒を飲まない男の人も珍しいと思って。」
バラがごまかすようにそう言うと、テスカは吹き出すように笑った。
「こいつは酒を飲むとそれはもう暴れ出すんじゃ。のうコア。」
「……テスカ様、前を。」
と、コアの忠告も遅く、テスカは前を歩いていた少女とぶつかってしまう。
「きゃっ。」
「おっと、すまんすまん。」
少女が慌てて落としたかごの中身を拾ってる中、バラは少女の帽子を拾い上げ、ほこりを払う。
「ごめんなさい。けがはない?」
「えっと、は、はい。あ、あの。それじゃ!」
その少女はおびえるようにバラから帽子を奪うと、そのまま危うげに走り去っていった。 「あの娘、薬師のようじゃったな。」
『娘』なんて言うが、バラにはテスカとそれほど変わらない、むしろ先ほどの少女の方が上のように見えた。
「さあ……。というか、ちゃんと前見て歩かないと危ないよ!」
「へいへい。……で、次はどこに行く?」
生返事を返しながらも、テスカは先ほどよりは前を見るようになった。
*****
それから二件ほど酒場を巡ったが、どちらでもテスカが首を縦に振ることはなかった。
そろそろ日も傾いてきたというところ。
「ねぇ、次は。」
「そろそろ飯じゃな。」
と、ぐぅぅ、とお腹の鳴る音がした。
「テスカちゃん。」
バラはテスカのお腹が鳴ったと思ったようだが、
「済みません、私です。」
「え、あ、こ、コアさんでしたか。」
「んん~?なんじゃバラ。ワシの名を呼んで、ワシのことが恋しくなったのか?」
実際のところはテスカのお腹が鳴ったのだが、それはそれとしてここぞとばかりにバラをいじくり倒すテスカだった。
それで、その辺の食堂で食事をとることになった。
「それで、結局テスカちゃんは仲間を探すつもりはあるの?」
「うーん、そうじゃのう。」
実はテスカはそれほど仲間捜しに積極的ではなかった。
正体を隠すということを考えなければ、テスカにできないことはほとんどないし、正体を隠すにしてもコアなら大抵のことができる。むしろ人が増えればその分テスカやコアが尋常でないことを察せられてしまうかもしれない。
しかし、
「まあ多少はな。コアは人を治すのはそれほど得意でないし。」
「恐縮です。」
「一応言っとくが、褒めとらんぞ。」
意外とお茶目なところもあるものだ。いやいや,、とかぶりを振ってバラは話が脱線する前に戻す。
「じゃあ、薬師とか魔法使い系?」
「まあそうなるかの。……じゃが、このあたりはどうも魔力を持つ人間が少ないようじゃな。」
酒場を巡った中でも、魔法使いはほぼいなかった。ほとんどが剣士か槍士といった肉体派の面々だったのだ。
「まあ仕方ないよ。この辺は魔女の里からも遠いし……。知ってる?歴代の勇者も大体は長旅をしてここまで来てるんだって。。」
テスカにしてみれば、魔界から最も遠いこの国が魔力に乏しいのも当然なことであった。魔力とは魔界から漏れ出る瘴気の一種なのだから。
「そういえば、バラの故郷はどの辺りなのじゃ?」
「私の故郷は……実はもうないの。テスカちゃんと同じで、魔物に襲われて。」
「そう……じゃったか。」
間。
「ご、ごめんね。せっかくのご飯が台無しになっちゃうね。」
「いや、まあそれは構わん――。」
目を逸らした先の入り口に、先ほどぶつかった少女が現れた。周りを見渡して、なんとも挙動不審な様子だった。
テスカは話をやめてコアにささやく。
「コア、どう思う。」
「はい。あの娘、この辺りには珍しく魔力を持っているようでございます。その上薬の知識も持っております。そして何より、あの手の者には脅しが有効でございましょう。」
「万が一の場合の口止めも容易と。ふむ。」
「あの、テスカちゃん?」
バラが声を掛けると、テスカは椅子から降りた。
「バラよ、決めたぞ。」
そして例の少女の方へと歩いて行く。
「て、テスカちゃん?」
慌ててバラも追いかけるが、テスカはすでに肩を落とした少女のもとにいた。
「のう、また会ったな。」
「ひっ。」
テーブルに手を掛けただけだが、その少女は必要以上におびえた様子で、外していた帽子を深くかぶり直した。
「なんじゃ、別に取って食ってやろうというわけじゃない。そう怯えんでも。……一緒に座ってもよいか?」
少女は小動物のように小さく首を横に振るが、
「そうか、よいか。おい、コア。」
「ここに。」
コアはすでに食事途中のお皿をテーブルに置き直していた。
「ねえ、この子嫌がってるんじゃ。」
バラの言葉に、少女はリスが木の実を食べるように小刻みに首を縦に振る。しかし、テスカはそんな様子も気にしない風に、少女の前に座った。
「何を言う。沈黙は同意というじゃろう?ワシはテスカ。こっちはコア。」
コアもいつの間にかテスカの隣に座っていた。
「あはは……。えーっと、私はバラ。隣、いい?」
頬を掻きながら少女に尋ねると、目を伏せながらも小さく頷いた。
「……シュキク。」
「あなたのお名前?」
またこくりと頷いた。
「そうか、シュキクというのか。それで、何をそんなに落ち込んでいたのじゃ?」
「それは……。」
シュキクは足下に置いていたかごをチラリと見る。中をのぞくと、瓶の中身がこぼれてぐちゃぐちゃになっていた。
「納品……できなくて。」
「あぁ、なるほど……。」
「つまり商品をダメにしたと。」
シュキクは小さく頷いて、そのあとかわいらしいお腹の音が鳴った。
顔を赤くしたシュキクのところにちょうど店員がやってきた。
「はいお待たせ。」
店員が置いていった皿の上には、シュキクの握りこぶしほどの芋が二つ。
「それだけか?」
テスカの問いにシュキクが小さく頷いた。
バラが自分の料理をシュキクの方に寄せようとする。
「……食べる?食べかけだけど。」
しかし、シュキクは首を振って皿をバラの方に戻す。
「でも……。」
シュキクはまた首を振る。
「そう。」
やがてバラも諦めて自分の皿に手を付けた。
しかし、テスカは腕を組んで妙な笑い声を上げていた。
「のうシュキク。お前、自分の店を持っとるのか?」
シュキクはまた首を振る。それでまたテスカは愉快そうに口角を上げた。
「そうかそうか。となると……このまま帰れば怒られること請け合いじゃの。」
シュキクはびくっと身をすくめた。
「ともすると『もう店には置けん』などと言われるやもしれんなぁ。」
「そ……。」
どうもシュキクには思い当たる節があるらしい。みるみる内に顔が青ざめていった。
それを見てまたくっくっくっと笑う。
そんな上機嫌なテスカの袖を、バラが机の下から引いた。
「ねぇ、あれってひょっとするとテスカちゃんががぶつかったときに。」
「おそらくはそうじゃろうな。まぁ、元々こぼしておったということもあり得るが。」
「そう……。」
「それだけか。なら――」
テスカがまたシュキクのほうに向き直して話を続けようとするが、突然バラが机の上に金貨袋を置いた。
「そのカゴ、これで買う。」
沈黙。
シュキクは完全に固まり、テスカは目を見開き、コアでさえも食事の手を止めることになった。
「なんのつもりじゃ?」
ようやくテスカが言葉を発した。
「だって、私達のせい、みたいだし。」
遅れてシュキクが首をぶんぶんと振る。
「私の、せい。」
「ううん、元々私達がちゃんと前を見てなかったから。」
「私も、前見てなかったし。」
「でも。」
「でももだってもあるまい!」
二人が延々続きそうな謝り合戦を始めようとしたところをテスカが止めた。
「そもそも、そのカゴを買い取るにしても言う相手がおかしかろう、バラよ。お前はこの者の失敗を隠匿させようとしているのか?」
「う、それは……でも……。」
「当事者たるわしが言うのもおかしな話じゃが、そも人一人にぶつかった程度でダメになるような管理をしておるのも悪いのじゃ。じゃからこそ、かような隠匿を勧めるというのはいかがなものか。」
テスカの正論にバラはしゅんとなってしまった。一緒に責められたような形になったシュキクはそれ以上に小さくなった。
その様子を見てテスカは小さくため息をついた。そして子供が言い訳するように、小さくつぶやいた。
「じゃが、まあわしもちょっとは悪いと思っとる。」
それを聞いてバラの顔がぱぁっと明るくなった。
「じゃ、じゃあさ。シュキクちゃんと一緒に謝りに行かない?」
その声に、シュキクは困惑の顔を向け、テスカは例の悪い笑みを浮かべた。
*****
ある街の一角。少しくらい密集地の二階にシュキクの勤める薬屋はあった。
帽子を脱いだシュキクに連れられるがまま三人も店の中に入る。
「ただいま戻りました。」
カウンターの奥にいる男がシュキクを一目見るなり声を荒げた。
「シュキクてめえなんでカゴ持ってやがんだ!」
「ヒっ。す、みません。」
シュキクは固くなってカゴを落とし、声も尻すぼみになっていく。しかし気にせず店主らしい男はカウンターから出てくる。
「てめえこれで何度目だ?次にやったらどうするか言ってたよな?なあ!?」
「え、えと。あの。」
「うだうだ言ってんじゃねえ!」
店主はそのまま服をぎゅっと握っているシュキクの方に近づいて、右手を振り上げる。
「コア。」
テスカの声に反応して、コアはシュキクと店主の間に入って振り上げられた右手を掴んだ。
それでようやく店主は周りの三人に気付いたようだった。
「なんだぁ?てめえら。」
「私のテスカ様があなたにお話があるそうです。」
そうしてテスカの方を向くと、店主はつられてテスカに視線を合わせる。
そうしてようやくテスカは口を開いた。
「おもしろい劇を客に見せる店じゃな、ここは。」
そう言いながらテスカは左手の聖痕を店主に見せつけた。
「ゆ、勇者様でしたか。へへ、何のご用で?」
聖痕を見るやいなや、店主は腕を振り払って数歩下がり、姿勢を低くして手をもんだ。
その様子を見て、テスカはため息を一つついた。
「なに、ちょっとな。」
と、店主の怒声にあっけにとられていたバラが、ふと思いだしたようにテスカを肘でつついた。
「なんじゃ。」
「ほら、謝らないと。」
「分かっておる。じゃが、ワシにもタイミングというものが。」
「言いにくいのなら私から。」
「ええい、分かった分かった。」
テスカは店主の方にむき直し、喉を鳴らした。
「どうしたんで、勇者様?」
「あー、そのだな。」
「テスカちゃん。」
「分かっておる!……その、実はそのカゴの中身をぶちまけさせたのはワシなんじゃ。……済まなかった。」
口だけでも謝ったテスカの様子を見て、バラは頬を緩ませた。そして、こちらも店主の方にむき直す。
「それで、そのダメにしちゃった薬の代金を代わりに支払いたいんですけど。」
バラの言葉に一瞬満面の笑みになった店主だったが、すぐに難しい顔に戻った。
「いや勇者様、お言葉は嬉しいんですがね。ウチにも信用というもんがあるんですよ。だから、代金を払っただけ、というのではちょっと。」
「そう、ですか。」
バラがしゅんとする反面、テスカは人の悪い笑みを浮かべていた。
「いや店主。よく分かる。よく分かる話じゃ。じゃが、話は最後まで聞いて欲しい。ワシらはなにも代金だけで済まそうというわけではない。」
「ほう?」
コアを除いた三人がテスカに注目する。ちなみにコアは初めからテスカしか見ていなかった。
「ズバリじゃな。ワシらはこの店の薬師を雇おうと思うのじゃ。そうすれば、『勇者の連れを生み出した薬屋』という名誉もえられるというものじゃろう?」
バラとシュキクが驚いた顔を見せる。
「いや嬢ちゃん……じゃなかった、勇者様。お話は嬉しいんですがウチも薬師連れてかれたら売りもん作れなくなっちまうわ。」
「もちろん、ただでとは言わん。それに雇う薬師はそちらが決めた者で構わん。」
店主はしばらく困惑した顔を向けていたが、やがて合点がいったようだった。
「なるほど、いやぁ勇者様にはかないませんなぁ。では、そこのシュキクを連れていってください。なに、少しドジなところもありますが、薬師としての腕は確かです。」
それを聞いて、テスカはその日一番の笑みを浮かべた。
「ようし。コア、後は頼んだ。」
「承知しました。それでは店主、そちらで話を。」
コアは店主と共に店の奥へと向かっていった。
「さて。」
「さてじゃないよテスカちゃん。どうして勝手にそんな。」
「ワシらには薬師が必要じゃと言ったじゃろう?ちょうど良いではないか。それとも、このままここに置いておくことがこの娘のためになると?」
「それは……。」
バラは店主の態度を思い出しながら、不安そうにこちらを見ているシュキクの方を見る。
「でもシュキクちゃんにも聞いたりしないで。」
「のうシュキク。お主このままこの店に居りたかったか?いや、そもそもここに居続けられたのか?」
テスカからの問いかけにシュキクはびくっと身をすくめ、その後小さく首を振った。
「次納品できなかったら、辞めさせるって。」
「シュキクちゃん……。」
「分かったか?つまりワシは、ワシらに薬師を、店主には厄介払いを、そしてシュキクには新しい仕事を与える、いわば三者両得とした訳じゃ。」
得意げな笑みを見つめるバラだったが、やがていやいやと首を振った。
「それとこれとは話が別でしょ?シュキクちゃんだって私達が店長さんに話せばまだこのお店に残れたかもしれないし。」
「まあ確かにそうかもしれんが。」
バラはシュキクの方に向き直る。
「シュキクちゃんもいいの?私達と一緒に旅するってことは、死んじゃうかもしれないんだよ。」
しかし、シュキクは首を盾に振った。
「たぶん、どのみちここにはいれなかった……です。」
「その上この性格じゃから新しい雇い主も見つけられるかどうか。」
「テスカちゃん。」
バラの言葉にテスカはまた口を閉ざした。そしてバラは、今度はシュキクの両肩に手を置いて、目線を合わせた。
「ねえシュキクちゃん、本当にいいの?もし良かったら私達が新しい仕事を探しても。」
「のうテスカ、お主そんなにシュキクを仲間にしたくないのか。」
「そ、そういうわけじゃないけど……でもだって危ないし。」
しかしやっぱりシュキクは首を振った。
「わ、私頑張りますから。」
その様子を見て、バラもようやく納得した。
「それじゃあ、よろしくね。危なくなったら逃げてね。」
「そうじゃな。なんせ戦闘員じゃないのじゃからな。」
バラが肩から手を下げて、代わりに握手の手を出す。シュキクはその手を両手で取って、勢いよく頭を下げた。
「あ、あ、あの。よろしくお願いします!!」
そうしたときに、ちょうどコアと店主が戻ってきた。
*****
テスカ・コアと別れた後、バラはシュキクと自分お宿に戻っていた。
「シュキクちゃんの――。」
「シュカで、いいです。」
「そう?じゃあ、シュカちゃんのお家はこの街にあるんだよね。」
シュカは頷き、その後帽子を深くかぶって首を振った。
「お家、お店のだったので。」
「そう……。今日は?」
また首を振った。
「そっか……ねぇ、私の宿に来る?そんなに広い部屋じゃないけど。」
「……でも。」
「シュカちゃんのねるところがなくなったのは私達……というかほとんどテスカちゃんのせいだけど、とにかく私達のせいなんだから気にしないで。」
シュカは遠慮がちに頷いた。しかし、帽子の奥はすこし恥ずかしそうに笑っていた。
「そういえば、あの二人、何者ですか。」
「テスカちゃんとコアさんのこと?テスカちゃんは私と同じ勇者で、コアさんはテスカちゃんの執事……だったかな。どうして?」
「あの二人、不思議な感じ。」
下を向き、帽子を深くかぶり直してシュカはそう言った。
バラは少し言葉の意味を考えた後、肩ほどの高さにあるシュカの頭をなでた。
「大丈夫。テスカちゃんは確かにちょっと大人びたところがあるけど、いい子だから。大人っぽいのも、きっとそうじゃないといけなかったんだよ。」
「そう……ですね。」
テスカの言葉に、シュカは小さく頷いた。
*****
一方その頃。
テスカは上機嫌にコアの前を歩いていた。そんなテスカを見てコアは優しい笑みを浮かべている。
「どうじゃった?」
「人心を巧みに読み取り操るその手腕、流石でございます。」
「そうじゃろうそうじゃろう。ま、伊達に年をくっとるわけじゃない。」
「ただ、バラ嬢が金貨を出そうとしたときは流石に驚きました。」
「ああ、どうも奴のことを甘く見ておった。まさかあそこまで直情的じゃったとは。」
テスカはコアの方を向いて、腕を組みながら後ろ歩きをする。コアは自分の位置を変えることでテスカに適切な位置を教えていた。
「しかし、テスカ様には赤子と同じようなものでございましょう。」
「もちろんそうじゃ。利を優先するものには利を、情を優先するなら情を。簡単じゃろ?」
「ええ。もちろんテスカ様にとっては。ところで。」
コアが立ち止まり、真顔になった。コアが止まったのに合わせて、テスカも立ち止まる。
「あの娘、我々に感づいています。」
「……影か。じゃが、問題ないじゃろう?」
テスカは前を向き、また歩き出した。コアはそれに着いていく。
「ええ。少なくとも今のところは。」
「これからも。わしらが間違えん限りは、な。」
「その心は?」
「奴には自分がない。そういう奴には安心をやればよい。わしらとバラが奴を不安にさせん限りは、ワシらにただ着いてくる。」
テスカはそれで満足したらしく、またコアの方を向いて後ろ歩きに戻った。
「まあそれにもし奴がワシらの正体に気付いたとしても。」
「その時は脅せば良い、ですか。」
「『安心への道』を与えてやる。あるいは……まあ良かろう。」
*****
その後、四人は旅の為の荷物を買い、それをテスカ達の馬車に積んで旅立ちの準備を進めていった。
そしていよいよ旅立ちの日。
テスカとシュカが門の前で待っていると、馬車を引くコアとそれに乗ったバラがやってきた。
「二人とも準備万端じゃの。」
シュカは大きなリュックを背負いながらもローブをまとい、やはり帽子を深くかぶっている。
バラは二本の剣を腰に差し、ボディバッグを巻いている。また長い靴下をはいて足を守るようにしていた。
「テスカちゃんとコアさんは、あまり変わりないね。」
バラの言う通り、テスカとコアの服装にあまり変わりはない。せいぜいコアの腰に長剣が差してあることくらいである。
「必要なものは馬車に積んでおるからの。」
「それでは行きましょうか。初めは街道沿いにエームの街でしたか?」
「はい。旅慣れてないシュカちゃんもいるので、とりあえず一番近い街に。」
バラが馬車に乗り込んで、シュカを引き上げる。
コアはその様子を振り返りながら見守り、全員を確認したところで前にむき直す。
「それでは出発しましょう。」
「魔王退治に、いざ行かん!」
「おー!」
「お、おー。」
テスカのかけ声に、コアだけは乗らずに無表情で笑いをこらえるばかりであった。
*****
エームの街までの街道は平和そのものだった。
馬車特有の揺れにシュカが少し酔ったくらいで、魔物にも、盗賊にも会うことはなかった。
「まあこの辺りは警備隊が巡回することもあるから。でも街道を外れるとゴブリンやワカが襲ってくるから、気をつけないと。」
「ワシのコアがかようなヘマをすると思うか?」
「おっと。」
コアが乱雑にくつわを振り、バラたちの乗る荷台が大きく振られる。
「……コア?」
「そういうのがご所望かと。いえ、実を言うと少々岩が落ちておりまして。」
「あのコアさん、どうかお手柔らかに。シュカちゃんの顔がもうだいぶ。」
「ら、らいしょうふ、れすぅぅ。」
シュカが目を回しながらもコアに返事しようと身を乗り出すと、そのまま手すりを超えて落ちそうになる。慌ててバラが体を押させる。
「おお落ちる落ちる。」
「こ、コアさん止めて止めて!テスカちゃんも笑ってないで助けて!」
見事な急停止の反動で、シュカはバラもろとも荷台の中に戻った。
「あ、ありがとうございます。」
「時間も時間です。休憩にしてもよろしいでしょうか?」
テスカは横でぐったりしている二人を見て、あきれたように頷いた。
「ま、良かろう。昼餉にしよう。」
……ともあれ、平和な旅路であった。
*****
揺れを抑えるために馬車の速度を落としたので、エームの街にたどり着いたのは夕方となった。
一行は急いで宿を取り、そこの食堂で食事をとることにした。
「しかしシュカよ、薬師が真っ先に倒れるとはどういうことだ。」
「あ、す、すみません……。」
「まあまあ、シュカちゃんにとっては初めての旅だったんだし、そういうこともあるよ。」
「そうは言うが、これでもし魔物に会って回復が必要となったら、一体誰がワシらを癒やしてくれるというのじゃ。」
テスカに責められて、シュカはしおらしく帽子を握る。
その様子を見て、テスカはため息をついた。
「のう、もしあの店で酔い止めの薬が欲しいと言われたら何を出す?」
シュカは帽子で目を隠して、少し考える。
「酔い止め……気持ち悪いのはメンの根を煮詰めたのを、頭痛はペミルとエスルの塗り薬。さえない気分ならセスの葉をゆっくり食めば。後は。」
「よい。……それを自分に試せば良かろう。」
「……考えたことなかった。」
帽子を押さえることを止めたシュカは目を見開いてテスカを見る。
「アイデアを気に入ってもらえたなら良かった。」
テスカは満足そうにした後、バラの方に向き直した。
「さてバラ。ワシらはしばらくここに泊まるとして、お前はこれから打倒魔王のために修行をせねばならん。」
「テスカちゃんもね。」
テスカは喉を鳴らしてごまかした。
「バラには圧倒的に足りないものがある。お前、魔力の使い方を全く知らんな。」
「まあ、確かに私、村だと魔力がない子みたいに扱われてたし。」
それは実際のところ事実だったが、誰も触れることはなかった。
「で、ワシはもちろんのことじゃが、魔力の扱いなら何よりコアが手慣れておる。コアの下で学ぶが良い。」
「うん、分かった。よろしくお願いします。」
「はい。こちらこそよろしくお願いしますね。早速明日からでも。」
なぜテスカちゃんが仕切ってるんだろう。そう思いつつも、自分が仕切るのも変な話に思えたのでとりあえず気にしないことにしたバラだった。
「それで、テスカちゃんは何するの?」
「ワシか?ワシは……じゃあ、シュカと魔法の訓練でもするか。」
「は、はい!?」
「頑張ろうな。」
にやにや顔のテスカに、シュカはなんとなしに怯えるばかりだった。
*****
宿は二部屋取り、テスカとコアが同室、バラとシュカが同室という部屋割りとなっている。
のだが。
夜。シュカが昼の疲れからかぐっすりと眠る中、ドアがノックされた。なかなか寝付けなかったバラは、ベッドから抜けて応対しに行く。
「誰ですか?ってテスカちゃん?」
ドアを開けると枕を持ったテスカがいた。
「夜の客をそう気軽に迎えるものではないぞ。」
「はいはい。それで、どうしたの?」
「うむ。実はじゃな……その、寝られなくてな。」
「怖い夢でも見たの?」
何の気なしにそう言うと、テスカは顔を赤らめながらバラをにらみつけた。
バラにはどうも図星のように見えた。
「一応行っておくが、違うぞ。」
「いいのいいの。私も眠れなかったからちょっとお話しする?あ、でもシュカちゃんはもう寝てるから静かにね。」
「……まあ良い。では邪魔するぞ。」
それでそのままテスカはバラのベッドに直行して、ばすっと寝転んだ。
「うむ、やはりここのベッドは硬いのう。」
「もう、静かにって言ったでしょ。」
「う~ん。」
シュカが声を上げたのを見て、二人はしんとシュカの方を見る。
「エクボス……。」
「……エクボス、て何?」
「さあ。」
エクボスとは多年草の一種で、花が胃薬になるが、多量に摂ると腹を下す。が、今後この物語に出てくることはない。
*****
その日。テスカと共に寝たバラは夢を見た。
夢の中でバラは乳飲み子で、母親の胸から母乳を飲んでいた。
懐かしい記憶。もう忘れてしまった記憶。
人肌から伝わる温度。こんなにも感覚が残る夢もめずらしい。
そう思って、ふと顔を上げると、母親の頭から羊の角が生えていた。
奇妙で、恐ろしささえ覚えうる姿を見ながら、それでも母乳を飲んでいた。
温かい。体の芯から温かくなる。
でも、どうして角が生えてるの?
それに、その顔、どこかで。
*****
バラが目を覚ますと、テスカはすでに起きていた。
「どうした、ワシの顔に何か付いておるか。」
「ううん、夢を見たんだけど……。」
「けども?」
「……ううん、忘れちゃった。おはよう。それじゃ修行に行こ。」
「朝から元気じゃの。ほれシュカも起きよ!」
「ふぁ……。おはよ、ございます、」
そういって上体を起こしたシュカは目が開いていない。が、はたと気付いたようで慌てて帽子を取って深くかぶった。
「ど……どうして。」
「ん?ああ、ちょっと世話に。」
「怖い夢見たんだよね。」
「だから違うと言っとろうに。さ、コアの方に行くぞ、」
テスカは不満そうな顔を浮かべながら部屋を出て行った。
*****
軽めの朝食を終え、一行は街外れまで出た。
コアとバラはそれぞれ剣を携え、テスカは手ぶら、シュカは例の大きなリュックを持ってきている。
「さて、バラ嬢。」
「あ、あの……。単に『バラ』でお願いしたいんですけど。どうも気恥ずかしくって。」
「そうですか。それではバラ。魔力の扱いですが、慣れていないものが魔法を使うのはかなり無理がありますので、バラにはまず魔力をもって自らの力を向上させるすべを学んでもらいます。」
「はい!」
バラの返事は元気なものだったが、動きはどこかぎこちなかった。
「アレではコアも苦労しそうじゃな。さて。」
コアとバラの様子を見ていたテスカは、振り返ってシュカの方を見る。
シュカは岩の上に座り、近くの草花をいじっていたが、やがてテスカの視線に気がついた。
「?」
「?じゃない。昨日魔法の訓練をすると言ったじゃろ。」
「あれ、冗談かなにかじゃ。」
「ワシは冗談を言うのは好きじゃが、冗談を本当にするのがもっと好きなのじゃ。さぁ、お前はどんな魔法が使えるのじゃ?」
獲物を逃すまいというように両手を広げてじりじりと近づいてくるテスカに、シュカはただ帽子を握って怯えるばかりだった。
*****
一行はそれからエームの街を旅立ち、時折魔物退治を請けて路銀を稼ぎ、時折テスカがバラの寝所に潜り込み、暇を見て特訓をするのだった。
そんな道すがら。
バラは馬車の中で木の枝を力一杯握って何やら唸っていた。
シュカはバラ……というより、バラの持つ木の枝を見つめている。テスカはあくびをしながら寝転んでいる。
「むむむ……っは!」
バラの髪の毛が風で揺れたようになり、同時に木の枝がうっすらと光り出した。
「どう、どう?叩いてみて?」
シュカが叩いてみるが、細い木の枝はびくともしない。掴んで折ろうとしても、まるで金属棒のように固くなっている。
「……すごい。」
「やった!これで魔力付与は大丈夫!」
「おお、すごいすご、い!」
急にテスカが起き上がってバラの脇をくすぐる。
「あ、ひゃ、ひひ、ちょっとやめ――。」
バキ。
くすぐられて暴れたバラがそのまま木の枝を床にたたきつけ、その衝撃で枝が折れてしまった。
「ああー!何するのテスカちゃん!」
「まだまだじゃのう。」
「もぅ……。」
折れた木の枝の両側をテスカが拾い、折れた部分を合わせて目をつぶる。と、先ほどと同じように淡く光る。そして片側を手放してもくっついたままとなった。
バラが色々いじり回してもまた折れることはなく、テスカの脇腹を不意打ちしても顔がひくつくばかりだった。
助け船を求めるようにシュカの方を見るが、シュカは目をそらして帽子を深くかぶり直した。
その様子を見てため息をつくテスカだった。
「ま、少しずつ、といったところじゃの。」
と、馬車が急に止まった。何事かと思うとコアが顔を出した。
「テスカ様、皆様。魔物が出ました。」
「ほれ、行くぞバラ。」
「うん、それじゃシュカちゃん、待っててね。」
「気を付けて。」
バラはすぐに剣を腰に付け、そして馬車から飛び出していった。
魔物退治は、テスカにとってかなり気を遣うところだった。
もしテスカが本気でかかれば、大抵の、というよりも軍団が戦略的にやってこない限りは一瞬で片が付く。付いてしまう。
しかしそれではバラの成長を邪魔することになるし、その上自らの正体を怪しまれることにもなる。
だから、加減に加減を重ね、バラが苦戦する程度にしなければいけない。
「さ、行きますよバラ。」
「はい!」
バラとコアが剣を抜いてテスカの前に出る。
コアがバラの剣に触れると、先ほどの枝のように淡い光に包まれた。
しばらく歩くと、道半ばに動物の死体が置かれている。近づくと、脇の森から腰ほどの高さのゴブリンがぼくぼくと現れた。
「今日はゴブリンばっかりか。」
「じゃが、数がやや多いな。」
出てきた敵はおよそ十二体。
「この数ですと、回り込まれてはたまりませんね。」
「また剣で穴掘りをするでないぞ。」
「も、もう慣れたから!」
テスカの方を向いたバラにゴブリンの一体が飛びかかってくる。が、それをコアが一刀両断する。
「バラ、敵の前ですよ。」
「は、はい!」
バラも構え直し、群れの端の敵を狙い踏み込む。
端にいた敵は串刺しとなって、そのまま蒸発した。
コアも同様に端の敵を狙い、一振りで一体、切り返してもう一体を切り払う。
その後数体をやられたゴブリン達は、二人から逃れるように、あるいは回り込むために中央を突破しようとしてくる。
「まったく甘いの。燃えよファイヤー!」
簡単な呪文で炎を巻き起こし、前方にいたゴブリン達をまとめて燃え上がらせた。
「脂がのってよく燃えるわ。」
生き残ったゴブリン達もちりぢりになって森へと逃げていった。
それで、バラも肩を下ろして剣を戻した。
「ふぅ。これでもう襲ってこないよね。」
「まあこれでまた来たらよっぽどの阿呆じゃな。」
「では戻りましょうか。」
コアも剣を収めて振り返り、テスカと並んだところで、はたと止まった。
「テスカ様。」
「ああ、分かっておる。」
二人が付いてきていないことにバラが気付き、後ろを振り返る。
「ねえ、どうしたの――。」
瞬間、森が大きくざわめき出し、空も黒ずんで来る。
「な、何!?」
枝を折りながら森から出てきたのは、人の二倍の背丈を持ち、大きくねじ曲がった角のはえた牛の頭と、大男のような体をした魔物だった。体色は黒く、赤々とした目が三人をギラリとにらみつけると、コウモリのような翼を広げて、大きく裂けた口からよだれがだらだらと垂れ始めた。
「ふ、ふふ、ひと、みっつ。うまそうなにく。」
よだれをまき散らしながら出てきた声は洞窟が震えるような低い響きを持ち、聞く人の体を硬直させた。
「な、なにこれ……?」
「グレートデーモン。なぜこんなところに。」
「バラ、剣をお抜きなさい。」
コアの声にはっとなり、慌てて剣を二本抜く。すぐにコアが細剣に触れ、魔力付与を施す。
「短剣も!いや、危ない!」
短剣を差し出そうとするバラにめがけて、グレートデーモンが拳を繰り出す。なんとか直撃は躱したものの、拳が地面に付く時に出た衝撃波で二人は吹き飛ばされた。
「ぐふ、よわ、よわ。」
吹き飛びながらも着地したコアと着地に失敗したバラを、横に置かれた両目で見て、バラに狙いを定めて再度拳を繰り出す。
「くぅ!」
バラは体勢を立て直し、今度は放たれた衝撃波にも細剣を地面に突き刺して耐え、短剣を拳に突き刺す。
しかし、その皮膚はまるで鋼で覆われたように固く、傷一つ付かなかった。
「なんで!?きゃ」
グレートデーモンはそのまま拳をバラの方に振り払う。丸太のように太い腕をまともに受けたバラは吹き飛び、地面を三週転がった。
「う、く。」
バラは上体を起こそうとするが、立ち上がれずそのまま力尽きた。
「ぐ、ぐふ、ぐふふ。あと、ふたつ。」
グレートデーモンは、今度はテスカの方に向かって飛び込み、そのまま拳を振り下ろす。
拳は地面に当たって衝撃波を起こし、土を巻き上げる。
巻き上がった土煙が晴れると、テスカは振り下ろされた拳の上に立っていた。
「コア。」
「承知しております。」
コアはすでにバラをお姫様抱っこで抱え上げており、そしてグレートデーモンの脇を走り抜ける。
「ぐ、ぐふ、にがさない。」
グレートデーモンがコアに向かって動いたところでテスカが指を鳴らす。
グレートデーモンはコアに拳を打つ。と、その拳はグレートデーモンの顔に当たった。
テスカの空けた『穴』がグレートデーモンの顔の横の空間と繋がり、拳はそこを通って顔に当たったのだ。
「ぐ、ぐ。」
「さて。」
コアが走り去っていくのを見た後、テスカは自分の左手を抜いた。
まるでコルクを瓶から抜くように、勇者の聖痕の付いた左手を自分の体から抜き取った。
「お前は一体どこの隊のものじゃ?かようなところにグレートデーモンの居る隊を置いた記憶はないのじゃが。」
手が抜かれた左腕から、もともと隠していた本当の左手を出し、そして自分の姿を本来のものに戻していく。
黒くなった空に雲が渦巻き始め、雨も降らないのに雷が落ち始めた。
「ぐ、ま、まおう……?」
「様を付けんか、この暗愚。」
本来の魔王としての姿に戻ると、テスカは足下を踏みならした。それでグレートデーモンの腕はそこから切り落とされた。
「ぐがあああああああああああああああ!」
「質問に答えよ。お前の隊長は誰だ。」
「あ、ぐ、わ、わとるさま。」
「ワトル……確かテックの下の奴だったか。なるほどあい分かった。ではお前には罰を与えよう。」
テスカがグレートデーモンの腕の上を歩くと、それに合わせるように腕が腐り落ちていく。
「が、ががが。」
もう片方の腕で腐った部分に触るが、触ると余計に落ちていく。そして、テスカはついに肩にたどり着いた。
「さらばだ。」
テスカは足を振り上げデーモンの頭を蹴り上げる。
そうしてグレートデーモンは跡形もなく消え失せた。
テスカはまた幼女の姿に戻り、聖痕の付いた左手をつけ直す。
見渡せば、雲一つない青空に戻っている。
「……コア、見ておるのじゃろう?」
と、テスカの影が湧き上がり、人の形をとった。人型は恭しくテスカに礼をした。
「無論にございます。」
「バラは?」
「眠っておいでです。シュカ嬢にもお休みいただいております。」
「うむ。……それでどう思う?」
「反乱はないと思いますが、統率は崩れ始めております。」
テスカは腕を組んで渋い顔になった。
「思ったよりも早い。蒙昧どもが。」
「おそらくはテスカ様が座におられないことが、四天王の動揺に繋がっているのでしょう。」
「最近はワシも直に命ずることもなかったというのに。なんともろい。」
「それほどまでに我々にとって魔王様は欠かせぬものであるのですよ。」
「あまりに有能であるというのも考えものじゃな。」
テスカは頭を抱えてため息をつく。
「それで、いつ来る。」
「もう少しでございます。お待たせしております。」
「ならよい。」
コアの言葉どおり、馬車はまもなくテスカのところにたどり着いた。
*****
バラが気がついたのは、次の街の宿でのことだった。
「ん……ここ、は。テスカちゃん!」
ベッドからがばりと起き上がると、テスカの頭とぶつかった。
「つつ、ここにおる。」
「テスカちゃん!?大丈夫?あ、あの魔物は。」
「まずは薬じゃ。ほれ、シュカが用意してくれた。」
テスカはシロップの乗った小皿をバラの口に付ける。バラは、口の端から少しこぼしながらもそれを受け入れる。
「あま……。」
「飲みやすいように、ということらしい。さ、後は寝れば治るじゃろ。また添い寝してやろうか?」
「どちらかというと私が添い寝してるんだけど……。」
と、部屋のドアが開いた。現れたのはシュカだった。
「大丈夫?」
「うん、ありがと。」
シュカはバラの服をまくり上げる。途端に顔が赤くなるバラ。
「な、な、何?」
「傷も大丈夫そう。」
「お主が寝ている間に軟膏を塗っとったんじゃ。魔法も効いたようじゃな。」
「あ、そっか。ありがと、シュカ。」
バラがシュカの頭をなでると、シュカは帽子の前の方を握ってそっぽを向いた。
「あらら。」
「照れるでないぞーほれほれ。」
「や、やめ。」
シュカを二人がいじくり回してると、部屋のドアが開いた。
「……失礼、ごゆっくりどうぞ。」
部屋の様子を見たコアは、そのまま部屋のドアをまた閉めた。