3章の5 弥花里(ミカリ)さんの真意と力の秘密
「実は、うちの神社の神様が、晶くんを気に入ったみたいなのです」
弥花里さんの声色は楽しそうだった。
「それ、どういう意味? 昼にもそんなこと言ってたよね」
弥花里さんは何も答えず、ゆっくりと目の前の机に腰を下ろした。僕も黙ってひとつ前の席の椅子に腰を下ろして、弥花里さんのほうに向き直る。
放課後の教室で二人だけで向かい合って話すなんて、実は初めてかもしれない。目の前で長い黒髪が両肩からさらりと流れる。慣れない距離に少しだけ緊張する。
「実は、夢でお告げをもらったのです。権現様が夢に出てくるなんて、最初は信じられませんでしたけど」
「夢のお告げ……?」
「天乃羽の晶という若者は……とても良き男にょろ。ですって」
――シロだ。僕は嬉しさと同時に戦慄も覚えた。何かが繋がり始めた気がしたからだ。
弥花里さんは机に頬杖をついて僕の顔を見てくすりと笑った。形のいい顔をのせ、上目づかいで僕を覗きこむ。
「その子……多分、僕の夢にも出てきたよ。にょろーとか言う蛇みたいな女の子」
「まぁ凄い! そうなのです! やっぱり同じなのです。晶くんに印を授けた、と言っていましたから、確かめたくて。お話しできる機会を伺っていたのです」
「そ、そうなんだ? 同じ子が夢に出てくるなんて事……あるのかな。信じられないけど……よかった。こんな事、信じてくれる人がいたなんて」
「私もなのです!」
弥花里さんはきゅっと僕の手を取った。細く白い指が僕の手を包む。暖かくて柔らかい指先の感触に、一瞬で鼓動が早まった。
僕は、同じ謎を共有する『同士』に会えた気がして嬉しかった。
多分こんな夢の話なんて、誰も真剣に聞いちゃくれない。この男子モテ現象が関係しているかもしれない、なんて事なら尚更だ。
図書館に行かずに、最初から相談すればよかったな、と後悔する。
「その印って、これのことだと思うんだ」
僕は何の躊躇いも無く右手の傷を見せた。赤い噛み痕を見て、弥花里さんが綺麗な瞳を大きくする。
「噛み痕みたいですね? かみあと、神跡。なるほど」
感心したように頷く。
「やっぱり、夢だけど、夢じゃないんだね」
「うちの神社の神様、豊糧の権現様は、縁結びと豊作の神様で『効果はばつぐんだ』で有名なのです」
すこし誇らしそうに弥花里さんが、長い黒髪を指先で梳く。
「でも僕はこの印を貰ってから、結構大変な目にあってるんだけど……?」
そもそも、縁結びと豊作の神様の力で男から好かれちゃう意味が分からない。
「あれ? 御存じないのですか?」
「何を?」
「うちの神社の『縁結び』というのは……女性用なのですよ?」
「じょ、女性用?」
「はい! 素敵な殿方と巡り合えるんですよ」にっこりと口元が半円を描いた。
「えぇえええええ!? ってことは、『殿方』との出会いの力を授かったっての!?」
「うーん。……そうかもしれませんね。それなら確かに男の子にモテちゃいます!」
弥花里さんが鈴を鳴らすような声で小さく笑った。
「ちょっ!? ダメだろ! 今すぐクーリングオフさせて!」
すぐにでもシロに頼んで返品させてほしい。でも、どこに行けば逢えるの?
椅子から腰を浮かせた僕を諭すように、ゆっくりと弥花里さんが続ける。
「でもね……晶くん。折角授かった力ですし、使い方次第だと思いません?」
「使い方? 男子からラブレター貰ったり、告られたりする力だよ? どんな使い道があるってのさ!」
「それは、いろいろと」
弥花里さんが含みのある笑みを浮かべて、唇を指先で押える。
「返品の手続き……できないかな?」
「んー。それは多分、無理なのです」
きっぱりと言い切ると、切れ長の美しい瞳が細められた。
「権現様から力を授かった晶くんは憑代。つまり力の『器』として認められたのです。それはとっても凄い事なのですよ」
「いやいやいや! 凄くても困るんだよ、解除する事、できるはずだよね?」
僕は食い下がった。図書館で鶯崎が言っていた解除方法を思い出す。先に図書館に行った事は無駄じゃなかった! と思い直す。人生何が起こるかわからない。
「できませんよ。ずっと……一生、そのままなのです」
「い、一生!?」
めまいがした。んなばかな。
「でも、世界の半分、地球の総人口の半分から、愛を享受できるんですよ」
「そんな壮大な愛は要らないってば! たすけてよ……弥花里さん」
僕は力なく縋るような声で訴えた。弥花里さん頬杖のまま少し首をかしげて、僕の困り顔をどこか楽しそうに眺めている。
「昼間の事、どう思います? あれだけの悪意を持った相手の心を、晶くんは一瞬で好意に転化できたじゃありませんか。それって純粋にすごいと思うのですけど」
昼間の鬼頭先輩との一件を思い起こす。激しい怒りから好意へと、心のベクトルが急激に変化したのを目の当たりにしたのは間違いない。
「蛇神様が晶くんにそういう能力を授けてくれたのです」
「能力……」
僕は今になって、いつもは僕を「天乃羽くん」と姓で呼んでいる弥花里さんが、アキラくん、と名前で呼んでいる事に気が付いた。
「他人から好かれるなんて、素敵なチカラだと思いません?」
「男子から、って但し書きがなければね」
僕は精いっぱいの皮肉を込める。神社の巫女さんの弥花里さんなら、なんとかしてくれそうな、そんな事を期待していたのに。期待が失望に変わってゆく。
そんな僕の心情を見透かしたかのように、弥花里さんの奥の光が違う色を帯びる。
「晶くんが望めば、男の人達は、お金でも、身体でも、なんでも喜んで差し出すと思いますよ」
さらりと怖いことを口にする。
「…………そ、それは」
僕はごくりと溜飲した。
そんなこと、考えてすらいなかった。鶯崎は心臓さえ差し出すと言っていた。美波だってお弁当どころか、それ以上の物だって差し出すと言い出しかねない。
心の奥底で得体のしれない、うすら暗いものが蠢いた。
「そのかわり……女の子とは縁遠くなりますけれど」
「は……えっ?」
「この世界の理は、何かを手に入れれば何かは失うもの。って、これ八尋お兄様の受け売りですけれど」
弥花里さんはくすりと笑いながらそう言った。
――八尋? 確か、お兄さんだったはずだ。神社の宮司もやっている三年生。弥花里さんから以前、誇らしげに自慢の兄だと聞かされたことがあった。だけど鶯崎が気をつけろと言っていた相手の名前だった。
「対価ってことか。男子に好かれる代わりに、女の子からは嫌われるっての?」
「それは――優菜ちゃんだって、例外じゃありませんよ?」
弥花里さんの口から発せられたのは、ゾッとするような冷たい声。
「そんなの、そんなこと……」
自分でも驚くほど動揺した声を漏らす。そんなこと有るはずがない。不意に湧き上がる寒気にも似た不安に、僕は心臓がぎゅっと締め付けられるのを感じていた。
<つづく>