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コレは私(オレ)のHistory.  作者: ぬんどん
第2章 長い長い一日
7/23

呪い

ひたすら実際の歴史を書きまくり

最後にオリジナルを加えます。



難しいし、つまらない文章ですが

読まないとストーリーがわからなくなってしまいます…



11/12 23:52 誤字修正


他にも誤字脱字、意味不明な点は質問受け付けております!

…信輝は語った。




オレたちが織田信長の子孫であることは知ってた。


でも、それ以上に大事な話があった…




信長公には最愛の妹がいた。

戦国一の美女とうたわれる絶世の美女

“お市の方”


その美貌は当時、姉妹のお犬の方と並んで右に出る者はいないと言われたほどだ。

また、非常に優秀で性格も良かった。


信長公も「市が男なら、よき武将になっただろう」と評するほどだ。




だが、世は戦国時代。

美濃(今の岐阜県)を手中に収めた信長公は

足利義昭公を将軍にして、京を治めるために

近江(今の滋賀県)を通らねばならなかった。


足利義昭公は最初、越前(今の福井県)の朝倉氏に身を寄せていた。



当時、南近江は六角氏。北近江は浅井氏が治めていた。そこで、お市の方は浅井氏の嫡男である浅井長政公に嫁ぎ、織田=浅井の婚姻同盟を結んだ。

いわゆる、政略結婚である。

さらに、浅井氏と朝倉氏は同盟関係にあったため、信長公も朝倉氏と同盟を結んだのである。




浅井長政公は優秀な武将で、お市の方を大切にし、3人の子どもができた。


それは後々出てくるのでその時に説する。




室町幕府第15代将軍に足利義昭公を据え、

近畿を着々と平定していく信長公。



強大な力を持った信長公を恐れた将軍義昭公は、諸国に密使を送り、信長討伐を命じたのだ。



ちょうどその頃、信長公は朝倉討伐を計画していた。

将軍就任の賀に朝倉氏は参加しなかったのである。これはとても無礼なことだ。


一方、朝倉氏は元々自分が養っていた義昭公が将軍になり、その功績によって京を支配する信長公が気に食わなかった。




それは信長公が産まれる前からの因縁であった。





信長公は尾張(今の愛知)の生まれである。


尾張は元々守護大名の斯波氏が治めていた。


さらに、斯波氏は越前の守護大名でもあったのだ。




織田家は尾張の守護大名の家臣の守護代のさらに家臣の家系であったが、信長公の父である信秀公はとても戦が強いので、力を持ち始めて尾張の半分を手に入れ、斯波氏を追い出した。

そして、尾張を統一したのは信長公だ。



一方、朝倉氏は旅人として越前にやって来て

斯波氏に仕えたが、斯波氏の力が衰えたと見ると、斯波氏を追い出して越前を手に入れたのだ。



だが、織田家は尾張の守護代なので尾張を治める義理があるが、ふらっとやって来て越前を手に入れた朝倉氏には正当性が無いので、

織田家の敵だ。

これが因縁である。




さて、話は戻って

信長公は松平元康公(徳川家康公)と共に越前を攻撃。連戦連勝であった。



しかし、これを阻止したのが婚姻同盟を結んだ浅井氏であった。



これにより、信長公はピンチを迎える。


なんとか体制を整えた織田・松平連合軍は

浅井・朝倉連合軍に辛勝し、まず先に朝倉氏を滅ぼした。

さらに、浅井氏もほとんど滅ぼす。


残ったのは、浅井長政公とお市の方が立て篭もる城のみ。

しかし、長政公に勝ち目は無い。


長政公はお市の方だけでも助かって欲しいので、木下秀吉(豊臣秀吉)の働きによって、

妻子を無事に信長公に託した。

そして、長政公は自害した。



3人の娘は茶々、初、江である。

茶々は後に淀君として豊臣秀吉公の側室に。

初は京極高次公の正室に。

そして、江は徳川幕府第2代将軍徳川秀忠公の継室となり、あの徳川家光公や天皇の正室を産んだのだ。



浅井と織田の血は絶えず、現在まで流れ続けたのだ。






その後、信長公は本能寺で明智光秀公に敗れて、自害。


明智光秀公は羽柴秀吉(豊臣秀吉)公に敗北。



織田家の領土は信長公の息子たち(長男は本能寺で死亡)と

豊臣秀吉公と御家人のトップである柴田勝家公によって分割された。



その時に、柴田勝家公の側室としてお市の方が迎えられて、柴田勝家公は織田家の一門になり、豊臣秀吉公と覇権を争う。


柴田勝家公は元々越前などの北陸に領土を持っていた。




しかし、豊臣秀吉公に賤ヶ岳の戦いで敗れ、

越前の北ノ庄城で柴田勝家公と共に

お市の方は37歳の若さで自害した。


越前…因縁なのか…








そして、その時にお市の方には呪いがかけられた。


呪いと言っても、悪い呪文ではない。





お市の方が戦の無い来世で幸せになるように

柴田勝家公が呪文をかけたのである…








そして、その話は織田家の書物に残されていたそうだ…





書くのにこんなに労力を費やしたのは初めてです…



あ、自分は歴史大好きです!!

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