5章の9 そして、僕は「聖なる剣」を手に入れる
僕と美波は頂上の本殿に続く石段を目指して歩き出した。杉に囲まれた薄暗い広場には不気味な求愛の声が響着続けている。
『い、いかないでアキラきゅん! 頼む……好きなんだ! 好き好き好き』
「だーっ! うるさいよ!?」
と――。
その時、一台の車が神社脇の車道を登って来るのが見えた。コォオオオン! という硬い金属質の排気音を響かせる赤い軽のターボ車……それは、どう見ても法定速度の三倍で坂道を登って来ている。
確か通行止めじゃなかった? と、僕と美波は顔を見合わせる。
「あ、あの車!」
「先輩危ないです!」
山道をラリー車のような勢いでカッ飛んで来るなり『通行止め』と書かれた三角コーンをなぎ倒し、広場でタイヤを軋ませながら豪快にドリフトターンを決める。
タイヤがギャリリと境内の砂利を盛大に巻き上げると、ようやく停車――と、同時に『ギャッ!』という悲鳴と、ぼこんっ! という何かを跳ね飛ばしたような鈍い音が境内にこだました。
衝撃に驚いたのか運転手が凄い勢いで降りてきた。きょろきょろとあたりを見回すが、跳ね飛ばしたと思われる人や動物の影も形も見当たらない。
「うそでしょ! アタシ何とぶつかった!? 人!? ……タヌキ?」
運転手は、不思議そうに頭をひねる。どう考えても、跳ね飛ばされたのはさっきの透明人間だろう。
この場の誰にも見えちゃいないのだから、どうなっているか確かめようがない。車のボンネットの先端は少しへこんでいて、不幸にも直撃したようだった。
「うわちゃぁ。まいったな、まだローン残ってるのに。……ま、保険で直せばいいか」
運転手は頭をかきながら、心配そうに自分の車のボディをナデナデする。
「せ……せんぱい。さっきの透明人間、静かになっちゃいましたね」
「言うな、美波。僕達は……何も見てない。見えてない」
美波と僕の顔がひくひくと引きつった。
立ち尽くす僕を見つけた運転手が「おっ!」という笑顔で手を振った。
「アキラ! 下はえらい騒ぎだぞ! お前さ、意外と無茶するやつだよなっ?」
「し、詩織さん……!」
豪快に笑うのは、派手な金髪に赤いスーツという、仕事帰り姿の、保険勧誘エリート。
優菜母の詩織さんだった。
「で……アキラは薄暗い神社の境内で、女の子と逢引というわけか?」
細目でじぃ……と僕を睨む優菜母。
「いや!? 美波は男の子だよ! 男子!」
「ハハハ。こいつ、冗談がうまくなったな」
明らかに信じていない乾いた笑い。確かに美波が僕の腕にぎゅうとしがみ付いてる状況じゃ説得力無いよね。いっそ胸をめくって見せようか?
「って! 今それどころじゃないだよ! いろいろあって……何から話せばいいか」
僕の必死な様子と泥と血にまみれた顔を見て、優菜母は冗談の矛先を収める。
「……アキラ。本題だ。お前がここに居るのは、優菜を助けに来たからだろう?」
優菜母は僕を真っすぐ見据えると、今までにない真剣な調子で話し始めた。
「仕事が終わって、帰ってみれば誰も居ない。だが家の留守電に伝言があってな。この神社の若い宮司からだった」
「八尋だ!」
「――祭りの間、天乃羽アキラの穢れ(けがれ)から守るために預かる、とさ。ご本人同意の上で、だそうだが。……本当か?」
「くそ! そんなの嘘だっ! あいつが無理やり優菜を連れて行ったんだ」
僕は拳を握りしめ叫んだ。何が同意の上だ。
優菜母がふん、と鼻で息を抜き、肩をすくめる。
「アキラも留守だったし不審に思って神社までカッ飛んで来て見れば……下は偉い騒ぎだ。今年からケンカ神輿になったのか? なんだか血が湧きかえるじゃないか? 伸びていた宮司を一人締め上げみたら『女の子は本殿だ』と抜かしやがる」
くくく、と凶悪な面構えで含み笑いをする優菜母は、今までで一番怖い顔をしていた。
「優菜はこの上の本殿に隠されているんだ、だから僕は――」
「あぁ。だが……アキラいて安心したよ。ユウの……騎士さまだ」
優菜母が表情を緩めながら、指先で僕の鼻先をぐいっと突いた。
「……逢いたい。ただ、それだけなんだ」
僕は溢れそうになる気持ちを抑え、唇を噛む。絞り出すような声で説明する。
昔話と同じ人心を操る力を持ってしまった事。そして僕の力は神社の若い宮司長代理、八尋に狙われている事。
優菜は蛇神の力を封印してしまう「鍵」で、それが邪魔な八尋の手によって連れ去られてしまった事。
そして、美波や友人たちが協力してくれたおかげで、なんとかここまで辿り着けた事。
優菜母は険しい顔で頷きながら聞いていたけれど、やがて口元を和らげた。
「そうか。アキラはただただ、ユウの為に来てくれたんだな」
僕は頷いた。優菜母は僕の頬に掌を添えて「ありがとうな」と優しく微笑んだ。その手は柔らかくて暖かかった。汗の冷えた頬を暖めてくれたお母さんの手だった。
詩織さんは車に戻ると、助手席から布製のリュックを取り出し、僕の方に放り投げた。
反射的に受け取ったそれはとても軽かった。
「……これは?」
「優菜の新しい浴衣だ。アイツな、お前と行くのを楽しみにしてたんだぞ」
「――――!」
あいつ、そんな事何も言って無かったのに。目の奥がじん、と熱くなった。
「注文していたんだが、祭りには間に合ったな。あとは、お前が渡してやってくれ」
僕は静かに頷いて、背中にそれを背負った。
「ちなみに、ラインの見えない下着も入ってるからな、開けるなよ?」
「ななっ……!」
まさか伝説の装備……Tバック!? 勝負アイテムを手に入れた脳内でファンファーレが鳴り響く。装備するのは僕じゃないけれどね。
「あとな、これはナイトさまのお前への餞別だ、受け取れ!」
車の助手席からバット、いや矢筒家に伝わる聖剣――『獲苦棲過璃刃亜』――を取り出して僕に手渡した。ずしりとした重さと冷たい木の感触。初めて手にしたそれは、黒光りする古い木でできていた。
「これを僕に?」
「必要だろう?」にっと口角を吊り上げる。
凶悪な釘バット。優菜の家の前に飾られたセールス避け。魔よけ、厄除け。
「く、釘がささってますよ……」
美波が横から恐る恐る覗き込む。
詩織さんは、意味ありげな笑みを浮かべながらウィンクする。
「そりゃな、実はその名の通り、聖剣だ」
「は……はぁ?」
「私が中学の頃にな、この神社の境内に生えていた『尼の亡骸を埋めた場所から生えた御神木』をへし折って削りだしたもんだからな」
「へ、へし折ったって……!?」
と、いうことは、親父が言っていた冒険って……まさか!
「度胸試しのつもりでやった事なんだが、これがとんでもない力を持っていてな……。大ちゃんと一緒に、聖剣を狙う連中と戦ったり、村はずれの魔物を封印しに行ったり、そりゃぁ大変だったんだよ」
と遠い目をしながら厨二妄想としか思えない思い出話を語る。親父の話はホラじゃなかったのか……。
僕はあらためてバットを握りしめる。
全身に熱い血と勇気が湧き上がってきたような、そんな感覚が駆け巡った。
「……ありがとう詩織さん。行きます本殿へ。優菜を取り返しに」
「いい顔になったな、アキラ」
詩織さんが笑う。僕は口元の血や泥や、涙をぐしぐしとぬぐった。
「闘う男の顔だ。あの子を……優菜を、頼んだぞ」
「――はい!」
「あと回覧板な。ありゃヒデェな?、社務所にちょっと文句言ってきてやるわ」
優菜母は笑顔でビッと親指を立てると石段を降り始めた。
「詩織さん! この子も……美波も連れて行ってください。下でまだ僕の友達が戦っているんです!」
「晶せんぱい!?」
美波が驚き声を上げる。
「美波、みんなを頼む。ここから先は、僕がやらなきゃいけない戦いなんだ」
僕は真剣な面差しで、大きな深緑の瞳を見つめた。泥と汗で汚れてはいるけれど、綺麗で優しい顔の『戦友』。
美波は僅かに目を伏せると、強い意志の宿る瞳を僕に向け、静かにうなずいた。
「……わかりました。必ず、必ず優菜さんと戻ってきてください」
「うん。約束する」
「――また屋上でお弁当、食べましょうね」
「この戦いが終わったら、必ず!」
約束ですよ! と美波の声が響いた。
石段を下ってゆく優菜母の後を、美波が追ったのを見届ける。
「たのんだよ……美波」
僕は静かに呟いた。
この先、僕はどうなるかわからない。あの凶悪な護符使い相手に勝てる保証なんて何も無かった。
だからこれ以上、危険な目に美波を巻き込むわけにはいかないんだ。
考え出したらきりがなかった。震えそうになる足にぐっと力を込めて、迷いを振り切るように顔を上げた。
星の見えない青黒い空と、そして、石段の先にあるはずの本殿を見据える。
僕は必ず優菜を連れて帰る。皆の元に帰るんだ。
一歩、確かな足取りで本殿へ続く階段に歩を進める。
握りしめた手のひらから伝わる、冷たく固い聖剣の感触が心強かった。
水鉄砲を失い、手にしているのは聖なる剣――。
暗い石段を更に一歩、登る。
赤い鳥居が隔てる現世と異界の境目が見え始めた。
鬱蒼と茂る木々の向こうに、篝火の明かりで照らされた本殿が徐々にその姿を現し始める。そこは最終決戦の地、豊糧神社最深部。
封印された蛇の躯を御神体として祀る、本殿。
そして、優菜が捕えられている所。
僕が暗い石段を登りきると同時に、神楽の神妙な音色が響き始めた。
<5章 了>
【さくしゃより】
ついに「聖なる剣」を手に入れたアキラは最終決戦の地へ!
そこで見た光景とは!?
立ちはだかる最強の敵、八尋!
そして・・・優菜とアキラの運命は!?
次回、怒涛の「最終章」突入!