2章の4 僕の「力」と、ユウナの気持ち
『冬彦さん!?』
『バカな! 冬彦さんが……復活した!?』
演劇部の練習が続いているけれど、後半はどうやら超展開らしかった。
すこし汗ばむくらいの陽気の中、屋上のベンチで三人でだらだらと昼休みの残り時間を過ごす。なにをするでもなく、のんびりと演劇部の練習を眺めたり、空を見上げたり。
時折吹きぬける湿った風が今はなんだか心地いい。僕はそこで一つ気になっていた事を美波に訊いた。
「あのさ、手紙くれたよね? 例の……その、呼び出しの」
「えぇ? あ、はい」
美波の頬がみるみる赤みを帯びる。さらさらの髪が風に揺れる。
「どこかで以前、僕と会ったり、話した事ってあったっけ? なんていうか、なんだか突然過ぎて、ちょっと戸惑っちゃったというか、その」
優奈が頬づえをつきながら、興味深げにじーっとこちらを伺う。答え次第でまたモメそうな予感がするけれど。
「実は……購買部でちょっとだけ。覚えてないかもしれませんけど」
「購買部で?」
記憶を遡っても美波の顔は思い出せなかった。何か購買部であったっけ?
「ボクが誰かとぶつかって落とした水のペットボトルを、晶せんぱいが拾ってくれたんですよ。って……覚えてないですよね」
美波は少し残念そうに自分の膝に視線を落とした。
「……あ!? あぁ、思い出した! 先週だっけ?」
「は、はい! 拾ってくれて、気を付けなよって、優しく言ってくれたんです」
「何時でも何処でも誰にでも優しいんだね」
優菜はすこし呆れ顔だ。
でも、確かにそんな事があった。
きっと美波は人とぶつかったり、物を落としたりするドジっ子なんだろう。
だけど……それだけの事で好きになったりするものかな? ましてや男の先輩を。
「こんなふうに誰かを好きになるなんて、本当に初めてで。自分でもどうしていいかわからなくて……。呼び出したりして、ごめんなさい」
本気で戸惑っている様子の美波を僕は制して、それ以上何も聞かなかった。
優菜は興味津津と言う様子で聞いていたけれど、そんなこともあるのかなぁ。という感じに頬杖をついたまま僕達を眺めていた。
僕は自分の右手に視線を落ととす。
夢の中でシロがくれた『印』、赤い痣はしっかりと残ったままだ。
――もしかしてこれが原因なのだろうか?
鬼頭先輩の急変や、美波の恋の芽生えに関係があるとしたら?
優菜母が言ったように、昔話の蛇神様の力が宿っていて、右手で触れた人間(主に男だけど)から好かれちゃう……ということなのだろうか?
だけど、単純にそういう訳でもなさそうだ。
ペットボトルを拾ってあげた時、僕は美波には触れていない。確かにそのときはもう「赤いアザ」はあったけれど。
美波に触ったのは桜の木の下で抱き合った時が初めてで……ってうわわ!
ぼふ、と赤くなった顔を優菜に悟られやしないかと焦るけれど、優菜は何気に演劇部の次の展開が気になるようだった。
隣に座る美波は僕に柔らかい視線を注いでいる。傍にいるだけで幸せです、的なほっこりしたオーラが伝わってくる。
――ま、いいか。今は満腹で難しい事を考える気にもならないし。
今度またシロに夢の中で逢えたなら、『印』の意味をちゃんと聞いてみよう。
◇
午後の授業の終わりを告げるベルが鳴った。
二人分のお弁当を食べたせいで満腹感はハンパなくて、午前中よりも更に眠いという有様だった。
窓から見える放課後の景色は、薄暗い灰色の教室とは対照的にきらきら光って見える。
いつもの僕なら、自分探しの旅ではないけれど、暇つぶしに校内散策をしている時間だ。けれど今日はそうもいかないようだった。
いつもはあまり話さないようなクラスの男子が、次々と入れ替わりで僕の机を囲む。
「昼間のあの技って、晶んとこの道場で教えてんの!?」
「あ、うん。まぁ、そんなとこだよ」
興奮気味に僕に話しかけてくる『男子』クラスメイト達に囲まれて、僕は慣れない状況に愛想笑いを浮かべて適当に相槌をうつので精一杯という感じだ。
「あ、あ、晶くん。これ、あげるッス」
クラスでは存在感のない佐々木君が、おずおずと差し出したのは、人気TCG『バトルファイティング魂・ゼロエッジターボ 神龍降誕編 第四弾』のキラホイール仕様マスターレアカードだった。
「え? これ佐々木の命だろ? もらえないよ」
放課後の教室で佐々木達は、非公認のTCG同好会を標榜し盛り上がっていた。僕は参加するほどじゃないけれど、ちょっと覗き込んだりするぐらいの関係だ。
「晶氏の昼間の戦いは見事ナリ! 相手ターンの攻撃フェイズで特殊能力発動! 相手をそのまま墓地送り! 痛快、愉快、ドゥフフ! 凄かったッスでござる! 晶氏に貰って欲しいッス」
いじられやすいタイプの佐々木にとっては、爽快な出来事だったのかもしれない。
「う、うん。ありがと……」
申し訳ない気持ちでカードを受け取ると、佐々木は満足げにコポァと息を吐いた。
僕はクラスじゃ中間的な立ち位置で、どちらかと言うと目立たない方だ。そのせいで余計に昼間の鬼頭先輩との「一戦」は注目されてしまったのだろう。
「おーい、アキラ」
不意に優菜の声がした。教室の入り口の所で、こちらを伺っている。
「サッカー部、見に行くからさっ! 四時半ぐらいにここで。またあとでね!」
「あ、うん。りょーかい」
軽く微笑むと、僕に小さく手を振って、教室を飛び出していった。去り際にツインテールが尻尾みたいにヒラリと見えた。
優菜は中学の頃、女子サッカー部で頑張っていた。
だけど高校には女子サッカー部が無くて、夢を諦めなきゃならなかった。だけど二年生になった今、今度は女子マネージャをやってみたくなったらしくて、男子サッカー部にちょくちょく顔を出しているらしかった。
一年の時は一時的に「里山文化研究会」という謎の部活に所属していたけれど、交換留学生だった女の子が抜けてしまったので、同好会は立ち消えになっていた。
――そういえば、カッコイイ三年生がいる、とか言っていたっけ。
昼間のお弁当も本当は、サッカー部の誰かにあげる為の練習だったのだろうか?
僕は握ったままのレアカードを折り曲げそうになっていたことに気がついて、慌ててポケットに仕舞い込んだ。
正直、女の子の気持ちはよくわからない。
もやっと沈殿した気持ちの正体がわからずに、僕は唇の裏を静かに噛んだ。
(二章 了)