だいじゅうごわ+
目を開く。
広がる世界は、一瞬前のものと同じだ。
たかがあいつともう一度会ったからといって、そうそう変わるものじゃない。
「総司!」
「要……」
道場の中央では、要と山形先生が未だ竹刀と木刀を何度も重ねていた。そのたびになる甲高い音が、道場内の空気をびりびりと震わせている。
要はほんの一瞬だけ僕に目線を向けて、そして首筋を狙って放たれた竹刀をバックステップでかわし、僕のところまで下がってきた。
……何故か山形先生はそのままその場所にとどまり、竹刀を下段に構えたまま僕らを見据えている。
「ごめん、要。大丈夫?」
「ああ、俺は大丈夫だ。いきなり黙り込んだんで心配してたんだぜ?」
……どうやら僕は立ったまま精神世界に入り込んでいたらしい。
「ああ、ちょっと、ね。それと……」
「どうした?」
油断なく木刀を構えたまま、要が目線だけで聞いてくる。
……ごめん、要。
「……ここ、任せていい?」
「……ぁん?」
要の声に、驚愕が混じる。
無理もない。いや、むしろそれは当然だ。……それは、要にとって死刑宣告にも等しい頼み事なのだから。
山形先生は完全に『浸食』されている。幸いと言っていいのか、珠は胸板のちょうど中央あたりに見えているので、『希望の剣』が無くても解放することはできるだろう。
でも、今の山形先生はただの『番人』じゃあない。魔法や精霊術、奇跡という助けがあった向こうでさえ何度も殺されかけた魔将軍に近い存在になりかけている。……僕ですら辛い相手だ。要には荷が勝ちすぎると言っても間違いじゃあない。
……それでも、勝算がないわけじゃなかった。
珠はむき出しだ。そして意識がある上、山形先生は剣士として要に戦いを挑んでいる。その理由はわからないけど、そこに勝機はある。
「お前……」
「わかってる。でも、時間がないんだ。これに気付けなかったのは僕の責任なんだ。だから……ごめん、要。頼む」
「……まさか」
要の顔に理解の色が浮かぶ。
……いや、要も最初から疑っていたのかもしれない。最悪か、それよりもちょっとマシな最悪か。先にマシな方の想像があたっていた。だから、本当の最悪の可能性を考えないようにしていたのだろう。……僕と、同じように。
だから。
「わかった」
要は、承諾した。
「要……」
「バーカ。んな顔すんなっつーの。元々、ここにいるのが誰であろうと俺が相手するつもりだったからよ」
それに、と要は笑う。
「ここを任せてもらえるっつーことはだ、ようやく俺も勇者様のパーティの一員になれたって事だろ? これほど光栄なことはねぇだろ」
「要……」
「気にすんな……っつーのはまあ無理だろうが、お前はもっとヤバいの相手にしに行くんだろ? ……なら、これぐらいはやってやれねェと何より俺が俺じゃなくなるんだよ。……それに、言ったろうが」
そう言って、要は山形先生を見据える。
その目に宿っているのは、昨日の、あの夕方に見たものと同じだった。
「俺は何があろうと、お前を応援するんだ、ってな。……頑張れよ、相棒。俺の『希望』、お前に預けるぜ」
「……ありがとう、要」
その言葉に背中を押されるように、僕は武道場を飛び出した。背後からは何も聞こえない。聞いてはいけない。
要の無事を信じて、僕は足を限界まで速めた。
―――とある侍もどきの闘い
「ありがとうよ、待っていてくれて」
木刀を下段に構えて、要は言った。それに、山形は相変わらずの能面で答える。
「生徒同士が友情を交わしているんだ。それを止める道理が何処にある」
「……あんた、本当に『浸食』くらってんのか?」
思わず要は聞き返すが、返ってきたのは無表情でならされた鼻の音だった。
「ふん……。さて、な。思考はいつになく澄んでいる。自分の役割と目的とがうまく合致しているからだろう」
「役割……?」
要の顔が怪訝に歪むが、しかしそれもすぐに引き締まる。なるほど、確かにそれならありそうだった。
「……魔王様は勇者様との対決をお望み、ってやつか」
「魔王だか勇者だかは知らんが、俺を喰らったヤツは本郷との対峙を望んでいる事は確かだな」
「やれやれ……」
苦笑を描いて、要は肩をすくめる。
「……んじゃ、一応聞いておくけどな、あんた、なんで喰われた? 一応、俺はあんたを教師としては買ってたんだぜ?」
その問いに、しばらく答えはなかった。
数秒、数十秒と時間が流れて行く。数分にも、数時間にも匹敵するかのような緊張感が要を包んでいた。
「……」
「――」
どれだけ時間がたったろうか。
先に口を開いたのは、山形だった。
「津嶋……賭けは覚えているな?」
「賭け……? ……俺が負けたら、あんたを先生って呼ぶってことか?」
「そうだ」
予想外の肯定の言葉に、要は呆気にとられてしまう。しかしまたすぐに気を引き締めて、木刀を構えなおした。
「おいおい、あんた――」
「――俺は教師だ。だが同時に俺は武人なんだよ。……津嶋、俺はお前に負け続けた。俺は両方で、お前に負け続けていたんだ」
「……」
要は言葉を重ねることができなかった。
要にも信念がある。己が師と仰ぐのは己が認めた者のみで、それは未だ師である祖父しか当てはまらない。山形は良い教師ではあると考えてはいるが、しかしそれだけでは師と認めるのは難しかった。
津嶋要が認める師とは心身ともに己よりも優れたる存在なのだから。
「恨んじゃいない。お前に認めさせられないのは、ただの俺の力不足だ。そして同時に、こんな『もの』に頼らなければお前とまともに戦えないと思っている俺の精神もまた未熟なんだろうな。……だが、それでもな」
山形が竹刀を正眼に構える。剣道の、もっともオーソドックスな構えだった。
だがそれゆえに――隙はない。
加えて、『浸食』を受けている事でその身体能力も、発せられる威圧感も以前までのそれと比ではなかった。
まるで師や道場の高弟と対峙しているかのような感覚を、要は受けた。
「俺はお前に勝ちたいんだ。お前より十年近く先を生きてきた者として、お前より先に武を生きてきた者として……お前に勝ちたいんだよ、津嶋」
「……ガタさん」
それでも要は下がらない。否、下がってはいけない。
「津嶋流・皆伝。津嶋要」
正眼の構えの山形に対し、要がとった構えは上段だった。
要が学んだ流派には、特にこれといった名はない。新陰流の流れを汲むとも、一刀流の流れを汲むとも、はたまた先祖が編み出し細々と伝わってきたとも伝えられるそれは、数百年にわたって津嶋の宗家が伝えてきたために津嶋流と呼ばれているだけだ。
その術理は至極明快。ただ相手以上の力で以って、相手以上の速さで以って相手を叩き潰す事のみに主眼を置いた力の剣。それが津嶋流である。
「……」
しかし、ただ力で以って、速さで以って上回る。言うだけならば簡単だが、しかしこれほど難しいことはない。
幸い要は体格に恵まれ、そして出生にも環境にも恵まれていた。幼少の頃より身体の成長に害を及ぼさない程度に綿密に組み立てられた訓練内容により、要の肉体は同世代のそれとは比べ物にならないほどの能力を発揮する。それにより繰り出される剛剣は、自分よりも長い時間を武へと捧げた山形をも上回ってきた程だ。
――だと、いうのに。
「……」
要の顎を汗が伝う。今まで感じたことのない緊張感だ。生死の狭間に立っているかのような浮遊感が、要を苛んでいた。
上回った。確かに上回ってきた。
だが、それももう通じない。『浸食』された山形の身体能力は己の絶対の自信の源の一つであるそれを上回り、そして自分よりも長い時間を修行に費やした結果得た技術も、自分のそれを上回っているだろう。
――だが。
「……」
それでも何故か、要は負ける気がしなかった。
津嶋の剣は単純明快。高弟などは、脳筋の剣だと冗談にならない冗談を言う時もある。
だが――それは、あくまで表側の剣。
本来、武というのは弱者の牙として生まれた。圧倒的な力、それに対抗するための技術、それが武術なのである。
故に、津嶋の剣にも、存在する。
力においても、技術においても、早さにおいても、全てにおいて己よりも上回っている相手にのみ、使用して良い剣術。
津嶋流の免許皆伝を受けた者にしか教えられない、真実武術としての津島の剣が。
「――参る」
要の身体が風と化す。
神足の踏み込みは総司のそれと違い、震脚を発生させず音も無しに山形へと肉薄した。
それはまさしく風の如く。仮に、ここに総司がいたら驚いたろう。その足さばきは、かつてのパーティで最速を誇った盗賊のそれとも何らそん色ないものなのだから。
――だが、それに山形は反応して見せる。
「ふッ!」
「ぜァッ!」
気勢と共に放たれた大上段からの斬撃はしかし半ばで打ち止められた。みしり、とどちらからともなく獲物からの悲鳴が響き、そして交差は一瞬で終わった。
「シッ!」
次いで要が繰り出したのは、左半身の体を入れての柄の振り上げ。まるで自らの手元から伸び上ってくるかのようなその一手は、剣道の術理に存在しない剣術の技である。
「小手ェァッ!」
対し山形が繰り出すのは、一歩退きながら手首のスナップにより放たれる、引き小手と呼ばれる剣道の技の一つだった。引き技と呼ばれる、相手の力のこもる一瞬を見極めなければならない難度の高い技であり、山形が最も得意とする分類の技である。
刹那の攻防、しかしそのどちらも空を切る。
竹刀の切先は要の胸元を掠るだけで終わり、木刀の柄は山形の上衣の襟袖を僅かに震わせるのみだった。
「――ダァッ!」
しかしそれでも要は退くことは無い。すり足により前に入ると同時に、右手を滑らしそのまま掌を切先に添える。
そしてそのまま――木刀を、力の限りに押し込んだ。
「な――」
あたかもそれは、伸縮自在の槍の如くに山形の胸元へと迫る。
――津嶋流・奥型之一、神槍。
銃で例えるのなら銃口となる添え手の角度により、身体の前面に存在するどの急所をも捕える事が可能な――津嶋流皆伝にのみ伝えられる、殺人技である。
「ガッ……!?」
放たれたそれは狙いたがわず、胸元の珠へと吸い込まれた。ぴしり、と珠にひびが入り、その欠片がいくつか宙を舞った。
「……」
それを確認して、要は一歩後ろに下がる。
構えは解かず、正眼に構えを変えて、油断なく膝をつく山形を見下ろす。
残心。そう呼ばれる武の心得の一つである。例え技が決まり、勝負が決したと思われても、決して注意は怠らない。
「ぐっ……」
そうして数秒。霧散していく『浸食』の気配を確認して、要はようやく残心を解いた。
「……ガタさん」
「津嶋か……」
咳き込みながら、しかし山形は意識はまだあるようだった。狙ったのは胸元の珠のみで、いくら殺人技だからといって本気で殺すつもりでは撃っていない。運が悪くても、肋骨が折れ内臓に刺っている程度だろう。
「……世話を、かけた」
「はん」
「それと……次は、勝つ」
苦しそうに、それでもそれだけを言って気を失う山形に鼻を鳴らして、要は救急車を呼ぶために携帯を取り出した。
「……こっちは終わったぜ、総司。頼んだぜ――そっちはよ」




