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第7話  捕縛


 一生の後悔というものがある。どんなに後悔してもしきれず、どんなに償おうとしてもやり直すことが出来ない過去。罪は三種類あると祖父が言っていた。他人が赦す罪と、自分が赦す罪。そして双方が赦す罪。一方だけが赦しても終わらず、双方が赦さなければ永遠と刻み続けられるのだ。

 赦されない罪は罪のまま双方の心を縛り離さない。誰も救われない。だが赦すことで楽になることも出来ない。俺も、あいつも、償いなど最初から意味はない。ただの自己満足だ。赦されたいわけではない、赦されるとも思っていないし、俺自身が自分を赦していない。

 だが、きっとあの過去をなかったことにしたくないのは誰よりも俺自身なのだろう。


『偽善者』


 昔のことを男思い出そうとすれば必ず蘇ってくるあの言葉。ああ、まったくその通りだ。中途半端な正義の味方は誰も救えないのだ。




「…さん……渚さん」

 浮上しつつある俺の意識をさらに呼び起こそうと名を呼ぶ声が聞こえた。

「渚さん、大丈夫ですか?」

 黒く艶やかな髪が降り注いでくる。俺の顔をのぞき込み声をかけていたのは綾小路夏音の姿を見てあの時と同じだなとのんきな感想を抱いてしまうあたり、まだ頭ははっきりしていないのかもしれない。綾小路と会うのはあの隠し部屋で別れて以来だ。それ以降影も形も見えなかった彼女が今になって姿を現したことは不思議に思うが、その疑問を解決する前に現状を把握するべきだと俺の冷静な部分が言ってくる。

 俺が目を覚ましたことを確認すると綾小路はのぞき込んでいた上半身を上げ、天井から降り注ぐ人工の光が俺に今置かれている現状を知らしめた。少なくとも俺が今いるのは最後に見た部屋ではない。まるで倉庫のような一室はあの隠し部屋かと思われたがあそこよりもさらに広い。ステンレス製の棚が並んでいるのはあの隠し部屋と同じだが、薄暗かったあの部屋とは違い電灯の明かりがこれでもかと言わんばかりに惜しみなく降り注ぎ、真っ白な部屋を明るく照らしていた。

 それに反して今の俺の現状は決して明るいものではない。身体を起こそうとする俺の身体を縛るものがある。見るとまるで簀巻きのように縄でぐるぐるに巻かれている。つまり拘束されている。一方綾小路の方は自由の身だ。最後に会ったときとほとんど変わっていない。

「渚さん、大丈夫ですか? お怪我はされていませんか?」

「ああ」

「えっと、なんで渚さんはここにいらっしゃるんですか?」

「そっちも気になるが、それよりもこの縄を何とかしてほしいんだが出来ないか?」

「あ、そうか、先にそっちでしたね。ちょっと待ってくださいね」

 どうやら事態の把握を優先して俺の拘束を解く方を失念していたらしい。この子、少し天然が入ってるんじゃないのか。俺の言葉を受け綾小路は慌ててきょろきょろと周囲を見渡し、次に棚を物色し始める。縄を切る道具を探しているのだろう。

 綾小路が探してくれている間に俺は自分の置かれている状況を改めて見返す。そして意識を失う直前のことを思い出す。確か獅童ともう一度話をしようと彼を探し他にあてもなく寝泊まりしていた部屋に戻った。その直後、異常な眠気に襲われたのだ。意識が遠のく中、部屋に誰かが入ってきたのを覚えている。そして今、拘束され見覚えのない倉庫らしき部屋に転がされている。そこから導き出される答えは一つ、俺は捕まったのだ。誰が主導したものかはわからないが、俺はうかつにも潜入調査中に捕まるという失態を犯したのだ。まったく情けない話だ。呆れる獅童の顔と、大笑いするパートナーの顔が目に浮かぶ。腹が立つので後者の方は脳内で殴り飛ばしておく。獅童といえば、連鎖して浮かんできた疑問をがさごそと荷物をあさる綾小路の背中にぶつける。

「俺がここにいることもそうだが、君はどうしてここに? 捕まったわけじゃないだろ?」

 俺と同じように捕らえられたのなら、彼女だけ拘束されずにいるのはおかしいことだろう。そもそも彼女は今までどこにいたのか、それにいったいどれだけの時間が流れたのか。解決すべき問題は山のようにある。彼女を百パーセント信用していい要素はないが、他に頼れる相手もいない。

 綾小路は少し考え込むようなそぶりを見せる。どこまで話していいのか決めかねているようだ。

「えっと、それは…」

「馬鹿が馬鹿らしく捕まっていたからそれに便乗しただけだ」

 戸惑いながら話そうとする綾小路の言葉を遮るように聞こえてきた声はまさしく俺が探していた相手のものだったが、第一声から会わなければ良かったと後悔する程ひどいものだった。ただ会いたくなかったのはお互い様なのかもしれない。こちらを見る獅童の顔は明らかに不機嫌そのものだ。

「人に会ってすぐ馬鹿呼ばわりするほどお前は偉いのか」

 そんな場合ではないと分かっていても反論せずにはいられない。

「人の忠告も聞かず易々と捕まっている奴を馬鹿以外何と呼ぶんだ?」

 そう言われてしまえばぐうの音も出ない。

 反論できず黙り込んでしまう俺を見て獅童は、はーと大きくため息を吐く。そのまま背中に手を回したかと思うと一本のナイフを取り出し綾小路の方へと投げた、もちろん鞘付きで。何故そんなものを持ち歩いているんだと聞きたいところではあるが、お陰で拘束は解けそうなのだから何も言わずにおく。

 綾小路は鞘からナイフを取り出し丈夫な縄に切れ目を入れていく。ひどく危なっかしく一緒に手を切られるのではないかとひやひやする。力が足りないらしく中々切ることが出来ない。だが必死に縄を切ろうとしている少女に文句を言えるはずもなく、一緒に切られないことを祈りながら拳を握りしめた。獅童はそれを手伝うわけでもなく棚に並べられている段ボール箱の中身を物色していた。

「ところで、さっき便乗したと言っていたがどういう意味だ?」

 身体はそのまま、首だけを獅童の方へと向け尋ねると、意外にも獅童はあっさりと答えた。

「俺たちもここに入るのに苦労していたんだよ。何かあるとすればここしかないと踏んだんだが入るには幹部以上の権限が必要なようでな。入り口は厳重に閉ざされていてカードキーと暗証番号が必要だった。さすがに力ずくで行くとばれてしまうんでどうしようかと悩んでたらお前が引きずられてきたんだよ。うまいこと連中の目がお前に集中していたんでうまく潜り込むことが出来た。馬鹿もたまには役立つものだな」

「…それは褒めてるのか? それとも感謝しているのか?」

「どっちだと思う?」

「…どちらでもないだろ」

 ただ馬鹿にしているだけだろ。そこまでは言わなかったが、こちらを振り返った獅童の表情を見るにしっかり伝わっているらしい。本当に腹が立つ奴だ。だがどんなにむかつく相手であっても、今俺を助けれるのは彼らだけであり、この状況を打破するには彼らの力が必要不可欠だ。俺は既に敵に捕まるという致命的な失敗を犯している。今までのように隠れながらの調査は続けられないし、何よりこのような手段を執った教団が穏便に終わらせてくれるとは思えない。時間も手段も残されていない以上、自身の感情は後回しにするべきだ。

「ところで、俺がここに運ばれてからどれくらい経ってるんだ?」

 物色を続ける獅童に代わり綾小路が縄を切りながら教えてくれた。

「えっと、渚さんと別れたのがお昼過ぎだったから、三時間ちょっとですね」

 確か獅童を探して部屋に戻ったのが四時前。交流会終了が五時。綾小路と別れたのが一時頃だったから意識を失っていた時間はそれほど長くない。眠ってしまった後すぐにここへ運ばれてきたと考えるべきだろう。

 こうして捕まっているということは俺の正体が教団側にばれたと考えていい。いや、警察だとまで気づかれなくても敵と認識されたはずだ。教団がどの程度悪事に手を染めているかは分からないが、こうして人一人を捕縛する以上後ろめたいことがあるに違いない。そして決して温厚な集団ではないはずだ。これ以上時間を浪費することは危険レベルを引き上げることにしか繋がらないはず。彼らの潜入経路についてはまだ気になる部分が残されているが、今は追求しないことにする。

 ざくりという音と共に縄が切り落とされ、俺の手は自由になる。綾小路に礼を言いながら縄の痕が付いた手首をさする。しばらく不自由を強いられていた手は若干のしびれが残っている。

「それで? お前はこれからどうするつもりだ?」

 段ボール箱の中から何かを取りだしたらしい獅童はそれを手の上で転がしながら尋ねてきた。何か黒く小さな物だ。

「どうするとは?」

「ここまで来たらあとは二択しか残されていないだろう。全部放り出して逃げ出すか、さらに先へと進むか。前者であるなら俺たちは手を貸すつもりはない。勝手に自分一人で何とかしろ」

「後者なら?」

「それも勝手にしろ。この先何があっても俺たちに期待するな。あくまで進む道が同じというだけだ。言っただろ、協力はしないと。それは今も変わっていない。ただ同じ方向へ行くことを止めはしない。ただし、そちらを選ぶというならこういうのを相手にすることになるぞ」

 そう言って獅童は段ボール箱の中からさらに何か黒い物体を取り出しこちらへ放り投げた。突然投げられたそれを慌てて受け止める。それは黒く光沢があり、受け止めると予想以上の重力がずしりと手にのしかかった。その重さがおもちゃのたぐいではなく本物であることを物語っていた。これ一つで常世教団が善良な宗教団体ではないことが証明される。

 人を殺す為の道具。一般人が手にしてはならない凶器。一丁の拳銃が俺の手にあった。

「これは…」

「警官ならそれが本物かどうかなんて聞いてくるなよ。ようするにそういう連中なんだよ、お前が相手にしようとしているのは」

 それでも、お前は一人で何とかするつもりでいるのか? そう訊いているのだと獅童の眼が語っていた。そう、本物かどうかなど考えるまでもない。そしてそれを持つ者がこの国ではどういった身分の者であるかも、分かりきっている答えだ。

 今、俺が持つ物は何も無い。武器がなければそういった武力行使を得意とするパートナーもここにはいない。武道は得意とするが、離れた相手をあっさりと殺せる武器を持つ相手にそれがどれだけ役に立つのか。

 それでも、選択肢は最初から一つしか見えていない。教団が危険であるというのなら尚更ここで何も見なかったことになど出来はしない。それは俺が警官であるという誇りと責任の為でもあり、同時に俺自身がそれを見過ごすことが出来ない人間だからだ。いや、そうであろうとしているが正解なのかもしれない。俺は過去の罪を背負うために、そして未来を生きていくためにこの生き方を変えることが出来ない。たとえそれが愚行と呼ばれののしられようともだ。

 その意思は眼に宿り、言葉にせずとも相手に伝わる。獅童は俺の意思をくみ取ったのだろう。しばらく視線をそらさず互いの目を見つめ合っていた。そして、

「…まあそうくるだろうとは思ってたがな。やれやれ」

 そう言って肩をすくめると、手に持っていた銃弾もこちらによこした。

「腕前は知らないが、仮にも警官なら銃ぐらい扱えるだろう。持っておけ、丸腰で進むのは死にに行くようなものだぜ」

 ここで泥棒だと言うのは場違いというものだ。今更銃を持ち出すことに罪悪感など感じるはずもない。獅童は綾小路からナイフを回収し、そのまま部屋を出て行くかのように思われたとき、ふとこちらを振り返り、

「何してる、行くんだろ?」

 意外すぎる言葉だった。

「何故?」

 今まで俺を煙たがっていたはずの男が突然態度を一変させる。てっきり勝手に死んでこいと言って放置されるかと思っていたのだが。獅童は面倒くさそうに説明を投げた。

「こっちにはこっちの事情ってものがあるんだよ。あのまま逃げ出すのなら手間は省けたんだがな。たださっきも言ったが、協力だとか助け合いだとか期待するなよ。俺たちは俺たちの仕事を優先させるからな」

 それだけ言うと今度こそ部屋を出て行った。事情がまったく飲み込めず呆然とする俺に綾小路が声を潜めて言った。

「一緒に行きましょうってことだと思いますよ。仕事だって言ってますけど東さん、本当は優しい方なんです」

 ふふっと笑う美少女の笑顔は見とれてもいいものだったが、そんなことよりも衝撃的な言葉が出てきた。

「優しい? 獅童が?」

 一体どのあたりを指して言っているのか甚だ疑問しかないが、綾小路は俺の困惑に気づいているのかいないのか、自分の出した評価を撤回する様子はない。

「はい、本当は渚さんのことも心配してるんですよ。仕事を抜きにしても」

 それはない、と断言したいところだが、彼女の微笑みを見ると言っても無駄な気がするので口にはせずにおく。それよりも、

「俺を助けることが仕事の内なのか?」

 初めて会ったはずなのに俺の正体や性質について知っているかのような振る舞いがあった。やはり俺のことを誰かから聞いていたのではないのか。しかし綾小路はそこまでは教えてはくれなかった。

「それは秘密です。東さんに怒られてしまいますから」

 指を口の前に立ていたずらっぽく笑う姿にそれ以上の追求は出来なかった。仕方がないのでその話題は後回しにすることにする。今はそれどころでもない。ただ一つだけ。

「君は獅童のどこを優しいと評価するんだ?」

 獅童の態度は決して良心的とは言えない。綾小路に対しても特別優しく振る舞っている様子もない。むしろ、おそらく年上であるはずの彼女に対して遠慮も敬意も存在しない。献身的な彼女に労る様子もない。一体彼女は獅童のどのあたりを指して優しいと言えるのだろうか。

 俺の疑問に綾小路は笑う。今までのような明るい笑い方ではなく、何かを思い出し懐かしんでいる、そんな眼だった。

「詳しい話は出来ないんですが、でも一つだけ。私がこうして笑ってここに居られるのは東さんのお陰なんです」

「それはどういう…」

 先を聞こうとしたその時、廊下から俺たちを呼ぶ獅童の声が聞こえた。

「何してる、置いていくぞ!」

「すみません、東さん。今行きます!」

 綾小路は話を中断し東の後を追いかけ部屋から出て行く。だが部屋を出る前にふと立ち止まり、俺の方を振り返り言った。

「私、東さんに感謝してます。だから私、東さんの為に出来る事があれば何だってやりたいんです」

 それだけ言い残し部屋を出て行ってしまった。一人残された俺は彼女の言葉の意味を考える。獅童を恩人だと言う綾小路。その詳しい事情は分からないが、彼女にとって獅童の存在が絶対となる何かがあったのだろう。俺にはそれが少しうらやましい。救った彼と救われた彼女。そこにどんな思惑や事情があったかは関係ない。彼女が持つのは純粋な感謝の気持ちと恩を返したいという責任感、そしておそらくはその根底にある愛情。

 間違った正義を振りかざし、それゆえに犯した罪を償いたいという自分勝手な感情しか抱けない俺には、彼女の純粋すぎる心はうらやましく、そしてまぶしすぎる。





「大なる不義を犯して、人の国を攻めば非とされず名誉とし、正義とす。

それが不義なることを知らず」

                                    ――――――『墨子』

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