4章の3 図書館で女装エリートが俺は天才だ! と叫ぶ
「『近づくな』って。頭の中で……誰かが言うの」
「近づくな、って何に?」
「……晶に」
僕は優菜の言葉に足元が崩れたような感覚に襲われた。
「なんだよそれ!? 絶対おかしいって! 行っちゃだめだ、今日は帰ろう」
僕は優菜の手首をつかんだ。その瞬間、強烈な電撃を浴びたような衝撃が半身を駆け抜けて、弾かれたようによろめき、僕は反射的に手を離してしまった。
「――っ痛!?」
ビリッと痺れた右手を押さえながら優菜を見ると、首に小さな黒い御守り袋が、ペンダントのようにぶら下げてあった。それはカバンにぶら下がっているものと似ていた。
「……八尋先輩が待ってるから……行かなきゃ……」
――駄目だ、行くな!
叫んだつもりだったけれど声にならなかった。
悲しそうな表情を浮かべたかと思うと、優菜はまた歩き出した。その後ろ姿が徐々に遠ざかってゆき、廊下の曲がり角で視界から消えた。
嘘だ、ばかげてる! こんなのはありえない。
話すことも、近づく事もできないなんて。
締め付ける様な胸の痛みに顔を歪めた。右手が焼けるように痛くて、苦しい。いったいどうしたらいいのかわからず、僕は教室の前で拳を握りしめ、立ち尽くすばかりだった。
◇
自分では平気だと思っていたことが、実は全然平気じゃなかった。
優菜とは小さいころからいつも一緒で、隣に居るのが当たり前だと思っていた。腐れ縁が煩わしいと思った時だってある。だけど、どんな時も、いつも笑っていてくれた。
引き離されてゆくこの感じは、酷い風邪の悪寒に似ていた。
――こんなのは、嫌だ。
こんな風に離されるなんて……こんなの、納得できるもんか。
僕の足は自然と図書館に向かっていた。
途中、渡り廊下の窓から恐る恐る校庭を覗くと、優菜らしき女子生徒がサッカーグランドの端っこにぽつんと立っているのが見えた。八尋とか言う奴はどいつだ?
と憎々しげに目を凝らしても判らなかった。
今追いかけたところで、同じ結果になるのは明らかだった。あの黒いお守りのバリアのようなものがある限り、打つ手がないのだ。
だから僕は図書館に来た。
正直気が進まなかったけれど、こういう訳の分からない事態になった以上、女装エリート・鶯崎ソラの頭脳に頼るのが懸命に思えたからだ。
図書館の引き戸を開けて入ると、女子制服を身に着けた鶯崎ソラと、無口娘、塚井麻子が居た。
「よく来たな天乃羽アキラ!」
鶯崎が心底嬉しそうな表情で椅子から思い切り立ち上がった。ふわり、と制服のスカートと髪が躍動するように舞う。
「鶯崎、話が……あるんだ」
「よしキスだな? 使い魔娘よ、カーテンと鍵を閉めろ」
「ちょっ! いきなり飢えた獣みたいな事言うな!」
布団を敷け! と言わんばかりの勢いで指示を出す鶯崎を、僕は全力で静止する。可憐で凛とした少女の姿がコンマ二秒で崩壊する。
「……なんだと? 私に会いに来てくれたのではないのか?」
「鶯崎に逢いに来たのは間違いないけど、そういう事をしに来たんじゃないよ」
僕は重いため息をつく。
「むぅ……では、要件は何だ?」
美少女姿のエリート男子が、怪訝な視線を僕に向けつつ、黄金の髪をふわりと払う。
「力を、貸してほしいんだ。これは多分、君にしか相談できない事なんだ」
鶯崎ソラの口元が不敵に弧を描き、赤セルフレーム眼鏡の奥の瞳を輝かせた。
◇
「八尋から貰った、と言ったのか?」
僕は頷いた。鶯崎ソラはすこし思案するような顔で、図書館の椅子に寄りかかる。
塚井麻子が湯気の立つお茶を鶯崎の前に差し出した。ちなみに、対面に座る僕に、お茶を出す気はまったく無いみたいだ。
「鶯崎なら何か……わるかんじゃないかと思って」
「三年の豊糧八尋。サッカー部でエース。クールで女子にも人気がある。そしてこの村一番の神社の跡取り息子だ」
「全部もってる系の人間だね」僕は苦々しく漏らす。
「その妹……弥花里が『人払いの護符』を使っていたのだな?」
「僕と二人きりになりたかった、って言っていたんだ」
「……ふん。私という恋人が居ながら、まんまと色香に惑わされおって」
鶯崎がギリギリと険しい顔で嫉妬の視線を僕を見る。
「だれが恋人だよ! 既成事実みたいに言うな。それに弥花里さんはそんな人じゃない」
「だが、護符呪法……結界術の一種を使ったのだぞ」
鶯崎は口を一文字に結んで、眉根をわずかに寄せた。
「護符呪法?」
「昔から伝わる呪詛の一種さ。出所は、八尋……つまり兄の方だろうがな」
「何か魔法みたいなのを使ったって事なのか?」
「豊糧の血筋は、法力を持った尼さんまで遡るのだ。豊糧神社で売っているお札やお守りは、効果があると評判も上々だ。それは、特殊な力を宿しているからだ」
だったら、弥花里さんと優菜は、おそらく八尋に何か妙なものを持たされたんだ。
今すぐに引きちぎって投げ捨ててやりたい。腹の奥に熱いものが湧きあがる。
学校の裏手に見える小高い山全体が豊糧神社の敷地だ。子供のころからの遊び場で優菜ともよく行った。御神体を祀る本殿は一番てっぺんにある。
けれど、それは日本の何処にでもありそうな普通の神社だと思っていた。もうすぐ始まる神社の祭りだって、毎年楽しみにしていたのに。
「護符に仕込まれた呪法は単純だ。『天乃羽晶以外の人間を避け給え』と組み上げたものだろう。現に……私も似たものを使っているしな」
「えっ?」
僕はそこで気が付いた。図書館には鶯崎と塚井麻子しか居ない事に。
放課後の図書館、それも今の時間帯なら、大勢の生徒が勉強したり本を読んだりしていてもおかしくはない。けれど、ここには僕達しか、鶯崎の望む人間しか居ないのだ。
「人払いの呪法は、基礎的なものだ。例えばこれだ――」
そういうと、鶯崎は事も無げに机の下から『護符』を取り出した。といっても、何の変哲もない白いコピー用紙に、筆で梵字のような読めない文字が、うねうねと図形のように書かれているだけの紙だ。一瞬身構えたけれど、嫌な感じはしなかった。
「心配するな。これは私が書いたもので……一種の『プログラム』さ」
「プログラム……?」
「この護符は『図書室は入室禁止・天乃羽晶だけは許可、候』と書いてある」
「す、凄い、それって……陰陽師の家柄だから書けちゃうのか?」
「違う。私が天才だからだ!」
「アミバ様か!」
「何とでも言うがいい。見ての通り効果はある。もっとも……成功したのはここ最近だ」
「……どういう意味さ?」
「動かすためのエネルギーが無かったのだ」
「エネルギー? 普通こういうのって、魔力とか霊力とかで動くんじゃないの?」
「それはその通りだ。何十年も修行すれば、自分でも出せるようになるのだろうが、私は素人だ。そんなものは出せない」
「そういうもんなのか?」
「護符は霊力のようなエネルギーを受けて稼働するものだ。太陽電池が光を受けて発電するのと同じ。と言えば分かり易いか?」
「オカルトなのか科学なのかは謎だけど……原理は分かった気がするよ。じゃぁ今、この人払いの効果を発揮しているエネルギーって一体なんなのさ?」
小難しい方程式を解いている時の様な、もやっとした頭で問いかける。
鶯崎の細い指先が、すっ、と僕に向けられた。
「お前だ、天乃羽晶」
「ぼ、僕?」
「さっき、霊力や魔力と言ったな? いい線をついている。天乃羽晶が今、そういう類のエネルギーを放射している、と仮定したらどうだ?」
鶯崎の瞳に宿る、銀河の煌きの様な知性の光が僕を貫く。
「エネルギーを放射? ま、まさか、男子にモテちゃう……力?」
「おそらくな。実はこの護符が効果を発揮し出したのは先週なのだ。それまではただの紙切れだった。何が起こったか理解できぬうちに……貴様と恋に落ちたのだ」
「いや、落ちてないし。でも先週って……」
僕がシロの夢を見て印を貰った、丁度その頃じゃないか。
鶯崎ソラは、すん、と自信ありげに鼻を鳴らし、紺碧の瞳を細めた。
「この私の自作の護符も、豊糧八尋が優菜嬢に手渡した黒いお守りも、貴様の放射するある種のエネルギーを受けて駆動する……カウンター型の護符呪法だ」
「カウンター型の護符呪法?」
「護符に描かれている文字は、一種のプログラム言語だと言っただろう? 組み合わせ次第でいろいろな効果を顕現させることが理論上、可能だ」
「人を寄せ付けなかったり、行動を変えたり……それ以外のことも出来るのか?」
「むしろ、人の心に起因する事象であれば容易だ。誰かを避ける事、近寄らせない事、すべて人の心が起こしていることだからな」
「逆にいえば、炎を出したり、氷の刃で攻撃、なんてのは無いんだね?」
「当り前だろう。人の心からそんなものは出てこない」
僕は少し安心する。いきなり魔法みたいな力でドカンなんて護符は無いわけだ。それにしても頭のいい奴の説明は分かりやすいな、と感心する。
僕はふと、以前親父と見た平成ゴ●ラ映画を思い出した。
ゴジ●と対峙する自衛隊の秘密兵器・スーパーX。それが装備する『スーパーファイアーミラー』はゴ●ラの強烈な熱線を跳ね返すカウンター兵器だった。
熱線を反射し、それを利用して攻撃するカウンター兵器。だけどそれは絶対の物じゃない。熱線を何度か跳ね返したところで、限界を越えて破壊された。
護符に弱点があるとすればそこだ。あの御守りだって、もしかしたら……。
(つづく!)