4章の2 僕と優菜の不通事情
僕は思わず叫んでいた。親父も昔、僕と同じような事を経験したっていうのか!?
「あの頃はいろいろとまぁ、大変だったな。呪いを解く為に三人で冒険して、村中走り回ったもんだ。んふ……んふふ」
昔を回想するオッサンの緩んだ笑いが気色悪い。
「ちなみに俺と母さんとは、その時から付き合い始めて結果、恋愛結婚だ! 晶の母さんは村でも評判の美人さんだったんだぞ? デヘヘ」
親父が誇らしげに横にある仏壇を指さした。それは僕が小さい頃、事故で死んでしまった母さんだ。僕から見ても綺麗なひとで、楽しそうに笑っている写真が飾られている。
「ん? そういえば三人て誰? 親父と、母さんと……優菜の母さん?」
「おぉ? その通り。だけど詩織さんはただの幼馴染だからな! かっ、勘違いするんじゃないぞ?」
「なんでそんなに動揺してんだよ親父、顔も真っ赤だし」
「黙れハハハ!」
これ以上詳しく聞くのはやめておこう。
照れ隠しなのか、筋トレを始める親父。ダンベルをフンフンと振り回す。
「晶もついに十七歳か。もうそんな年か~大きくなったなぁ。めでたいなぁ」
感慨深げに三本目のビールをぐびいと飲み干した。今夜の親父は饒舌で上機嫌だ。
「めでたいくないんだよ、ものすごくピンチなんだってば」
と、親父と目があった。
「晶……おまえ、死んだ母さんに似てきたよな」
「そ、そう?」
熱っぽい視線が僕に向けられている気がするけど、嬉しいような照れるような。そんな感じにちょっと頬が染まる。
「……久しぶりに一緒に風呂に入ろうぜ? 背中流しっこしようぜ」
「な、な、何言ってやがる!?」
「小さい時は入ってじゃんかよ」
親父が不満げに口をとがらせる。
「そりゃそうだけど、高校生にもなって親父と風呂は無いって……」
「親子なんだからいいじゃね~か。男同士、ほれ入ろうぜ」
「それがアウトなんだってば!」
親父がお構い無しにぐばぁと上着を脱ぐ。
鍛えられた見事な上腕の筋肉と厚い胸板がその戦闘力の高さを物語る。むぬん! と言う掛け声とともに、ビルダーの定番ポーズ、フロントダブルバイセップスをキメる。
「どうだ!」
「何がだよ?」
「風呂に入りたくなっただろ?」
「ならないよ! この話の流れで一緒に風呂に入れるわけないだろ! バカか!?」
僕はそう悪態をつくとダッシュして一目散に部屋に逃げ込んだ。
けれど親父のおかげで一つ確証を得た。
女の子とちゅーをして、呪いを解くって方法は本当らしい。ただし、あと三日以内、という時間制限のおまけつきだ。
キスで呪いを解く。
でも……誰と? 一番難しい解決策じゃないのか、これ。
いっそ聖剣を手に入れて、仲間たちと旅をする方がよさそうな気もしてきた。
結局、僕はもんもんと頭を抱えつつ、夜を明かすことになった。
◇
翌朝、僕は寝坊してしまった。
いつもは優菜が叩き起こしに来てくれるのだけど、今日はもう先に登校してしまったらしい。僕は……おいてけぼりをくったのだ。
なんだか昨日から急に避けられているらしい。
いくら僕でもそれくらいはわかる。
優菜と喧嘩をした訳でもないのに、昨日の夕方から様子がおかしい。あの黒い御守りも気になるけれど、原因だという確証は何もないわけだし。
これが弥花里さんが言っていた『女の子と縁遠くなる』っていう事なのだろうか?
慌てて身支度を整えて飛び出すと、湿った土の香りに思わす空を見上げる。
どんよりと曇った空。今にも雨が降り出しそうだった。
田中商店の前を過ぎ、橋を渡り、森を抜け、田んぼだらけの田舎道を一人で急ぐ。
暫く小走りで急いでようやく校門をくぐり、遅刻ギリギリでなんとか教室に駆け込んだ。
教室を見回すと先に登校していた優菜が静かに座っていた。二つに結い分けた髪が、どこかうつむき加減に見えた。
優菜の席の横を通り、僕は気まずい挨拶をかわす。
「……おはよ」
「あ、きら? あ……! あのね…………」
優菜は一瞬だけ、何かを訴えるような瞳を僕に向けた。けれど、すぐに感情を押し殺したような曇った顔になり、静かに自分の机に視線を落とした。
優菜が一体何を言いたかったのか、僕にはわからなかった。逆の立場なら、おそらく心を読めたのかもしれない。歯がゆくもどかしい。
「…………優菜?」
僕はどんな変化も見逃すまいと、優菜の横顔を見つめる。だけど、机の脇にぶら下げられたカバンに例の『黒い御守』が括りつけられていることに気が付いた途端、昨日と同じ息苦しさを感じて視線を外してしまった。
その『厄除けの御守』が視界に入っただけで、辛く感じてしまう。もし僕が悪霊か何かなら「効果はばつぐんだ!」ということになるんだろう。
始業のチャイムに急かされて、僕は自分の席に着席した。
「どうなってんだよ……」
優菜の話を聞いてあげることさえ出来ない自分に腹が立つ。いつもならこんなこと何の事は無いのに。もやもやと胸がくるしい。
授業の合間の休憩時間も、優菜と話すチャンスを伺ったけれど、なかなかきかっかけが掴めないまま、時間だけが過ぎた。
昼休みになるとクラスメイトの男子達が、入れ替わりで親しげに話しかけてきた。むげにも出来ない僕は、話を合わせながら適当に相槌を打つ。
女子達はこっちの様子を伺って、何やらひそひそと話しをしている。それはどこか虚ろな冷たい視線だった。
なんだが、クラスの居心地が悪い。
優菜は業間や昼休みの間、元気なくぼーっとしたり、机に突っ伏したりしていた。そんな様子がとても心配なのに、どうしても足が向かず、近づく事が出来ない。
微妙な空気の中で、弥花里さんの様子も少し違っていた。
頻繁に僕の所に来ては、他愛も無い話をしてゆく。それは授業内容の話だったり、雑談だったり、学級会活動の手伝いのお願いだったり。
「晶くん、一緒に先生のところに行ってプリントの束を運んでほしいのです」
「え? あ……うん、いいよ」
優菜を気にしながらも、僕は弥花里さんに連れられて教室を出た。
男子クラスメイト達が名残惜しそうに僕を見送る。その嫉妬と怨嗟めいた視線の先にあるのは僕ではなくて弥花里さんの背中だった。
僕は薄ら寒いものを感じながら、弥花里さんと逃げ出すように教室を後にする。
だけど、二人になれるのは都合が良かった。弥花里さんには聞きたい事があるからだ。
『八尋』というお兄さんの事や、昨日の『人払いの護符』の事だ。
「あ、あのさ、弥花里さん」
「晶くんに手伝ってもらえて嬉しいのです。明後日は村のお祭りで忙しいのですよ」
「あ……、あぁ、そうだね、大変だよね……」
クラス委員長の爽やかな微笑みに、どうにもはぐらかされてしまう。
「はい、ではこのプリントを、お願いなの、です」
「うっ! これ結構重いね、あ……ごめ」
分厚い紙の束ごと弥花里さんの手を握ってしまい、焦る。
「ちゃんと押さえてくださいね」
ほろこぶ唇と柔らかい指先に、思わずときめいてしまう。……何やってんだ僕は。
◇
結局そんなことを繰り返すうちに、時間だけが過ぎて放課後を迎えていた。
優菜は「サッカー部に……いかなくちゃ」とまるで独り言みたいに呟いて、フラフラと立ち上がると教室の出口に向かった。
例のカバンは机の脇に掛けられたままだ。
――チャンスだ、と僕は駆け寄って、廊下で声を掛けた。
「優菜! その……話があるんだ」
「…………うん? アキラ……」
弱々しい返事だけど、瞳は確かに僕に向けられていた。
「大丈夫? 昨日から、なんかおかしいよ」
「おかしい……かな?」
僕達の通信回線が再接続されていた。瞳にわずかに光が戻る。
「なんか、ぼーっとしてるし、いったいどうしたのさ?」
「あ……あのね、ずっと、声が聞こえるの」
唇が震えていて、戸惑うような、泣きそうなその顔を伺う。
「声?」
「『近づくな』って。頭の中で……誰かが言うの」
「近づくな、って何に?」
息を飲んで、苦しそうに、悲しそうに口を開く。
「……晶に」
<つづく>