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だいじゅうろくわ




 走る。走る。ただひたすら、走る。

 この世界に帰ってきて一度も出していなかった全力で、ただあの場所目指して走り続ける。

 きっと今の僕の速度は、人の域からはもう離れているに違いない。追いぬいた、すれ違った人からは驚愕の様な声が聞こえてきたし、途中追い抜いた単車からは悲鳴のようなものも聞こえてきた。

 それでも足を止めない。緩めない。

 子どものころからずっと登り続けてきた長い石段を、全速力で駆けあがっていく。

 子どもの頃はこれを登りきるまでにどれだけ急いでも三十分以上の時間がかかったものだけど、この調子なら五分とかからずに目的地につけるかもしれない。

 しかも、要のおかげで『剣』の力が少しは加わっているのか、思ったよりも体力の消耗は少なかった。……これなら。


「っ……!」


 やがて、頂上が見える。まるで時代劇にでも出てきそうな武家屋敷を囲む、高い塀と重厚な門がその先を閉ざしている。文字通り入門試験としても使われる、片方百キロを超える両開きの門である。

 だけど、それが。


「……」


 僕が正面に立つなり、まるで僕を招き入れるように、ゆっくりと開いていく。そうしてできた隙間からは、今までとは比べ物にならないほどの猛烈な『浸食』の気配が漏れ出ていた。


「よく来たな」


 やがて両開きの門が、全て開け放たれる。そこに立っているのは、白衣を着た女性だった。


「……鞠川、先生」

「ふん……」


 女性――まどかさんが、鋭利な切れ目で僕を見据えている。その身体から発せられるのは、間違いなく『浸食』の……山形先生と同種の気配。

 ……だけど、彼女は違う。


「まず、貴女から倒せと……そういうことですか?」


 僕の言葉に、まどかさんは、は、と嗤った。


「言うようになったじゃないか、あのモヤシが。……でも、違う。あたしは立会人だ。……坊も一緒に来れば、あいつの相手をしてやっていたがね」


 そう言って、まどかさんが踵を返す。


「……」


 それに続いて、僕も門をくぐる。視界の隅に、表札が横切った。暗くて文字は良く見えないけど、そこにはこう書かれているはずだった。


 ――津嶋、と。


「こっちだ」

「一々言わなくていいですよ。……覚えていますから」

「そうか」


 振り返りもせず、まどかさんは進んでいく。

 正面玄関を横切って、小山の側面に建てられた武家屋敷の裏手へと進んでいく。

 そこにあるのは、少し古ぼけた道場だった。

 ――そして、彼女と初めて出会った場所でもある。

 僕にとって……ある意味で、始まりの場所。とてもとても思い出深い場所だ。


「入りなさい」


 その中へと続く引き戸の傍らに立ち、まどかさんが顎をしゃくる。


「あんたの相手がお待ちかねだ」

「……」


 まどかさんに促されて、引き戸に手をかける。扉越しから伝わってくる気配に、『剣』が痛いほどに反応している。……間違いは、ないようだった。


「っ……」


 扉を開けた瞬間、ソレは吹き荒れて、僕を呑みこむ寸前に道場の中央へと収束していく。それはあたかも、あの最終決戦の時の獄炎のように。


「……」


 小窓から月明かりが差し込むそこは、僕の薄れきった記憶を呼び覚ますには十分だった。そして、その光景は、学校の武道場と殆ど同じで――あまりにも、昨晩の夢で見た光景に酷似していた。

 ……いや。誤魔化すのはもうやめよう。

 

 ここが――夢で見た、あの光景の場所だ。


「……」


 叫びだしたくなるのをこらえて、僕は一歩足を踏み出す。

 同時に背後で扉が閉まった。道場の内部に気配はない。まどかさんは外なのだろう。……まさしく、『番人』だった。ソレが彼女が望み、そして彼女が受け入れた役割。

 攻めるつもりはない。むしろ、感謝したいぐらいだった。彼女は『浸食』を受け入れている。ということは、彼女はもうこれから僕が相手をしなくてはならない敵の下僕となったということだ。一対一でも勝てるかどうかわからないのに、二対一では完全に勝機が無くなってしまう。

 ソレがわかっているから――彼女はわざと『浸食』を受け入れて、この役割に徹していると考えるのは……ちょっと、人が良すぎるのだろうか。


「……」


 一瞬止めた足を、また動かす。

 ぎしっ、ぎしっ、と足を進めるたびに、真白で真黒な道場に軋む音が響いた。

 ……そしてまた、その音が止まる。

 僕の前――三メートルほどの距離に、その人はいた。

 彼女は僕に背を向けていた。でも、ソレが誰だかはわかる。ずっと見てきて、ずっと夢見てきていた、その姿。その背中。見間違えるはずがなかった。


「……絆さん」


 津嶋、絆さん。

 津嶋要の姉であり――僕の、好きな人。


「よく……きたね」


 彼女が、振り返る。

 その顔は、僕の記憶と――今日の昼間に見たまったく違いはない。だけど何故だろうか。僕には、彼女がまったくの別人に見えた。


「聞いていい?」

「何を?」


 彼女が小首をかしげる。その仕草一つ一つも、何の違いもない。なのにまったく違うように見えてしまう。


 ――そしてその理由を、僕はとうに理解しているのに。この期に及んでまだ、僕は彼女を信じようとしている。


「昨日の朝は、……それから、今日の昼は、どうして?」

「ふふ……」


 彼女の笑みが、まるで僕の内心を見透かしたように見えてしまうのは、きっとそれを僕も理解しているからなのだろう。


「まだあの時は、この身体を完全に支配下におさめられていなかった。あれは間近でおこった『浸食』に当てられたわけではなく……ただ、この身体の持ち主に強く抵抗されていただけだよ。……そして存外、この身体の持ち主は素晴らしいな。膨大な『闇』を抱えているにもかかわらず、『私』に一時打ち勝ってみせた。今日の昼は、ソレだよ」


「……」

「まあ、今となってはどこまでが『私』で、どこまでが『私』なのか今一わからないのだけどね……。君なら、わかるかな? ――『勇者』?」


 その言葉が、僕の最後の堤防を突き崩す。頬に流れる温かいものを感じながら、僕の口は自然と動いていた。


「『魔王』……!」


 それは、彼女が……絆さんこそが、この世界の『魔王』の素養を持つ人だった、というだけの話。

 そして僕がこっちに帰ってきてから最初に触れた人が、彼女だったと言うだけの話。

 ――結局のところ、僕が原因だったというだけの話。


 そして――気付く。

 絆さんの声に重なる、覚えのある声に。

 聞き間違えるものか。この声は、この声だけは――!


「……僕がこちらに帰ってきたから……お前もこっちに来たってことか!」

「くくく……」


 何故ならそれは、あちらの世界で――僕がこの手で倒したはずの、あちらの世界の魔王の声なのだから!


「貴様の中の『剣』と『私』は表裏一体……その『剣』のある場所には私も必ず存在する。おかげで、こちらの世界の『私』を吸収でき、復活もできた……貴様には、礼を言わなくては……ならんなぁ?」

「ッ……!」


 胸の中央に拳を乱暴に当てて、『剣』を引き抜く。


「なら――!」


 要一人の『希望』で作られたそれは、確かに見てくれはみすぼらしいものだった。でも、針のような細さに刃すら数センチ程度のみというその剣は、今まで振るってきたどの剣よりも重く信頼のおける『剣』だ。


「――お前をまた倒して、終りだ!」

「できるかな……?」


 魔王が笑みを浮かべる。僕の記憶のそれと寸分の違いもない、優しげな――慈愛あふれるその笑みを。


「私を殺せば――貴様の想い人も死ぬぞ?」

「……それが、僕の『義務』だ」


 『希望の剣』を宿す『勇者』に、元より自由意思など存在しない。『勇者』にはただ『希望の剣』を振るう事のみしか許されない。

 ……だから、僕ができるのはただ剣を振ることだけ。ただ――『魔王』を斬ることだけだ。

 そんな僕の返答に、魔王はつまらなさそうに鼻を鳴らす。


「ふん……所詮は世界の操り人形か。……そのような体たらくの『剣』で良く吠える。犬の方がまだマシだぞ、勇者」

「その犬以下に、一度敗れたのは誰だったかな?」

「ハッ……あのようなモノ、奇跡にすぎん。そして奇跡は二度と起こらんから奇跡というのだ」


 大仰に手を広げて、魔王が嘲り笑う。

 その手に『闇』が集まり、蛇がのたくったような杖が出現する。


「くっははははは……この世界は、いいやこの体は良いなぁ、勇者。『闇』が満ち満ちているぞ。一体どれほどの絶望に身を浸らせ続けてきたのだろうなぁ」


 その顔にどこか恍惚とも見える笑みを浮かべる魔王。

 ああ、そうだ。それが僕の罪だ。

 絆さんにさんざ希望を持たせ続けておいて――結局、裏切り続けてきた僕の罪だ!

 


「……」


 自然、『剣』を握る力が強くなる。

 この世界には魔力はない。だけど、『闇の軍勢』の源となるマイナスの感情は満ち溢れているはずだった。魔法の真似事ぐらいはやってくるに違いない。

 対し僕はといえば、『剣』にこもっている要一人の『希望』のみ。世界に対し、一人で戦いを挑むようなものだ。まったく……笑いだしたくなるような、戦力差だよ。


「……でも――」


 『剣』を、構える。肩に担ぐような構え。僕の基本形。


「――『希望』は確かに、ここにある」


 ならば。


「それを叶えるのが、勇者様――らしいんだよ、魔王」

「ならばその矮小な『希望』ごと、貴様を消し去ってくれる!」


 言うと同時に、魔王が杖の先端を僕に向ける。そこから迸るのは、向こうで僕をさんざん苦しめてくれた魔法の獄炎だ。向こうでのものと比べれば劣るけど、それでも向こうの並みの術者が放つ魔法とは比べ物にならない威力を持つソレは、『剣』の力の殆どを刃へと変換している今の僕など容易く灰へと変えてしまうだけの威力を持っているだろう。


「ォオォッ!」


 故に、簡単に食らうわけにはいかない。『剣』を薙いで目前へと迫った獄炎を斬り払い、開かれた隙間に身を滑らせる。

 そしてそのまま、一気に魔王へと肉薄しようと下半身に力を込め――


「ふん……この程度か」


 ――それよりも早く、魔王が動く。自らの魔法の威力にか、僕のかつてのそれと比べて格段に劣る動きにか、はたまたそれ以外の何かにか毒づきながら魔王はまた杖を一振りする。


「まあ、魔力もないこちらの世界では仕方あるまい。それでも、貴様を屠るには十分すぎるというものよ」

「ッ、ちぃっ!」


 今度は目に見えない空気の圧力が僕を襲った。『剣』を盾に何とか踏ん張ろうとするけど、こらえられたのはほんの数秒。抵抗むなしく僕は吹き飛ばされて、道場の床をゴロゴロと転がった。


「っ、くぅっ……!」


 身体を丸めながら息を吐き出し、受け身をとりつつ立ち上がる。


「ほれほれ、逃げぬと死ぬぞ」


 そこに振りかかってくるのは氷の槍だ。僕の身体に当たる軌道の物のみを『剣』で斬りおとしつつ、必死に足を動かし動き続ける。

 普通ならば広すぎる道場内だけど、魔王を相手取るには狭すぎた。何せ、魔王が立つのは道場の中央。そこからならば、道場の全域からの『闇』を『絶望の杖』は吸い取り魔力へと変換することができる。

 ――『絶望の杖』。『勇者』の『希望の剣』と対極にあるソレは、魔王を『魔王』とたらしめる『闇』の象徴だ。

 ――つまり。


「それさえ、どうにかすればッ!」


 道場内を所狭しと駆けまわり、刹那の隙を見計らう。


 振るわれた風の刃が右頬を切り裂いて、生温かいものがどろりと流れ出していく。


 岩のつぶてが左肩を掠って、骨が砕けたような激痛が脳を刺す。


 雷の閃光が腰を突き刺して、じゅぅっ、と肉の焦げた臭いが鼻腔を突きぬけていく。



 ――それでも、僕は止まらない。



 この狭い戦場で、足を止める事はすなわち死だ。そして僕が死ねば――それは、絆さんが死ぬことと同義なのだ。


「約束――したんだッ!」


 だから、だから、だから――!


「諦めて――」


 床を蹴って、唯一動く右腕に『剣』を持ち。


「ぬぅ――!」


 魔王の手に現れた水の剣が僕の左肩を貫く。

 脳内がスパークするかのような激痛が体中を駆け巡り、目の前が真っ赤に染まった。


 ――だけど。


「――たまるかぁぁぁああっ!!」


 体は、まだ動く!


「あああああああああああああああああ―――――ッッ!!」


 右腕を伸ばす。魔王の剣が届く距離――つまりは僕の剣も届く距離。意識を必死に繋ぎとめて、気力を振り絞って『剣』を伸ばす。


「……く」


 だけど。


「――くは」


 僕の耳に届いたのは、魔王の苦悶の声ではなく。


「くははははははははははははははははははっ!」


 嘲笑、だった。


「ざァン念だったなぁ、勇者ァア?」


 僕が伸ばした剣は魔王の――絆さんの胸の、すぐ前で止まっていた。本来ならそこは僕の間合いのはずだった。かつての世界、向こうでならば確実に仕留められた距離のはずだった。

 だけど、この世界では――『希望の剣』は、ほんの数センチにも満たない短さでは……!


「ははははは、こちらの世界は貴様に優しくはないようだなぁ、勇者ァ? 私にはほら、こぉんなに力を与えてくれているというのに!」


 もがき、何とか距離を埋めようとする僕の四肢を、焔の鞭が繋ぎとめる。嬲るつもりなのか、燃える事はなかったけれど――それでも、常人には耐えがたい熱量が、僕の四肢をじりじりと焼いていく。


「ぐっ……ぅぅぅううっ!!」

「ククッ……苦しいかぁ、勇者ァ?」


 奥歯がかけるほどに歯を食いしばっても漏れ出ていく僕の苦悶の声に、魔王が絆さんの顔を醜悪に歪ませる。


「あと一歩であったなぁ……くく、たかがそれだけの『希望』で、よくも戦ったものよ。こちらの世界では、敵ながら天晴というのであったか? くはははは!」

「ぐぅ……!」


 手の感覚が消えかけていく。それでも、『剣』だけは離さない。これは希望だ。他の誰でもない――僕自身の、最後の希望だ。


「絆……さんっ……!」

「ふ、今更呼びかけか? だが無駄だ。既にこの身体の主はこの『私』だよ! 貴様らが学校とやらでぐずぐずしている間に、乗っ取ってやったわ!」

「っ……!」


 こぼれそうになる悲鳴を、歯を食いしばってせき止める。まだだ。まだ終わっていない。これぐらい、向こうで何度も耐えてきた。今度だって耐えられる。


「絆さん……!」

「くははははっ、良い様だ、勇者ァッ! このままじわじわと焼き尽くしてやろうか? それとも、指先から寸刻みにしてやろうかぁ? 私をこの世界に連れてきてくれた礼だ、すぐには殺さず嬲り尽くしてくれよう! くっはははははははっ!」

「ぅ……き、ずな……さん……!」


 指先の感覚は既にない。むしろ、繋がっているのかどうかすらわからなかった。

 でも、それでも――


「――護る、から……」

「……ん?」

「護るから……!」


 ――それでも、死んでもこの『剣』だけは放さない。約束したから。絶対護るって、約束したから。


「約……束!」


 約束。昔の、約束。

 今日までずっと、ずっとずっと、果たせなかった約束。果たす事ができなかった、約束。

 でも、今なら。今なら僕は、貴女を護れるから。


「今度こそ貴女との約束を守るからぁっ……!」


 ――貴女に見える世界を……きっと変える事ができるから!


「もう一度――!」


 僕を――。


「信じて……ください……!」


 あらん限りの力で、喉を震わせて。

 それだけを、言い切る。

 既に視界は殆ど無くて。

 見える色は、赤の一色。

 それでも不思議と――


「ふん……何を言うかと思えば――何?」


 ――絆さんの微笑みだけは、見る事が、できた。


「何、きさ――……覚えて、いるよ……」


 ゆっくりと。だけどはっきりと、その言葉は僕の耳に届いた。


「馬鹿なっ、どうしっ――私は、君を……」


 魔王の狼狽する声と重なる――僕が聞き間違えるはずのない、その声。

 最後の力を振り絞って、喉を震わせる。最後、これが最後でいい。お願いだ。『剣』。僕の、最初で最後のお願いだ。


「だからっ、貴女の『希望』をっ……僕に……ください……!」


 僕の『希望』は聞き届けられて。


 貴女の、『希望』は――


「私の、願いは……」


 視界から色が消えていく。真っ赤な色も、真っ黒な色も、全部、真っ白に染まっていく。


 それは――決して、僕が意識を失ったというわけではなく。



「やめっ――私は、君と……」




 ――一緒に、生きたいよ。





「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」





 『希望』が、届いたというだけだった。





次が最後です

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