5章の2 けれど、僕は一人じゃない
僕は回覧板を思い切り床に叩き付けた。なんだよこれ!
「酷い……! 晶せんぱいを危険物みたいに」
美波の怒った顔を初めて見た。ぷんすか、といった迫力とは無縁の可愛らしい顔に、ちょっと癒されたけれど、今の僕には焼け石に水だ。
床に落ちた文面を見るにつけ益々腹が立ってくる。
「近づくと大変危険ですとか何なんだよ! 害獣扱いか!」
「ほぉ、天乃羽アキラもそこまで怒るのだな?」
「怒るよ! 宮司長代理豊糧八尋って……くっそおお」
ハラワタが煮えくり返る。クラス委員長の兄さんだろうが、本気で呪うぞ!
「元気がでたな? 貴様、豊糧の巫女に大見栄を切った事を覚えているか?」
「忘れるもんか。僕は優菜を」
「――取り返す、と宣言しおったな?」
怒りで霞んだ頭の霧がすっ、と晴れた。
「僕は……約束したんだ」
幼馴染の見慣れた笑顔が脳裏に浮かんだ。優菜はきっと僕を待っているはずだ。必ず迎えに行く。邪魔する奴がいるなら戦ってやる。もう……昔の弱い僕じゃない。
「神社に乗り込んだ所で、連中から取り返せる保証も、力を解除できる保証も無いぞ?」
決意を確かめるように鶯崎が尋ねる。僕は強く頷いて応える。
「かまうもんか。僕はいくよ」
ぎゅっと拳を握りしめて。
「殴り込み、だな」
僕の気持ちを代弁したみたいに鶯崎が不遜な笑みを浮かべて、その言葉を口にする。
「殴り込み、か」任侠じみた古くさい言葉を、僕は反芻した。
「晶せんぱい。ボクもお供します。あまり役には立てないかもしれませんけど」
「ありがとう、美波」
華奢な体で精一杯の勇気を示す美波の真っ直ぐな瞳を、僕は受け止めた。
「私も貴様と只ならぬ関係になった以上、行くしかあるまいな。貴様では結界一枚すら破れないだろう? まったく、世話の焼ける奴だ」
来るな、と言ってもついてくるだろう鶯崎の強い眼差し。
「ありがとう鶯崎。……只ならぬ関係になった覚えはないけどね」
「一つのベットで寝ていながら覚えがないと抜かすか?」
「ないよ!」
こんな身体にしたくせに! と叫ぶ鶯崎の後ろで、部屋の窓が勢いよく開かれた。
どうっと生暖かい夕暮時の風が舞い込む。
「ワシを忘れてもらっちゃ困るんじゃあああ!」
「お……鬼頭先輩!?」
僕はおもわず身構えた、そこに現れたのは異形の――鬼だ。
「がふがふ。ここはワシの出番じゃぁ? そうじゃろう天乃羽の晶よ!」
金属のトゲトゲの付いた黒の革ジャンに、ツンツンに立った角のような髪。そのシルエットは現代の鬼そのものだ。でも何故ここに?
「感謝することだな。その大男が天乃羽アキラをここまで『お姫様抱っこ』して運んでくれたのだからな」
「鬼頭が……僕を? 学校からここまで!?」
美波と鶯崎、どちらも男子とはいえ体つきは華奢だ。気を失った僕をここまで運ぶのはとてもじゃないが無理だろう。学校からだいぶ遠いこの家まで、鬼頭先輩が運んでくれたのか。
「あ、ありがとうございました……鬼頭、さん」
僕はぎこちなく礼を述べる。
「がふがふ、いいって事じゃ! 事情も大体聞いたぞ天乃羽の晶。力になるぞ!」
戸惑い気味の僕をよそに、先日の事なんて覚えていないかのように豪快な声が響く。
「先輩が味方……。なんだか凄いんですけど」
僕は頬がひきつったままだ。
「ワシァ、天乃羽に先日のことを謝ろうとおもっての……せめて礼がしたいんじゃ」
「先輩を家まで運んだ後、ずっと外で見張ってくれていたんですよ」
僕は驚いて窓枠に収まらない図体を見上げる。確かに鬼首先輩が立っているだけで、敵は近づく気を無くだろう。夜道では絶対この人に会いたくない。
「んぐふふ。悪くないもんじゃぞ。誰かを守るって事はの」
「晶せんぱいも起きました。少し休んでください」
疲れているはずの鬼頭先輩は、そんな事を微塵も感じさせないほど元気に笑った。美波もそんな鬼首先輩を気遣う。先日学校であんな目に合わされたっていうのに。
いつの間にか、僕は一人じゃなくなっていた。
シロのくれた力のおかげで、僕と一緒に行くと言ってくれる美波や、鶯崎ソラ、そして鬼首先輩が傍らに立っていてくれる。
美波や鶯崎からの告白や、鬼頭先輩をねじ伏せた時のクラスメイトの熱い声援。どれも戸惑うばかりだったけれど……本当は、僕は――嬉しかったんだ。
誰かに好かれるってことは嫌な事じゃない。誰かを好きになるって事も特別な事じゃない。それは異性じゃなくても、友達だとか、仲間だとか。そういう『好き』でもいいんだと思う。
「ありがとう、みんな!」
それが精いっぱいの僕の感謝の言葉だった。
鶯崎ソラも、美波も、鬼頭先輩も僕をしっかりと見つめて静かに頷いてくれた。
夕闇が山の稜線を超えて迫り、遠くからは祭り囃子がいよいよ強く鳴り響いていた。
それは聞き覚えのない、いつもとは違う悲しげな神楽の音色だった。
いよいよ明日、豊糧神社の祭りが始まろうとしていた。
◇
「どんどん、食べてくださいねー」
明るい美波の声とは裏腹に、いつもは静かな台所は賑やかな飯場と化していた。
ぐつぐつと沸き立つ「すき焼き鍋」を囲みながら、食べ盛りの(実質)男四人で肉を奪い合い、ガツガツと食う。美少女が二人視界に映っているけれど、ノーカンだ。
食欲をそそる牛肉と白菜にネギ、豆腐……香ばしい醤油の割下で煮込まれたすき焼き。
「うぬぅ……美波とやら、貴様の腕は認めざるを得ないな。 はふはふ」
鶯崎が熱々の豆腐を頬張る。湯気を立てるすき焼きは、美波の作ったものだ。僕も少し手伝ったけれど味付けは美波だ。お弁当といい本当に器用な子だなぁ、と感心する。
「って鬼首貴様! 肉ばかり食うんじゃない!」
先輩を呼び捨ての鶯崎ソラ。次の瞬間、頭から食われても僕は知らない。
「がふっ、がふっ、がふっ」
「……駄目だコイツ、人語が耳に届いてないぞ」
鬼頭先輩は生煮えの肉を貪りながら、どんぶりで三杯目の飯を胃袋に押し込めている。
なんつー食いっぷりだ。
鶯崎は相変わらずの透けたキャミ姿のまま、諦めたように白滝をすする。長い栗色のウィックを無造作に束ね、赤フレーム眼鏡を曇らせながら負けじと肉に手を伸ばす。
その姿は、食欲旺盛な普通の女の子に見えて思わずドキリとする。面倒なので口には出さないけどね。
「お肉ならまだまだありますから、晶せんぱいもどんどんたべてくださいねっ!」
エプロン姿の美波が、冷蔵庫からぱたぱたとスリッパを鳴らしながら肉を運んできた。
ホットパンツにタンクトップの上にエプロンというその姿は妙に絵になっている。
もう……なんていうか、新婚の奥様みたい。ご飯の後はお風呂にします? なんて箸を咥えたままアホな妄想をしてると美波と眼が合う。
「うっ、旨いねこれ! 美波はいいお嫁さんになれるよ」
「え~? お嫁さんなんてボク、困ります……けど、嬉しいです」
顔を赤らめる美波。いや……そこは否定していいよ。
「コラそこ! いちゃいちゃするんじゃない、天乃羽の嫁は私だ!」
「誰が嫁だ!」
お腹もふくれて、みんなテンションが高い。僕も丸一日食べていないわけで、喋るよりもまずは食べる事に集中する。
「なんだか、お肉の減りが激しいので、皆で一回平等に分けましょう」
美波らしい常識的で、しっかりした若奥様の意見。
僕達はそれに従い、それぞれの位置から肉を狙う。「せーの」と言いかけた、その時――。五人目の腕が伸び、肉を素早く奪い取った。
「うわっっ!?」
「ひゃあ!?」
「ガフッ!?」
「……使い魔娘か」
そこに忽然と湧いて出たのは鶯崎の忠実な下僕……無口な助手、塚井麻子だった。
(つづく)