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お手紙は風に乗って  作者: 港
二通目
4/6


 ピーノ・メイリアは、ハルピュイア・ポストの事務を担当している。

 細かな作業を好み生真面目な性格をしているピーノにとって、仕分けや数字の管理などの仕事は天職とも言えるものであり、それは自他ともに理解していることであった。

 しかし、彼の背にある翼は、決して飾りではない。

 曲芸飛行も高速度滑空もできる姉のハルと比べれば、その飛行技術は拙い。それでも、ピーノもまた大空を翔けることのできる、立派なハーピーである。

 だから、配達予定に穴が空いてしまった時などは、ピーノが配達員のスカーフを巻くこともある。

 そして、今日がまさに、そんな日であった。


「おはようございます」


 ハルピュイア・ポストのイーストエリア支部事務所へと出勤したピーノを見て、先に出勤していた先輩事務員のサクラは挨拶を返す前に、「あら」と目を丸くした。

 いつもならば、ピーノの隣にはまだ眠そうなハルがいるのだが、今日はピーノが一人で出勤してきたためである。


「今日は、ハルちゃんは?」

「風邪を引いたんです」

「あらまあ。最近流行ってるものねえ。お大事にって、伝えといてもらえるかしら」

「はい、ありがとうございます」


 ここしばらく、事務所があるイーストエリア第一地区では風邪が流行している。医者が慌てるほど重いものではなく、微熱や軽い喉の痛みに悩まされる程度のものではあるが、安静にしているに越したことはない。この事務所内でも誰かが風邪を引いて休んでいる状態が続いており、今はけろっとした顔をしているサクラも、つい先日まで病欠をしていた。


「そう言うわけなので、今日は僕、配達に回りますね」


 更衣室で制服に着替えたピーノは、事務所にある自分のデスクに配達カバンを乗せながら、サクラに言った。

 首に巻いている赤いスカーフはハルピュイア・ポストの配達員である証だが、普段から配達で飛び回っているハルが着けているものと比べると、ピーノのスカーフはまだ色鮮やかで、ほつれも無い。


「ピーノ君が配達行くのも久しぶりね。大丈夫?ちゃんとルートは覚えてる?」

「姉さん……じゃなくて、ハルさんじゃないんですから、大丈夫ですよ。一応、地図も持っていきますし」

「そうよね。ピーノ君はしっかりしてるものね」

「……」


 サクラの言葉に何か含みを感じたのか、ピーノが不満そうに眉をひそめる。しかし、何かを言っても墓穴を掘るだけだろうとは分かっているため、深く言及はしない。

 仕分け済みの手紙が収納された棚から、ハルの担当地区であるイーストエリア第三地区宛のものをカバンへと綺麗に収めて、「それじゃあ行ってきます」と、サクラをはじめとした事務員たちに頭を下げた。


 配達員の発着場も兼ねているバルコニーに出たピーノは、長く、ため息を付いた。

 スカーフはしっかり巻かれている。肩からかけたカバンは制服にボタンで留めてある。手紙も忘れていない。ポストの鍵も持っている。

 一つ一つ確かめて、ようやく、ピーノは琥珀色の両翼を大きく翻し、地面を蹴った。

 ばさ、と音を立てて羽ばたくたびに、軽い体は高度を上げてゆく。

 風の勢いも向きも良好。耳元で鳴る風切り音を楽しみながら、口元を緩める。

 自分は、屋内にこもって地味な作業をしているほうが向いている。しかし、たまにこうして空を飛ぶと、やはり自分もハーピーなのだと、空を飛ぶものであるのだと、実感できる。遠くを飛んでいる鳥の群れたちに一方的な仲間意識を抱き、ピーノはまたひとつ、翼で空を打った。

 青い空を滑るようにして、向かうはイーストエリア第三地区の中でもっとも小さな村。可能な限り飛行距離が短くなるように、かつ人口の少ない場所から段々と多い場所に移動するように、地図にはルートが記載されている。ハルのような飛び慣れた配達員は自分が飛びやすいようにルートを勝手に変えることもあるが、生真面目なピーノは、飛行の開放感を楽しみながらも決してルートを外れようとはしない。

 時間に従い、地図に従い。町々で聞かれる「今日はハルちゃんはお休みかい」という言葉には愛想良く。ハルを心配する人々からいくつかのお土産をもらいつつも、久しぶりの配達は順調に進み、残す巡回場所が、交通の要所「セリア」のみとなった頃には、時間に少し余裕を持てるほどになっていた。


 イーストエリア第三地区のちょうど中央に位置するその町は、目立った特産物も無い、地理的条件のみで人が集まった場所である。だが、ピーノは、この町の雑多な賑わいが嫌いではない。都度拡張された不格好な防護柵と、散り散りに建っている家々は、住人の気ままな性格を表しているようでもある。

 町の名の由来は、この土地に最初に住み着いた一族の名から来ているそうだが、すでにこの町に「セリア」という名の家は無い。ただ、彼らが残したという横に長い平屋は今も町長の家として使われており、セリア一族の使っていた農具も残されているそうだが、ピーノたちを含む大多数にとっては、どうでもいい事だった。


 しばらく町の上空を旋回していたピーノは、町の中央を貫く、長く広い通りに降り立つことにした。

 空を飛べるというのは便利だが、着地にはなかなか気を使う。飛んでいる間はともかく、高度を落とすための羽ばたきは、結構な勢いで風を起こすためである。その音も、決して小さくはない。現に、赤いスカーフを巻いたピーノを見て集まってきた子どもたちが何事かを言っていても、風の中央にいるピーノにはほとんど聞こえていなかった。


「ごめんなさい、少し、場所を空けてください!」


 ピーノの方も羽ばたきながら声を張り上げるものの、聞いているのかいないのか、子どもたちはピーノがかろうじて着地できる程度の小さなスペースを空けるだけだった。

 結局、ピーノはいつもより少し高い場所で羽ばたくのをやめ、足を柔らかく曲げて空中から地面に飛び降りた。硬いつま先がレンガを叩き、かつんと音を立てる。そして、その音を合図にしたように、子どもたちがピーノへと群がった。


「いつものお姉ちゃんは?」


 開口一番、一人がそう言ったことで、他の子どもたちもそれに追従した。

 お姉ちゃんは、お姉ちゃんは、という言葉がひとしきり言い尽くされ、ようやく子どもたちが多少落ち着いたところで、ピーノは答えた。


「お姉ちゃんは風邪を引いちゃったから、今日は僕がかわりに」

「ふーん……」


 はっきりと口に出しはしないが、それでも、子どもたちの落胆はピーノにも感じられるほどに滲み出ていた。姉がそこまで慕われているということへの誇らしさと、お呼びじゃないと言われたような寂しさを胸の奥でないまぜにしつつ、ピーノはカバンを開き、手紙を取り出した。

 この町宛の手紙は、一通のみ。宛名は、「カトリン・ウィネ」。家の場所は書いていない。子どもたちに聞こうかとも思ったが、どうやら「お姉ちゃん」じゃない配達員に興味は無いようで、すでに追いかけっこを再開して散り散りになってしまっていた。

 仕方なく、ピーノは手近な店の前にいたラビット種の男性に声をかけた。


「あの、ウィネさんのお宅は、どちらでしょうか」

「ウィネ……ああ、ヴィーナさんところか。あの、丘のお屋敷だよ」

「丘の?」


 ピーノが巻いている赤いスカーフをちらと確かめてから、長い耳の先端を折った男性は、手に持っていた木槌で遠くを指した。


「ほら、あの丘の上にある、大きいお屋敷。あそこだよ」


 指された方へとピーノが向けば、そこには曲がりくねった坂道があり、その頂点、町を見下ろせるほどの高さがある丘の頂上に、赤いレンガの屋敷が堂々と居を構えている。ただの住居としてはあまりにも大きく、尖った屋根の塔までくっついている。その威容は、確かに「丘のお屋敷」と呼ぶのがふさわしかった。


「随分……町から外れた所にあるんですね」

「ご主人が変わり者でねえ。町外れの家が良い、なんて言って、あそこに家を建ててもらったんだと。あんな高い場所なんて、荷車を引いて行くのに苦労するだけなのに」


 そう言った男性の視線が、店先に置かれた荷車へと向いた。店の中に並んでいる小麦粉の袋を見て、ピーノも「たしかに」と苦笑交じりに同意する。重い荷物を運ぶ苦労は、郵便屋にとっても縁遠い話ではない。


「まあでも、ニイちゃんみたいなハーピーなら関係ないか」

「そうでもないですよ。高く飛ぶのって、結構疲れますから」

「おや、そうなのか。そりゃあすまないことを言った」

「お気になさらず。家の場所教えてくださって、ありがとうございました」


 一礼をして、ピーノはレンガ敷きの地面をしばらく歩いてから、飛び立った。十分に距離を取ったつもりだったが、それでも、跳躍から羽ばたきに変わる瞬間のつむじ風は地面を打ち、ラビット種の男性の髪を揺らした。


 「丘のお屋敷」の玄関前に立つと、その建物の威容はよりいっそう強いものとなってピーノをひるませた。

 蔦と葉の紋様が彫られた両開きの扉には銀のノブが取り付けられており、庶民でしかないピーノは、鈍く光るドアノッカーに手を伸ばすにも多少の勇気を要する。掃除夫によるものか、住人が自分でやっているのか、玄関先はきれいに掃除されており、ノブや装飾の銀は、曇りひとつ無い。

 そんなものを自分の手で汚すのは、と思う気持ちから、ピーノはドアノッカーをつまみ、ごつん、ごつん、と二度ドアを叩いた。

 さて、どんな人が出てくるのだろうか。こんな立派な家に住むような人だ。それはもういかにもお金持ちと言った様相かもしれない。しかし、あの男性は「ご主人が変わり者」とも言っていた。貧富など関係ない、想像の斜め上を行く姿をしているかもしれない。


 しかし、「はいはーい」とどこか間延びした声とともにドアを開けたのは、とても変わり者とは思えない、穏やかな目をした女性だった。

 頭の上にピンと立った三角の耳に、腰の後ろでゆらりと揺れている長い尻尾は、間違いなくネコマタ種のそれだが、まとっている雰囲気はネコマタ種に多い気ままなそれとは違い、ワーシープ種などにありがちな包容力に近かった。料理でもしていたのか、エプロン姿には、かすかに焼き魚の匂いが残っている。それがまた、この女性の優しげな母性を強調している。

 幾度も想像した、顔も知らない母親の幻影を目の前の女性に重ねたのもつかの間、ピーノはすぐさま配達員の心構えを取り戻す。


「あの、カトリン・ウィネさんのお宅はこちらで良かったでしょうか」

「ええ。あら、お手紙ね。ご苦労さま」


 手紙を受け取った女性の手には、先程まで料理していたのであろう魚の鱗がついていた。サビ柄の毛皮についたそれは、小さなアクセサリーのようでもあった。

 そのきらめきから目をそらし、では、と言って飛び去ろうとしたピーノだったが、地面を蹴るよりも、女性が「ああ、待って」と言う方が早かった。


「ごめんなさいね、少し、待っていてもらえるかしら?すぐに返事を書かせるから。キャサリン!パパからお手紙よ!」


 跳躍の勢いを殺しきれず、たたらを踏んでから振り返ったピーノに、女性の穏やかな笑みが向けられる。そして、その後ろ、屋敷のエントランスから伸びる飾りのついた大きな階段から、一人の少女が降りてきた。

 サビ柄の毛皮に、ゆったりとしたワンピース姿。キャサリン、と呼ばれた少女は、柄こそ母親と同じだが、揺れている尻尾は不機嫌そうで、目つきも悪かった。親子なのにずいぶんと雰囲気が違うな、と、並んで立つ二人を見て、ピーノは心の中でつぶやく。


「ほらキャサリン、お返事書いちゃいなさい」


 ピーノが観察を終える前に、キャサリンは母親から渡された手紙を受け取って、複数あるドアの一つを開けて、その中に引っ込んでしまった。ピーノの存在に気づいていないかのような振る舞いに、母親はやはり穏やかな声色ながら申し訳なさそうに言った。


「ごめんなさいね。どうも、愛想が無くって」


 だが、それよりも、手紙を渡された瞬間に見えた表情。そちらの方が、ピーノは気になった。


「いえ、そんなこと……」


 ありません、と社交辞令を交えようとして、ピーノは言葉を濁した。否定するのも、何かが違うように思われた。ピーノの気持ちを察したのか、キャサリンの母親も、気を悪くした様子は無く、娘には無い愛想を十分に交えて、世間話をはじめた。


「郵便屋さん、今日はいつもの子じゃないのねえ」

「はい。この地域担当の配達員が風邪を引いてしまったので」

「あら、それは大変ね。お大事になさって」

「はい、ありがとうございます。本人にも伝えておきます」


 ぴしと姿勢を整え、姉を心配してくれる女性に礼をひとつ。

 しかし、会話はそこで一度途切れてしまった。キャサリンは、まだ、返事を持ってこない。

 なんとなく無言で待っているのも気まずく、ピーノはひとつ、どうでもいいとも思っていた疑問を引き出した。


「あの、聞いてもいいでしょうか?」

「なにかしら?」

「先ほどキャサリンさんと呼んでいましたが、宛名のカトリンというのは……」

「ああ、そうよね。不思議よね。実は、うちの主人がノース出身でね。向こうの読み方だと、キャサリン・ヴィーナがカトリン・ウィネになるのよ。こっちに来たんだから合わせてほしいって言っても、どうにも頑固なのよねえ」

「そういうことでしたか」


 ノースエリアへと行ったことのないピーノも、そこで使われる言葉がイーストと少々異なっていることは知っていた。とは言え、実際に聞いてみると、イーストエリアで生まれ育ったピーノからすると、北方の発音はなんともおかしな響きだった。


「ちなみに、私のキャニエルって名前は、カニエンになるの。郵便屋さんは……」

「あ、ピーノです。ピーノ・メイリア」

「ピーノ君……ピリノ・ミール君ね」

「……なんか、不思議な感じですね。自分の名前のはずなのに」

「そうでしょう?私も、あの人と会ったばかりの頃は、カニエンさんって呼ばれてもなかなか振り向けなかったもの」

「確かに、僕もピリノって呼ばれたら自分だと思わずに無視しちゃいそうです」

「そうよねえ」


 口元を隠してくすくすと笑うキャサリンの母親、キャニエルにつられて、ピーノも目を細めて笑う。

 立派なお屋敷に住むお金持ちと聞いて身構えていたが、ここにいないご主人はともかく、キャニエルさんは決して変わり者などではない、むしろ親しみやすい人だ。

 笑ったあとのため息に安堵を混ぜていたピーノだったが、屋敷の奥にゆらりと出てきた影を見て咄嗟に姿勢を正した。

 サビ柄のキャサリンは、手に持っていた一葉の手紙を、何も言わずに母親へと渡した。そのまま、また階段を上がって戻っていこうとしたキャサリンに、母親はピーノへと向けていた笑みはそのまま、「キャサリン」と声色だけを変えてたしなめた。


「郵便屋さんに、お願いします、くらい言いなさい」

「…………おねがいします」


 渋々と、ピーノにかろうじて聞こえる声で小さく言って、キャサリンは振り向きもせずに、階段を上がっていった。

 再びピーノの方へと振り向いたキャニエルは、やはり困ったように笑っていた。


「ごめんなさいねえ。じゃあこれ、お願いしますね」

「はい。確かにお預かりしました」


 手紙には、差出人にも宛先にも、何らかの事情がある。そこには楽しいこともあるかもしれないが、悲しいこともあるかもしれない。

 研修を受けていた頃に教えられた言葉を思い出して、ピーノはうやうやしく頭を下げてから、キャサリンの手紙をカバンの中へとしっかり収めた。


「では」

「ええ。気をつけて」


 短い挨拶を交わし、ピーノが飛び立つ。

 遠ざかっていく少年の姿を見つめるキャニエルの目は、眩しいものを見るかのように、細められていた。



…………



 「ハルちゃんの看病をしてあげなさい」という所長の気遣いにより、配達を終えたピーノは色々な手続きや確認作業を簡易的なもので済ませ、早々に帰宅した。

 久々の配達に、体中の普段使わない部分を使った。明日は筋肉痛かもなあ、などと考えながらドアを開けたピーノに、ベッドに転がっていたハルが上体を起こし、ぼんやりとした視線を向ける。


「おかえり……」

「ただいま。姉さん、調子は?」

「んー……わかんない……今朝よりはいいかも……でも、なんかぼーっとする……」

「じゃあまだ治ってないね。ほら、ちゃんと寝てて」

「んー……」


 ハルの顔色は、今朝ピーノが見たときよりもいくらか良くなっている。だが、その目はうつろで、ピーノを見ているのかその後ろにある壁を見ているのかもはっきりしない。


「配達、代わりに行ってくれたんだよね……だいじょうぶだった?」

「うん」

「よかった……ごめんね、迷惑かけて」

「いいって。スープ作るけど、食べられそう?」

「……うん、たぶん」


 ハルの返事にうなずき、ピーノは水瓶の水で手を洗い始める。井戸への水汲みは結構な重労働であるために姉弟が交代でやっている家事の一つだが、当然、どちらかが体調を崩している間は、無事な方が請け負うことになる。

 明日は早起きして、水を汲んでおいた方がいいかもしれない。まだ瓶の中身には余裕があるものの、姉の飲水や額に乗せたタオルを濡らしなおす事などを考え、ピーノの頭の中で翌朝の予定が組まれる。

 並行して、帰りがけに買ってきたトマトを潰してスープにしてしまおうと献立も考える。風邪にはトマトがいいのよ、というサクラのアドバイスに従ってはみたが、スープ以外にどんなトマト料理があるか、ピーノには思い浮かばなかった。

 隣り合わせになっている瓶のどちらが塩でどちらが砂糖か確かめるために、中身を手のひらに少しだけ取り、舐める。ハルはどうしてか、ひと目見ただけで砂糖と塩の見分けがつく。おかげで、たまにしか行われないピーノの料理は、まず塩と砂糖を確かめるところから始まる。


「姉さん」


 砂糖の瓶をキッチンの隅にどけて、塩の瓶を手元に置きながら、ピーノはベッドで転がっていた姉に話しかけた。


「なあに?」

「セリアに住んでるウィネ……ヴィーナさんって、知ってる?」

「あの……丘のお屋敷の?」

「そう。お屋敷の」

「もちろん知ってるけど……なにかあったの?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」

「……キャサリンちゃんのこと?」


 トマトを潰す手を止めて、ピーノがうなずく。


「あんまり……配達員が首を突っ込むものじゃないとは思うんだけど」

「分かるよ。私も、気になってたから」

「なってた、ってことは、今は?」

「……お父さんのこと、みたいだから」

「……そっか」


 姉が何を言おうとしているのか、ともに孤児院で育ってきた弟にはたやすく理解できた。


 色々な疑問をあきらめたピーノは、潰したトマトを、残っていた野菜の端切れごと水を張った鍋に突っ込み、鍋をかき回す。透明だった水はみるみるうちにトマト色に染まり、野菜の端切れも巻き込んで鍋の中が赤一色に変わってゆく。

 ぐつぐつと煮える音が立ったところで、小皿にスープを取り、味見を一口。味が薄いし水っぽいが、病人にはちょうどいいだろう。


「ピーノ、何作ってるの?」

「トマトスープ」

「……私がトマト嫌いなの、知ってるよね」

「知ってるよ。でも、風邪を引いたときはトマトがいいってサクラさんが言ってたから」


 喋りつつも、底の深い皿にまだ熱いスープをすくう。それをベッドへと持っていけば、端切れの野菜に小さく切ったじゃがいもが浮いたスープを見たハルは露骨に顔を歪めた。

 渡されたスプーンを握る手からは、拒む気持ちと食べなければという気持ちの間で揺れる感情が見て取れる。


「食べなきゃだめ?」

「食べないと治らないよ」

「うう……」


 ピーノに見守られながらも、ハルはしばらくスープを睨みつけていたが、やがて眉間にしわを寄せ、観念したように、スープを口に運んだ。

 おっかなびっくり、ゆっくりと、野菜を咀嚼し、飲み込む。

 そして、言った。


「味がわかんない……」

「よかったね」

「よくはないけど……でも、食べられる……」


 美味そうに、とは行かないものの、平時ほどトマトに対する敵意も見受けられない姉の食事風景に、ピーノはほっと胸をなでおろした。

 体に良くとも、そもそも食べられなければ意味がない。どうしても食べられないようだったら、配達中にもらった果物を切るつもりでいた。

 そもそも、ピーノ自身、自分はあまり料理が上手ではないとわかっている。最低限、食べられるものは作れるものの、孤児院で暮らしていた頃から厨房の手伝いをしていた姉の腕前とは、比べ物にならない。

 このスープも、姉さんが作ったら、もっと美味しいものになっていたんだろうな。

 自分の皿によそった水っぽいスープを食べながら、ピーノは心のうちで、姉へのささやかな敬意をあらためていた。

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