だいごわ
「まったく……ほんっとに今日は驚いてばかりだぞ、総司」
杖の様に地面についた木刀に肘を乗せて、要が呆れた視線を僕に送ってくる。そして僕はと言えば、反論もできずに小さくなるだけだった。
あのあと、いい加減周囲の視線も厳しくなってきたので、ここらの地理に詳しいという要の先導で人目につかない場所へと移動したのだった。ついたのは小汚い路地裏だったが。どういう意味で詳しいのかを少し問い詰めたくなった。
「で、なんでまたお前がこっちにいるよ。しかもこんな時間に」
「いや、ちょっと……」
言葉を濁す僕。まさか夢見が悪くてしかもその内容の正否を確かめるため、だなんて言えるはずもない。
しかし要はその僕の反応を別の意味でとったらしく、すぅっと目を細めた。
「まさかあいつ等から呼び出されたのか? ……いや」
あいつら、というのが誰かわからなかったけど、僕が首を傾げる間もなく要の剣呑な雰囲気は霧散した。
「お前はのこのこ呼び出されるタマじゃねぇよなぁ」
「……」
「となれば一体何の用なんだぁ? ったく、まさか言えない、なんてことぁねぇよな?」
眉間のしわをもみほぐしながら、要。
しかし僕は首を振ることしかできなくて、要は勘弁してくれというように天を仰いだ。
「……おいおい」
「ごめん……」
「謝るんだったら話せっつーの、ったく。……じゃ、話せるところまででいいから言えよ。今のお前の様子じゃ、このまままっすぐ帰りそうもねぇからな。だから、お前さんが帰るまで見届ける」
小汚い壁に背中を預けて、要が僕を見据える。これ以上は譲歩しないとその目が語っていた。
……そうして僕も、これ以上の選択肢はなかった。いくら上着を脱いでいても下はワイシャツだしズボンまで変えられるはずもない。一目で学生服とわかってしまうだろう。
となれば、ここらの地理に詳しい要に協力してもらって、件の場所まで案内してもらえば、補導される危険性はぐっと低くなるかもしれない。僕は小さく頭を振って、ゆっくりと言葉を選びながら口を開いた。
「……場所を探している」
「場所?」
「うん。……どこかはわからないんだけど……」
「まぁた妙な」
要は呆れたように唇を突き出して、その口元に手をやった。
「目印になるような物はないのか?」
「ええっと……」
一応、夢の光景は今でも詳細に思い出せる。その中で目印になるような物を要に告げると、要の怪訝な表情はさらに深まった。
「あそこか……? いや、でもなんでお前さんが知ってるんだ? あそこは不良の溜まり場でそれなりに有名なんだが、それでもお前さんが知ってるような場所じゃねぇんだが……」
「知ってるの?」
「まあ、な。何度か行ったこともある。たぶん間違いはないと思うが……なんでわざわざそんな場所に?」
「……」
また押し黙る僕に、要は小さく息をつく。
「ったく……どうしてもその場所に行かなけりゃならんのか?」
「……うん」
「あー、もう」
がりがりと頭をかいて、要は背中を壁から離した。
「わかった。案内してやる。だけど、勿論俺もついて行くからな。後、話せるようになったらきちんと話せよ」
その顔にはまだ、問い詰めたいという感情がありありと浮かんでいた。しかし、それに反して要は何も聞こうともせず、そのまま歩きだす。僕の服装を考慮してか、どうやら人通りの少ない道を選んでいるようだった。
「……」
その後ろ姿に、僕の胸中には、ざわめきとは別のモノが到来していた。やるせない……本当に、自分が情けない。
要の背中を追いかけながら、僕は無意識に唇をかみしめていた。口の中に、鉄の味が広がった。
「ここだぞ」
要が立ち止まり、首でそうと示すそこは、少し開けた場所だった。
周囲には小汚い雑居ビルが立ち並んでいて、道路にはいっさい面していない。ここに来る経路も、どうやら路地裏のような場所を通らなくてはならないようで、まるでそこだけが繁華街から切り離されたかのようだった。表通りの喧騒も、どこか別世界から聞こえてきているかのようだ。
「こんな場所が……」
「お前が来たいっつったんだろうが」
漏れだした声に、要の呆れた反応が返ってくる。僕は苦笑を浮かべて、その空間に足を踏み入れた。
思ったよりも空間は広かった。せまい雑居ビル程度の敷地面積はありそうで、なるほど、確かにこれなら不良の溜まり場ともなるのかもしれない。
しかし……。
「珍しいな。誰もいねぇっつーのは」
要の言葉の通り、この空間には人っ子ひとりいなかった。
……いや。
「……気配が残ってる」
「何?」
確かにこの空間には人っ子一人見当たらなかった。だけど……。
「何か、ここにいた」
「お、おい総司?」
胸のざわめきが、かつて『闇の軍勢』と初めて相対したほどに際立ってきている。自分の胸元を握りしめて、ゆっくりと進めていた足を止める。
そうしてそこは――想像通りの、空間だった。
「……くそっ」
口から漏れるのは、心からの悪態だった。
本当に、面倒な事になった。
「おいおい、本当にどうした、総司」
要の言葉を無視して、じぃっと地面を見つめる。様々なもので汚れた地面は、しかし僕の目には汚れとはまた別のモノが映っている。
「……『浸食』されてる。ああ、もう、本当に……どうしてこっちに帰ってきてまで」
視線だけを動かして、どのあたりまで進んでいるかを確認する。外からではよくわからなかったけど、中から見ればなんとなくだけどわかった。ちょうど、要の立っている辺りが境界線で……中心もまたちょうど、この空間の中央あたりだった。
……よかった。要はまだ入ってきていない。
「要……今すぐ帰れって言っても、聞かないよね」
「……それは俺の台詞だぞ、おい」
要の疲れたような色が混じる言葉に肩をすくめて、僕は振り返る。
「じゃあ要、そこから一歩も動かないで。間違っても、その場所からこっちに来ないで」
「あん?」
僕の言葉に要の眉根が狭まり――同時に、人型の影が複数、僕へと降りかかってきた。
「な、総司――」
「動くなッ!」
咄嗟に動こうとする要に声を張り上げながら、僕は地面を転がって襲いかかってきた影を避ける。
「う、動くなったって――」
視界の端に、木刀袋から木刀を抜いた要の姿が映る。その姿を背中に隠すようにして、僕は襲いかかってきた影へと立ちふさがった。
「っ、お前ら――」
背後から要の驚愕の声が届く。
……無理もない。僕の目の前に立っている……と言っていいのかわからない体勢で佇んでいる五つの影。点滅する電灯の下、浮かび上がってきたその人相は、放課後、僕に因縁をつけてきたあの男子生徒たちだったのだ。
しかもそれだけではない。
男子生徒の目は血走り、顔には血管が浮き出ていて、夜の闇の中にあって尚輝くほどに顔色は青白い。そして何より、その額に真っ赤な珠のようなものが埋め込まれているようだった。……アレも、むこうで見た記憶のあるものだった。しかも、旅の後半――よりにもよってか!
「な、何してやがるんだお前ら……っ、やっぱりお前らが総司を呼び出したのか!?」
それは怒号というよりもむしろ、戸惑っている自分に対する叱咤のようにも聞こえた。だから要も、彼らが返事を返すなどとは思っていなかったのだろう。返事どころか反応すら返さず、ふらふらと夢遊病者の様に揺れる彼らに、それ以上何も言おうともしなかった。
「……ああ、お前がさっき言ってた呼び出されて云々って、こいつらのことか」
「ってそこかよ!?」
なるほど、確かに僕はこいつらに虐められていたのだし、夜の街に呼び出された、というのもまあ考えられなくもない。
「まあ……ある意味で間違っていないなぁ」
「は?」
いぶかしげな要の声に、僕は小さく笑った。
確かに間違ってはいない。ただし呼び出され方が夢であったりするんだけど。
「おい、どういうことだ? というか藤代たちは一体どうなってんだ、あれ……どう見ても普通の状態じゃねーぞ」
「藤代?」
「……真ん中のヤツだよ。左端から八木、仮名、藤代、日下、日比野だ」
律義に答えてくれる要に感謝をしつつ、僕はじりじりと間合いを自分のものに近付けていく。
「ちょっ、おいっ、何間合い詰めてんだ!? いくらお前がなんか変に変わってるっつっても、相手の様子が――」
……さて。本当にどうしたものか。
魔力も精霊も奇跡も希望もないこっちでは、『剣』の効果は発動しない。そして『剣』の加護がない以上、僕の身体能力は向こうで闘っていたころよりも格段に落ちている。
それでも、並みのプロ格闘家なら歯牙にもかけない程度の身体能力は持っているけれど、それ以上に問題が技術だ。
「何考え込んでんの!? 反応しろよ、おい! ウサギは寂しいと死ぬんだぞ!?」
三年間。闘いの中に身を置いて、闘いの経験はいやという程積んできたけれど、それは結局のところはただの経験だ。……いや、経験だって立派な財産だけど、それは『剣』の加護によって格段に上昇していた身体能力や戦闘技術の下敷きがあってこそのもの。今の僕では使いこなせるはずもない。戦闘技術に関しては、旅の道中王女や聖騎士に習ったこともあったけど、相変わらず壊滅的に才能がなかったため、集中的に習得したもの以外は殆ど身についてはいない。
「動くなっつったりいきなり硬直したり何考えてるんだお前!? いいから逃げろ、って、くそっ、なんかいよいよ空気がおかしくなってきているぞ、おい!?」
つまり今頼れるのは三年間の経験と、多少優れている程度の身体能力、ということになるけど……普通の喧嘩とかならこれでも十分すぎるほどだけど、今の相手……藤代、だったか、今の状態のこいつらを相手取るには正直不安だった。
「ええいっ、くそっ!!」
「……ぇ?」
ひゅおっ、と、風が僕のわきを通り過ぎる。視界の端に要の横顔が通り過ぎて、藤代たちを要の背中が覆い隠す。
「って、要ッ!?」
「っしゃォらぁっ!」
気合い、一閃。
それだけならばちょっとだけ本気になった聖騎士にも劣らない気合いと共に振り下ろされた木刀の一撃は、藤代へと襲いかかった。
ゆらゆらと緩慢な動きでしかなかった藤代はソレを避けようともせず、まともに食らって弾き飛ばされる。
だけど――。
「ッし、手応えは……!」
弾き飛ばされた藤代はまるで獣のように四肢で着地し、今までの緩慢な動きが嘘のように要へと躍りかかる。
「なッ!?」
そのあまりに人間離れした動きに要の動きが一瞬鈍った。それもそのはずだろう。要の木刀は藤代の肩口にすいこまれていった。普通なら、その一撃で鎖骨は折れ、肩の骨も無事ではないはずで、いくら意識があってもすぐには動けるはずがないのだ。
なのに藤代は動くはずがない腕を含む四肢で着地し、あろうことか健常者ではありえない、それ以上の動きを見せて自分へと躍りかかってくる。なまじ、対人の武を習得しているため、要はその動きに戸惑うことしかできていなかった。
「ぃいっ!?」
涎と奇声を発しながら飛びかかる藤代に要の身体が一瞬硬直する。それは闘いの中では致命的な動きであり。
「ジィッ!!」
――逆に、僕が前に出るためには必要な動きだった。
「な……」
ごがんっ! と、まるで岩盤をぶち抜いたかのような衝撃が拳から肩、そして身体全体へと伝わっていく。みしり、と足を踏みつけたコンクリの地面が軋んで、少なくない砂埃が舞い、それらにあおられるかのように、藤代の身体が宙に舞った。
拳には確りと、赤い珠を砕いた感触が残っている。視界の端に移る赤の色は、その結果だった。
――確かに僕には壊滅的に戦闘技術……武術の才能がなかった。それはこっちの世界にいた頃から理解している紛れもない事実だ。だけど、三年だ。三年間も僕は闘いの中に身を置いていたのだ。
いくら『剣』の加護があったからと言って、それだけで戦えるものか。生き残れるものか。
それは素人に毛が生えた程度であった僕ですら理解できることであり、プロであった聖騎士や王女、戦士がわからないはずもない。
結果。
僕はひたすら、才能がないなりの戦闘技術の修練を課せられた。戦っている間も、戦っていない間も、ただひたすらに剣を振って、拳を突いた。
それは技術と呼ぶにはおこがましい、基本中の基本。だけれど三年間。ただひたすらに磨き抜いた剣の一振り、そしてこの拳は、向こうでの三年間が夢でも妄想でもないという証だ。
「そ、総司……?」
「要。こいつらに手加減はしちゃダメだ。額の赤い珠を狙って。ソレを壊せば、後はどうとでもなるから、本気で打ち込んで」
「……もう話さないですまさねェぞ」
「……勝手に巻き込まれに来た癖によく言うよ」
要と背中を合わせる。藤代がいたのは五人の中央。そこに分け入った要と、それを助けに要の前に入った僕は、藤代と入れ替わりに残り四人に挟まれていた。
「……あとさ、木刀の予備とか無いよね」
「あるわけねーだろ」
くくっ、と要が喉を鳴らす。
つられて、僕の口角がつり上がっていくのがわかった。
「やれやれ……じゃあ、怪我しないように」
「無茶言うなっつーの」
僕はこの時初めて――決して逃げると言う選択肢を採用させないよう思考を強制する『剣』に、確かに感謝を抱いていた。
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