3章の3 エリート女装子、鶯崎(うぐいすざき)ソラ
本能が迫る危険を告げて、僕は出口を目指してじりじりと移動を開始した。
「ここからは逃げられんぞ。抜かりはないな? 塚井麻子」
「…………」
ツカイマコ(?) と呼ばれた黒髪のショートボブ女子生徒は無言でこくりと頷くと、鍵を取り出して、くるくるっと指先で回して見せた。
それはいつも入り口脇にぶら下げてある図書室のカギだった。
「フハハ、でかしたぞ我が忠実なる僕よ!」
「と、閉じ込められた!?」
こいつらグルなのか! 数歩後ろに下がり、鶯崎と塚井麻子から距離を取る。
正面には女装した鶯崎ソラ。背後には謎の無口一年女子。はさみうちだ。
「天乃羽アキラ……良く聞け、私は、貴様の為に生まれ変わったのだ」
鶯崎が僕に向かって静かに語りかけた。それはとても落ち着いた声で、まるで刑事が犯人を説得するような声色だ。
「ぼ、僕の為……?」
「美しく可憐な巨乳の女子を嫌いな男子がいるか?」
「そ、そりゃ……まぁ、いない」
「だろう?」
鶯崎は自信に満ちた顔で、むふん、と笑う。腰に手を当てたその立ち姿はスーパーモデルみたいだ。
だけどコイツは男だ。もう――嫌な予感しかしない。
「天乃羽アキラ……私は、お前が好きなのだ!」
「うぁあ!? 聞きたくない聞きたくない!」
倒れそうに案る身体を辛うじて机で支える。図書館の机の冷たい感触が掌を通して伝わって、かろうじて正気を保つ。
「黙って私の愛を受け入れろ! 完璧な美少女である私を前に、貴様に選択の余地などない!」
有無を言わせぬ迫力に満ちた声で、愛せよ命令だった。
可愛い系男子に続く二人目の告白者は、高慢な女装エリート男子。
もう……本格的にダメかもしれない。
「ば、ばか言うな! そもそもなんで上から目線なんだよ!?」
「強引なぐらいがいいのだろう? ちょっと小さくて強引な美少女でおまけに巨乳。これでもまだ何か不満があるのか? 贅沢なやつめ。欠点など無いはずだが?」
鶯崎が、圧倒的な自信に満ちた笑みを浮かべ、にじり寄ってくる。
「むしろ欠点増えてるだろ!?」
そもそも女装して僕に告白とか、突き抜けるにも程がある。
至極当然のツッコミがいけなかったのか、鶯崎の瞳に冷たい氷のような光が宿り、ぷるぷると握り締めた拳を震わせる。
「まさか私の愛を拒むつもりか?」
「いや、あのさ、拒むも何も……男同士だと無理……だよね普通」
「私が……男だからだと?」
図書室に鶯崎の押し殺したような声が響いた。
「僕は……女の子がいいんだよ!」
僕はきっぱりと答えた。美波の屈託のない笑顔が頭をよぎる。胸の苦しさを感じながらも、だけど美波は『友達』なんだ、と自分に言い聞かせる。
「……性別などという前時代的かつ凡庸な概念で、私の愛を否定するのか? 崇高なる愛の輝きの前では、性別など些細で取るに足らぬものではないのか?」
「性別は些細じゃないだろ」
「では、貴様は恋愛対象に生殖行為を常に望んでいるのか? 純愛においてそんな行為は不要なはずだ。つまり、愛は性別と無関係に成立する。――はい、論破!」
鶯崎は、びしっと僕の鼻先を指さす。それはまるで、子供が涙目で屁理屈をこねて、負けてない、と言い張っているみたいだ。
「純愛と生殖を同列に語るなよ!」
「ふん、反論できなければ私の勝ちだ」
鶯崎ソラの瞳が光を取り戻す。顎をすこし上げて、僕を高慢に見下ろす。
「……僕にどうしろってんだ」
「ええい! 私と『恋仲』になればいいのだ。って言わせるな! 恥ずかしい」
鶯崎はそう言うと、顔を真っ赤にして、ふい、と視線を外した。
僕は深く息を吸い込んで吐き出す。少し頭を落ち着けて、ゆっくりと鶯崎に向き直る。
「好きとかそういうのって、押し付けられてどうにかなるもんじゃないだろ?」
僕は静かにゆっくりと語りかけた。頭のいい鶯崎ならわかるはずだ。
鶯崎ソラの切れ長の目が眇められる。
「天乃羽アキラの分際で……ぬかしおるわ」
鶯崎ソラがぐぐっと唇を噛む。眼鏡に反射した夕日の光で目線を追う事は出来ない。
再び静寂に包まれた図書館で、自称『完璧美少女』と僕は膠着状態のまま睨みあった。
「私としたことが……取り乱してしまったようだな」
やがて鶯崎ソラは、眼鏡をくぃと直すと表情を緩めた。頬に流れた乱れた髪――つまりはウィッグ――をふわりとととのえる。ついでに胸のパッドもきゅっと寄せ直す。
その姿が少し可笑しかったが、そこには最初に現れた時と同じ、冷徹で鋭利な空気を纏った人形の様な美少女が立っていた。
「一つだけ、答えてほしい」
鶯崎ソラが躊躇いがちに口を開いた。
「なんだよ……?」
「もし、私が本物の女の子なら、告白を受け入れてくれたのか?」
「なっ? ……う、それは……考えてみなくも……ないでもないかな」
かなり曖昧に首をかしげ、視線を泳がせながら僕は答えた。
見た目そのままの女の子だったらね。
鶯崎ソラはその答えで納得したのか、表情をぱっと明るくした。赤いセルフレーム眼鏡の奥の瞳の輝きがきらきらと増す。
「そうか、そうだろう! 惚れないはずがないのだ。ふふッ、当然だ!」
キャラを作るのはいいけど、性格は直した方がいいよ、なんて言うとまた激高しそうだったので自重する。
「鶯崎が凄い奴なんだって事はよくわかったよ。女の子になる努力だって、普通は真似のできないレベルだと……思うし」
方向性はどうあれ、鶯崎も一生懸命なんだ。天才なりの努力はやっぱり違う。ちょっと突き抜け過ぎだけど、そこはとりあえず褒めてもいい。
「この姿は、私の大切な想い人の為だけのものだ。静かな放課後の図書館で詩集を読みながら、ずっと待っている。天乃羽アキラ、そんな私の気持ちだけは、わかってほしいものだな」
指先で髪の先をくるくる回して頬を染める。熱く優しい視線が僕に注がれる。
瞳には情熱の炎と知性の氷が同居しているかのような、不思議な色が浮かんでいた。
「気持ちはよくわかったよ。……その、ありがと」
自分に向けられた気持ちが嘘じゃないことを、その視線から感じ取った。
僕は猛烈に顔が火照って、頬を掻いた。
横では塚井麻子が、僕達のやり取りを苦々しい顔で、じいっとみていた。
鶯崎は満足げに微笑んで、図書室の椅子を引き腰を降ろす。ニーソックスで形成された絶対領域がチラついて目のやり場に困る。
「天乃羽アキラ。貴様がここに来たのは『豊糧の蛇神』を調べる為だろう?」
「な、どうしてそれを!?」
突然の鶯崎の言葉に、僕は思わず身を乗り出した。
「この私の……明晰な頭脳があればわかることだ」
自信見満ち満ちた表情で事も無げに言い放つと。くぃと指先で眼鏡を直す。
「この私が、貴様ごとき凡庸な男子に惚れるという事態。あまつさえ、この心が張り裂けそうなほどの恋心を抱く、という謎の現象について私なりに調べていた」
「貴様ごときとか、僕をディスりすぎだ」
だけど、鶯崎は自分に起きた心の変化を、『現象』として捉え、ここで調べていたんだ。
「天乃羽アキラ。貴様は……この村の蛇神に魅入られたのではないか?」
「み、魅入られた?」
夢が明瞭な色彩を帯びて目の前に浮かんだ。豊糧権現のシロ。蛇の化身を名乗ったあの子は自分をそう呼んでいた。僕は噛み跡の残る右手を見つめる。
「……何か、心当たりがありそうな顔だな?」
鶯崎が伺うような視線を僕に向けていた。思わずぎゅっと手を握りしめ後ろに隠す。
心当たりは有り余るほど有る。シロの夢や、美波の告白、鬼頭先輩の急速な心変わり、それに目の前の鶯崎ソラ。
全部話してしまおうか、とも考えたけれど僅かな迷いがそれを躊躇わせた。
「さっき本で少し読んだよ。神社の蛇神様や、男に追いかけられる昔話の事だろ」
「ほほう、そこまでは調べたか?」
鶯崎ソラは、感心したような笑みを浮かべ、すらりとした脚を組み替えた。
「その昔話に出てくる『男色の呪い』と同じだと思わないか?」
「確かに……そう思えなくもないけれど」
「そうでなけば、お前などに……こんな、こんな恋心を抱くはずがないだろう」
鶯崎が苛立たしげな瞳で僕を睨む。困惑と劣情の熱の入り混じった色の瞳。
「だからってどうして女装趣味に走るんだよ」もう、わけがわからないよ。
「……先週から」
「え?」
「先週から急に、天乃羽アキラ……貴様の事が好きで好きで、我慢ならなくなったんだ」
鶯崎がスカートの裾をぎゅっと握りしめ、恥らう乙女のような感じでうなだれる。
「す、好き好き連発するなってば」
「お前にどうしても好かれたくて、こっ、こんな風になったんだぞ、ばか」
鶯崎ソラは顔を真っ赤にして小さく漏らす。――ばか、という声が可愛かった。
図書室で綺麗な女子に好きだとか言われたらそりゃ、とんでもなく嬉しい。けれど、中身は思いっきり男だ。この状況をどう喜べっていうんだ……。
鶯崎の横で助手(?)の塚井麻子がいよいよ殺気のこもった目で僕を睨んでいる。
それにしてもこの二人どういう関係なんだろう? 鶯崎のファンの女子だろうか? それなら憧れの彼がこんな姿になって、怒り心頭というのも頷けるけど。
「う、鶯崎は、蛇神様の昔話とか、どこまで知ってるんだよ?」僕は話を戻す。
「知っているも何も、ウチは『豊糧八分家』の一つだからな。ある程度は知っているさ」
「ホウリョウ……八分家?」
【サクシャヨリ】
はい♪ 女装子でてきましたっ!
キーパーソンです。
美波くんと並んでヒロインの一人です(男だけど)