5章の7 二人目の四天王 ~鶯崎の覚悟~
――鬼頭先輩、すいません!
僕は心の中で叫び、美波の手を掴んで駆け出した。突然のケンカ神輿の興奮に酔い、熱気で霞む観客達の間隙を縫うようにしながら無我夢中で走り抜けた。
目指すは神社の本殿へと続く石段の登り口だ。
「ここだ! 天乃羽アキラ!」
長くふわりとした黒髪と理知的な顔立ちの女装少年が女子の制服姿で招いていた。
「う、鶯崎!? その髪……」
「金髪だと目立つだろうが!」
「ごもっともです」
こういう部分は客観的に自分を鑑みれるんなら何故に女装を解かないのか……。まぁ見た目は肩幅がちょっと違和感があるだけの女子なのだけど。
鶯崎ソラは人気の少ない石段の近くの繁みに潜んで、僕達に指示を出し続けていたらしかった。僕は美波と一緒に繁みに逃げ込んで、肩で息をしながら後ろを振り返り辺りを見回した。誰にも追いかけられてはいないみたいだ。
広場の中央では鬼首先輩が巨漢のスキンヘッドと相撲をとっていた。相撲とはいっても、完全な格闘技だ。激しい殴打の音がここまで聞こえてくる。
「鬼首が……ヤツを足止めする為に!」
「ぼくをかばってくれたんです」美波が目に涙を浮かべている。
「泣くな! 今はやるべき事だけをやれ。奴がどんな思いで戦っているか考えろ」
鶯崎がそれまで見せた事のない険しい口調で諭した。そして、ペットボトルを背中のリュックから取り出してボクに差し出した。
「銃に水を補給しろ、これが……最後だ」
僕と美波は、鶯崎が手渡したペットボトルから、手持ちのウォーターガンに煮汁を補給した。
蛇神の人心を惑わす呪いを煮詰めたこの汁は、結界や護符を破る唯一かつ有効な手段であることはここまでの戦いで証明されている。
けれど――。
仮にこのまま優菜を取り返せても、この力を解除する事が出来るわけじゃない。
その先がどうなるのか実は僕にも分からないのだ。
それなのに。どうして――。
「どうして、なんて顔しないでください。ぼくは晶せんぱいが好きだから、こうして一緒にいるんです」
「美波……」
美波の澄んだ色の瞳が、真っ直ぐ僕を見つめる。
そうだ、何を迷っているんだ僕は。
――たとえ何があっても、優菜を迎えにいくって約束したんだ。
自分勝手かもしれない。けれど、ここに居る美波も鶯崎も、そんな僕でもいいと協力してくれているんだ。その気持ちを無駄にしないためにも、前に進むんだ。
その時、鶯崎が何かの気配に気がついたようにハッと振り返った。
「残念だが、諸君はここまでナリィ! 拙者は、豊糧守護四天がひとり……塩田豪三が……お相手いたすナリィ!」
甲高い耳障りな声が響き、ゆらり、と二十段ほど先の石段に黒い人影が現れた。
やはり黒い法衣を身に纏うその姿は、小柄で蛙のような顔をした男だった。双眸には赤く不気味な光を宿している。
「二人目の豊糧守護四天か。ここは……押し通るぞ」
鶯崎ソラが静かに立ち上がると、敵を睨みつけた。
「天乃羽アキラ! 汚らわしい身の分際で神聖な祭りを汚し……可愛い女子を二人も連れてノコノコと現れるとは、いい度胸ナリ!」
蟾蜍の様に口元を歪め、美波と鶯崎ソラに下卑た視線を這わせる。
何か勘違いしているようだけれど、嘗め回すような視線から咄嗟に美波を隠した。けれど、鶯崎はむしろ一歩前へと踏み出した。
「こっちを見るんじゃない。虫唾が走る」
「なにぃい貴様ぁあ! この……秀才の拙者を愚弄するナリかぁ! ならば……まずは貴様からお仕置きするナリィ!」
黒い法衣から不健康そうなブヨブヨとした白い腕が伸びる。と、手には『赤い護符』が握られていた。
「赤い護符……塩田家の秘呪か。太平洋戦争の最中、米軍のグラマン戦闘機をその法力で墜落させたという伝説の豊糧八分家、塩田の炎苦の呪法……」
「ほぅ? 博識ナリね小娘! さてはて……八分家の者か? 見知らぬ顔ナリが?」
嫌らしい目つきで制服姿の鶯崎の胸元や大腿部をじろじろと眺める。
「生憎……薄汚いヒキガエルに名乗る名前は無い」
「拙者を侮辱するなといっておろうがぁああ!? あぁ、許さないナリィイイイイ!」
甲高い悲鳴と同時に、深紅の護符を振りかざす。
僕と美波は狭い足場を気にしながら身構える。装填したばかりのウォーターガンを向けるけれど、有効射程は三メートルがせいぜいだ。
二十段先の石段の上に建つヒキガエル男には、届きそうもない。
「小娘には仕置きが必要ナリ。我が全身を清めてやるナリィイイ」
「黙れ……いいからさっさと攻撃してくるがいい」
鶯崎が挑発する。鶯崎はまるで。何かを待っているみたいに身構える。
「最初に教えておくナリ! この護符に触れると、穢れた者は灼熱の炎に焼かれたような苦痛を感じるナリ。ギヒヒ、せいぜいいい声で鳴いてみせるナリィ!」
シュッ! と空中に放られた護符は、まるで意思を持ったかのように空中を滑り、無音でこちらに向かってきた。
「くるぞ! 迎撃だっ!」
僕は叫び、美波と同時にウォーターガンを撃ちまくった。
紙飛行機程の速さの赤紙を狙い、引き金を引く。護符に水が当たると、じゅっと煙を上げて空中で霧散してゆく。
「あああぁぁっ!」
突然、鶯崎ソラが悲鳴を上げた。それも女の子の悲鳴っぽく苦痛に顔を歪め、片膝をつく。腕には、撃ち漏らしてしまった護符が張り付いていた。
「鶯崎ッ!」
僕は駆け寄り、鶯崎の左腕に張り付いた赤紙をむしり取った。一瞬、焼却炉に手を突っ込んだような激しい痛みが手を襲う。それは僕の手の中でちりじりに砕けた。
「あぁ、あぁ、熱いか? 苦しいナリか? 法力の秀才と言われる拙者の呪法は一味違うナリ。八尋のような小僧とは違うナリ! 裏高野山で二十年も修行して来た真のエリートナリィイ!」
哄笑し、興奮を抑えられない様子で蟇蛙のような顔を歪ませて、脂肪の多い体を揺らす。
「だ、大丈夫だ。この程度は……」
その瞳には揺ぎ無い決意が見てとれた。鶯崎ソラは力を込めて立ち上がる。
「……こいつら豊糧守護四天には水鉄砲は効かない。黒い衣が水をはじいてしまうからな。直接打撃か……奴に水を飲ませる意外に倒す方法は無い。……美波」
鶯崎は、美波のうでを引き寄せると、強い口調でそう言った。その声には有無を言わせない迫力があった。
「こいつは私が引き受ける。お前たちは先に行け」
「は、はい!」
「鶯崎! 何カッコつけてんだよ! 死亡フラグだろそれ!?」
「時間がない! 神楽が始まる。コイツは私一人で十分だ。……心配するな、行け」
「そんな……何言ってるんだよ、駄目だ! 皆で……三人でやれば!」
僕は食い下がる。これ以上バラバラになりたくない。
鶯崎ソラが、茂みの中から石段を少しだけ迂回する小道を指さし、僕の背中を押す。
「この超絶に可憐な鶯崎ソラが、こんなブサイク相手に負けると思うのか?」
黒髪のウィッグを振り払い、美少女顔とは不釣り合いなほどに不敵に笑う。
だけど、僕に向けられた眼差しだけは、柔らかくて暖かかった。
「ぁあ? 拙者の前で友情ごっこナリか? ぐぅぬぬうう!? ……拙者の目の前でそんな……あぁ、イラッとくるナリ。彼女居ない暦イコール修行暦! 貴様らのような……リア充は……苦しめばイイナリイイ!」
口角から泡を散らしてギレた塩田が、赤い護符をばら撒いた。その数は十を超える。
ボクは水鉄砲を乱射し必死で迎撃するけれど、今度は不規則な軌道を描き弾幕をすり抜けて迫ってくる。
「くそっ!」「当たらないですっ!」
美波と僕の脇を掠め、鶯崎ソラに札が吸い寄せられてゆく。
――狙っているのは鶯崎!?
「っあああーーーーーーーーっ!」
次の瞬間、鶯崎の左肩、下腹部、左大腿部に朱い紙が張り付き悲鳴が上がる。痛覚神経を攪乱し、炎と同じ痛みを与える「炎の呪符」が無慈悲な効果を発揮ているのだ。
「私をブサイクなどと侮辱した代償ナリィイイイ! たっぷり味わうがいい! あぁぁ、いい声ナリ!」
恍惚として血走った目で嗤う。
だけど鶯崎ソラはよろめきながらも決して倒れなかった。ふわり、と髪を払う。
「……二十年修業したと言っていたな?」
「あぁ。拙者は苦行を繰り返し修業を積み、遂に身に着けたのだ。八尋のように血筋だけに頼った坊やとは違うナリ!」
「二十年修業してこの程度か? なるほど、八尋の手下がお似合いだ」
「――ッ! 小娘ェあぁああああぁ、それ以上侮辱するとぉおお……あぁれ?」
激高する塩田の動きがピタリと止まる。
「この呪法……バカの一つ覚え……というわけだ」
鶯崎ソラが、いつの間にか手にした赤い護符をヒラヒラと見せびらかす。それは今まで空中を舞っていた物に似ていた。
けれど、それを目にした塩田の顔がみるみる青ざめる、
「おまっ? あれぁあああ!? 無い! それ、何処から盗んだ? 私の命の……大事な親御札ナリよ!」
突然、ひょこりと使い魔娘「塚井麻子」が鶯崎の背後から顔を出した。
相変わらず神出鬼没で気配を感じない。黒髪のおかっぱ頭によく似合う浴衣姿で……祭りバージョンらしかった。
「鶯崎……その札、塚井に盗ませたのか?」
「使い魔娘は気配を消せる。背後から忍び寄らせ、奴の懐から『護符の実体』つまり、マスターカードを抜き取らせてもらった」
鶯崎ソラがにやりと笑うと油性ペンを取り出し、おもむろに塩田が持っていた赤い護符に何かを書き加えた。――即席の呪法改変。
描き終えると同時に静かに札をかざし、呪法を宣誓する。
「!? 何をする気ナリ! や、やめ」
「この一枚に強制介入し、同位体を形成する他の護符、全てに影響を伝播させる! ――札よ、病みたまえ。朽ちよ、砕けよ……」
今度は石段の上に立つ豊糧守護四天・塩田が、苦悶の表情を浮かべ悲鳴を上げた。
「あぁあッ! 臭い!? ばかな? 私の……私の護符が腐る!?」
塩田は慌てた様子で、懐から護符の束を地面に投げ捨てた。赤い護符が、次々と色褪せ、足元で朽ちていった。鶯崎はそれを見届けると、手元の札を破り捨てた。
「馬鹿の一つ覚え。同じ護符を何枚も使っていることがアダとなったな?」
「貴様ぁ……貴様ぁ……俺を本気に……させたなッ!」
塩田の蛙じみた顔に狂気が宿り、ヒキガエルのような目玉が飛び出るほど見開く。
「使い魔娘……天乃羽アキラと一緒に行くのだ」
鶯崎が静かに促した。
「…………」
鶯崎の背中にしがみついたままの使い魔娘は、首を横に振る。
頑として首を振り、ぎゅっと抱きつくように鶯崎ソラの腰に腕を回した。
「そうか、仕方のない奴め。私と一緒に戦うか?」
「…………」
こくり、と頷く。
使い魔娘は、僕にむかってべーと小さく舌を出し、手を一度だけ振る。それは『行け』という仕草だった。
「貴様の式神……ザシキワラシか? 珍しいナリね。拙者の大切な護符を汚した代償を……その小娘で払ってもらうナリイイイ!」
塩田が目を剥き、耳まで裂けるかと思えるほど口の端を吊り上げ、手元で印を結ぶ。
「今だ、行け! 走れ、天乃羽!」
鶯崎が正面の塩田を見据えたまま叫ぶ。
「晶せんぱい!」
今度は美波が素早く僕の手を取って駆け出した。僕は後ろ髪をひかれる思いのまま走り出した。鶯崎から目が離せない。こんな……嫌だ!
「鶯崎っ!」
「それでいい。さらばだ」
――愛しているぞ……天乃羽アキラ。
そんな鶯崎の声が聞こえた気がした。
「行きましょう! 走って!」
謎の呪法合戦の様相を呈する塩田と鶯崎の戦いに、僕らはもう何もできないだろう。
僕を意を決し、石段の上と下で睨みあう二人を迂回するように、草木の茂る小道を駆け上がった。
木々の隙間から、狂気で口元を歪めたまま印を結び唸る塩田が見えた。
その眼にはもう、僕らは映っていなかった。
塩田が叫び、空中に不穏文字を描いてゆく。燃えるような熱い波動が辺りを包む。全身を刺す痛みに視界が歪む。鶯崎も使い魔娘も、もう何も見えなかった。
美波と僕はひたすら暗闇の中を走り、山頂を目指した。
(つづく!)