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だいさんわ




 僕こと本郷総司は、津嶋絆に惚れている。

 それはもう、彼女の弟であり鈍感を絵にかいたような男である要をして、べた惚れと言わしめるほどに惚れている。

 だから僕にとって、こっちに帰ってくるのは確定事項であったし、向こうの事など正直どうでもいいことだった。

 僕が魔王を倒せたのも、一重に彼女に会いたいという僕の『希望』を『希望の剣』が受け取ったからであり、言わば彼女こそが向こうの世界を救った勇者なのである。

 ……なんてじかに言えれば格好がいいのだけれど。

 実際その内容には欠片も間違いはないし、向こうの世界にだって欠片も未練はない。あるとするのならば最後まで僕に付き合ってくれて、そして最後には僕を笑顔で送り返してくれた仲間たちへの想いぐらいなのだけれど、魔法も精霊も奇跡も希望もないこっちの世界ではそれを届けることもできないわけで。

 だから今考えるべきはこっちの世界の事――なわけなのだけど。


「……恥ずぃ……」


 先ほどまでの醜態に僕は既にノックアウト状態だったりするわけで。


「……やばい恥ずいぃ……」


 フェンスに背中を預けて、頭を抱えてうずくまり今にもゴロゴロと転がり出しかねない僕の様子は、はっきり言って不気味以外の何物でもないだろう。

 とはいえ幸いというべきかどうか迷ってしまうのだけど、絆さんはもう校舎へと戻っていて、屋上には僕一人となっている。どうやら本当に様子を見に来ただけらしい。きっとあの人の中では僕はまだ弟のままなんだろうなぁ、等と思考がどんどんネガティブ方面に入っていくのを自覚しながら、しかしそれを止める術は僕にはなかった。

 あっちに召喚されていた三年間で、色々と経験をしてそれなりには成長したかとも思うけれど、やっぱりこういう根本的な部分は変わらなかった。腕白なお姫様はどうもこの部分が気に入らなかったようで、何かと矯正しようと頑張っていたみたいだ、というのは女好きの聖騎士の言である。


「……誰もいなくてよかった……」


 何故かこの学校の屋上は生徒が寄り付かず、不良の溜まり場ともならず、人気のない絶好のサボり場所となっている。今も屋上には僕一人しか存在せず、屋上にはグラウンドから聞こえてくる運動部の掛け声が響いてくるだけで、それも怒号悲鳴が嵐のように吹荒れる戦場のただ中にいた僕にとってみれば鈴虫のさえずりの様なもの。まったくもって静かなものだ。

 だから悶々とはずかしがれるわけで、逆に言えば何もないからどんどんネガティブな方向に悩んでいってしまえるわけで。


「はぁぁぁぁぁぁああ……」


 このままどんどん背を曲げていってしまえば、体育座りしている足の間を通って額がコンクリの床にくっついてしまうというところで、僕は盛大に息を吐いて気分を入れ替えようと試みる。

 鉄製の扉が開いて、制服をだらしなく着崩した男子生徒数人が、屋上に姿を現したのはそんな時だった。


「おう、ホントにここにいんのか?」

「屋上に上がってったのを見た奴がいるんだよ」

「ちっ、手間ぁかかせやがってよぉ」


 どやどやと騒がしいそちらに目を向けて、僕はどこかで見たことのあるような顔にふと眉をひそめた。

 元々友達と呼べる人間は要以外片手で数えるほどであるし、クラスメイトとだってさほど話した記憶もない。帰ってきた直後の山形先生とのやりとりでこちらを見てきたクラスメイトの顔も、懐かしいそればかりではあったけれど、ただ懐かしいというだけで名前も浮かんでこなければ親愛の情なども当然浮かんでくるはずもなかった。

 それだけ向こうでの三年間が濃密に過ぎて、そしてたった三年間で記憶が薄れきる程に、僕が彼らに関心を持っていなかっただけということだ。

 だと言うのに、ずかずかと屋上に入り込んできた彼らに、僕は一瞬不快感を覚えた。それは彼らが持ってきた騒音に対してのものではなく……そう、古い記憶により喚起された感情だ。

 そうして記憶がよみがえるよりも、早く。


「おっ、いやがったぜ」


 彼らは僕に気付いた。


「ったぁく、探したぜぇ、本郷ちゃぁん」


 猫なで声で近づいてくる、彼ら。

 ここに至ってようやく、僕は彼らの事を思い出していた。

 そうしてさらに暗澹としていく気分を抱えながら、ゆっくりと立ち上がる僕の顔の横を、先頭を歩いていた男子生徒の腕が通り過ぎてフェンスを掴む。ガシャン、と耳障りな音が背後から響いて、僕の眼前ににきびが点在するお世辞にも美男子とは呼べない顔が接近した。

 向こうで知り合った男性の殆どが美少年だったり美青年だったり美中年ばかりだったので、ある意味で新鮮だった。

「よぉお、本郷ぉ……こぉんなところでなぁにしてんのぉ?」

 顔を近づけ、臭い息を吐きかけながらにまにまと気持ち悪い笑みを浮かべる男子生徒。その肩越しに、同じような笑みを浮かべた男子生徒が四人、佇んでいる。

 一応進学校の部類に入るこの高校には、いわゆる不良と呼ばれる人種はいない。だけれども、『もどき』はいる。

 不良にも一般生徒にもなりきれない中途半端な存在。それが彼らだった。

 ――と言いつつも、以前はそんな彼らにさえ、僕は虐められていたのである。その忘却の彼方であった記憶の中の情けない僕の姿に、自然と顔が強張った。確かにこれは、あの王女でなくても苛々するに違いない。事実本人である僕ですら、過去の自分に苛々とした感情を抱いている。

 ……そしてそこまで考えて、僕の気分はさらに下降する。何を馬鹿なことを考えているのだ僕は。

 そのあまりの馬鹿さ加減に、無意識にため息が漏れる。


「ぁあ?」


 そしてその思わずもれたため息に、僕へと顔をつかづけていた男子生徒の顔が歪んだ。


「なぁにため息ついてんだコラ。テメェ、立場わかってんだろぉな、ぁあ?」


 巻き舌気味に、絡んでくる男子生徒。

 すごんでいるのはわかる。そして三年前――彼らからすれば昨日までの僕なら、これが出る以前にもう刃向かう気力も無くしていたはずだった。

 ……はず、なのだけれども。

 あの地獄を経験してきた今の僕にしてみれば、それはまるでおままごとの様で。

 気がつけば僕は、さらにもう一つため息をついていた。

 そしてそれは、彼らにとってみればそれは挑発以外の何ものでもなかった。


「てめっ――」

「どけてくれないかな」


 気色ばむ男子生徒の言葉をさえぎって、僕は、僕の身体をフェンスに押しつけるようにのばされた手を力任せに払った。

 バヂィッ、と鈍い音がして、弾かれたように男子生徒の腕が僕から離れて、


「ぐぁっ!?」


 悲鳴をあげて、弾かれた腕を抱え込む。まあ、折れた感覚はなかったし、フェンスを掴んでいた指が千切れなかっただけマシなんだけど……当然、彼らはそうは思わないだろう。


「テメェッ……!!」


 腕を抱え込む男子生徒からはもとより、僕が絡まれていた様子をにやにやと眺めていた残りの男子生徒たちからも、怒気が発せられた。――だけれど、それも僕にしてみればそよ風にも及ばない程度のもので。


「……面倒くさい」


 心底、僕はそう呟いた。

 正直もう、何もかもが面倒になりかけていた。

 向こうで僕は成長した。それは間違いはない。だけれど別人になったわけでもなく、絆さんを前にしてみれば以前の僕と何ら変わりはない。だというのにこういうのを前にして自覚するのは、やっぱり自分は変わってしまったという事実だ。

 このアンバランスさをどうすり合わせていけばいいのか。

 そういった意味でのこの発言だったのだけど、彼らにとってみれば別の意味で聞こえただろう。


「このッ……!」


 先の僕の発言に、いよいよ彼らの顔は醜悪に歪んでいた。そして僕はといえば、その切欠となった発言の意味を解説する気もなく――


「本郷の分際で何してくれてんだコラァッ!?」


 彼ら――名前も思い出せない男子生徒達の怒りが爆発するのも、自明の理というやつだった。


「何とか言ったらどうだ、ええっ!?」


 腕を抱え込んでいる男子生徒と入れ替わり、別の男子生徒が一人、僕の胸倉をつかみ上げる。ボタンがいくつか弾け飛んで、コンクリの地面を転がった。

 それを視線で追って、後で拾わないと、と内心息を吐く。ここでもしシャツの下に気付いて、怖気づいてくれればいいな、なんて思っていたけど……どうやらそれも、希望的観測だったようだ。


「……」

「んだぁっ、さっきの威勢はどうしたよ、あぁっ!?」


 端から見れば、今の僕の状態は委縮しているようにしか見えないだろう。先ほどまで僕に絡んでいた男子生徒も、ようやく痛みが治まってきたのか、怒りの色を目に宿しながらもこれから感じられるだろう弱者をいたぶる快感を思ってか、笑みを浮かべていた。


「……それに付き合う義理は、ないよなぁ」


 だけれど、その通りだ。

 僕は僕の胸倉をつかむ腕を握り、ゆっくりと力を込めていく。


「……ぁ? お前みたいなモヤシに、何が―――が、ぁあぁあっ!?」


 三割も力を入れていないところで、男子生徒の顔色が変わり――


「な、が、や、あああああああっ! は、離せええああああっ!!」


 そこから悲鳴を上げるのは、さほど時間を要しなかった。


「……」


 それを見て、本当に最初から全力で行かなくてよかったと内心安堵する。この程度でもう悲鳴を上げるのなら、最初から全力を込めていれば、下手をすれば腕を握りつぶしていたかもしれない。また心労の種が一つ増えたのを実感して、さらに陰鬱としたものが心の奥底に沈澱していく。


「て、テメェ、何してやがる!!」


 そこでようやく、男子生徒の悲鳴に呆気にとられていた他の男子生徒たちが我に返った。


「何、って」


 僕は自分の掴んでいる手を見下ろす。僕の胸倉を掴んでいた男子生徒は既に膝をついていて、まるで僕に引き上げられているかのような格好だ。さほど力も入れていないのに……本当に、面倒臭い。


「ただ、握っただけだよ」

「に、握っただけでそんな風になるかよ! 離せっつってんだろうがッ!」


 いつ? と問い返す前に、他の男子生徒が殴りかかってきた。

 ああ、と声を漏らす。

 それは落胆でもあり、そして憐れみでもあった。


「……」


 一瞬で思考がクリアになり、戦闘状態に移行する。全ての悩みは消え去って、ただ魔物と戦う『勇者』が僕となる――前に。


「はーい、そこまで」


 僕の眼前で、男子生徒の拳が止まった。

 その手首を、途中で掴んでいる手が見える。それをたどり――そこにあった顔に、僕は小さく息を吐いた。……やっぱり、お前だったのか。


「……要」

「おう、要さんですよっと」


 おどけたように、要が肩をすくめた。

 しかし対照的に、要に腕をつかみとられた男子生徒はもとより、今にも僕に飛びかかろうとしていた奴らも、突然の来訪者に驚き戸惑っている。


「な、津嶋……!?」

「なんでこんなところに!? 部活の途中じゃぁ――」


 要は剣道部に所属していて、本来ならば今の時間は部活動中であるはずだった。剣道部顧問である山形先生はサボりを絶対に許さない人である為、剣道部員は余程の事がない限り剣道場にいるはずで――要がここにいるはずが、ない。

 ……彼らは知らないのだろう。要が剣道部に在籍する折、山形先生の呼び方を含めて部活動に己の時間を制限されたくない等の条件を出し、山形先生含めた当時の剣道部員全員との立ち合いで、それを勝ち取っていたということを。


「お前らが総司を探してるって聞いてな。慌てて探しに来たんさ」


 くっくと笑って、要は答えた。と、その目が細まり、僕と僕が掴んでいる男子生徒の腕を見る。


「……ま、その必要もなかったみたいだけどなー」

「そうでもないよ」


 要の言葉に肩をすくめて、僕は掴んでいた腕を放した。とたん、僕に腕を差し出すように男子生徒がうずくまり、うめき声を上げる。

 その腕には僕の手形がくっきりと残っていて、どれだけの力で握られていたのか容易に想像がつきそうだった。


「どこが?」


 おどけるように、だけど目だけは笑わずに、要が言った。

 僕は口元に笑みを張り付けて、答える。


「も少しで折るところだった。止めてくれてありがとう、要」


 ひゅっ、と何か悲鳴ともつかない声が漏れる。それは足元から聞こえたモノで――同時に、今まで色めき立っていた男子生徒たちも顔色が変わり始めていた。

 ……ようやく、この異様な空気に気付いたらしい。

 しかし、最初からそれに気づいていた要はと言えば、何ともないように苦笑を浮かべていた。……いや、その木刀が入った木刀袋を握りしめるその手を見れば、そう振舞っているだけだというのは一目瞭然なんだけど……。

 だけど要は、きっと僕が気付いているとわかっているのに、そう精一杯振舞っているのだった。それに――僕は、少し救われた。


「やな礼だよなぁ、それ」

「はは」


 だから、何ともないような要の物言いに、僕は笑う。

 要もつられて笑おうとして――だけどもう限界だったのか、失敗したのだろう、顔が妙な形に強張っている。それに気づいたらしく、要はうめき声を漏らして、頭をガシガシとかきむしった。


「……それが、心の持ちようが変わっただけ、か?」

「……」


 その問いに、僕はまた、何を言えばいいのかわからなくなる。それは昼間の理由と同種のモノではなく――ただ、要に『そう』とみられるのがいやだったから。ただ、それだけの理由。


「わからない」


 だから僕は、笑ってはぐらかす。

 そうして、僕は要がまた何かを言う前に、踵を返した。


「要。あと、任せていいかな?」


 後ろで、衣擦れの音がして――だけど途中で、止まった。立ち上りかけたナニカも、止まる。


「……おいおい、後始末かよ」


 そうして聞こえてきたおどけたような要の答えに、僕は肩越しにひらひらと手を振ってみせた。


「初めから見てたんだ。それぐらいはやってくれよなー」

「……っ」


 要が、息を呑む。

 皮肉を言ったつもりはないけれど……だけどそれは紛れもなく、要にとってみれば皮肉に違いなかった。言った後で浮かび上がってくる自責の念を、唇を噛んでやり過ごす。

 ホントに……言わなければよかった。


「……ちぇっ。わぁーった、やっとくよ」


 要のわざとらしい陽気な声と、頷く気配にいくらか楽になって、僕もまた、小さく笑って言った。


「うん、よろしく」

 




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