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第2話  忠告



「潜入調査?」

 職場に着いて早々、上司に呼び出されたのは一週間前のことだった。大学を卒業してすぐ警察に就職してはや三年。この部署に異動してからまだ二ヶ月にも満たない。まだまだこの部署においては新人扱いされる身分であると自覚している。一人で任された仕事はなく、先輩である同僚と組んで経験を積んできた。というより振り回されたという方が正しいが。監視役でもあると自負してはいたが、それでも最初はあった先輩への敬意など三日と保たず消え去った。そんな時に与えられた勅命に困惑するのは仕方のないことだと思う。

「私がですか?」

「そうだ、何か問題でも?」

 この部署の責任者であり直属の上司である阿部裕一郎は手にしていた書類を机の隅に置き向き合った。

 ここで戸惑いもなく引き受ければ頼りになると評価されるかもしれないが、あいにく俺はできるかもわからないことを引き受けるほど無責任ではなく、さらに一ヶ月程度で一人前と言い切る程自分が優れていると自負してもいない。

「問題というか、情けない発言で申し訳ないのですが私一人で大丈夫でしょうか。まだここに来てから一ヶ月しか経ってませんよ?」

「お前の意見はもっともだ。もちろんお前一人に押しつける気はない。フォローもする。ただ今お前のパートナーの番匠はまだ療養中だしな。かと言ってこちらの仕事も後回しにはできない」

 番匠のことはどうでもいい、とは素直に言わなかったが、組んで三日で愛想を尽かしたパートナーと同行しなくていいことは幸運と言える。元々問題児だと忠告されてはいたが、常識のない番匠が起こす様々な問題と始末書の山はしばらくの間夢に出てくるまでに目に焼き付いて睡眠不足に陥らされた。わずか一ヶ月の間に起こされた様々な問題は確実に番匠への好感度を着々と下落させ、現在も零地点を突破しマイナス値を更新し続けている。現在療養している理由も上からの命令を無視して単独で武装集団に突入した結果だ。

 表に出したつもりはなかったが、こちらの心中を読み取ったのだろう。阿部は困ったように言う。

「そんなにうれしそうな顔をするな。あいつが問題児なのは承知しているが、そこまであからさまに不在を喜んでやるな」

「何も言っていませんが」

「顔に書いてあるぞ」

 書いてあるかもしれない。と自分で思ってしまうくらいには喜んでいた。阿部は大きなため息をつくが、仕方がないと諦めたのかそれ以上何も言わず机の上に置いていた資料を差し出してきた。

「現在うちの人では足りてない。新人のお前に任せるのが心配でないとは言わないが、お前はお前自身が思っている以上に優秀だ。大丈夫だろう」

 評価していただくのは嬉しいことだが、穏和な阿部の褒め言葉は半分程度に聞いておいた方がいいと、入署してすぐ先輩に教えられた。とはいえ、ここでこれ以上渋っても仕方のないことだ。仮にも上司からの辞令を断るわけにはいかない。たとえこの部署の仕事が個人的に好ましくなくてもだ。

 昔から人に真面目すぎると言われるくらい自分が真面目であると自覚もしているし、持ち前の正義感と義務感でこれまでやり通してきた。そしてこれからもそうであるつもりだ。その前に部署の変更を願いたいが。

「わかりました。捜査資料をお願いします」

「物わかりがよくて助かるよお前は。他の連中も少しは見習ってくれるといいんだが」

 誰のことを言っているのかを敢えて突っ込まないのが新人の心得だ。愚痴をこぼしながらも阿部は一度机に置いた資料を改めて手渡した。

「詳しい内容は後で確認してくれ。資料室も使ってもらって構わない」

 話を聞きながらまずは手渡された資料の表紙に書かれた文字にまず目をやる。

 『宗教団体常世教団・潜入捜査資料』

「常世教団?」

 思わず口に出てしまった。

「ああ、お前も聞いたことはあるだろう。最近ちまたで有名になっている新興宗教団体だ」

 常世教団。それならテレビなどで耳にしたことがある。おそらく日本に住む人間の半分以上がその言葉を一度は聞いているだろう。それほど現在注目を浴びている宗教団体だ。

 一年ほど前に設立された常世教団は、設立当時から注目を浴びていた。教主・風間封神――らしすぎるたいそうな名前はおそらく本名ではないだろう――は設立したその日、大衆の面前ではっきりと自らの広義を提唱した。

「我々人間は生と死の楔より解放され、『アハト』となることこそが正しき姿である」

 街中の中心、人が賑わうその場所でまるで政治家のように始めた演説が注目されないわけがなかった。始めはおかしな宗教団体と卑下されていた常世教団は次第にその信者を増やし、いつの間にかその単位は二百以上と言われている。

 最初は警察、公安もそれほど注目はしていなかった。所詮、過去にあった団体の模倣だろうと注視してこなかった。こういった団体の出現はそれほど珍しくもなかったのだ。この常世教団もそういった多くの模倣集団の一つに過ぎないと考えていた。しかし設立から一年後、その見解が誤りであったのではないかと疑ってしまうほど常世教団は巨大な組織にふくれあがっていた。

「『暁の会』の二番善事だと思ってましたよ」

「上層部のそう考えていたよ。今でもだ。だがここまででかくなるとやはり放っておくわけにはいかない。暁の会の模倣だというならなおさらな」

 それはよくわかる。アハトに関わる事件としては間違いなく歴史上に刻まれるであろうあの事件はまだ懐かしむには記憶に新しい。現にマスメディアなどではアハト関係の事件としては三大事件として扱うほど認知されている。その悲惨さにおいても人の目を引きつける。

 暁の会―――二十年ほど前、社会現象とまで発展した宗教団体。その規模は暁の会などに比べればたいしたものではない。最盛期でも百に満たない程度の小さな宗教団体だった。そんな組織の掲げる広義はただ一つ。

 『生と死の狭間にあるアハトこそすべてを超越した存在である』

 つまりは常世教団と同じくアハトを神聖視する宗教だ。こういったアハトを信仰する団体がいる一方、それを弾圧しアハトを不条理なものとする団体も多い。こういった団体の多くは宗教がらみの組織であり、アハトが世に認知された頃から数えきれぬほど生まれた。今更珍しいものではない。にも関わらず暁の会がここまで有名になったのかは、団体が起こした一つの事件がきっかけである。暁の会はその事件と共に世間の認知度を最高のレベルにまで押し上げ、同時に消滅した。『暁事件』と呼ばれる惨事は今も尚人々の記憶に根深く刻まれている。つまり上層部は暁事件の再来を危惧しているのだ。暁事件以降、アハト関係の宗教はそれまで以上に注視されることとなった。

「この常世教団とやらがどの程度本気なのかはわからん。ただの流行の新興宗教なのか、ヤクザの隠れ蓑か、それとも第二の暁の会となるのか。それを確認する意味でもこの潜入捜査は重要性を帯びている」

「それは…」

「あんまり最初から脅かしたら可哀想よ」

 突然背後から声をかけられた。同時に気安く肩を組んできた腕から嗅ぎ慣れた香りがした。

「志摩…入室するならノックぐらいしてくれ」

「あら、ごめんなさい。次から気をつけるわ」

 がっくりと肩を落とす阿部の表情からして、今までに何度となく繰り返されてきた会話なのだということが見て取れた。次とは一体いつなのだろうか…。

「それより、あんまり新人ちゃんをいじめちゃ駄目よ。久しぶりの将来有望なルーキーなんだから」

 彼女、志摩真紀は何年もこの部署に勤めている俺の先輩だ。派手なメイクと金色に染めたロングヘアーに豪華な服を纏った姿は水商売の女性を連想させるが、意外にも本人は面倒見のいい良き先輩だ。少なくとも変人奇人の集まりと卑下されるこの部署の中では常識人の部類に入る。さばさばとした性格は人によっては鬱陶しいと言われるかもしれないが、基本的には良い人だ。いわゆる姉御肌という言葉が似合う。何より彼女は俺と同じ人間だ。それだけでも充分信頼するに値する。

 そして彼女が言った久しぶりという意味は俺一人を指した言葉では無い。警察の中でも俺が所属するこの部署はアハト関係の事件を専門に取り扱う。なのでそこに所属する人間もある条件を満たさなければならない。仕事の性質上、警察の中でも多忙を極める部署でありながら、常に人材不足なのはこの条件を満たす人間がなかなか見つからないためだ。そして不幸にも俺はそんな条件を満たす希少な人間というわけだ。彼女が久しぶりと言ったのはそういう意味だ。

 現在俺の体は彼女と距離ゼロ、いわゆる密着状態にある。社交的でスキンシップが激しい彼女にとって挨拶代わりに抱きしめる、キスをするなどは日常茶飯事だ。日本人とは思えないほどの過剰なスキンシップは男としてうれしくないわけではないが、少々目のやり場に困る。今も肩を組まれ俺の手元にある資料をのぞき込む彼女は自身の胸が俺の腕に当たっていることをまったく気にしていない。派手なメイクではあるが彼女は一般的な観点から見ても美人だ。そしてスタイルは完璧と言って良い。特に胸にぶら下がるそれは男なら目を奪われても仕方が無いと言い切れるほど素晴らしいものだ。俺も男だ。柔らかな感触をまったく無視できる程強固な理性を持っているわけではない。だから、そろそろ離していただきたいのだが…。

「志摩、それくらいにしてやれ。渚には少々刺激が強すぎるようだ」

 阿部が助け船を出してくれた。

「あら、これくらいたいしたことじゃないのに」

「逆セクハラで訴えられるぞ。あと何度も言うが、仕事に相応しい格好をしろ。スーツを着ろと贅沢は言わないが、せめて胸が空いた服は止めてくれ。仕事が進まなくなる」

「目の保養に良いじゃない、得したと思えば良いのに。それに胸が苦しいのは嫌いなのよ」

「いいから渚から離れろ。話が進まん」

「は~い」

 ようやく志摩は離れてくれた。この先輩、良い人なのだがこの抱きつき癖だけはどうにかして欲しい。部署に配属さえすぐに紹介された際、いきなり抱きつかれた時は顔が沸騰しそうになるくらい真っ赤になった。そしてパートナーの男は助けもせず大笑いしていた。今思い出しても腹が立つ。あいつに関しては本当にろくな記憶がない。

 阿部の咳払いと共にようやく話が戻る。

「まあとにかく、この件がただの内部調査になるか、それとも大事件の防止になるかはこれからの調査結果による。くれぐれもばれないよう気をつけてくれ」

「はい、わかりました」

 どんな結果になるかはまだわからないが、俺の働きぶりにかかっているというのならその期待に応えるべきだ。もう弱音は吐かない。





 任務を引き受けて一週間、『暁の会』の実態をさらに深く調べるためこの講演会に参加した。初見の人間も多く参加する今回の講演会は格好のチャンスだ。講演の後には入会希望者の為の入会手続きが行われる。そこで入会を果たし、さらに内部を調べ上げる。結果次第では部署総出の大捕物になるかもしれない。気を引き締めていかねば。そう思っていた矢先にやたら目立つ二人と関わってしまった。これでは先が思いやられる。

 演説が終わればすぐに入会手続きが始まった。会場にいる大半の客が手続きをしようと担当スタッフの前に列を作る。自分も行かねばと席から立ち上がり列に向かおうとしたその時、再びあの少年が行く道を塞いだ。今度は邪魔というレベルでなく、はっきりと足を上げ妨害している。

「…何のつもりですか?」

 敬語を使いながらも眉間には皺が寄っていただろう。しかし少年は足を下げる様子がなく、俺の顔を見上げた。この時初めて少年が俺と目を合わせた。退屈をもてあましている若者、そんな第一印象が目を合わせた瞬間消え失せた。深淵をのぞき込んだような錯覚に襲われた。見てはいけないものを見てしまったような恐怖さえ感じた。十数年しか生きていないはずの子供が一体どんな経験をすればこんな眼をするようになるのか。決して人より多くの経験をしてきたわけではない俺がわかるはずもない。少年はそのまま視線をそらすことなく、緩慢な口を開いた。

「お前はこれ以上関わらない方がいい」

 突然の忠告、警告かもしれない言葉に一瞬何を言われたのか理解できなかった。ただ少年は間違いなく俺に向かって言ったのだ。

「どういう意味だ?」

「言葉のままだ。これ以上暁の会に関わるな。お前みたいな人間がアハトになんて関わるとろくなことにならないぞ」

 なぜ少年が初対面の人間にこんな忠告をするのか、わからないことだらけではある。しかしこれが任務である以上、関わらないわけにはいかない。

「忠告どうも。しかし私もやらなければならないことがあるので」

 俺の返事に少年はあからさまに舌打ちした。そしてそれ以上何も言わず席を立った。向かう先は意外にも入会手続きの列だ。あれほど興味がないという姿勢を崩さなかった彼が、人には関わるなと言っておいてなぜ自身は入会するのか。少年には謎しか残らなかった。そして同行者の少女の方はなぜか列に並ばず、壁際に立って少年の方を見ている。それが少し気になって関わるまいと決めたに関わらず声をかけてしまった。「だからお前はいつまでもペーペーなんだよ」と笑う脳内のパートナーはとりあえず殴っておく。ついでに後で現実の方も殴っておこうか。

「君は入会しないのか?」

 声をかけられたことに驚いた様子の少女は一瞬びくりとしたが――そこまでびびらなくてもいいのに…――声の主が俺と気づくとすぐに表情を直した。

「いえ、私は今日は付き添いですし、それに…………私は入れませんから」

「え?」

「いえ、こちらの話です」

 一瞬彼女の顔に陰りが見えた気がしたが、追求する前にこちらが質問を返された。

「そちらは入会されないのですか?」

「いや、これからするつもりだ。ただ、」

「ただ?」

 少し迷ったが訊くことにした。

「ついさっき君の連れに入会するなと言われたんだが、どういう意味かわかるかな?」

 少女は少し考え込み、すぐに答えを見つけたようだ。

「たぶん、貴方のことを心配されたんだと思います」

「は?」

 思わず間抜けな返事をしてしまう。心配? あの失礼な態度で? 即座に頭の中で否定したことに気づいているのだろう、少女は慌てて説明する。

「あの、うまく言えないんですけど、東さんがそう言うならそうなんだと思います」

「そう、とは?」

「きっと貴方がこの教団に関わることは、良くないことに繋がるんだと思うんです」

 曖昧な回答だ。良くないこととは何だろうか。少女は必死に説明しようとするが、その説明はあまりうまくない。

「良くないこととは俺にとってなのか? それとも教団や、もしくは君たちにとってなのか」

「えっと、両方かな? 教団の方に関しては気にすることではないと思うんですけど」

 教団の方は気にしなくて良い? これから教団に良くないことが起こることは決定事項なのか、それも俺とは関係なく。

「あの、私もよく分からないことが多いんですけど、東さんはあれでも優しい方なんですよ」

 優しい? あれが? 今のところまったく同意できるところが見当たらないんだが。

「えっと、ごめんなさい。私も全部話して良い訳じゃないので」

 言いよどむ彼女はひどくおどおどしていて何かを隠している様子が丸見えだ。それは追求すべきなのだろうか。後々任務に支障が出る話であるなら見逃すわけにはいかない。だが初対面の少女を一方的に尋問するのは良心が拒む。どうするべきかと考えていると、

「夏音、帰るぞ」

 あの少年が戻ってきてしまった。少女は少年の声を聞くなりとても嬉しそうに表情を輝かせた。昔近所で飼われていた犬が飼い主の登場にしっぽを振って喜ぶ姿が重なる。

 少年の登場で会話は打ち切られてしまった。さっさと会場を出ようとする少年の後を少女が慌てて追いかける。

「あ、君!」

「ごめんなさい。もう行かないと」

 さっさと歩いて行く少年は少女がついてきていないことなどお構いなく会場を出て行く。少年の後を追って会場の出口へ向かう少女が最後に一度、こちらを振り返って言った。

「あの、私にもよく分からないことがあるんですけど、東さんの言うとおりにした方が良いと思いますよ」

 少女はそれだけ言い残し、一目散に走り去ってしまった。俺は二人が出て行った会場の出口をしばし呆然と眺めていた。

 結局満足な答えは得られず、ただ謎だけを残していった二人。教団のことよりもそちらの方が重要なのではないだろうか。もしかしたら今回の潜入調査はただの調査では終わらないかもしれない。調査を続ければまたあの二人に会うことになるだろう。ただ出会ったばかりの二人について分かったことは二人の名前だけ。東と夏音、常世教団とはまったく縁のなさそうな二人。きっとあの少年は神など必要としていない。そんな根拠の無い確信があった。深淵よりこちらをのぞき返す瞳。あれは神など信じていない、いや必要としていないと確信できる。

 彼の立つ深淵に神は居ない。






「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。」

                  フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』

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