6章の4 二人で越えて行くもの
それは、まぎれもない親父の声だった。
憑りついた八尋の声ではなく、苦しげではあるけれど本物の聞き慣れた声がその口から発せられたのだ。
「親父なのか!?」
「アキラ、諦め……るな、闘……え!」
僕の身体を押さえつけていた足が、ゆっくりと離れてゆく。
『てっ! くそおおおおお!? テメェ、何故だ……邪魔すん……』
その口から再び八尋の声が発せられる。ぐねぐねともがき苦しむように身をよじると、再び親父の声に切り替わる。
八尋の身体は神楽舞台の端で倒れ込んだままだ。
信じがたいことに精神が抜け出して 親父の体を奪い、操っているのだろう。けれど、すんなりとハイそうですかと動かされる親父じゃないんだ。
「オレが……コイツを……抑えられるうちに! ……はやく!」
親父は戦っていた。自分の中に入り込んだ八尋の精神に敢然と反旗を翻している。
「オレごと……コイツを……打ち倒せ!」
『ぐぬぅうう、こ、こいつ! なんで言う事をきかねぇンだ!?』
神楽舞台の上で内なる敵と対峙する親父は、僕に絶対に諦めるなと言っていた。
僕は立ち上がると、よろよろと後ろに下がり、数歩の間合いを取った。
痛みで全身はとっくに限界の悲鳴を上げていた。そのまま深く、深く、息を吸い込む。血の味と、本殿に漂う古く湿った匂いがする。
呼吸を整えて「気」を全身に巡らす。僕は覚悟を決めた。親父に打ち勝って、行動不能にする以外にない。それも、倒すなら一撃だ。
だけど……僕には攻撃する技はない。つまり、僕一人じゃ無理なんだ。
強い敵の倒し方。それは――ひとりでだめなら「二人(2P)」で。
「――優菜、あのさ」
僕は振り返り、静かに声をかけた。
「はい!?」
床に座り込んでいた優菜が反射的に間の抜けた声で返事を返す。目にはうっすらと涙ガうかんでいた。
「帰ったらあのゲームの続き、しよう! ……ラスボスの攻略戦、まだだったしね」
僕はにこりと微笑んだ。
「アキラ……くん?」
横で弥花里さんが目を丸くする。――こんな時に何を? という顔。
優菜もきょとんとした表情だったけれど、瞬きの後すぐに何かに気がついたように僕の目を見つめ返し、そしてコクリと頷いた。
「親父は操られているんだ。ぶっ倒して、目を覚まさせる!」
「――うんっ!」
それが同意の合図だった。優菜は僕の心が読めるのだから、それで十分なんだ。
「アキラがそう言うなら、いっちょやりますかっ」
「ユ、優菜ちゃん!?」
優菜は吹っ切れたかのように笑うと、元気よく立ち上がった。
「その前に……ふぬッ!」
優菜はやにわに力を籠めて、白装束を膝上のあたりで一気に真横に破り捨てた。
弥花里さんが「ちょっ!」と制止する間もなく、あられもない生脚が現れる。ついでに! と言って両腕の袖もビリビリと引きちぎり、観客席に投げ込んだ。
投げ捨てた白装束の裾が宙を舞い、観客席の老人の顔に被さる。
「むぉおお!?」
「天女の羽衣じゃぁあ!?」
老人たちが色めきたった。なんだか争奪戦まで起きている。
『……お前らぁ……! ゆるさんぞぉお!』
肉体の制御を再び親父から奪った八尋が、僕めがけて再び襲いかかってきた。
僕はとっさに身体を回転させるように逸らし、その拳を回避した。
――遅い!
『くそぉっ?』
肉体の制御が完全じゃない! 動きも気迫も、さっきとは比べ物にならない。
「逃げないよ。僕達でお前を倒すんだから!」
僕は真正面を向き、言い放った。
『ぬかせぇぇぁぁあああ!?』
「親父、今助けてやるから。もうすこしだけがんばってくれ」
戦闘準備を終えた優菜が、すとんっ、と僕の横に並び立つ。布の切れ端で無造作に束ねただけのポニーテールがふわりと舞う。
それは、久々に見る『本気モード』の顔だった。
動きを追求し破り捨てた白装束に、すらりと躍動感のある手足。山籠もりから降りてきた筋肉野生少女といった風だ。
「おまたせ! ……さて、アキラは大丈夫?」
優菜は透き通った声で言い、ぽすん、と脇腹を突いた。
「いてて。一緒なら、負けないよ」
痛いけれど、今なら戦える。
眼前の強大な敵を見据え、呼吸を合わせる。
一人じゃない。二人で闘う。それだけで力が湧いてくるのが判る。
『二人まとめて……つぶしてやるぁあああああ!』
重戦車のような勢いで親父の肉体が突撃する。
「いくよ……優菜。親父から八尋をひっぺがす!」
「わかってる。晶はデイフェンス、よろしくね!」
「そのつもり!」
――優菜には一発も当てさせない!
短い言葉を交わした直後に襲いかかる超重の一撃。僕はその打撃を円を描くような動きを基本に、腕をしならせて打撃のベクトルを逸らす。
「無手勝流奥義――推手円舞ッ!」
僕が打撃を受け流し裁く隙に、優菜がサイドステップで跳ぶ。
『おのれぇえええ!?』
「はぁああッ!」
超速度で打ち込まれる拳を全力で裁く。けれど二打、三打と打ち込まれただけで足元の床板が今にも砕けそうに軋み音を立てた。
『砕け散れぇええええええええ―――ッ!』
「うぐうううっ!」
左右からの打撃を掌で円を描きながら受け流すのは防御に特化した無手勝の奥義だ。けれど激しい連続攻撃は、未熟な僕の迎撃能力の限界を越えて、遂にすり抜けた拳が直撃する。
――ぐはっ!
目の前のダメージゲージが赤く染まる。だけまだ――僕は倒れない。倒れるわけには、いかないんだ。
綻んだ僕のガードを見逃さず、ここぞとばかりに深く踏み込んだ一撃が撃ち込まれた。
――来た!
僕は腕を巻き込むように絡め捕り、全力でその腕を抱え込んだ。
「まってたんだ、この……一撃をッ!」
『しまっ!?』
優菜が舞台の対角線からダッシュするのを僕は視界の隅に捉えていた。元女子サッカーフォワードの脚力と攻撃力は折り紙つき。あっという間に最高速度へと達する。
『離せぇえええええ!』
「いやだね!」
僕は歯を食いしばりながら叫ぶ。動きさえ封じれば、腕をロックされた状態じゃ、どんな奴だって咄嗟に体制は立て直せない。
僕は全身の力を足に集中させて限界まで爆発させた。背中にバーニアが付いた主役メカのような勢いで、巨体を神楽舞台の壁際まで押し返す。
次の瞬間、猛然と走り込んできた優菜が僕の背中を踏み台にして、跳んだ。
――飛翔。
空高く舞う、優菜はとても綺麗だった。
「いっッッ、けぇえええ――――っ! 優菜ぁあああ!」
僕は叫んだ。
そして、見た。
遥か頭上、空を舞う優菜の水色の縞パンを。
次の瞬間、ジャンピング・ダイレクトボレーシュートが、横薙ぎの蹴りが親父の側頭部に炸裂した。
『ご!? ぉおおおお――――――――――ルッ!?』
ばちいいいっ! という固いものが爆ぜる音が響き渡り、地獄のゴールネットに八尋が突き刺さった。絶叫があたりに響きわたる。
「おぢさん……ゴメン」
優菜が呟き着地すると同時に、親父の身体がグラリと傾き、膝から順に崩れ落ちる。地響きと共に床板が激しく歪み、巨体が床の上へと崩れ落ちた。
静寂が、神楽舞台に訪れた。
「優菜!」
「晶っ!」
優菜と僕が互いの無事を確かめあうように駆け寄ると、途端に割れんばかりの拍手と大歓声が観客席から沸き起こった。
僕は全身の痛みをこらえながら優菜の真正面で腰を伸ばした。正直を言えば、今一番いたいのは背中だ。
「……ナイスシュート」
「アキラのナイスディフェンスのおかげだよ」
優菜が爽快な笑顔を浮かべて、まっすぐ僕に向かって拳を突きだした。
僕も拳を突きだしてコツンとぶつけて健闘を讃える。
拍手が会場に響き渡る。老人たちのスタンディングオーベション。
「うっしゃぁあああ――――――ッ!」
勝った! 僕達は、八尋を倒したんだ。
僕たちの勝どきに、更に高い声援と拍手が沸き起こった。
<つづく>