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お手紙は風に乗って  作者: 港
二通目
5/6

 ハルが引いていたのは、軽い風邪である。三日もすれば熱も下がり、喉や鼻の調子も戻れば、落ち着きのない少女の本質がハルの翼をうずかせる。

 しかし、ピーノはあくまでも慎重だった。

 病み上がりにもかかわらずいそいそと事務所に向かう準備をしていた姉をなだめ、一人で出勤し、まず向かったのは、事務所最奥にある所長室。

 ノックをして、「入りなさい」という返事を待ってから、ゆっくりと扉を開けた。


「おや、ピーノ君。どうだね、その後、ハルちゃんの様子は」


 ハルピュイア・ポスト、イーストエリア支部の所長は、頭の上に生えたねじれ角が特徴的な、ゴート種の人物である。重ねた年齢にふさわしい立派な角は雄々しくすらあるが、その下にあるメガネをかけた顔は、かどの取れた穏やかさに満ちている。


「おかげさまで、すっかり良くなりました。明日からは、戻れると思います」

「そうか、それはなによりだよ。ピーノ君も、気をつけるんだよ。いくら若くても、病気はつらいものだろうからねえ。うちの息子も、先日まで風邪を引いていて、妻がつきっきりで看病をしていたんだよ。ああ、話したかな、うちの子はまだ三つだから、ちょっとした病気でも家の中は大騒ぎになって」


 家族を大事にして、職員たちのこともよく見ている。ピーノは孤児院を出てからずっとハルピュイア・ポストに勤め続けているために比較対象を知らないが、この所長はとても良い人で、その下で働ける自分は幸せものだと、確信している。

 ただ、穏やかな所長の唯一とも言えるの悪癖には、職員の誰もが閉口しているところであった。


「ほら、風邪が流行っているから、薬の供給もぎりぎりらしくてねえ。知っているかもしれないが、風邪薬の大半はノースエリアで作られているんだよ。うちにも届いているだろう?あれを、イーストエリア中の薬屋さんに持っていくのもうちの仕事なんだ。いやはや、薬が無くなるかもしれないと思うと、なかなか、心穏やかじゃいられないものだね。聞いたところだと、他のエリアでも風邪が流行ってるそうだし」


 所長は、話し出すととにかく長い。よくもまあそんなに舌が回るものだと思うほどに長い。それでいて本人も自分が話し好きであることを自覚しており、ふと我に返っては「すまないねえ、またやってしまったよ」と申し訳なさそうにするものだから、犠牲となる職員たちもなかなか強く言えない。


「あら、所長に捕まってたのかしら?」


 長話が終わってようやく事務室に戻ったピーノに、サクラが分かりきったことを言いながら、くすりと笑った。

 苦笑いで返しつつ、ピーノは時計を見上げる。早めに事務所に来たというのに、急がないと配達に遅れてしまいそうだった。

 着替えを手早く済ませ、自分ではない事務員たちが仕分けてくれた手紙をカバンに収め、「配達中」を示す木札を自分のデスクに置いた。

 他の配達員たちは、既に出発してしまっていた。事務室にいるのは、今日も一日デスクワークをする事務員たちだけ。

 自分も、明日にはこの中に戻る。それが嫌というわけではない。適材適所、姉が配達に行き、自分は事務作業をしていたほうが都合が良い。

 ただ、次に配達のために飛び回るのがいつになるかわからないと思うと、少しだけ寂しくもある。


 階段を上がり、扉を開けたピーノは、吹き付けた風に思わず顔をそむけた。

 はためく赤いスカーフをいつもより短めに巻き直しながら、バルコニーの中央で深呼吸をひとつ。

 姉さんは、ちゃんと安静にしているだろうか。あの人のことだから、寝てなんていられないと言ってどっかに飛んでいっているかもしれない。最近は休みの日になるとポート・コルネルにいる友人に会いに行っていたが、まさか病み上がりでそんな長距離飛行をしていないだろうか。

 考えれば考えるほど、心配事が胸の底から湧き出てくる。

 しかし、考えても仕方のないことでもある。まさか「姉が心配なので配達休んで帰ります」なんて言えるはずもない。

 迷いを振り切るように、ピーノはいつもより強く地面を蹴った。



 数日も続けば、代理配達人のピーノにハルの容態を聞いてくる人も減ってくる。

 お手紙です。おやこれはどうも。

 簡単なやり取りばかりを繰り返すさなか、ピーノはふと、姉さんは配達中、どんな感じなのだろうかと考えた。

 子どもに慕われているのは間違いない。遊びに付き合ってあげたせいで、事務所に戻ってくる時間がいつもより遅くなったこともあった。大人たちからも、可愛がられているらしい。そうでなければ、「お見舞いがわりに」と果物や野菜を渡されることもないはずだ。

 つまるところ、向いているのだろう。色々な人と触れ合う配達員という仕事は、天真爛漫で人懐こい姉にとっての天職だったのだ。

 では、自分には向いていないのか。

 浮かび上がってきた自問に、ピーノ自身は答えを出せなかった。飛ぶのは楽しい。人と話すのも嫌いではない。なのに、どうして事務の方が気楽なのだろう。

 考えている間も、配達は進む。だが、セリアに着き、最後にカバンに残った手紙の宛先を見たところで、ピーノがため息を付いた理由は、別のものに変わった。



 相変わらず、「丘のお屋敷」は、重厚な威容をもってピーノを迎えた。

 また、あの子が返事を書くまで世間話で待つのだろうか。話題の引き出しを確認しながら、ピーノはドアを叩こうと、ノッカーに手を伸ばす。

 だが、偶然にもそのタイミングで、ドアの方からひとりでに開いた。そして、運が悪いと言うか、顔を出したのは、サビ柄の少女、キャサリンだった。

 お母さんの方ならば、なんてことも無く済んだだろうに。そんな思いはおくびにも出さず、ピーノは精一杯の愛想を作って手紙を取り出す。


「あの、キャサ……カトリンさん宛に、お手紙です」

「いらない」

「え?」

「いらないって言ったの」


 それは、冷たい拒絶というよりも、意地を張っているわがままな子どもの言葉だった。

 気に入らないことがあったから、わがままを言う。状況が好転するかどうかなど関係ない、憂さ晴らしですらない、無差別な拒絶。

 悪意とすら呼べない幼いやつあたりに、ピーノは唇を噛んだ。


「そう言われても、困ります。受け取っていただかないと」

「いらないって言ってるじゃない」

「……お父様からのお手紙なんでしょう?せめて、目を通すくらいはするべきではないですか」

「っ……」


 お父様、という言葉に、キャサリンの口から舌打ちにも似た憎々しげな声が漏れる。

 なぜ、父親をそこまで嫌うのか。ピーノには想像もつかない。気にならないわけではない。しかし、今はとにかく、この手紙を受け取らせるべきだと思った。

 それが仕事であり、同時に、キャサリンのためであると、思った。


「……どうして、あなたたちってそうお節介なの」

「あなたたち、とは?」

「あなたじゃない郵便屋も、そうやって私に手紙を押し付けてきたのよ」


 ああ、とピーノはキャサリンの言う「あなたじゃない郵便屋」の言動を察した。

 きっと、姉も似たようなことを言ったのだろう。いや、もっと強く、無理矢理にでも手紙を押し付けたのかもしれない。

 どんな人にも物怖じしない姉のことだ。この気難しそうな少女にも、とにかくぶつかっていったに違いない。事情を知って諦める前に、最低限の抵抗は見せたはずだ。


「それはそれは、姉がご迷惑をおかけしたようで。代わってお詫び申し上げます」


 いっそ慇懃無礼なほどに頭を下げたピーノを見て、キャサリンは驚き、しかし同時に納得したように言った。


「あなた、あのハーピーの弟だったの?」

「はい。あのハル・メイリアの弟、ピーノ・メイリアと申します」

「なるほど。そう言われれば、似てるわね。顔も性格も」

「性格はともかく、顔は似ているとよく言われます」


 キャサリンの口が、ぎこちない笑みを形作る。それは呆れを多分に含んだ笑いだったが、少なくとも、多少なりとも拒絶の意思が消えた笑みでもあった。

 その口から、諦めをまとったため息がこぼれる。


「ちょうだい」

「え?」

「手紙。私宛てなんでしょ?」

「……はい」


 言われるがままに、ピーノはキャサリンに手紙を手渡す。

 受け取ったキャサリンは、手触りの良い封筒をペーパーカッターも使わずに破り開けて、中に収まっていた便箋を開いた。

 そして、読むというよりも流し見るといった早さで手紙の末尾まで確かめたところで、ため息をついた。今度は、ピーノの目にも分かるほどに苛立ちが含まれたため息だった。くしゃり、と潰されてワンピースのポケットに突っ込まれた手紙を見て、見守っていたピーノの顔も少しばかり険しくなる。


「返事を書かなくても、いいんですか?」

「ママに言われたから書いてただけよ。それに、どうせパパも私の返事なんてどうでもいいと思ってるわ」

「なぜ、そう思うんですか」

「私のことなんて、なんにも書いてないからよ。自分の研究のことばっかり。そんなの、私じゃなくて一緒にいる人たちに言えばいいのに」


 もっと口数少ない、無口で暗い少女だと思っていたが、むしろその逆、口数は多い方であるらしい。言葉はいずれも辛辣なものだから、饒舌であるのを良いことだとも言えないが。

 ピーノが頭の中で自分への感想をまとめているなどとはつゆ知らず、そもそも、とキャサリンは続ける。


「どうしてあんな人とママが結婚したのかも分からないわ。私が大きくなってからは、家にいたのなんて数えられるくらいしかいないのに、ママは文句のひとつも言わないし、私にも『パパを信じてあげて』なんて言うのよ。もう顔も忘れそうなくらいなのに、どうやって信じろと言うのかしら。ねえ、あなたはどう思う?おかしいと思わない?きっとね、パパはママのお金目当てで結婚したのよ。ママの実家はね、すごいお金持ちなの。この家を建てられたのだって、ママが……」


 ピーノに「どう思うと言われても」と答える間すら与えずにまくしたてていたキャサリンだったが、言葉の濁流は、「げほ」という苦しげな咳によって、唐突に止められた。

 無為な愚痴の連射から逃げ出すタイミングを図っていたピーノは、そのことも忘れ、咄嗟に「大丈夫ですか」とキャサリンを案じ、駆け寄る。


「だいっ……げほっ、ごほっ……だいじょ……ぶ……」


 返事こそ気丈だが、体をくの字に折り、呼吸すら苦しげなキャサリンは、誰がどう見ても大丈夫ではない。ピーノに背をさすられている間も、重い咳が喉や腹を痛めつける。

 ようやく咳が収まっても、キャサリンの呼吸は乱れに乱れ、全力で走り回ったあとのように肩で息をしていた。


「……あまり、体調が良くないようですが」


 不安をあらわにしたピーノに、キャサリンが首を横に振る。


「平気よ。たまに……そう、たまにこうやって咳が出るだけ。それもすぐに収まるし、たいしたことじゃないわ」

「たいしたことじゃない咳には思えませんよ。お母様を呼んだほうがいいんじゃありませんか」

「……本当にお節介ね」

「ええ、そこは姉と似たようで」


 それは意図しなかった冗談だが、キャサリンにとっては、愉快だったらしい。尻尾を鞭のようにしならせながらも、口元は笑っていた。


「ママは出かけているの。お買い物なんて、人を雇って任せればいいのに。お掃除や料理もそう。自分で何でもかんでもやりたがるんだから」

「いつ、帰ってくるんですか?」

「さあ。立ち話が好きだから、今頃雑貨屋さんと話でもしているんじゃないかしら」


 言いながらも、再び、キャサリンは軽い咳をひとつ。今度は苦しげでもなく、ただ喉に何かが支えただけの咳だったが、それだけでも、ピーノは表情を曇らせた。その表情の変化に、キャサリンが笑う。


「そんな顔しないでちょうだい。別に、死にそうなわけじゃないんだから」

「目の前で倒れそうになられたら、誰だって不安になりますよ」

「そう。でも、もう平気よ。ほら」


 キャサリンの視線を追って、ピーノが振り向く。

 ちょうど、キャサリンの母親、キャニエルが丘を登ってきたところだった。隣で荷車を引いているのは、ピーノも知っているラビット種の小麦粉売りだった。その小麦粉売りに何事かを言ってから、キャニエルは大きな布袋を両手で持ったまま、二人に駆け寄る。


「あなたは……ピーノ君、だったわね?こんにちは、今日も配達に来てくれたのかしら?」

「はい」

「大丈夫?キャサリンが失礼なこと言ったりしなかった?」

「ママ、やめて」

「大丈夫です。むしろ、楽しくお話させてもらったくらいです」

「そう?それならいいんだけど……」


 立ち話には付き合う気もない小麦粉売りが、「いつもの場所に運んでおきますよ」と荷車に積んであった小麦粉を軽々と担ぎ、ピーノたちの横をすり抜けて、屋敷へと入っていく。それに「ええ、お願いします」と言ってから、キャリエルはピーノの方へと美しい笑みを向けた。


「ねえピーノ君、もし時間があるなら、少し上がっていかない?紅茶を淹れるわ」

「ありがとうございます。でも、お気持ちは嬉しいのですが、配達の途中ですので……」

「あら、残念ね」


 社交辞令ではなく、心から残念そうに首を振ったキャニエルの後ろで、キャサリンがピーノには気づかれない程度にだが、眉をひそめた。


「ママ、もういいでしょ」

「そうね。じゃあ、ピーノ君、ごめんなさいね、何もお構いできなくて」

「いえ。こちらこそ、お邪魔しました」


 キャニエルにぺこりと頭を下げてから、ピーノはキャサリンの方へも、小さく会釈をした。だが、キャサリンは不機嫌そうに顔をそむけただけで、何も返事はしなかった。

 それでは、とピーノが翼を広げ、その姿が空の彼方に遠ざかってしまってから、ようやくキャサリンの青い目がピーノの方へと向かう。


「キャサリン?」

「……うん」


 ドアを開けたまま、怪訝そうに娘の後ろ姿を見ていたキャニエルも、飛び去ってゆくピーノを見上げる。そして、その顔を少しだけ、穏やかにほころばせた。





…………


「おはようございます」

「おはようございます!!」


 朝、威勢の良すぎる挨拶に、事務所中の視線が向かう。

 始業前の時間を思い思いに過ごしていたハルピュイア・ポストの職員たちの中で、最初に声をあげたのは、サクラだった。


「あら、ピーノ君。それに、ハルちゃんも。もう、体はいいのかしら?」

「はい!おかげさまで、もうすっかり元気です!完全復活!です!」

「それはよかったわ。でも、事務所ではもう少し静かにしましょうね」

「はい!」


 明らかに元気を持て余しているハルとは対象的に、ピーノは我関せずとばかりに、足早に更衣室へと向かう。

 寝坊した姉を待ったせいで出勤は遅れ、既に更衣室に人はいない。ぱたん、とドアを閉めても、ハルの「がんばります!」という声はピーノのもとまで届いてきた。

 その声に少しだけ口元を緩ませながら、ピーノは自分の棚に置いてあった社員証を取った。そして、それを首からかける寸前に、一瞬だけ、綺麗に畳まれた赤いスカーフへと、どこかさみしげな視線を送った。


「ハルちゃん、元気になったのはいいけど……ちょっと、元気すぎるわねえ」

「常に動き回って発散していないといけない人ですから。ベッドでおとなしくしてた反動が来たんです」


 サクラと苦笑いを交わしながら、ピーノは数日ぶりにデスクに着く。ペン立てに並んでいる綺麗に削られた鉛筆は、一本だけ、先が丸くなっていた。誰かが使って、そのまま戻したらしい。

 だが、それよりも気になるのは、目の前にある紙の束。


「ピーノ君、ここしばらく配達してたから、事務仕事なんて忘れてるんじゃないかってみんな心配してたのよ」

「数日で忘れたりしませんよ。というか、この……積んである書類は?」

「風邪で休んでいるのは、ハルちゃんだけじゃなかったってことねえ」

「……いえ、まあ、仕事ですしいいんですけど」


 紙束をぱらぱらとめくってみるだけで、内勤の方も手が足りずに困っていたことが察せられる。中には、ピーノ自身が配達した手紙の確認票まであった。

 自分が配達に回ったしわ寄せが来ていたんだろうか、と考えると、ピーノも少しだけ申し訳なさを感じたが、一方で、では事務にかかりっきりだったら届かない手紙があったはずだと正当化もしてしまう。

 それを理解しているサクラも、ピーノの行動については、何も言わない。


「こういうことがあると、人を増やしたほうがいいんじゃないかって考えちゃうわねえ」

「でも、普段は結構余裕ありますよね」

「そうなのよね。困ったものだわ」


 どうしたものかしらねえ、と締めくくって、サクラはワーウルフ種らしい大きな手で、ナイフを使って鉛筆を削り始めた。しゃっ、しゃっ、と木くずが跳ねる音を聞きながら、ピーノも自分の鉛筆を取り、書類に向き合う。

 見慣れた報告書の内容に、時折混ざる自分の名前。そこに些細な違和感は覚えても、集中力を途切れさせるほどではない。

 が、突如大声が聞こえれば、話は別である。


「じゃあ、行ってきます!」


 制服に着替え、スカーフを巻いたハルが、風のごとく事務所を駆け抜けて、バルコニーへと上がっていった。

 その姿に微笑ましさを感じた何人かの職員から笑みがこぼれ、自分のことではないのに、ピーノはどこか気恥ずかしさを感じた。


「病み上がりで配達行けるかしらって思っていたけれど、大丈夫そうね」


 木くずをゴミ箱に流し込みながら、サクラもやはり、笑っていた。


「やっぱり、ハルちゃんはいいわねえ。あの子が元気だと、所内が明るくなる気がするわ」

「そうですね。心配しなくても良さそうです」

「あらあら、心配してたの?」

「そういうわけじゃあ……いえ、まったくしてないってわけでもないですけど……」

「いいのよ、隠さなくって。大事なお姉ちゃんですものね」

「……そういえば、トマトが効くって教えてくれて、ありがとうございました」

「あら、ちゃんと覚えててくれたのね」

「はい」


 姉さんはトマト嫌いですけど、とまでは言わず、ピーノは露骨に逸らした話題から、更に続ける。


「……その、ついでなんですけど、喉に効くものって、知りませんか?」

「のど?」

「はい、この、喉です」


 聞き返したサクラに、ピーノは自分の首を鉛筆の背でとんとんと叩いて見せた。

 喉、喉……と繰り返しながら、サクラも削ったばかりの鉛筆でとんとんと机を叩く。


「そうねえ、蜂蜜がいいとは、聞いたことがあるわ。特に、西の方で採れるものは、薬の代わりに使われるくらいだって」

「蜂蜜ですか?」

「ええ。ところで、どうして、とは聞いていいものかしら?ハルちゃんの喉が悪いようには、見えなかったけれど」

「……えっと、知り合いが、ちょっと」

「あらまあ。そんなに調子悪い人に囲まれてると、ピーノ君も危ないわね。ちゃんと気をつけてる?」

「十分に気をつけてます」


 まだサクラは何かを言いたいような様子だったが、他の事務員に呼ばれてしまい、会話はそこで終わりとなった。

 残されたピーノも、仕事に戻ろうと書類に視線を落とした。だが、鉛筆は必要な数字や文章を綴る前に、メモ帳がわりにしている紙束の一枚へと向かった。

 ウェストエリア、はちみつ。

 短くメモを取り、一度満足そうにうなずいてから、ようやくピーノは仕事へと取り掛かった。

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