魔紋の影響
「今日もよく働いたぁ」
「そうだねぇ」
屋敷の玄関に差し込む夕陽は、その姿を遠くの林の中へと隠しつつあった。
「それにしても疲れたぁ」
「ごくろうさまぁ」
領内のあちこちを回り魔紋の活性化を行ってきた所だ。
耕作地帯での一件以来、自分の魔紋の力の有効性に確信を持った俺は、連日領内を回って魔紋の活性化を行っていた。
おかげで領内の運営は極めて順調にいっている。
しかしだ、魔紋の力を使うのは思っていたよりも疲れる。
一人二人の魔紋を活性化させるだけならここまで疲れはしないのだが、一日に五十人近くの魔紋を活性化するとなると話は別だ。
なぜそんなに大勢の魔紋を活性化しなければいけないのか。
「明日は農家の人たちに活性化をかけなおして、それから港湾地区と商業地区を中心に回るね」
すっかり俺の秘書と化したユリアスが告げる。
そう、活性化はしばらくすると解けてしまうのだ。
力の込め方にもよるが、だいたい一日もしないうちに解ける。
だからかけなおさないといけない。
これがかなりめんどくさい。
おかげで俺は魔紋の活性化を必要とする所を今日も回ってきたというわけだ。
「港湾地区の方は積み荷の検査が主だから、鑑定系の魔紋持ちの人を選んでおくね」
「ありがとう、ユリアスがいてくれて助かるよ。そうじゃなきゃ、片っ端から活性化させないといけないところだ」
「どういたしまして。僕の魔紋が役に立って嬉しいよ」
ユリアスは庭師の魔紋だけでなく鑑定の魔紋も持っていた。
その力を使って誰を活性化すれば仕事の効率が上がるかを調べ、どこの地区をどの順番で回るかを考えてくれているのだ。
俺達が明日の予定について話し合っていると、屋敷付きのメイドであるキピアさんが緊張した様子でやってきた。
「お帰りなさい、オサム、ユリアス」
「ただいま。何かあったの?」
「セヴェルス様がお二人をお呼びです、何でもお客人がお二人に会いたがってるとか」
俺たちが応接間に入ると、そこにはセヴェルス老ともう一人見知らぬ男性がいた。
なかなかの美丈夫で、軽く魔紋を見せてくる所作は気品に溢れている。
間違いなく貴族だ。それもかなり高い位の。
失礼のないようにこちらも魔紋を見せて挨拶をする。
「こちらはネポス・バジル殿。このオベイロンの宰相でいらっしゃる」
セヴェルス老の説明に驚く。
偉い人だとは思ったが、まさかそこまでの人だとは。
「ネポス殿、こちらがオサム。先ほど申し上げた通り、最近私の手伝いをしてくれております。その後ろの者はユリアス。私の小姓です」
俺の後ろに隠れるようにしているユリアス。
いくら相手が偉い人でもそんなに怯えなくてもいいだろうに。
俺はちょっとだけユリアスを小突いて前に出す。
そんな俺たちを微笑ましく思ったのか、ネポスはかすかな微笑を口元にたたえた。
「噂は聞いているよ。君たちの活躍で農家の人たちが随分と助かっているとか?」
「うわ、宰相様の耳まで届いてるんですか」
「ああ、王都は君たちの話題で持ち切りだよ。何でも魔紋の効率を上げてるんだとか?そんな凄いことを一体どうやっているんだい?」
「いえ、そんなに凄い事じゃないですよ。僕の魔紋の力を使えば、ちょちょいのちょいです」
謙遜は日本人の美徳だが、ここは日本ではないし、今の俺は子供だ。素直に喜んだほうがいいだろう。
それにこういう偉い人には手柄をアピールしておいたほうがいい。
「それでは、噂の原因は君の力なのかい?私はてっきりユリアス君の力だと思っていたのだが」
「もちろんユリアスが協力してくれてるおかげです。
段取りは全部ユリアス任せですから。」
どうしてユリアスの力だと思ったのかはわからないが、まあいい、確かにユリアスがいなくてはここまで順調にはいかなかっただろう。
手柄を独り占めにしたりはしない。
そんな事をしなくても、俺たちがしてきたことは十分過ぎるほどこの領地のためになっているという自信がある。
それに、本心からユリアスの協力には感謝しているのだ。
「いやいや、ネポス殿、子供のすることですから、あまりたいしたことではないです」
「これは御謙遜を。農家だけでなく港湾地区のほうでも随分な活躍だと聞いていますよ」
困ったように苦笑いをするセヴェルス老を制して、ますます笑みを強くするネポス宰相。
「きみの魔紋は一体何の魔紋なのかな?」
「『第一級国家建国士』の魔紋です。聞いたことあります?」
「いやぁ、恥ずかしながら初めて聞く名だね」
「魔紋鑑定の力を持つセヴェルス様でも知らなかったので、この魔紋を知っている人はいないと思います」
宰相様が興味を持って聞いてくれるので、俺は嬉しくなって魔紋の力を説明する。
そして、その力でどんな事をしてきたかも力説する。
それを聞き終わった後、ネポス宰相は提案してきた。
「それほどの力なら、もっと大舞台で使ってみたいだろう?
私と一緒に都まで来て、国王陛下の為にその力を使って欲しい」
とても魅力的な提案だったが、何しろ急な話だ。
「お話は嬉しいのですが、僕はここでお世話になっている身。
まだまだしなければならない事がありますので……」
「君は何か勘違いをしているね」
え、勘違い?
断りの言葉は最後まで言い終わらないうちにさえぎられた。
宰相を見ると、それまでの微笑はなりをひそめ、鋭い目つきで見据えてきた。
「国王陛下はここ最近の噂を耳にされ、噂の原因を連れて来るようにとおっしゃった。
これはお願いなどではなく、命令なのだよ。よって君に拒否権はない」
その瞬間、まずい事になっているのを悟った。
助けを求めて周りを見渡してみるが、ユリアスはオロオロしているばかりだし、セヴェルス老も苦悩の色を濃くしている。
「もし、僕が断ったらどうなりますか?」
ネポス宰相はふむと少し考えるそぶりを見せた。
「残念だが、その時は力づくという事になる。軍を差し向けることになるかもしれないな」
まったく残念そうに聞こえない声色に怒りを覚えたが、どうすることもできない。
もし軍が来る事態になればセルヴェス老やこの領内の人にどれだけ迷惑がかかる事か。
ここを離れたくはないが、しかたがない。
「わかりました、都に行き……」
「待って下さい!」
それまでオロオロしていたユリアスが、意を決したかのように顔を上げる。
「それなら僕も連れて行って下さい」
「君を連れて行く理由がないな」
「王は今回の噂の原因を連れて来るよう言ったんですよね。
確かにオサムの魔紋の力が原因ですけど、それが上手くいくようにお膳立てしたのは僕です」
「なるほど一理あるな」
どういうつもりか知らないが、いや多分俺の事が心配だったんだろうけど、気心の知れたユリアスが一緒なら心強い。
もうこうなったら腹を決めて都に行くしか……
「お待ち下さい!」
ユリアスに続いてセヴェルス老までもが待ったをかけてきた。
このうえ自分まで付いて行くとか言い出すんだろうか。
「二人を連れて行かせるわけにはまいりません。例え国王陛下のご命令であったとしてもです」
「本気でおっしゃっているのか?」
「もちろんです」
「軍を差し向けると言ったのは脅しではありませんぞ?」
「…………」
「…………」
しばらく睨み合いを続けた後、先に目を逸らしたのはネポス宰相のほうだった。
「どうやら話し合いは決裂したようだ、これで失礼させていただきますよ」
「どうぞご勝手に。安心して下され、宰相殿を人質にとるようなまねはいたしませぬゆえ」
扉を開け悠々と去っていく宰相。
その足音が遠ざかってゆく間ずっと気を張っていたセヴェルス老は、その音がこの部屋まで届かなくなると同時に椅子の背に深く身体をあずけて溜息をついた。
ユリアスの方へと目をやると、俺と同じ様に途方に暮れた表情をしていた。
さっき屋敷に戻ってきた時までは全てが順調にいっていたのに、どうしてこんな事になってしまったんだろう?
屋敷に差し込んでいた夕陽は、すっかりその姿を林の向こうへと隠していた。