だいよんわ
ああ、これは夢なのだと。
彼女の姿を見た瞬間から、理解した。
この世界にいるはずのない、もう二度と会えるはずのない、黄金の髪を持つ、太陽に世界に愛された姫拳士。
彼女は誰よりも輝いて、誰よりも勇猛で、誰よりも強靭で、そして誰よりも敗北を知っていた。
それでも彼女は折れることなくただ己の正義を貫き、国を正し、魔王を倒し、そこを大団円とせずその後も戦い続ける道を選んだ。
その姿に――まるで太陽と見紛うその姿に。僕は憧れて……そして、目をそむけた。僕がなるべきであった姿。僕がそうあるべきであった姿。それから、目をそむけた。
だから今、彼女の隣には僕はいない。彼女の隣にいるべきは、僕の様な光が当たらない星じゃない。月の様に、太陽の光を受けて夜闇を照らしだせる人間だ。
だからあるはずがないのだ。
その太陽の隣に。
笑顔を浮かべる僕が、いるなどと――
――暗転。
視界が黒に塗りつぶされる。
しかしそれも一瞬のことだった。すぐに黒は晴れて、まるで幕が開くかのように視界が開けていく。
やがて視界が回復した時、僕は夜の街を俯瞰していた。
また、夢か。
内心嘆息する。
僕の身体は空にあるようだった。浮遊感が身体を包んでいる。むこうでの旅の終盤で、神の御山に住まうとされる神の使い、大鳥の背に乗った時とはまた違う、妙な感覚。
身体の感覚はない。その上での浮遊感という妙な感覚が、それが夢だと僕に知らしめる。
僕が暮らす街、明宝市。関東圏に属する地方都市であるこの街は、都市、と名乗れるだけの発展はしている。
しかしそれと比例して、夜の街としての顔も持っていった。
風俗街、歓楽街、繁華街……そういったものができ始めたのは僕が産まれる前だと聞いている。そういったものは往々にして、闇を引き寄せる。
――三年前の僕なら一笑に付した物言いだ。僕は一体いくつなのだと、自嘲の笑みを浮かべていたはずだ。
だけれど、向こうで魔王の軍勢と対峙した時――その発端となるのはいつも、こう言った夜の顔だ。夜の顔に見入られたモノたちが闇をひきつれて、光を塗りつぶそうとする。
それはあたかも、夜が必ず訪れるかのように。朝を、昼を塗りつぶしていく。
それに抗うことはできるはずもない。なぜならそれもまた世界の理だと、人の一つの側面だと、あの無愛想な賢者は言った。そう、そうであるのならつまり、『魔王』とは――。
そこまで思考が居たった時、僕の視界が降下を始めた。
落ちる感覚もなくただ視界が動く。
露出過多の女性が描かれた看板を横切り、所々薄汚れたビルの谷間を通り過ぎ、気がつけば、僕が見下ろすのは路地裏の光景となっていた。
繁華街の、路地裏。
向こうの世界では浮浪者や犯罪者、果ては魔に魅入られた者たちの巣窟だったそこは、こちらの世界でも本質的には何も変わらないのだろう。伝わってくる雰囲気が、肌を刺すそれが、かつての敵を思い起こさせる。
……と言っても、これは所詮夢だ。そしてこちらは魔がいない世界。魔法も、精霊も、奇跡もない世界。ならばこの感覚は僕のただの妄想であり、向こうでの認識が強すぎてそういった感を覚えてしまうのだ、と考えるのが普通である。
僕は苦笑し頭を振って(といっても視界は動かなかった)ようやく視界の動きが止まったことを認識する。
視界の下は路地裏。それは変わらない。
しかし、そこには人がいた。まだ十代と思わしき、少年が数人……五人、といったところか。
荒れているようで、一人が業務用のポリバケツを蹴っ飛ばしても誰も咎めようとはしていない。
(……あいつ等は……)
見覚えのある顔だった。
それも、ごく最近――確か、放課後に絡んできた男子生徒たちだ。名前は……と考えたところで、気付く。そう言えば彼らの名前を僕は忘れていたのだった。それでもこうして夢にキャラクターとして出してしまうのだから、僕の潜在意識は一体彼らに何を求めているのか。自分のことながら、考えるだけでも鬱陶しい。
――しかし、そんなことを考えている余裕は、一瞬で霧散した。
「――な」
声が漏れる。実際に発せられたものかはわからないけど、そんなことを気にしている余裕すら、ソレは僕から消し去った。
なぜならば。
僕の目の前で。
五人の男子生徒が、闇に呑みこまれたのである。
飛び起きる。耳に届く雑音に起こされたのだろうか……いや、どうにも違う。
薄暗い中、顔を抑えて……それが自分の荒げられた息だと理解した。
「……ここは」
周囲を見回す。見覚えのない部屋だった。
……数秒の時を要して、ここが自分の部屋だと思いだす。
「おいおい……」
その思考の移り変わりに、思わず笑みを浮かべて頭を抱える。
三年ぶりの部屋。そこが別人の部屋の様に思えるのだから……まったく。
時計を見る。まだ午後十一時。あの放課後の一件の後、そのまま帰宅し、制服のまま就寝したところまで覚えているけど……まあ、眠った時間を考えればこれでも十分に寝た方か。
あちらで落ち着いて寝られたことが殆ど無かったことを考えれば、むしろ破格、奇跡だ……とまで考えて。
「……たかが四時間寝ただけで、何が奇跡だよ」
思わず噴き出して――しかしすぐに引き締める。
夢だ。あの、夢。
繁華街。路地裏。そこにいた五人の男子生徒。そして彼らを包みこんだモノ。あまりに、心当たりがありすぎる符号。
断片的な言葉が浮かんでは消える。
ただの夢。そう思う。そう思いたい。
だけれど――何故だろう。どうしてこんなに胸がざわめくのか。
「……いや、胸じゃない」
その、奥。
もっと深いところにあるソレが、ざわめいている。
「……っ、くそっ!」
このまままた寝ようかとも思ったけど、どうにも胸の奥のモノが騒いで静まらない。いよいよもって、面倒なことになりそうだった。
「なんで帰ってきたその日にこんな面倒な!」
毒づきながら、部屋を出る。両親が海外出張で家にいないため、自宅には僕一人だけだった。まるで他人の家の様に感じる廊下を速足で抜けて、そのまま外に出る。
「……さすがに冷えるな」
秋も半ばだ。昼間はまだ半袖でも十分過ごせそうな気温ではあるけど、夜ともなるとそうはいかない。長袖でも妙な肌寒さがあった。
「え……っと」
頭の中で、地図を思い描く。さほど出歩く性質ではなかったため、仮に三年前でも虫食い状態に近いものであったろうそれは、今この時も変わらないどころかもっとひどくなっている。だけど、大まかな目的地……繁華街ぐらいまでなら、どうにか道順は覚えていた。
「……確か、駅を挟んで向こう側だったな」
ちょうど僕の家は山際の高台にあって、目的地が見下ろせる位置にあった。深夜であるにもかかわらず、妙な明るさをたたえるその場所を見下ろす。
「……」
外に出て、胸のざわめきがまた一際強くなる。気のせいであればどれだけ良いか……頭を抱えたくなるのを我慢して、僕は繁華街へと地面を蹴った。
客を呼び込むキャッチの声や何処からか流れてくる音楽、それらに負けないぐらいの声で話している行きかう人たち……。このツンとした臭いは、アルコールの臭いだろうか。記憶にある昼以上の賑わいに、思わず顔をしかめてしまう。
風俗営業法が改正され風俗店の深夜営業が禁止されて、多少賑わいも落ち込んだらしいけど……僕からしてみれば十分すぎるほどに人通りは多いし騒がしい。眠らない街と言えば東京の新宿だけど、ここだって負けていないぐらい眠らない街だと思う。
……いや、眠ろうとしないのかな。向こうでも、こういった都市があった。江戸時代の日本の吉原の様に、そういった店を一か所に集めたその都市に訪れた時、不快感をあらわにする王女様にあのだらしない聖騎士は笑って言った。
――曰く、人は夜を恐れるのだと。だから、闇の勢力下にあっても自分たちの存在
を誇示するべく、こうして夜でも闇を照らしだすのだと。
……まあ、その恐怖に付け込まれて、いつの間にか闇の軍勢に『浸食』されていたのだから、あまり感心できる話じゃないけれど……思えば、こっちの世界でも、夜を恐れるという人の根本は変わらないのかもしれない。電気が開発される以前からも火という明かりで闇を照らしだしてきたことからも、それが見て取れる。
だからかもしれない。この街に、以前ほどの嫌悪感を抱かないのは。
県の商業区からも少し離れ、ベッドタウンとも言われる明宝市にこのような場所が作られることには、当然様々な問題が噴出した……と聞いている。治安だってそうだし、教育にだって悪影響を及ぼす、なんて批判は当然上がっていたようだ。
そして僕も、その被害にあっていたと言っていいし、目が不自由な絆さんに何かあるかもしれないといつも戦々恐々としていた。
けれど今はそういった感情が浮かんでこない。絆さんに関しては今も変わらないけれど、こういった必要悪のようなものを許容できるようになったのは、向こうの世界で得られた成果の一つなんだろう。
「……でも、これは……」
ぞくり、と、今まで胸の奥でざわめいていたそれが、首筋にまで侵食し始めている。
高校に入学したころだったか、一度要に連れられて、この繁華街にまで来たことはあった。時間帯こそ違うものの、様子自体はその頃とあまり変わっていない、と思う。
だけど何と言えばいいのだろうか……そう、雰囲気だ。向こうでもあのだらしのない聖騎士に強引に誘われては、こういった場所に足を運んでいたけど(その度に何処から聞きつけたのか王女が現れて、ぼこぼこにされた。理不尽だった)、そこで感じたものと今感じているコレはどうも似ても似つかない。
向こうのモノは、あたかも別世界の様な華やかさを演出しようとしていて、雰囲気もそれに準じたものだったように思う。純情な僧侶などは一歩足を踏み入れただけでアルコールの臭いにダウンした上女性の色気に当てられて、ほうほうのていで逃げ出していたけれど。
だけど、この場所で今僕が感じているのは――突き刺すような、決して華やかさと呼べない、むしろその対極にあるような底冷えのするものだった。
これが僕個人に向けられているのならソレをたどることもできたかもしれないけれど、ソレは無差別に振りまかれているようで、辿れるほど強いものではなかった。
幸いというべきか、そこまで強いものでないから、周囲の人間はこれに気付いていないようだけど……ああ、そう考えるとこれが僕の妄想である可能性もあるのか。……本当にそうならどれだけいいのか。
内心でため息をついて、僕はゆっくりと歩を進めた。
「……」
そして、繁華街の中に入っていくにつれて、眉間のしわが深まっていくのを感じた。
――あまりに、視界に映る景色が夢のそれと一致しているのだった。
それがただ建物や看板が似ているというだけなら、まだ昔の記憶をそのまま思いだしているだけともとれるのだけど、キャッチの男どころか通行人の風貌にもいくつか、夢の中にいたようなものがいくつかあった。
一つ二つならまだ偶然で済ませられたのだろうけど、しかしそれが両手両足の指で数え切れないほどになるとさすがに諦めもついてくる。
やっぱり、僕の胸の奥に埋め込まれたソレは、こちらでもその役割に徹して――そして、僕にもそれを強要するつもりらしい。
「……これは、いよいよもって面倒なことになるかな」
思わず漏れた呟きは意外と大きいものだったけど、周囲の人はソレを気にした風もなく夜の街を楽しんでいる。
そのことに一つ安心して、しかし同時に襲ってくる頭痛に顔をしかめる。
この世界でまで、『勇者』の真似事をする羽目になるかもしれないという馬鹿みたいな状況に、正直今すぐにでも帰ってベッドにもぐりこみたいという想いが大きくなる。
……そしてその思いを押しつぶすかのようにますます大きくなる胸の奥のざわめきが、ますます僕を辟易とさせるのだ。
「ああっ、もうっ、どうしてこうなるんだよ……」
「それは私も聞きたいな」
また無意識に漏れ出たのだろう。耳朶をうったその声が僕のものと理解するのと同時に、今度はその返答が後ろから僕へとかかった。
振り向けば、そこに立っていたのは青い制服を着た……まだ年若い男性。その制服がなんだったのかを思いだすのに数秒、その間に青い制服の――制服警官の男性の手が、僕の肩を掴んだ。
「ちょっといいかな、君。それ、学校の制服だよね……その地味さ、確か明宝高校の。こんな時間に何をしているのかな?」
そこで、はと。
僕は自分がまだ制服を着ている事に気付いた。
……ああ、そう言えば今日は帰ってそのままベッドにもぐりこんで、眠っていたのだ……そう、着替えもせず。
「……あぁー」
思わず漏れた呟きも三度目。けれどそれは何かを吐露するものではなく、ただ自分の馬鹿さ加減呆れ返っただけのモノだった。
だけど、僕の真正面にいる警官は律義にもそれに返答を返す。
「何?」
「いえ、何も……ただ、何と言えばいいのか……」
だから僕も返答に困り、ただ言葉を濁すことしかできなかった。
「まあ、詳しい話は交番でゆっくり聞こうか。学校にも話を通さないと駄目だろうしなぁ」
困った様に頭をかきながら、警官が言う。まあ当然かもしれない。制服で夜の街を闊歩するなど補導してくれと言っているような物で、まさか本当に遊ぶ目的で制服を着て真夜中に繁華街にいるのは不自然以外の何物でもない。
……それにしても本当に僕は何をやっているのか。
自分の装備にも気付かず出歩くなんて……と、そこまで考えて逆にさらに落ち込んでしまう。装備って何だ装備って。
いくらこっちに帰ってきた当日とはいえ、気が緩みすぎだった。反省の意味も込めてこのままついていきたい気もするけど、それは子の胸のざわめきをどうにかしなければ無理だろう。
となれば、この状況からどうにかして抜け出さなくてはいけないわけで。
「さ、行こうか」
そう言って、僕の腕を掴み引っ張っていく警官。一瞬このまま気絶でもさせればいいかもしれない、と思ったけど、周囲からの視線に取りやめる。いくらなんでも、剣の加護なしで人目につかないほどの速度で人間を一人気絶させるのは無理だし、第一この状況でこの警官が気絶なんかしたら騒ぎになるのは間違いない。その騒ぎに紛れて逃げる事もできるかもしれないけれど、僕の姿はバッチリ見られているし、近く必ず学校の方にも情報は伝わるだろう。……ああ、考えれば考えるほどこのままついて行った方がいいような気がしてくる。
と、本気でそんなことを考えていると、また背後から声がかかった。
「っと、いたいた……あ、雅さんじゃないっすか」
「……ん?」
その声に反応したのは、僕の腕を掴んでいた警官だった。その横顔を視界に収めつつ振り返る。雅さん、というのか、この人は。
「要君!?」
振り向いた雅さんなる警官が驚きの声を上げる。つられて視線をそちらに移すと、そこには木刀袋を肩に担いだ要が立っていた。
「要?」
「おう、おじさんだ」
にっかと笑う要。知り合いなのか、隣から戸惑う気配が伝わってくる。
「要君までか……こんな時間にどうしたんだ?」
「いやぁ、ちょっと、修行で」
たはは、と後頭部をかきながら、要は言った。
「で、そいつにもちょっと付き合ってくれって俺が呼びだしたんスよ」
「知り合いなのか?」
「ええ、幼なじみの親友です。姉ちゃんが俺よりも可愛がってる。もち、爺ちゃん……お師さんも可愛がってますよ」
「……む」
要のお師さん、という言葉に、雅さんの顔がさらに困った風なものになる。
要の師匠であり祖父である津嶋武は、聞いた話ではあるけど、その道では知らぬ者はいないとすら言われている程の人なのだそうだ。
僕からすれば、いつも仕事で家を開けていた両親に代わり、良く面倒を見てくれた好々爺とした優しいおじいさんなのだけど。
僕も何度か道場に連れていかれたことがあった。もっとも、根本的に才能がなかったため、いつも道場の隅で絆さんと一緒に修行風景を眺めているだけだったけど。……もしかすれば、雅さんもその中にいたのかもしれなかった。
「参ったな……」
「こいつはこんな夜遅くに遊び歩くような奴じゃないですよ。俺が保証します。だからこの場は見逃してくれませんかね」
「そういうわけにもなぁ……」
申し訳なさそうに要が言う。
雅さんはしばらく顎に手をやった後、大きく息をついた。
「……まあ、先生のお知合いを補導するわけにもいかないか……」
「さっすが雅さんだ! 話がわかるぜ」
「そういう問題じゃないぞー」
もう一度ため息をつく雅さん。
「とりあえずだ、今回は見逃すがな、明日以降また見つければもう駄目だからな。よく言っといてくれよ、要君」
「ういっす」
不格好な敬礼を返す要に、雅さんはしかし苦笑を浮かべるだけだった。
そして僕の肩をぽんと叩いて、踵を返して手をひらひらと振る。
「君も絆君を悲しませるようなことだけはするなよ。彼女は僕たちのアイドルみたいなものだからなぁ」
……一瞬、むかっとしたのは秘密だった。




