1章の5 豊糧権現(ホウリョウごんげん)の昔語り
◇
「どうだ? 運動の後のメシは旨いだろ?」
「は、はひ」
僕は今、優菜の家の台所で白飯と焼き魚と煮物という、質素ではあるけれど丁寧に造られた夕飯を頂いている。
詩織さんにさんざん追い回された挙句、腹ペコで倒れてしまったところで、優菜が助け船を出してくれたのだ。
父子家庭の僕にとって、優菜母のつくるご飯はとても美味しく感じられる。今日は特に涙が出てくるほどに……。
テーブルの対面ではTシャツ姿の優菜がウマウマと豪快に夕飯を胃袋に収めている。
夕方はなんだかすこし元気が無かったけれど、ご飯を食べて復活したようだ。
あんなメランコリーな質問をしてきたのも、単にお腹が空いていてテンションが低かっただけなのかもしれない。
ま、優菜が気まぐれなのはいつもの事だけど。
僕がそんな事を考えながら煮物のちくわに箸を伸ばすと、素早く奪われた。
「うん! 美味しいよこれ」
「……ッこの」
「あはは、煮物ならまだあるからケンカすんな」
白色蛍光灯に照らされたテーブルを挟んで、優菜母の楽しそうな声が響く。
こうして優菜と向かい合って一緒にご飯なんか食べていると、まるで兄妹みたいな気になってくる。
ウチは父子家庭という事もあって、こういう時間が正直とても嬉しい。結局、小さい頃から何度もこうして御馳走になってばかりだし。
古びた築数十年の優菜の家は、きれいに掃除が行き届いているのが判る。ここは暖かくて懐かしいにおいがする。楽しくて、すこし煩くて。
……僕に母さんと妹が居たら、こんな感じなのかな。
優菜母は空になった煮物の器にちくわの煮物を付け足した。暖かい湯気を上げるそれに、早速箸を伸ばす食い盛りな疑似妹を呆れ顔で眺めつつ、僕も負けじと食べまくる。
「アイスとポテチ食った後でよく食えるな……」
「んぐ? 別腹でしょ」
それは意味が違うと思うけど。
優菜はウサギがニンジンを食うような様子でちくわを頬張っている。ちょっと可愛い。
「おかあさん今日ね、アキラが男の子に告られたんだよ」
「ゴブァッ!?」
僕は口と鼻から味噌汁を噴いた。
「おっ、おまッ! なにさらっとしゃべってんだよ!?」
「汚い! 飛んだ! うちはね、親子で隠し事無しなんだよ。知らなかった?」
「あのアイスは……口止めじゃなかったの?」
「アイス? あ、美味しかったよ?」
「なぁ!?」
こ、こいつ……。わなわなと拳が震える。
「ふぅん……。晶が男に好かれるなんて、まるで『豊糧権現』の昔話みたいだな?」
優菜母はテーブルに座り、みそ汁をすすりながら神妙な様子でポツリと言った。
「え……?」
「なに?」
思いもよらない言葉に、僕は優菜と顔を見合わせた。
「この村に伝わる昔話さ。豊糧神社に関係した話で、聞いた事ぐらいあるだろ?」
豊糧神社は村にある大きな神社で、学校から見える小高い山の上にある。
数百年前から存在する神社は、史跡として村の数少ない村の観光資源らしく、『蛇神伝説に彩られた清水の里』という捻りのないベタな村の観光ポスターが商店街なんかに貼ってある。
僕らの村の隣には河童やザキシワラシといったメジャー級のスターがひしめく「遠野物語」の舞台となった街があるわけで、正直インパクト不足は否めない。
「ホウリョウ神社って、みかりんのお家だよね」
「弥花里さんかぁ……」
その名を聞いて思わずほんわりとした顔になる僕。
みかりん、と優菜が呼ぶのは同じクラスの豊糧弥花里さんだ。
豊糧神社を代々護る神主の娘さん。切れ長の瞳と、長くて艶やかな黒髪がとっても素敵な美人さんで、容姿端麗、学業優秀。休日は巫女さんなんかもやっている。
おまけに僕達のクラス委員長で皆の面倒見も良くて人気もある。まぁ男子なら誰でも憧れちゃう高嶺の花的な存在なわけで。
僕もそんな例に漏れず、考えると幸せな気持ちに……って、優菜が睨んでるし?
「アキラ。みかりんの事、考えると幸せな気持ちに……とか考えてるでしょ」
じぃと半眼で僕を睨んでいる。
「ななな、なんでわかるんだよっ!?」
「……顔にそう書いてあるし」
優菜がぷく、とふくれる。そんなやりとりを、缶ビール片手の詩織さんが面白そうに眺めている。
「神社といえば、今週末は神社の祭りだな?」
そういえばもうそんな季節か。毎年六月最後の週末、土日に村の祭りが催される。
村の青年団達が担ぐ神輿と、神社の境内の出店、そして最後に打ちあがる花火。
日本の何処にでもあるような小さな村祭り。それでも僕らにとっては子供の頃からの楽しみの一つで、祭囃子が聞こえてくると、やっぱりわくわくしてしまう。
「今週末だっけ? 豊糧神社の祭り!」
「うんうん! お祭り楽しみ!」
満腹でテンションも高めになった僕らは、祭りというキーワードで、瞬時に意識がたこ焼き、金魚すくい、射的へと跳躍する。小学生から全然進歩してないけど。
で、昔話がなんだっけ?
「そもそもその祭りは、豊糧神社に祀られている『蛇神様』を鎮めて祀る儀式から来ているんだぞ。元々は『祟り神』だったって話とか……小学校で習わなかったか?」
「「…………」」
僕達は顔を見合わせる。互いに「知ってた?」という探り合いの様相を呈する。
詩織さんは呆れたように、やれやれと茶をすする。
「祟り神って、ももの毛姫に出てきた黒いうねうねしたお化け?」
「優菜、そんなフェチな姫はいない」
「あの神社ってそういう怖いのを封じてるとこなの?」
優菜が詩織さんに尋ねる。
「んー? よくは知らんが、神社の始まりなんて大抵そういうものだろ」
「神様とアキラのボーイズラヴ体験に、何か関係があるのかな?」
「さらっと嫌な発音でラヴとか言うな。それと体験してないからね!?」
「そう、そのBLで思い出したんだが昔話で確か、蛇神に呪われた男が『男に』追いかけられて困ってしまう、という話があるんだよ」
「の……呪われた? 男に……?」
僕は思わず訊き返した。
「……何か心当たりでもあるのか?」
優菜母の眼が僅かに鋭さを増す。美人の顔と相まって凄みを感じる。
「い、いや別に……」
僕はたまらず自分の手元のみそ汁に視線を落とした。
心当たりと言えば、あの夢でシロのくれた『印』だ。今のところ用途不明の謎の印。
――まさか、この印のせいだとか?
だけど、今日の美波の様子を思い返すと、呪いで操られているとか、そんなふうには見えなかった。その瞳は何処までも真剣で真っ直ぐだったし。
「アキラ、大丈夫?」
優菜がぱちくりと僕の顔を見る。
「あ、うん、ちょっとね。なんでもないよ。それ以外に何か……知ってるの?」
「これ以上は詳しくは知らん。神社関連の昔話なら、図書館にでも行って調べればいい。大ちゃんもこいうの詳しいしな。あとで聞いてみな?」
『大ちゃん』ていうのはうちの親父だ。優菜母とは幼馴染なのでそう呼ばれている。
「しかしアキラに彼女が出来ないな……なんて陰ながら心配していたんだが、まさか男にモテはじめちゃうとはな、ユウのライバルが男の子なんて、面白すぎるな!?」
「「面白くないっ!」」
僕と優菜が同時にツッコミを入れると、あっはは、と優菜母にウケた。
豪快な笑いが響き、詩織さんは缶ビールの飲み干した。
僕の青春がピンチなんだよ、男子にモテてたまるか。
けれど結局、優菜母の話はそれで終わりだった。鼻歌交じりにテーブルの上の綺麗に空になった食器を手際よく片づけていく。
「そうだ、浴衣出さなきゃ。去年の着れるかな?」
「浴衣って、ひまわりの絵柄の小学生みたいなヤツ?」
「う、うるさい!」
顔を真っ赤にして膨れつつも、楽しそうにはしゃいでいる。
「胸とか去年より成長したし、キツイかも」
ばん、と胸を突きだす。たいして成長してないだろ、と苦笑する僕。
クラスの女子は目のやり場に困る季節だというのにお前ときたら……。
「おかあさん新しい浴衣買ってよ~」なんて甘えている優菜と母の微笑ましいやり取りをぼんやり眺める。
豊糧神社の祭り。それは出店と少しの花火ぐらいの質素なものだ。
独特の雰囲気があって、日本の原風景みたいな村祭り。仄かな明かりの中、夜店をそぞろ歩くのはとても好きだ。
今年も優菜と一緒に祭りに行けるかな……。
そろそろ帰ろうとすると「中ボス倒せないから手伝ってよ!」と、優菜が僕を引き留めた。やれやれと言いつつも、少しだけゲームに付き合うことにする。
居間のテレビにWRiiの起動ロゴが表示される。
ゲームは有名キャラ達が一堂に会して、異世界からの敵をブッ飛ばすという混戦バトルものだ。
元々は僕のゲームソフトなんだけど『永遠に借りておくね』的にいつのまにか絶賛貸し出し中のままになっている。いい加減クリアして返せ。
僕は得意な配管工、優菜はダンボール好きの軍人という、Wオヤジチョイス。
「そこでAボタン連打! 弾幕薄いよ! なにやってんの!」
「わ、わわっ!? きゃっ! あ~っ!」
大騒ぎしながら、中ボスを相手に二人がかりでタコ踊りさせる熱闘に、時が過ぎるのも忘れて遊びまくる。
WINの文字と共に爆発四散する中ボス。
「お~っ! 勝った! アキラがいると楽勝! すごい!」
「ふはははは」
「一人だと倒せなかったのにっ。む~? こういうのは上手いんだね」
隣に座る優菜が悔しそうにがしがし肩をぶつけてくる。
「も、もう少し普通に尊敬してくれ」
「してるよ。敵をひきつけてくれると倒しやすくなるし、上手いよね」
初心者をフォローしているだけなんだけどな。微妙に照れる。
気が付くと時計は既に夜の八時を回っていた。ずいぶん長居してしまった。
帰り際、こんどは優菜母が玄関先で僕を呼び止めた。
「すまんな。あの子、ここんとこ何か不安みたいなんだ。何か心当たりないか?」
いつもは豪快な優菜母の瞳が陰る。それは娘を心配する母の顔だ。
――私がもし、居なくなったら――
心臓がとくん、と脈打った。優菜が突然僕に尋ねた言葉を思い出す。
考えてみれば、あの後すぐに僕の部屋に押し掛けてきたり、さっきのゲームの誘いだってまるで……僕に帰ってほしくないみたいだった。
優菜は小学生のころから暗いところが苦手で、夕暮れの帰り道はそれまで元気だったのが嘘のように僕の手を握って離さなかった。
何かに対しての漠然とした怯えのような気がした。
けれど、特段変わった事は思いつかなかった。僕は曖昧に首を振る。
「そうか。アキラ、優菜を頼むな。ただし……送り狼は死刑。ちなみに保険適用外だ」
「わ、わかってますって!」
ぎらりと刺すような瞳に思わず身震いする。玄関の端に立てかけられた『獲苦棲過璃刃亜』
が視界に入り、ごくりと溜飲する。
「今日はごちそうさまでした」
頭を下げ、優菜家を後にした僕は、再び自宅へと戻った。
優菜は昔から勘の鋭いところがある。いったい何を不安がっているのだろう?
黒いモヤのような違和感は、心にまとわりついたままだった。
◇
(続く)