だいななわ
少し短めです。
そして次の日の朝である。妙な空気が立ち込める校門を、要と並んであくびをかみ殺しながらくぐると、妙な感覚が背筋を貫いた。
「ッ、……総司」
「んー……」
敷地と外の境界を跨いだ瞬間に感じた、背筋に走るピリリとした感覚。僕にしてみればあまりにも慣れ過ぎた感覚だけど、要としてはそうじゃなかったみたいだ。いつも人好きのする笑みを浮かべている要が、顔をこわばらせている。
「おい、まさかこいつぁ……」
「間違いないだろうね」
小さく笑って、答える。
何よりも胸の中に収まっている『剣』が、疼いている。間違いなく――この学校が、『浸食』されかかっているのだ。
「……」
昨日の一件から、その感覚を感じ取れるようになったのだろう。その感じるモノが意味するところを理解して、要は、次第にその顔を憤怒の色に染め上げていく。隣にいる僕ですら肌が泡立つその怒気に、校門の傍にいた風紀委員が何事かと要を見ていた。
「要、落ちついて」
「……これが落ちつけるか?」
「落ちつけ」
「っ……」
若干、要からの怒気が薄れていく。
僕はできるだけ静かに息をついて、それからできるだけ力を込めないで、ぽん、と要の背中を叩いた。
「まだ大丈夫。昨日の時点じゃ何にも無かったから、『浸食』の度合いは低い。この程度の『浸食』なら、その核となる種を潰せば何の影響もないはずだよ。『番人』はいるかもしれないけど……それでも昨晩ほどじゃない」
「本当か?」
怒気は引いている。それでも顔をこわばらせたままに、要が聞いてきた。
だから僕も、表情を引き締めて答えた。
「僕にとっても、この場所は絆さんがいる場所だよ?」
「……ああ、そうだな」
僕の言葉に、要がようやく表情を和らげる。
「でも、とりあえず、まず絆さんのところに行きたい。……良いかな?」
「俺じゃあお前さんを止められねぇわな」
下足室で靴をはきかえながら、要は呆れやら安心やらが綯い交ぜになったような笑みを浮かべる。
「ありがと」
「……あのな、姉ちゃんは俺の姉ちゃんでもあるんだぜ? 俺だって心配だよ」
「はは」
意識して口角を吊り上げて、僕たちは足を速めた。
図書委員である絆さんは、今日はたまたま委員の仕事があったらしく、朝から学校にきているはずだった。本来ならば要も一緒に登校しているはずだったのだけど、昨日の夜の一件でそのまま僕の部屋で就寝、僕が起こすまで夢の中だった。
だからこそ、要はあんなに怒ったのだ。自分の学び舎を汚しくさった野郎に――そして、大事な時に姉のそばにいてやれなかった自分に。
「しかし……どういうことだ? こっちには燃料がないから、『浸食』はおこらないはずなんだろう?」
速足で校内を移動すること一分と少し、人気のない渡り廊下に差し掛かったところで、要が聞いてきた。
僕は少し考えて――そして首を横に振る。
「……わからない。もしかしたら、代用品を見つけたのかも……」
「言ってたアレか」
「うん。……でも、そんな簡単に代用品を見つけられるのかな」
「さてな……。お前、その、何だ。向こうに連絡とかはできないのか? あちらさんには、それなりにこういうのに精通したヤツもいたんだろ?」
――ふと、僕を送り返してくれたあの無愛想な賢者の顔が脳裏をよぎる。
確かにあいつなら、きっとこういう場でも的確な助言をくれただろう。……だけど、それももう無理だ。世界の壁が立ちふさがっている以上、声を届ける事も聞く事もまずできはしない。
向こうからコンタクトをとってくれればできるかもしれないけれど……そんなの、まさしく一縷の希望だろう。アイツは自分から動くようなヤツじゃないし。
「……そうか」
僕が首を横に振ると、要は残念そうに言った。
「となると、お前の知識がカギになるわけだ。……お約束的なファンタジー知識なら俺も持ち合わせてるが……それも何処まで通用するかもだからなぁ。所詮、こっちの世界で産まれたメディアだ」
「そういうのに詳しいの?」
「お前らの前では見せてねぇが、俺は元々……あー、なんつーか、その、いわゆる厨二病患者だよ」
言い辛そうに頭をかきながら、要は言った。
……でも、何だ、そのチュウニビョウって。
「何、それ」
「……ああ、そっか。知らないのか。うん、なんて言うかな、その……ある日突然怪我もしてねぇのに包帯巻いてきて『くそ、俺の中に封印された黒竜が暴れ出す……!』って感じにこう、痛々しい妄想を現実のものと思い込む症状っていうかな」
……それは、恥ずかしい。
「いや、なんだ! これはいわゆる症状の一つで、妄想系って言われていてだな、他にも色々あるんだ、だから一概に俺がそっちにはまったって言えるはずも……」
「つまり要はその妄想系が発症していたんだな」
「……うん」
苦虫をかみつぶしたかのように渋顔を造る要。……こいつがこういう表情を見せるのは珍しい。思わず、笑ってしまう。
「笑うこたぁねぇだろう。なんつーかな、その、はしかみたいなものなんだ。かかるときはかかっちまうんだよ」
「僕はかからなかったけどね」
「お前はリアルで過ごしてきたじゃねぇか。つい昨日まで」
じと目でこちらを見てくる要に、肩をすくめることで返答して、僕は見えてきた図書室の扉を見据える。
「……絆さん」
ぎゅぅっ、と胸が締め付けられる。
この目で無事を確かめたいという思いと――彼女の前に立つという不安感が、せめぎ合っているのだと、理解はしていた。もちろん、その原因もだ。
向こうに行く前では理解もできず、ただ自分を追い込むだけだった。これを成長ととるべきかどうなのかはわからないけれど、それでも、少しだけは前に進めたのかもしれない。そう、信じたいと思う。
「……行くぞ、総司」
要の手が、両開きの扉に触れ――押し込む。
ぎぃぃぃっ、と古めかしい音を立てて、扉が開いて行く。
埃っぽい臭いが鼻を刺し――
「姉ちゃん!」
――次いで漂ってきた濃密な『それ』にむせかえるよりも早く、カウンターの前に倒れ伏している絆さんへと、要が駆けだしていた。
「っ、絆さん!」
一瞬遅れて、僕も絆さんの下に走る。
うつ伏せに倒れている絆さんを、要があおむけにした。
「おい、姉ちゃん! 姉ちゃん!」
軽く頬をはたきながら、絆さんを呼び続ける要。ふと、その目が僕へと向いた。
「総司……!」
「……」
僕は震える指を抱えるようにして、絆さんの傍らにしゃがむ。元々が色白だったためか、まるで死人のような色へと変わっている首筋に手を当てて、目を閉じる。
数秒。僕はほぅ、と息を吐いた。
「……脈はある。それに……『浸食』されてるわけじゃない」
「ほんとか!」
「……うん。保健室に運ぼう」
「お、おう」
絆さんの背中とひざ裏に腕をまわして、そのまま持ち上げる。体格は僕より大きいのに、あまりに軽いその身体に、思わず眉をしかめて――そうして、今の自分の体勢に気がついた。
「……あ」
「……やるなぁ、お前」
驚いたような顔の要。絆さんを――お姫様だっこしている僕。
……これは、ヤバい。何がっていうと、その、あの、とにかく、ヤバい。
「か、要、代わって!」
「代わっていいのか?」
にやにやとした笑みを浮かべて、要は言った。
「あ、当たり前だろ!」
「やれやれ……役得を楽しめっつーのは、さすがに無理があるかよ」
肩をすくめて絆さんを受け取り、そのまま速足で保健室へと向かう要。
その背中を見送り、僕はゆっくりと図書室に視線を巡らせた。
「……」
要は気付かなかったようだけど……確かに、ここには『気配』があった。それも、昨夜の『番人』などとは比べ物にならない特別なモノ――向こうでそれらを感じ慣れた僕ですら、あまりの密度にむせかえりそうになった程のモノ。
扉を開けた瞬間に感じ、そして同時に霧散したそれは、しかし確かにまだこの場にその残滓を残している。
「……」
図書室には司書の姿もなく、絆さん以外に人気はなかった。……おそらく、この学校を『浸食』しようとしている元凶は、この場にいたことは間違いない。そして絆さんは、その存在に当てられて、倒れたのだろう。
霧散しているにもかかわらず、これほどまでに濃い感覚だ。それを直接受ければ、何の耐性もない絆さんは一溜まりもなかったはずだ。本当に……無事でよかった。
「だけど」
ごきり、と拳が鳴った。掌に指が食い込んで、爪が皮膚を突き破った感触が痛みとなって脳裏を走る。だけれどそれ以上に渦巻く良くないモノが、深く、深く、痛みごと僕の奥深くに沈殿していって、そこに眠るにモノが打ち消していく。
「……絆さんを、巻き込んだな……」
にもかかわらず、喉の奥から漏れだしたソレは、自分ですら驚くほどの怒気に塗れていた。
「絶対に、許さない」
胸の奥で疼くモノに手を当てながら、僕はそれだけを吐き捨てて、要を追って保健室へと向かった。
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