1-4
「それでね、クイ姉さま。私、……考え方を変えることにしたの。」
「考え方?」
「ええ。私は、領主様の元に嫁ぐんじゃない、その領地の元に嫁ぐんだって。」
「……ん? 領地? 領主じゃなくて?」
「ええ、そう。だって、結界士は、領地を守るためにあるんですもの。だから、私は、領地のために生きればいいのよ。領主様がどういう人かなんて、関係ないわ。私は、私が選んだ領地に嫁いで、その領地を一生、愛していけばいいのよ。」
「……ん?」
なぜだろう。どこかが間違っているような気がする。
が、それをうまく言葉にできない。
すると、ナティは、さっと立ち上がって、テントの隅に歩いていった。テントの隅に山積みされている、荷ほどきをしていない書類の束から、何かを取り出して、それをスッと差し出す。
「クイ姉さま。これを見て。」
それは、一通の手紙だった。
差出人は、リリビア領主。
それは、かなり分厚い手紙で、十枚近くの便せんが詰め込まれている。
「……。」
開いてみると、小さな文字が、隙間なくビッシリと書き込まれていた。
一目で、その熱意が伝わってくる。
「この手紙にはね、リリビア領の事がいっぱい書いてあったの。」
これが、リリビア領主から届いた恋文か。
クイが斜め読みする間も、ナティは、その内容を情熱いっぱいに喋りつづけた。
「リリビア領はね、輝石の産地なんですって。市街地には多くの工房があってね、輝石細工でも有名なのよ。それに、春には雪解け祭っていうお祭りがあって、領民たちが楽器を持ち寄ってね、三日三晩、演奏するの。三日三晩よ。素敵でしょ? リリビア領には、春を待つ歌がたくさんあってね、その一つが……。」
「ねえ、ナティ。」
クイは、ナティの話を遮って、手紙を畳んだ。
「今からでも、やめよう。」
「ん~もう、何を言うの?! クイ姉さままで!!」
「あのさ~、リリビア領はいいところかもしれないけど、この手紙、リリビア領主のことが、何も書かれていないじゃないか。」
「……う。」
書いてあるのは、名前だけだ。
年齢も、家族構成も、領主に関する情報は何もない。
「たぶん、リリビア領主は、リリビア領以外、自慢できるところが何もないんだよ。」
いい所だけ書こうとするから、領主の存在が消えてしまう。
「ね~、考えてもごらんよ。年齢が違いすぎたり、生理的に合わない人だったら、ナティが辛いんだよ。」
すると、自分でもそう思っていたのか、ナティは頬を膨らませた。
「いいの! 領主様のことは、どうでもいいの!!」
「でもさ~。」
「ん~もう、私の縁談なのよ! 私が結婚するの! 私の好きにさせてちょうだい!」
意固地になっていくナティを見て、クイは、ユーリを顧みた。
「ね~、ユーリ。止めてよ~。」
「俺に言うな。」
「ね~、なんで誰も止めなかったのさ~。」
よく考えたら、真っ先に止めてくれそうな姉カーラは、すでにデノビア領に嫁いでいる。兄イトは、説得するには優しすぎるし、他の姉たちで、頼りになりそうな人は思いつかない。
「あ! 父さんは? 父さんは反対したんでしょ?」
あの頑固な父なら、全部をひっくり返すことだってできるはず……。
しかし、ユーリは首を振った。
「いや、王族との縁談が解消された時に、「もう、お前が好きな相手を選んでいい。」と言ってしまっていたらしい。」
「……。」
あのころの父なら、そんなことを言っていてもおかしくはない。
クイは、頭を抱えた。
「どうすんだよ~、このままじゃ……。」
ナティが幸せになるとは思えない。
すると、ユーリは、大きくため息をついた。
「ああ、分かっている。だから、この縁談は決定じゃない。ナティの気持ち次第でいつでも白紙に戻せる約束になっているんだ。」
「……は?!」
「もちろん、この条件は、リリビア領側にも了承済みだ。」
「え?!」
この条件をのんだ?
何という高飛車な条件を取り付けたんだろう。
しかし、ユーリは、首を振った。
「いいや、考えてもみろ。これは、リリビア領側にとって益がある条件だ。ライバルの多いアムイリア領で求婚するより、リリビア領に来てもらって、結婚後のイメージを持ってもらった方が、縁談がまとまる可能性は高くなる。」
「……あ。」
つまり、求婚合戦は、まだ終わっていないという事か。
てっきり、ナティはリリビア領に嫁ぐものだと思っていたが、この旅の目的は、即、結婚という訳ではないのだ。リリビア領主とお見合いして、領内を見学させてもらう。気が向いたらの結婚で構わない。その程度のものだったのだ。
このとき、クイは、じわじわとナティが置かれている立場を理解し始めていた。
(ああ、そうか。)
この縁談は、無茶な条件がくっついている分、とても危険な縁談なのだ。
もし、ナティが結婚しないと言い出したら、リリビア領主は、武力に訴えてくるかもしれない。領軍同士の争いはご法度だが、武力をチラつかせるぐらいなら、問題にはならないだろう。なにせ、領主は、領内での最高権力者だ。領内の小競り合いなら、もみ消せしてしまえる権力がある。
だから、もめ事になる前に、ユーリは、国王軍を巻き込んだのだ。リリビア領主が、無用な争いをしないように。
アムイリア領軍は、対等な立場を維持し続ける武力が必要だったのだ。
(……うわ~。)
なのに、やってきた国王軍は、クイだけだった。
平和ボケしたアムイリア領軍と、国王軍の見習いが一人だけ。
(……これって、相当やばいよな~。)
「そこでだ。」
ユーリは、ビシッとクイを指差した。
「クイ! お前がリリビア領主と結婚しろ。」
「へ!?」
「お前がナティのふりをして結婚すれば、ナティに危険は及ばない。」
「おお!」
なんて、ナイスアイディア!
リリビア領主とナティは面識がないから、別人を差し出しても、怪しまれない。しかも、この方法なら、リリビア領主がどんな人間なのかを、知ることができる。
「リリビア領主がまともな人間なら、一考の余地もあるが、まあ、そんなことはないだろう。俺たちは、リリビア領主がナティに相応しくないことを確認したら、リリビア領を出る。お前は、その間の時間を稼げ。俺たちがリリビア領を出たら、あとは好きにしていい。任せる!」
任せる、というか、一人で何とかしろ、ということだろう。
それでも、ナティを危険に晒すより、よっぽど安心できる名案だった。
「うん、いい案だね。」
ただ、それを実行するためには、いくつかの問題が残っている。
「う~ん、私とナティじゃ、姿かたちが、だいぶ違うけど、これって、ごまかせるかな?」
ナティの容姿は、すでに噂になっている。
華奢で、色白で、可憐。そう噂されているのに、こんな屈強な女剣士がやってきたら、バレないまでも、多分、ひく。
「大丈夫だ。お前は、ずっと、ナティ専用のローブをかぶっていればいい。」
「お。」
ナティ専用のローブは、ほぼ一枚布だ。
他の結界士よりも瘴気に弱いため、極力肌を出さないよう、手や顔を出す切れ目がない。手の部分は、ミトンがくっついているし、顔の部分は少し荒く織られていて、そこから、呼吸や視界が確保できるようになっている。
よく考えれば、このローブを着ていれば、中身が誰でも区別はできない。
「やる! 私、ナティの替え玉になる!」
しかし、具体的にその状況を想像して、クイは、首を振った。
「あ! ダメだ! リリビア領の結界士に見られたら、すぐに偽物だってバレちゃう。」
相手の術力を見抜くのは、結界士なら簡単なことだ。
「う~ん、……どうしよう。」
なんとかして、結界紋をごまかす方法はないものか。
すると、ユーリとナティが、顔を見合わせて笑った。
「ふふふ、大丈夫よ、クイ姉さま。」
「?」
「あのね、リリビア領にはね、……結界がないらしいの。」
「は?」
「だから、結界士もいないの。」
「え?! ちょっとまって、よく分からない。外界に接しているんでしょ?」
「ええ、そうよ。」
「なのに、結界がないの?」
「ええ。」
「まさか、魔獣がいない、とか?」
「いいえ、魔獣はいるみたい。でも、結界も障壁もないんですって。」
「結界も障壁も? うっそだ~ぁ。」
デノビア領みたいに、大型の魔獣が入れない地形だったとしても、瘴気を払わなければ、領内の生き物に影響が出る。
すると、ナティは、嬉しそうに、くすくすと笑った。
「実は、私も半信半疑なのよ。」
「え? そうなの?」
「ええ。だからこそ、私、リリビア領に行ってみたいの。リリビア領がどんなことろなのか、私、知りたくて仕方がないの。」
すでにナティはもう、リリビア領の魅力に取りつかれている。
もしかしたら、郷土愛あふれるリリビア領主と結婚することは、それはそれで、幸せな事なのかもしれなかった。