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そこに、
「……クイ姉さま?」
とクイを呼ぶ声がした。
「ん? ナティ?!」
声のする方を探すと、テントの一つが、ほんの少し開いている。
「あ! ちょっと待って!」
クイは、カーラにもらったペンダントを引っ張り出して、その結界石の力で自分の体を浄化した。テント内に少しでも瘴気を持ち込んだら、ナティが瘴気にあてられてしまう。クイは、自分の持ち物にも瘴気が付いていないかを確認して、ようやくナティのテントに近づいた。
「ナティ、入っても大丈夫?」
「ええ、クイ姉さま!」
テントの中には、ナティだけがいた。
ここは、ナティがローブなしで過ごせるよう、何重にも結界が張ってある。
ただ、ここの空気は、清浄すぎて息がしにくかった。深呼吸すれば、徐々に慣れていくのだが、その境目の行き来が体に堪えるため、大抵の人は入りたがらない。
「は~、ふぅ~。」
呼吸を整えて顔を上げると、ナティが、目を潤ませて待っていた。
「こんなところで、クイ姉さまに、お会いできるなんて。」
真っ白な肌に、ふわふわの細い髪。
「ああ、会えて嬉しいよ、ナティ。元気にしてた?」
クイが笑うと、ナティは、ぽろぽろと涙をこぼした。
「ううぅ、クイ姉さま。」
(我が妹ながら、なんて儚げに泣くのだろう。)
母や姉たちの話によれば、幼少期のクイとナティは、双子のようにソックリだったらしい。年子なので、一年分の成長差はあるのだが、その違いは、並んでいないと分からない程度のものだったらしい。
それが、母が亡くなった辺りから、二人の違いは顕著になる。
クイは、結界士としての限界を感じて、外界で遊ぶようになり、一方で、ナティは、その体質のせいで部屋から出られず、結界術の研究に没頭していった。そして、十年の月日が流れてみると、二人は、血縁かどうかも疑わしいほど、似ていない姉妹になっていた。
騎士のような逞しいクイと、お姫様のように可愛いナティ。
今ではもう、似ているところはほとんどなかった。
あえて探すなら、その声ぐらいか……。
「私、クイ姉さまがいなくなって、ずっと寂しかったの……。」
「うん、ナティ。私も寂しかったよ。」
外見が変わっても、二人の仲の良さは変わらない。
クイは、優秀な結界士である妹が自慢だったし、ナティも、優れた剣士である姉に憧れを抱いていた。もしかしたら、二人は、自分にできなかった夢を、互いに託し合っていたのかもしれない。
「……もう泣かないで、ナティ。」
後ろで、
「ふ~、は~。」
と、軍将ユーリが入ってきた声がした。が、そんなことは後回しだ。
「さあ! ナティ! 私に、リリビア領主との馴れ初めを聞かせて! 素敵な恋をしたんでしょ? 私、ここにくるまで、ずっと楽しみにしていたんだから!!」
クイは、ワクワクしながら、ナティが泣き止むのを待った。
★
(一体、リリビア領主とは、どんな人物なのだろう。)
半年前、クイがアムイリア領にいた頃には、そんな人物はいなかった。
つまり、ナティは、クイがルルト家を追い出されたあとに、リリビア領主に出会い、そして、結婚を決めたのだ。ナティはまだ十五歳で、結婚を急ぐような年でもないのに、じっくりと選びたい放題のナティが、なぜ、こんなにも早く結婚を決めたのだろう。
そう考えると、理由は、ひとつしか浮かばなかった。
つまり、ナティは、ひと時も離れがたいほどの、燃えるような恋をしたのだ。
(うわぁぁ~~お。)
妄想するだけで、心トキメク。
ちなみに、ナティが大勢の領主から求婚されるようになったのは、最近の事だ。それまで、ナティは、王族に嫁ぐことになっていたため、ナティに近づく領主はいなかった。それが、王族の都合で縁談が白紙になると、ナティをとりまく環境は一変した。領主たちが一斉に名乗りを上げ、いきなり壮絶な求婚合戦が始まったのだ。
山のように届く恋文と、ひっきりなしにやってくる領主たち。
当時のルルト家は、ほとんどパニック状態だった。
しかも、困ったことに、このときの父は、自慢だった王族との婚約が解消され、ポッキリと心が折れてしまっていた。そんな、ルルト家当主の父が抜け殻状態のところに、領主たちが、ウザいぐらい毎日やってくる。
父の代わりに対応にすることになった兄や姉たちは、領主らを蔑ろにすることもできず、すでに嫁いでいた一番上の姉の手を借りて、なんとか急場をしのごうとした。
けれども、やってくる領主の数は、日増しに増えていく。ナティの体調を考えて遠慮してほしいとお願いしているのに、多くの領主が「今日は大丈夫か、午後なら会えるのか。」と、その日に何度も押しかけてきた。
ほどなく、兄や姉たちの本業である結界士学校が、危機的状況に陥っていった。兄たちが忙しくて、授業に手が回らなくなったこともあるが、それとは別に、生徒側にも大きな問題が発生していたのだ。
というのも、ルルト家の敷地内には、結界士学校とその生徒たちの寄宿舎がある。その立地のせいで、生徒たちは、連日たくさんの領主たちが、校舎の横を通り過ぎるのを目にしていた。そして、ある時、これが千載一遇のチャンスだと気がついたのだ。
結婚適齢期の女生徒にとっては、あわよくば玉の輿を狙える婚活チャンスであり、修了間近の生徒にとっては、あわよくば結界士長を狙える就活チャンスだったのだ。
つまり、勉強などしている場合ではない。
結界士学校は、ガツガツとした戦場へと姿を変えていった。
そんな中。
ある夜、領主の一人が、ナティに夜這いを謀る事件が起きた。
これは、クイが仕掛けたトラップによって阻止されたのだが、ナティの無事を喜んでいる暇はなかった。恐ろしいことに、この事件は、カーラの逆鱗に触れたのだ。
カーラの全身から凄まじいほどの殺気が放たれ、クイは、戦々恐々とした。
もしかしたら、今度は暗殺を命じられるかもしれない、と。
しかし、それは現実にはならなかった。
カーラがクイに命じたのは、ナティの護衛だけだった。
そして、それ以外の命令がないまま、数日が過ぎると、夜這いを謀った領主は、国王軍に引き渡されることになっていた。どうやら、あの領主は、中央の司法で裁かれることになったらしい。アムイリア領の法律なら、領外追放程度で済む事件だっただけに、領主職の剥奪権を持つ中央が関わってくれるのは、他の領主に対して、けん制になる。
そして、夜這いの件が落ち着いて、護衛の任が解かれると、ルルト家は、なぜか、時間を巻き戻したかのような平穏を取り戻していた。
毎日やって来ていた領主たちは、まるで神隠しにあったかのように忽然といなくなり、あれほど騒いでいた生徒たちも、なぜか領主の話をしなくなっていた。
さらには、父が、いつの間にか、気力を取り戻していた。
父は、王族との縁談をスッパリ諦め、娘たちの婚活のために、ルルト家当主としての行動を開始していた。まず、アムイリア領軍に掛け合って、ルルト家の警備を強化し、自由に訪問していた領主たちを排除することにした。また、恋文に父の検閲が入ることを公言し、さらに、娘たちと会える機会を、こちらで主催するお茶会のみに限らせることにした。
そして、もう一つ、婚活に障害となる要因にも、向き合い始めていた。
それは、「出来損ないのクイを、早急に、かつ、円満にルルト家から追い出さねばならない。」という難題だった。
★
ナティの呼吸が落ち着いてくると、クイは、ナティのそばに体を寄せた。
「ね、リリビア領主って、どんな人?」
顔を上げたナティは、涙を拭きつつ、しばらく、ぼぅっとしていたが、クイが、
「教えて、ナティ。」
と急かすと、なぜか、すっと目をそらした。
「ん?」
恥じらっている訳でもない。
もしかして、話せない事情があるのか。
「……え? 何? どういうこと?」
思いつく仮定は、それほどない。
「まさか、言えないようなことでもされた?」
すると、さっきまでイケメン紳士だと思っていたリリビア領主が、途端に、狡猾なスケベ親父に思えてくる。その想像だけで、自動的に怒りがこみ上げてきた。
「一発殴ってこようか?」
すると、ナティは、慌てて首を振った。
「や、ややや、やめて、クイ姉さま。」
「え? すぐ帰って来るよ。」
「……違うの。……そうじゃないの。」
「???」
「……あのね、……私、リリビア領主様に会ったことがないの。」
「は?」
「だから、クイ姉さまが期待しているような、大恋愛はしていないの。」
「え?」
何を言っているのか分からない。
「どういうこと?」
クイが詳しい説明を求めると、ナティは、言いにくそうに目を泳がせた。
「……あのね。……私、クイ姉さまのいない領地なんて、どこも同じだと思って、……つい勢いで、リリビア領に決めたの。」
「は?!」
クイが振り返ると、ユーリは、迷惑そうな顔で黙っている。
「ねえ、ユーリ。何があったか教えて!」
代わりに説明してほしかったが、ユーリは、腕を組んだまま喋らない。ユーリの態度が冷たいのはいつもの事だが、つまるところ、「本人に聞け。」ということらしい。
「むむ。」
何も言わないが、ユーリは、ナティの説明が足りなかった時のために、この場に立ち会ってくれている。
クイは、仕方なく、ナティに向き直って、その手を取った。
「ナティ、お願い! 私にも分かるように、ちゃんと説明して!」