序-1
序章
王都、国王軍本部。
第四兵長舎にある隊長室。
マーティンは、ソファに寝転んで、山積みになっていた報告書に目を通していた。
「ふぁ~あ。」
マーティンがひとつ欠伸をすると、寝られては困るとでも思ったのか、隣で書類仕事をしていたヨシュアが、手を止めた。
「そういえば、隊長。」
「ん?」
「ウテリア領に行かせた部下は戻ってきたんですか?」
「……。」
なぜだろう。すでに小言の予感がする。
マーティンが警戒しながら、
「いや、まだだ。今は、オレリアスの尾行をさせている。」
と答えると、ヨシュアの目がギラリと光った。
「隊長、そういう私用に人員を割くのをやめてもらえませんか?」
マーティンは、ヨシュアの手元をちらりと見て、納得がいった。
ああ、なるほど。
収支を計算していたのか。
どうせ、また、今年も赤字なのだろう。
「何を言うか。あいつの目的はクイだぞ。あいつの動向は押さえておかないと、うちの隊に被害が出るかもしれないだろ?」
すると、ヨシュアは首を振った。
「それはないですね。オレリアス卿なら、どんな目的があろうと、誰かに危害を加えることはありません。」
「は?」
「お会いしたのは一度だけですが、オレリアス卿は、文武に秀でた聡明な方でした。」
なんだ、この評価は。
イラっとするマーティンをよそに、ヨシュアの賛美は止まらない。
「もし、わが隊の隊長がオレリアス卿だったら、私は、こんな苦労をしなくてもすんだでしょう。……ああ、非常に残念でなりません。今からでも、隊長を交代してもらえませんか?」
あまりの言い草に、マーティンは、ムッとした。
「お前は、オレリアスを買いかぶりすぎだぞ! あいつはな、クイを見捨てたんだ。あいつが、この件にどれだけ関わっていたかは、俺は知らん。だが、ジジイどもを抑えきれなかった時点で、あいつは領主失格だ。」
これには、ヨシュアは、反論してこなかった。
事実だけをかき集めても、オレリアスがクイを守れなかったことは、間違いがない。守れなかったのか、守らなかったのか。それぐらいの違いだけだ。
「あいつは、クイを泣かせた罪を償わなければならん。だから、俺は、クイのために、オレリアスを成敗してやらねばならんのだ。」
マーティンが怒りを込めてそう言うと、ヨシュアは、マーティンを一瞥して、ため息をついた。
「隊長、目が笑ってますよ。」
★
コンコン。
ノック音に、
「入れ。」
と、マーティンが応えると、思いの他、ゆっくりと扉が開いた。
「?」
この開け方に心当たりがない。
マーティンが顔を上げると、いつもなら騒々しく入って来るはずのクイが、なぜか、顔だけ出して黙っている。
「クイ? どうした?」
すると、クイは、
「えへへ。」
と、照れ笑いをして、部屋の中に入ってきた。
「どう? 似合う?」
クイが見せたかったのは、新調した服と、国王軍の紋章を入れてもらった愛用の防具だった。まだ見習いなので、正装は作らなかったが、紋章が入るだけでも、クイはとても嬉しそうだった。
「素敵でしょ?」
誇らしそうなクイに、マーティンは、目を細めた。
「ああ、とてもいい。よく似合ってる。まるで騎士様だな。どこから、どう見ても、女には見えない。」
すると、クイは、頬を膨らませた。
「途中から、悪口じゃん!」
しかし、そこに、ヨシュアが口を挟んだ。
「そうとは限りませんよ。」
「え? なんで?」
「クイはまだ知らないと思いますが、隊長には、恐ろしい親衛隊がいるんです。」
「親衛隊?」
「ええ、親衛隊は、隊長が声をかけた女性すべてに、ケンカを吹っ掛けるような血の気の多い方々です。あなたが女性だと知れたら、それこそ、命の保証はできませんよ。」
「え? あれでしょ? マーティン隊長が「可愛い人たち」って言っている……。」
「そう、それです。」
「さっき会ったよ。」
「え?」
思わず、立ち上がりそうになったヨシュアの傍らで、
ゴホ、ゴホッ。
と、マーティンが咳込んだ。
一体、親衛隊は、どこから情報を仕入れているのか。
もはや音速に近い速度で、情報が流れている。
「……よく、ご無事でしたね。」
すると、クイは笑った。
「やだな~。優しい人たちだったよ。」
「……優しい?」
「それがさ~、すごいんだよ。王国中の綺麗どころを集めたかのような美女揃いでさ~。私が圧倒されてたら、リーダーっぽい人が、「最近入隊した女隊員はどこです?」って訊いてきたんだよ~。「ああ、それ私。」って答えたら、「そうですか。新しい服がよくお似合いね。今度遊びにいらっしゃい。たくさんマーティン様の事をお話ししてほしいわ。」って、みんなに歓迎してもらえたんだ~。」
「……。」
なるほど。
やはり、女認定されなかったか。
マーティンが内心、ホッと胸をなでおろしていると、クイは、新しい服のお披露目に満足したのか、
「で、何の用?」
と、そもそもの本題に話を戻した。
「ああ、ちょっと、待ってろ。」
マーティンは、ゆっくりソファから体を起こした。
読みかけの報告書を横に置き、机上の依頼書ファイルから、一枚だけ角が折れている書類を引っ張りだす。
「ああ、これだ、これだ。」
内容を確認して、マーティンは、クイに向き直った。
「いいか、よく聞け。これから、お前に仕事を与える。」
「仕事? 魔草の採取?」
「いいや、違う。まず読んでみろ。」
「うん。」
その書類を受け取ったクイは、程なく、
「あ!!」
と、声を上げた。
「こ、これって!」
驚くクイに、マーティンは微笑んだ。
「ああ、ナティ姫をリリビア領まで護衛してもらいたい。」
「……ナティ!!」
上級結界士ナティ・ルルト。
「ナ、ナティは、私の妹だよ!」
説明しようとしたクイに、マーティンは、知ってる、とばかりに頷いた。
知っているから、この仕事をクイに頼むのだ。
「あ、ありがとう!!」
感極まって、クイは、涙声になった。
クイがもう一度、依頼書に視線を落とすと、クイの瞳から、どんどん涙が零れ落ちてくる。
「……う、嬉しいよう。ぐずっ。」
マーティンは、困ったように笑った。
本当に、よく泣く奴だ。
抱きしめてやろうかとも思ったが、いつまでも甘やかしていては、見習い気分が抜けない。マーティンは、隊長らしく、強い口調で命令をした。
「クイ! しばらく、リリビア領での滞在を許す。しっかり働いてこい!」
すると、クイは、涙を拭ってから、覚えたての敬礼で応えた。
「はい! マーティン隊長!」
「用件はこれだけだ。下がっていいぞ。」
「はい!」
しかし、クイは、すぐには下がらず、
「本当にありがとう。」
と、マーティンにもう一度、頭を下げた。
その目にもう、涙はない。
(ああ、やはり、甘やかしてやればよかった。)
マーティンの後悔をよそに、クイが部屋をとび出していく。
「いやっほ~い! ナティに会える~!!」
さっきまで泣いていた人間が、もう、はしゃいでいる。
マーティンは、それを、
(クイらしいな。)
と笑った。
「ナティだ、ナティだ~!」
扉が閉まっても、クイの声が、ハッキリ響いてくる。
いつも通りの騒がしさで、クイが遠ざかっていくと、隣でヨシュアが、ため息をついた。
「隊長。」
「ん?」
「隊長は、クイとオレリアス卿を、会わせる気はないんですね。」
「は?」
マーティンは、顔をしかめると、再びソファに寝転がった。乱暴に足を延ばしても、ヨシュアへの苛立ちが収まらない。だいたい、なんで、クイとオレリアスを会わせなければならないんだ。
「お前は、クイの心の傷に、塩を塗るつもりか?」
「……いいえ。そういうつもりではありませんが。ありませんが……。」
何か言いたげなヨシュアに、マーティンは、
「お前がどうしたいのかは知らんが、俺は、オレリアスにクイをやる気はない。」
と、きっぱりと言った。
「……そうですか。」
ヨシュアは、クイが出て行った扉を眺めると、
「……畏まりました。では、そのようにいたしましょう。」
と呟いた。